01-11.極北から来た怪物。
先日魔力測定を行った校庭は運動にも用いられるが、もっぱら魔法実習用である。数度の座学、室内での実技演習を経て、基礎魔法学の授業は集団演習の段階に入っていた。
マントを羽織った制服姿の生徒たちが、二人一組になって立てられたポールに向かっている。高く伸びたポールの先からは、まるで傘のように半透明の球が広がっており、生徒たちを優しく包んでいた。
今日は応援が来たので予備要員のリンディは、弟子たちの近くで待機中である。
『さ~あみなさん、へとへとになるまで失敗してくださいね~! 大丈夫。どんなに魔法を暴発させても、怪我だけはさせませんので~』
(言うだけあって、ポマット・ポマードは事故を起こしたことがない。どの実習でも引っ張りだこだ。頼りっきりで申し訳ないところだねぇ……もっと労ってやりたいが)
リンディは壇上の丸い女性を、控えめに眺める。ひらひらとしたドレスが、暖かくなってきた風に揺られていた。
(……これ以上食べ物を奢るのは、気が引ける。あれで健康体なんだから、完全にホラーだよ)
「ポマット女史には、いつまでも健やかであってほしいですな」
教師に声をかけられ、リンディは視線を戻す。ほど近くにはいつもの金髪と銀髪の弟子、加えて赤髪の王子と緑髪の皇子の姿があった。教師は三人。自分と、プリムラム。そして禿頭が眩しい、ペリー・ブラックシップ。ラカルとユーラニアの指導をしていた彼が、にこやかな顔をして近づいてきた。
「あたしの生徒は、いつも遠慮なく心を読むねぇ。そんなにわかりやすい顔をしてるかい?」
「ええ。いつも我らを、案じてくださっています」
ペリーが曇りない目で言うもので、リンディは思わずくつくつと笑い声を漏らした。
「心配と言やぁあんたもだ、ペリー・ブラックシップ。防護術の授業だけでもみっちりなのに、指導補助もだいぶやってるそうじゃないか。えぇ?」
「ふふ。毎年素晴らしい子が来ますから、低学年の指導補助はワタシの生きがいです」
「へぇ? 今年は誰がお気に入りだい? ペリー」
「そうですねぇ……」
ペリーの視線がゆったりと泳ぎ、直に止まる。彼の視線の先では、ラカルとユーラニアが炎の魔法を出して、無言で張り合っていた。
「ラカルくんは非常にいい。あれだけ真っ直ぐな炎の使い手は、久方ぶりに見ました」
「あんたの指摘を受けて、すぐに効率を上げてる。確かに、あれはよく伸びそうだ。ユーラニアはどうだい」
「…………多属性者には詳しくありませんので、ノーコメントで」
ラカルがその身ごと火柱のように燃え盛る隣で、ユーラニアはぽんっと小さな火をようやく出している。令嬢が「ぐぬぬ」と唸る様を、王子が愉快そうに睥睨していた。
「やっぱり天才だねぇ。まだ魔法使い始めて1か月なんだよ。あたしんときは魔力がぐちゃぐちゃで、1年はそよ風すら起こせなかった」
「先生が手放しに褒めるほど、ですか……」
カラッとしていた彼の表情が、明らかに曇る。リンディは小さくため息を吐いた。
「最初の防護術の授業。なんであんな真似をしたんだい?」
先日の授業での様子を尋ねた途端、薄く風が吹いた。
(〝防音〟……内緒の政治談議かい、ペリー)
「ナイト帝国のエンタス公爵については、ご存知かと思いますが」
「あー……〝十三番目の魔貴族〟って疑われた、あの話かい?」
「そうです」
60年前の魔王との大戦。その時、様々な理由で人類を裏切り、魔王についた人々は「魔族」と呼ばれていた。特に魔王に近しかった十二名が、〝魔貴族〟を名乗っている。ユーラニアの実家、エンタス公爵家の先代当主は、13番目の魔貴族だと疑われていた。
「そりゃ先代の話だし、第一血縁がない。証拠も出なかったんだろう?」
「証拠なんて関係ありません。ナイト帝国は、魔王憎しで成立した国。打倒後もその復活を恐れ、関係を疑われた者は抹殺されたと、聞いています」
(確かに、ナイト公爵の公国だったあの国は、公が魔王に家族を呪われて帝政に移行した。魔王に味方した裏切り者を始末する〝魔人狩り〟が苛烈に行われていたのを、よく覚えている。しかし)
リンディは嫌なものを思い出し、顔を苦く歪める。
