01-01.転生自覚が60年遅かった。
短編からの新作でございます。ゆっくりめで参ります。
「俺の邪魔ばかりしやがって! ナイト帝国エンタス公爵令嬢、ユーラニア! お前との婚約は、破棄する!」
血気盛んな声を聴き――リンディの体は人知れず、ぐらりと傾いだ。
(ぐ、これは……あたしはあの乙女ゲームの世界に、転生してたってことかい? ナイトが公国じゃなくて帝国なら、『2』の世界だね。なんで『1』の頃……60年前に記憶が戻ってくれないんだか。遅すぎるじゃないか)
心中で悪態をつき、姿勢を正し、周囲に視線を走らせる。正門前広場は、寮や下宿から登校してくる生徒たちでやや混雑していた。そのうち多くが騒ぎを見て、遠巻きに足を止めている。リンディはじっと、渦中のラカル王子と――悪役令嬢ユーラニアを見つめた。
「どういうことですかラカル殿下!? 我々の婚約は、シリカ王国とナイト帝国の橋渡しとなる――――」
「お前を俺に押し付けるための厄介払いが、橋渡しだと? つくづくおめでたい女だ!」
目が血走っている王子の反論に、令嬢が肩を震わせ、赤い瞳に涙を溜めていた。その光景に。
(……嫌なもんだ。あたしが断罪された、60年前を思い出す。何もできず、味方がいなくて、悔し泣いた――あの日を)
リンディの目は、不快さを滲ませて歪んだ。
(あの王子の祖父は……あたしの婚約者は。平民の女に魅入られて、あたしを振った。ご丁寧に、冤罪までしかけて!)
自分の隣にいる、ふわふわの金髪の少女を見やり、リンディは少しのため息を吐いた。
(けど今は違う、か。『2』だとこれはただの痴話喧嘩。ゲームじゃ序盤のイベントだ……王子の隣にヒロインがいるわけでもないしね。でも――辛い思いをしてる本人にゃ、関係ない。苦しかろうよ、ユーラニア。その気持ち……よくわかる)
リンディは気丈に振る舞うユーラニアが目に入り、僅かに頭を振って、過去の幻影を振り払う。
「だ、だとしても! 衆目の前でこのような……! 祖国に知られたら、こんな」
「どうともなるものかよ。つまはじきにされた者のために動く国など、ない」
(そりゃ自己紹介かねぇラカル。しかし動くんだなこれが)
そして今目の前で起きてることにゲームの展開が重なり、思わず肩を落とした。能天気にユーラニアを煽り、周りが目に入っていないラカルを、リンディは忌々しげに睨む。
(この出来事を放置すると、魔法学園……あたしの学園は舐められる。それがきっかけで、シリカ王国は学園攻めを決めるんだ。そいつは勘弁願いたい。さすがに)
リンディはどうしても……今、一人必死に抵抗する少女の姿から、目を逸らせなかった。
(放っておけないねぇ。本来、この喧嘩はヒロインが仲裁する……まずはそれを止めて、あたしが預かるところからだね。ゲーム通りの展開になんて、させやしないよ)
一歩進み出ようとしていた隣の少女の肩に、リンディは手を置いてぐっと押さえ込む。ふわふわのブロンドの毛先が、手の甲をくすぐった。振り向いた彼女の碧眼に乗った感情が、徐々に色を変える。抗議、驚愕、そして少しの恐怖……あるいは憧憬のようなものへ。
「アプリコット。あんたはじっとしとき。ここはあたしが引き受ける」
少し頬を染めて何度も頷く少女の肩を叩き、リンディは進み出る。コツコツと、彼女の靴のかかとと石畳が、小気味良い音を鳴らした。
「わたくしが悪いのであれば仰ってください、直します! ラカル殿下! だからどうか、今の一言はお取り消しを! このままでは、お父さまたちにご迷惑が――――へ?」
割り込んだリンディに、二人の視線が向く。ユーラニアに向かって器用に片目をつぶって見せてから、リンディはラカル王子に向き直った。
「…………なんだ貴様は。ババア」
(この王子。大人しくしてりゃあ、見目はよかろうに。傲慢と甘えが顔に張り付いて、醜いったらないね。なんであたしは60年前、同じ顔に恋をしたんだか。さて)
明らかに不機嫌そうなラカルに向かって、リンディは肩を竦め、首を振って見せる。
(ゲームの筋はわかってる。だが問答無用でラカルをつまみ出したら、あたしの立つ瀬がない。まずはこの頭に血が上った坊やを落ち着かせて、話を聞かないとね。ひとつ揺さぶって、なだめてやろうじゃないか)
それから顔を上げ、にやりと笑った。
