007 苦境だからこそ……
ウェーリアの魔法にグリフィスも、ローティスも、ウィグルスも、言葉を失った。
三人の視線は、その魔法が放たれたことで湯気を上げ始めたコップの中身に注がれている。
触れるまでもなく、コップの中で『水』が『湯』に変わったのだと、三人は理解した。
だが、それを飲み込むことが出来ない。
なぜなら、熱を生み出すには『火』の天授技能を授かった魔法使いの存在が不可欠だとされていたからだ。
だが、今、目の前で湯を生み出したのは、逆に氷や氷結といった冷たさを司る『水』の天授技能を持つ洗濯メイドである。
だからこそ真っ先に我に返った老執事ウィグルスは、懐から小さな水晶を取り出した。
「ウェーリア、貴女の天授技能を確認させてください」
ウィグルスの言葉に、ウェーリアは「は、はい」と少し怯えた様子で頷く。
直後、ウィグルスの手にした水晶は淡く青い光を放った。
ウィグルスの動きから、彼が天授技能を鑑定したことを確信したローティスは「どうだ、ウィグルス?」と結果を尋ねる。
その意図を正確に読み取ったウィグルスは、ローティス、グリフィスと順番に視線を向けてから「簡易の鑑定水晶ですので、正確さには欠けますが、間違いなく『水』に類する天授技能を持っております」と断言した。
そして、その情報に大きく動揺したグリフィスは、震える声でサラに尋ねる。
「つ、つまり『水』の天授技能持ちでも湯を作り出せるというのか?」
グリフィスの問い掛けに、サラは「はい」と力強く頷いた。
自分の左右にローティスとウィグルス、対面にサラとウェーリアを座らせたグリフィスは、真剣な表情で「何故、と聞いても良いか?」と尋ねた。
それが原理を問うものだと察したサラは「もちろんです。お父様」と力強く頷く。
「簡単に言うと、こういうことです」
そう言ってサラは両手を素早く擦り合わせた。
だが、それだけではグリフィスもローティスもウィグルスも原理を理解出来ず、首を傾げる。
「手を擦り合わせると熱を帯びますよね。これを水でやったのが、ウェーリア達洗濯メイドが生み出した魔法です」
「お、お待ちください、わ、私達はサラ姫様の言葉に従っただけで、私達が作ったわけではありません!」
サラの横で緊張で固まっていたウェーリアだが、その言葉の内容では誤解を生むと焦って否定の言葉を口にした。
対してサラは表情を変えることなく「私は理論を考えただけで、実際に魔法を作ったのはウェーリア達でしょう?」と言い放つ。
そのまま、話が脱線していきそうだったので、ウィグルスが慌てて軌道修正に入った。
「お待ちください、サラ姫様。開発者の話よりも、今は原理の説明を続けて貰えませんか?」
「それもそうですね」
ウィグルスの指摘に、サラは素直に頷くと解説に戻る。
「ここからは難しいのですが……水はこんな感じなのです」
サラが続いて取り出したのは、小さな小箱でありそこには小さな手芸用のビーズが無数に詰め込まれていた。
その箱を傾けると、それに合わせてビーズがサラサラと動く。
「水もこのような粒が集まっていて、このように粒が動くことで流れるのです」
「は、はぁ」
サラの説明に対して、ウィグルスは戸惑いの籠もった曖昧な声を発することしか出来なかった。
「まあ、水の粒はコレよりもはるかに小さい……人間の目には見えないサイズなので、水魔法の使い手でないとわかりにくいと思います」
うんうんと一人で納得して頷いたサラだったが、自分に向かう視線に気付いて、慌てて言葉を付け足す。
「あ、あれですよ? 水の魔法の指南書に、水とは小さな粒で構成されていて、それを操ることが魔法の基礎と記されている書物があったからですよ?」
前世の記憶があることは一応伏せておこうと考えているサラは、言い訳にしか聞こえない言葉を並び立てたが、それを指摘する者はいなかった。
むしろ、目の前に成果があって、それなりに聞こえる理論を提示されたことで、サラの説明の不自然さよりも、これが領を救う切り札になるのかという点に意識が向いていたのである。
そんなグリフィス達の沈黙を、自分の発言が疑われているのではと捉えたサラは「まあここは理解出来なくても良いのです!」と話を流すことに決めた。
方針を決めたサラは、追い打ち情報として、ウェーリアに視線を向ける。
直後、何を言われるのかと警戒したウェーリアは身を固くした。
「え。えーと、ウェーリアも、原理を完全には把握していないでしょう?」
サラの言葉に、グリフィス達の視線が自然とウェーリアに集まる。
雲の上の存在と言っても良い伯爵達の視線が自分に集まっていることに震えながらも、ウェーリアはか細い声で「さ、サラ姫様の仰るとおりです」と顔を青くしながらも頷いた。
原理を正しく理解していない魔法を使ったのかと非難されても仕方ない状況だけに、ウェーリアが怯えてしまったのは仕方が無いことである。
だが、ウェーリアを見るグリフィス達の心情は違っていた。
正しく原理を学ばなくても、つまり即席でも湯を生み出す魔法が使えるという点に着目していたのである。
で、あれば、緊急性を要する現時点において、起死回生の一手になる公算が大いに高くなったのだ。
グリフィス達は、自分の手の内にじわりと汗がにじみ出たのを感じ、強く握り込む。
直後自然とその視線はサラへと向かった。
サラはその観察眼で、グリフィス達が原理を理解せずとも使えるという点を重視しているのだと察し、敢えてその点を強調してみせる。
「新たに生み出した魔法、その名を『レンジ』と言いますが、原理そのものを理解しなくても、小さな水の粒に何をさせる魔法かわかっていれば、効果を発揮することが出来るのです」
その説明に、グリフィスは一度唾を飲み込んでから、サラに答えを求めた。
「水に、何をさせる魔法なのだ?」
対してサラは真っ直ぐグリフィスを見詰めて口元に小さな笑みを浮かべる。
そして、知性の籠もった瞳を僅かに輝かせて断言して見せた。
「水を震わせる魔法です」
サラとウェーリア達洗濯メイドが生み出した『レンジ』はその名の通り電子レンジの原理を応用した魔法であった。
電子レンジの本来の原理は『マイクロ波』で水分子を振動させることにより発熱を促すというものである。
専門知識の無いサラの記憶は大変あやふやで『水を振動させる』程度の原理しか頭になかった。
しかし、それが功を奏したのである。
なぜなら、最初から水を振動させることに着眼したことで、短期間で直接水分子を動かすという魔法に辿り着いたのだ。
そもそもの電子レンジの原理にこだわっていたなら、電気や電磁波を操る魔法使い捜しも必要になっていたかも知れなかったのである。
また、この魔法開発は、ウェーリアの冬場は水が冷たくなるので、洗濯が大変になるという発言に端を発しており、これも早期の魔法構築に貢献していた。
領地を救おうという目的であったら難航していたかも知れない試行錯誤も、ウェーリアたち洗濯メイドが、自分たちの労働環境改善を目的として、気負うことなくいろいろと試せたこと、何より完成は自分たちへのささやかなご褒美という感覚だったこともあり、コツコツと空き時間で努力を重ねることが出来たのである。
そして今、領地の窮地を知ったサラは、レンジ魔法であれば、状況を脱せるのではないかと考え、命を捨てる覚悟で、父に直談判したのであった。