「復活だと? 魔王は確かに、このあたしが殺した。あり得ないね」
「……そのくらい、恐れられたということかと」
首を振って答えると、禿頭の教師は視線を逸らして俯いた。
「その中にあって、エンタス公爵は除爵どころか降爵も行われませんでした。一説には、当時腹心だった現エンタス当主が、先代を秘密裏に皇帝に突き出したとか」
「その噂はあたしも知ってるが、皇帝その人が否定していたよ。それで? 魔王に近しい家の出だから、ユーラニアを警戒していると?」
「逆です」
禿頭の教師の言い様に、リンディは少しの笑みを浮かべる。
「けじめってやつかい。ナイト出の連中に、あの子は敵じゃないとわからせるための」
「ええ。先生の直弟子ですから、滅多なことなどあってはならない。それに……」
「それに?」
目を細めるペリーのつぶらな瞳が、煌めく。
「期待、しているのです。まぁシリカの王子と婚約しているのは……いろいろとどうかと思いますがね」
(……魔貴族が一番多かったのは、シリカだから、か。ナイト帝国は今でも、シリカのパルガス王らを目の敵にしてる。そりゃラカルの婚約者ってなったら、ユーラニアはあまりいい立場じゃないか)
風が巻き、話は終わりだとばかりに〝防音〟の魔法が解けた。周りの声も、届くようになる。
(今のところは、学園から政治のしがらみを追い出してるから、ラカルもユーラニアも大事ないが。気を付けないといけないねぇ)
「では、そろそろ指導に戻ります」
「じゃああたしは楽をさせてもらうよ。時にペリー」
踏み出した彼が振り向くのを待ってから、リンディはついっと視線を流した。
「あっちはどう思うよ?」
その先には、風の魔法で身を浮かすウォルタード皇子。
「さすがウォルタードくん。明らかに本気を出してないのはいただけないが、優雅なものです」
「そっちじゃないよ。わかってんだろう?」
ペリーが押し黙る。禿頭に、僅かに汗が煌めていているのが、見えた。
「……多属性者については、コメントいたしません。先生はどう見るのです」
「かぜー! おきろー!」と気合を入れながら、アプリコットが何やら力んでいる。ついでに奇妙な舞を踊っていて、いろいろと淑女失格な有様であった。もちろん、魔法は何も出ていない。
(補属性とは、誰か他の魔法に助力する性質の魔力。一人では魔法が使えない。だが多重補属性の場合、理論上は二つの属性を合わせて魔法を生み出すことができる。雷と氷の属性を合わせれば……風魔法になる、はずだが。今のところ、使用者に出逢ったことはないんだよねぇ。けれど)
リンディは大きく、ため息を吐いた。
「惚けるなよ。教師はみんなわかってて無視してるだけだろう? あんたも含めて」
近くから、生唾を呑む音が聞こえた。リンディもまた、徐々に口の中に渇きを覚える。
「ユーラニアが天才なら……アプリコットは、化け物だ」
ペリーの頬を、一筋の汗が伝っていた。
「…………人間の体に、あれほどの魔力が宿るなど。大陸人は我々と体の作りでも違うのでしょうか?」
「いんや、そんなこたぁなかった。あの子は確かに人間だよ。でも」
リンディは自分の背中にも、同様に雫が流れているのを感じる。
魔法使いとは、称号であり、資格である。単に魔法を使えだけでは、授からない。魔法使いを名乗る条件の一つには……魔力がその目に見える、というものがあった。
当然に、学園の教師たちは皆、魔法使いである。校庭にいる指導教員のほぼすべてが、アプリコットが目に入らないように視線を逸らしていた。
その竜巻ような、魔力から。
「まるで〝神〟を見ているかのようだ。近い魔力の量と質だね」
「ああ……ワタシも少し見覚えがあると思ったのですよ。どおりで」
「アプリコット!」
ペリーに手を振ってからアプリコットに声をかけ、リンディは歩みだす。
「がんばれー! アプリコットさんがんばれー! あれ? 学園長先生」
「ふぉぉぉ! 園長の前だぞがんばれ私風よふけー!」
「学園長だ。なんだいそれはお前たち」
「「きあい?」」
桃色髪の教師と、アプリコットの様子にリンディは思わず吹き出す。ウォルタードがつむじ風に座って、肩を竦めている。