「年寄りの扱いがなってないねぇ、ラカル王子。そんなことも教えて寄越さないとは、シリカも国として落ちぶれたもんだ」
「なんだと? 俺に盾突くと言うのか! 薄汚い女が!」
リンディは王子を超然と見下す。ダークグリーンの簡素なドレスをまとった彼女は……髪も黒々としており、肌に言うほどしわもない。腰も曲がっておらず、背筋もしゃんと伸びていたが――その深みのある声は、確かに長い年月を感じさせるものだった。
「お、おい大丈夫かよあれ」「誰か止めないと……」「俺怒られるの嫌だよ怖いよ!」「これ、また戦争に――」
「おだまり!」
老女の一喝に、広場が静まり返った。声は止まり、王子もひるみ、ついでに背後の令嬢の涙も止まる。
「紳士淑女は黙って舞台を見るもんだ。それで……そう、王子」
リンディは一転して、大河のようになだらかな声で語りかけた。ラカルの方がびくりと震え、その目が惑いを見せる。
「あたしが誰だかなんていいんだよ。朝っぱらからレディを泣かせるなんて、随分罪な男じゃないかい。ちょいと話を聞かせとくれよ」
「教師か? 黙っていろ。用があるのは、そこの愚図だ」
「おやまぁご立腹じゃないか。そんなにお怒りだなんて、このユーラニアは悪い子だったのかい? それなら叱らなきゃいけない。何があったか話しておくれ。王子殿下」
リンディは不安げな視線を感じ、喋りながら体で隠すように手を伸ばした。ユーラニアの細く白い手の指先に触れ、少しだけ掴みながら安心させるように撫でる。ちらりと様子を窺うと、リンディの猫なで声に毒気を抜かれたのか、王子は所在なげにあらぬところを睨んでいた。
「フン……俺はそこの金髪に用があったのだ」
(幼いねぇ。もうあたしに呑まれてくれたよ)
戸惑うような、どこか陶然とした視線を向けるユーラニアを横目に、リンディは深く頷く。
「金髪。アプリコット・スリーセブンかい。それで?」
「それをこの女、何を誤解したか割り込んで止める」
リンディの応対に気を良くしたのか、ラカルは肩を竦めて頭を振った。リンディは笑みを深め、やさしげな瞳で彼を見つめる。
「ユーラニアが止めたと。誤解たぁ穏やかじゃないねぇ。それから?」
「俺の言うことも聞かないものだから、脅しつけてやった……それだけだ」
リンディは大きく二つ頷いた。顔を上げると、赤みのある王子の瞳と目が合う。
「婚約破棄は本意でないと?」
「……………………そうだ」
(強がるくせに、中身は素直な甘えたがり。ほんとに爺と一緒だ。今ならちったぁ可愛く見えるが、婿にはごめんだね。別れて正解だよ、60年前のあたし)
リンディはどこかほっとした様子のラカルから、視線を外す。一歩下がり、ユーラニアの背に手を回した。ゆっくりと撫でて彼女を落ち着けてから、口を開く。
「本気じゃないそうだしユーラニア。ここはあたしの顔を立てて、聞かなかったことにしとくれよ」
「っ! ですが、皆さん聞いています! これは国同士の――――」
大きく目を見開いた令嬢を、リンディは鋭く見据えた。
「ユーラニア・スタークラスター!」
「ひゃい!?」
(昔のあたしは……泣き寝入りするしか、なかった。だがこの子に、そんなことはさせたくない――どうか信じとくれ)
怯える令嬢に一転してにこりと微笑んで見せて、リンディは彼女の両肩を掴んだ。
「エンタス公はお元気かい? ユーラニア」
「え、はい。父はその」
困惑を見せるユーラニアに、リンディはゆっくりと頷いて少し潤んだ瞳を向けた。
「よぉしいい子だ覚えときな。ここは政治、例えば……王侯貴族の結婚話は一切禁止なんだよ、禁止。これ以上あんたが抗弁するようなら、あたしは罰を与えた上に、公に一報入れなきゃいけない。わかるね?」
再び目に涙を溜めたユーラニアが、こくこくと首を縦に振る様が目に映る。リンディは彼女の目元をそっと指で撫で、雫をすくった。
「ぁ……」
「あたしに任せとくれ。このルールは、老いぼれの命を懸けてでも守らなきゃならない……大事な礎なんだよ」
ユーラニアの眉尻が下がっていく。リンディもまた一つ頷いた。
そこへ。
「――――罰、とは。どういう了見だ」
明らかに怒気の籠った、ラカルの声が突き刺さった。
(おっと、のってきたね……じゃあ乙女の涙の分、泡を吹いてもらおうじゃないか)
↓以下は短編版です。長編3話までに相当します。