存在
「ヴァンパイア!!」
静かな銀薔薇の庭園に、全く一切これぽっちも不似合いな金切り声が響いた。
「聞いた通りだわ。
貴方が、この城に棲む吸血鬼ね。出て行け!!この城を汚すな!」
下女と思われる女はいきなり叫んだ上に、傍に置いてあった手桶を投げた。−正確にいえば手桶の中に入っていたものを、アリアに向かってぶちまけた。
中には摘んだばかりの銀薔薇と、それを枯らさないない為の水が入っていた。
「どうだヴァンパイア!!お前の嫌いな、銀と水だ!これ以上の傷付けられたくなかったら早く―」
顔を真っ赤にして言い放ったが、しかし。言葉を途中でやめた。
「何、でー」朱のさした顔が、また青白くなっていく。
「よく知っているのね。とても博学ね。でも、薄学でしかないわ。」
普通の人間でも、水をぶっかけられれば動揺する。それなりに激昂しても良い。
しかしアリアは、落ち着いて、平静を保ったまま、頭につけたヘッドドレスを外した。そして軽く水気を切るように振ると肩にかけたストールでくるみ、執事に手渡した。
「わたしの執事なら、これくらい、持てるわね?」
トレアは何も言わずに、深く頭をさげながら受け取った。アリアは、ドレスについた銀薔薇を白く細いその指で、丁寧にはがした。
「吸血鬼は、十字架が嫌い?でも、わたしは神に忠誠を誓い、決してロザリオを胸から外さないわ。 吸血鬼は流れる水に弱い?でもわたしは、この清らかな水で、手も顔も体もすべて洗うわ。
吸血鬼は銀を恐れるのかしら?だったら、わたしは…」「もう止めて!!」
下女はそれ以上聞きたくないと拒んだ。
それでもアリアは話すのを止めない。
「−わたしは、どうして銀薔薇の庭園にいられるのかしら?」
その一言で下女は崩れるように倒れて、地面に膝をついた。
「申し訳ないことをしたわ。大奥様の部屋にそなえるはずだったのに。全部駄目にしてしまって。」
アリアは柔らかく笑って近くにあった銀薔薇をつむと下女の髪に刺した。棘で怪我をしないように、優しい所作で。
「アリアさま、参りましょう。」
トレアにうながされて、アリアはその場を離れた。
下女が何かを叫んでいるような気もしたけれど、振り返ることはしなかった。
何にもとらわれず、銀薔薇の庭園に吹く風のように。
しばらくは何も言わないで黙って歩いた。庭園から、月を見ながら泉のわく場所まで行って折り返す。
アリアは何も考えなくても執事が手を引いてくれる。ずっと、沈黙が続いているとトレアが最初に言葉を発した。
「アリア様…」
執事という立場からはあり得ないほど頼りない言い方だった。アリアは名前を呼ばれてもそちらを向こうともしなかった。ただ足を前に前に出すことに精を出しているようにも見えた。
「一体、誰があんな事を下女にまで教えたのでしょうか。」
「どうせ城の年寄りが噂しているのを聞いたのでしょ?」とアリアは投げやりに答える。
そのうち足元に石でも落ちていたら蹴ってしまいそうな勢いがある。
「そのような言い方はよろしくありません。
以前は兄弟のように慕っておられたじゃないですか。」
「”以前”は…ねぇ?」
アリアの声はせせら笑うようだった。
「ねぇ、それより。」言いながら立ち止まって、トレアを見た。トレアは長身でアリアは小柄だ。自然と見上げるようになる。
「おぶって頂戴。疲れたわ。」
トレアは、一瞬虚をつかれたような顔をした。それでも、すぐに「御意〔イエス〕」と答えてアリアの小さな体を軽々と抱き上げた。
アリアはトレアの耳元の顔を近づけて小さな声で、自分にも言い聞かせるように言った。
「わたしは、こうになったことに後悔はしていないわ。」
トレアは何も言わなかった。アリアも、それ以上は一言も喋らなかった。
静かに、地下の部屋に戻った。