「そうじゃねぇだろう。教えたじゃないさ。魔法で大事なのは〝鏡〟だと」
「……鏡?」
ウォルタードの呟きに、リンディは深く頷いて見せる。
「世界そのものを、自分のすべてを映す鏡だと捉えな。その中にないのが、魔法ってやつだ。アプリコット、肩の力を抜け。目の前には何がある?」
「園長とポール」
「学園長だ。その向こうは?」
リンディが尋ねると、アプリコットの瞳にすっと影が差した。
「…………ポマット先生。校舎」
「もっと向こうだ」
「青い」
「それは何だ?」
「空? 変なの」
「何が変だ」
「色。あんなじゃない」
「風は見えるかい?」
「ううん。風なんて、吹いてないよ」
ウォルタードとプリムラムが、周囲を見渡している。今日は特別……春の風が、強く吹いていた。
「あんたはどこにいる?」
アプリコットは首を振る。その目には光がなく、だがらんらんと輝くようであった。
「いない。私、どこにもいないよ?」
「じゃあいるところはどこだ」
「ここじゃない」
「どんなとこだ」
「寒い。暗い」
「風は――――――――吹いているか?」
どんっ、と強く何かを叩く音が響き渡る。誰もが、アプリコットを振り返った。
「弱い風が吹いてる。今日はあったかいね」
「いつもはどんなだ?」
「痛い」
ばんっ、とさらに強く叩きつける音が鳴り、アプリコットを包む半透明の幕が衝撃で歪む。慌ててプリムラムが、ウォルタードの手を掴んで、球の中から引っ張り出した。
リンディは人差し指を立て、両手を振る。軽やかに、指揮をするように。
少女の歌に、合わせるように。
「とても痛いの。刺さるの」
「じゃああんたは傷だらけだねぇ」
「ううん。今日の私、とてもきれい」
いくつもの巨大な不可視の手のようなものが、アプリコットを覆う膜を内側から叩いた。ポマードの張っている防護の魔法が、割れる。大きく天を衝くように巻き出した風を、さらに幾重もの光が覆った。
リンディの両手は、荒波を奏でる曲を導くように、激しく振られる。
「きれいかい。どんなふうに見える?」
「とってもいい服を着てるの。血も出てない、傷もついてない」
「顔はどんなだい?」
「肌が白くていいなぁ。唇も割れてないし、鼻も折れてない。耳の傷がないよ? ほんとに私かなぁ」
「あんただとも。疑うんなら」
「その目をよく見ろ、アプリコット・スリーセブン」
もはや嵐であった。光の中は吹く風の激しさに、中のアプリコットの姿が時折霞んで見えるほどである。風は確かに光で阻まれているはずなのに、校庭の誰もが足を踏ん張り、今にも吹き飛ばされそうな感触に耐えていた。
「この世界にないものが、お前の目に映っているだろう?」
「そうだね。リンディ、なにこれ?」
「――――それが魔法さ」
嵐の中のアプリコットが手を伸ばし、何かをつかみ取る。
風が。
止んだ。
「おおー、わかるよ! これが〝風〟なんだねぇ。私が想像してたのと、全然違うよぉ」
「あんたの風なんだから、それでいいんだよ。しまっときな」
「うん! ……………………あれ?」
アプリコットが金髪を揺らし、小首を傾げる。リンディは彼女の視線に合わせて振り向き、周囲を見渡した。身を防ぐ魔法を展開している教師たち、悲鳴も出ずに震えている生徒たち。立ちすくんでいる者もいれば、まったく状況もつかめていない者もいるようだが。
皆が、アプリコットを見ていた。
「みんな、何を見てるの?」
「自分のが終わって暇なんだろ。あんたも今ので十分だから、ユーラニアのでも見ておき」
「はい、園長先生!」
アプリコットは言うが早いか、手のひらの中にある嵐の球を握りつぶした。唯一喜色を浮かべているユーラニアに向かって走り出し、歓声をもって出迎えられている。
「すごい! アプリコットすごい! くやしい! 大好き!」
「ほげぇ!? しまるしまるぐきっていうしまるぅ……!」
そして喜ぶユーラニアに、みしりと音がするほど抱きしめられていた。
「学園長、だ。くく……魔法ってのはいいねぇ。いつだって、わくわくさせてくれる」
リンディは目を細めて、二人を眺める。一人静かに、くつくつと笑った。




