006 奇跡の種は……
グリフィスはサラを嫌っているわけではなかった。
むしろ、子供達の中では一番心配している娘であり、その境遇もあってか、一番愛しいとすら思っている娘である。
その成長の早さに心躍らせ、天授技能が無いことに落胆し、それが導く未来に絶望したが、それでもサラを護る為、過保護にしすぎて、周囲に不満を抱かせないように、心を鬼にして距離を取ってきた。
だが、その愛すべき娘が自らの執務室の前に来ていると知った時、グリフィスは強い怒りに囚われる。
なぜならば、ここが犠牲となる村を決める場である為、嫡男のランティスすら執務室へ近づくことすら許さぬという厳命を下しており、サラはそれを破ったと言うことに他ならなかった。
如何に幼い娘といえども、伯爵令を破った以上何らかの罰則を与えなければならない。
それを自分にさせるのかと思った時、これまでサラに抱いていた思いが悪い方に爆発してしまったのだ。
そもそも前代未聞の天授技能を持たぬ娘という存在は、客観的に見れば、順風満帆な伯爵領の数少ない汚点であった。
天に見放された娘を持った父親という立場の伯爵は、馬鹿にするにしても、哀れむにしても、ネタに困らない。
貴族社会に生きる伯爵は、下手に庇い立てをすることで火に油を注ぐと考え、周囲の偏見に満ちた言葉に対して、敢えて反論せず静かに受け止め続けてきた。
だが、それは気持ちにゆとりがあるからこそ出来ていたことであって、王国から見放されてしまったとしか思えない状況においてはその限りでは無い。
むしろ、これまでぶつけどころの無かった怒りが、伯爵令に反した罪で、自分に罰を下させんとするサラに向いてしまったのは、伯爵にとっても不幸なことであった。
だが、一度流れが出来てしまった感情の激流は止まることは無い。
これまで受け流してきたサラに対する言葉の数々が、グリフィスの脳裏で蘇り、一つの黒い結論へと集約していった。
『王国が伯爵領を見捨てたのは、神に見放された娘がいるから……』
そこに辿り着いた時、グリフィスは他に理由は無いと確信してしまった。
如何に『先見術士隊』が伯爵領は大丈夫と予見したとしても、何の手立ても王国が打たなければ、他の貴族に不審を抱かせ、将来的には王国に反乱の火種を生むことになる。
だが、サラが全ての引き金だとしたならば話が変わってくるのだ。
この大寒波の原因が『サラ』にあるとされてしまえば、これまで処分してこなかった伯爵領の罪となる。
王国は罪を受けるべき伯爵領を助けない言い訳が立つし、貴族達の多くはこれまで気候に恵まれ、経済的に繁栄している伯爵領が凋落することを喜ぶに違いなかった。
だからこそ、グリフィスはこれこそが王国の真意であろうと考え、自分がすべきことを冷たく考え始める。
もはや、伯爵領は王国からの支援は受けられず、犠牲となる村を選ぶ段階に来ていた。
この状況が覆せないならば、事後に怒りをぶつけられる生け贄が必要になる。
統治者としての冷徹な思考が、その瞬間、扉の向こうで待っている娘に集約した時、グリフィスは表情を消した。
それだけで、先代の伯爵であったサラの祖父ローティスも、長年仕えてきた老執事ウィルグスも、グリフィスが何を選び、何を切る決断をしたのかを悟る。
部屋の中が重い空気に包まれ、誰もピクリとも動かない嫌な静寂に包まれることしばし、ようやく動き始めたグリフィスは、大股で執務室の扉へと歩み寄った。
ガチャリとドアの留め金が落ちる音がした後で、ギィッと大きな扉が軋んだ音を立てながらゆっくりと開かれた。
入室を待っていたサラを一目見ると、グリフィスは扉をその位置で止め、踵を返し自分の執務机へと戻っていく。
執務机にグリフィスが座ったところで、サラは普段と変わらない表情で堂々と室内に入ってきた。
現状の不満をぶつける対象として、生け贄にされることが決まってしまったサラの姿を見るローティスとウィグルスの表情は暗い。
そんな視線など知らないと言わんばかりに自然な足取りで、父の執務机の前まで歩み出たサラはそこで綺麗な所作で頭を下げた。
「お父様、突然の訪問ご容赦ください」
常套句であっても、許せという言葉に、グリフィスの眉がピクリと跳ねる。
「……サラ。今日はここへは来るなと……命じたはずだが?」
自分の発した声があまりにも淡泊なことに、グリフィスは内心で驚いていた。
同時に、それが自分の中で、自らの娘を切り捨てる覚悟が出来た証明だと思えば、自分自身への嫌悪感で吐きそうになる。
それでも尚、サラを犠牲にするからには、せめて伯爵としての仮面を最後まで着け続けるという覚悟を決めて、毅然とした態度でサラの反応を待った。
すると、サラは怯える様子もなく、穏やかな口調で「お父様に知って欲しいことがあるのです」と口にする。
グリフィスはもう既にサラとの別れを意識していることもあって、最後の会話に付き合おうという気持ちで、サラに向かって頷いて見せた。
父の許可を貰ったサラは、廊下に視線を向けて「ウェーリア」と呼びかける。
直後、廊下の影から転がるようにして姿を見せたメイドが「は、はい、サラ姫様」と、声を上擦らせながらサラに駆け寄った。
ウェーリアと呼ばれたメイドの身につけた服装を見て、グリフィスは「洗濯係か……」と呟く。
その呟きにサラは小さく頷き「はい、ウェーリアは洗濯メイドで『水』の天授技能を持っています」と情報を補足した。
しかし、それだけではサラが何を言いたいのか理解出来ず、グリフィスは首を傾げる。
「洗濯メイドがどうかしたのか?」
グリフィスの疑問に対して、サラは直接何かを答えるのではなく、代わりに背に隠していたのであろう木製のコップを取り出して見せた。
「これがどうしたのだ?」
コップに液体が入っているのを確認したグリフィスは眉を寄せる。
まさかこの状況でママゴトでもしようというのかと、最後に仏心を出した自分の判断をグリフィスは嘆きかけた。
対してサラは「これは水です」とコップの中身を告げる。
「それがどうしたのだ!」
語気が荒く強くなったのを自覚しながらも、グリフィスは苛立っていることを隠さなかった。
だが、それで洗濯メイドのウェーリアは腰が引けたというのに、サラは表情一つ変えない。
その上で「触れて確認してください」と言ってきた。
「なぜ、そんな……」
グリフィスが言い切る前に、サラは強い口調で「触れてください、お父様!」と迫る。
それは不敬極まりない行為だが、グリフィスはそんなことよりもこれまで能力は無くとも賢く心優しいという報告を受けていた娘の予想もしなかった態度に興味を惹かれていた。
だからこそ、それ以上はなにも言わず、言われるがままにコップの中の液体に直接指を入れる。
それを確認したサラが「水ですね?」と、尋ねてくるので、グリフィスは頷きで応えた。
サラもグリフィスが頷いたのを確認したところで、ウェーリアに視線を向ける。
「ウェーリア、あの魔法を」
「は、はい! 伯爵様、魔法の行使をさせて頂いて良いでしょうか?」
ウェーリアは上目使いで怯えながらグリフィスに許可を求めた。
目の前の二人が何をしようとしているのかわからないグリフィスは、いつの間にか近くに寄って来ていた父と老執事に視線を向ける。
すると、先代伯爵でもあるローティスがグリフィスに代わって、サラに質問した。
「サラ、なにをするつもりかの?」
穏やかで慈悲深く響くローティスの声を聞いたグリフィスは、聞き逃さぬようにと、サラの答えに意識を向ける。
「この水に新たに生み出した魔法を使うつもりです」
その言葉に真っ先に反応したのは老執事であるウィルグスであった。
「新たな……魔法ですか?」
彼が驚いたのは、彼が国王からの言葉を受ける役目を担っていたからである。
そんな彼の脳裏に浮かんだは、『ユーメイル伯爵領では、近く自力で大寒波を切り抜ける魔法が生み出されるだろう』という予言の一説だった。