002 生まれ落ちた姫は……
ユーメイル伯爵の二の姫であるサラ・ソフィア・ユーメイルは、前世で不幸な最期を迎えた少女の魂を宿し、この世に生を受けた。
しかし、死によっても、不幸の輪は途切れなかったのか、母の胎内から外界へと産み出された直後に、その意識は覚醒してしまっていたのである。
意識をはっきりさせてしまったが為に、呼吸を自らの肺で始めた直後、小さな命に宿ったばかりの魂は恐怖した。
思うように呼吸が出来ないという実感に加え、そもそもあらゆる感覚がこれまでより遠く感じられる。
中でも特にパニックを助長したのは、見開いたはずの目に、周囲の光景が映ることはなく、ただ光があると感じられる程度しか認識出来ないという事実だった。
それでも、どうにか心を落ち着けて、目が見えないのならと、体を動かそうとしても、肌に触れている布を退けることも……いや、そもそも手足の指ですらまともに動かせない。
自身の実感を元に、二の姫に宿ったばかりの魂は、自分が全身不随に近い状態になってしまったのだと考えた。
何しろ、彼女の意識が途絶える直前の記憶は、横断歩道の子供を助けようと、思わず車道に飛び出して、それが勘違いだと悟った瞬間の後悔で止まっている。
幸か不幸か、衝撃を受けた記憶は無いが、それでも、状況的に回避するのは自分も運転手も無理だったハズだ。
だとすれば、自分が撥ねられたのは間違いない。
そこから導き出せる結論は、自分が辛うじて助かったものの、とんでもない後遺症を負ってしまったのではないかという推測だった。
だからこそ、彼女は嘆く。
泣き声を張り上げることしか出来なかった彼女は、空気を肺に吸い込み全力で声として吐き出した。
後に、男の子のようなとても雄々しい泣き声だったと、サラの大きな産声は、伝記の最初のページに記されることとなる。
一方で嘆きの声を上げたサラは、自分に異変が起きているのを感じ取っていた。
嘆きの声を上げる度に、脳に思い出が蘇る。
自分の生い立ち、学んできた知識、関わったヒトの記憶、実体験、それらを思い出すうちに、サラは自然と落ち着いていった。
そして、それから数ヶ月後、目が発達し、生前と変わらない程に見えるようになる頃には、正式にサラと名付けられ、自分が第二の人生を歩み出したことに気が付く。
前の人生が終わってしまったことは残念だと感じながらも、最早どうにも出来ないと諦め、受け入れたサラは、優しい乳母をはじめとした使用人達に身を委ねることにした。
だが、新たな人生を始めることを受け入れたサラの人生は、順風満帆とは行かなかった。
前世から引き継いでいる意識と幼さ故の吸収力で、瞬く間に言語を習得した彼女は、生後一年足らずで会話を熟すに至り、父や母、祖父母、そして多くの使用人から、将来を期待されることとなる。
神童、神の子ともてはやされたサラが、人生における最初の躓きを迎えるのは、その直後であった。
生後一年を経て行われる神の祝福の儀において、サラが世界中の誰もが一つ与えられる『天授技能』を授かっていないことが判明したのだ。
「なんと……いう、ことだ……」
その事実を知ったサラの父であり、ユーメイルの当代の伯爵でもあるグリフィスは、戦場における窮地ですら見せたことのない動揺を見せる。
なぜなら、この世界において『天授技能』を持たぬものなど、これまで存在しなかったからだ。
生い立ちゆえに、神の祝福の儀を受けられぬ者もあり、自分の天授技能について知らずに生きる者もいるが、それは知らぬだけであって、所持していないわけではない。
一般に神の祝福の儀で天授技能を得ると言われているが、厳密には与えられた天授技能を『単語』という形で、要約する能力鑑定の儀式なのだ。
自分の能力がどういうものなのか、どう使えばいいのかの指針とするべく、国認定の鑑定官が己の天授技能を駆使して『単語』にまとめるのである。
つまり、この世界で史上初の天授技能を与えられなかった少女が、自らの娘だったのだ。
普段は冷静沈着で、動じたところを見せぬと言われる男ですら、動揺のあまり顔面蒼白になったとしても、仕方のない事だったのである。
「どう……すれば……いいのだ」
答えを見いだせないグリフィスは、苦悩のままに、頭を乱暴に掻き毟った。
天授技能とは、全ての人に与えられる神の祝福であり、この能力によって、大まかに人生の道筋が決まると言っても過言ではない。
実際、天授技能が『治癒』であれば、人を、家畜を、作物や森の植物を癒す治癒師や動植物療師という職業に進み、『浄化』を授かっていれば、汚れや淀みを消し去る衛生官や、呪詛を振りまく悪霊や怨霊を清める神官の職に就き、己の天授技能を十全に発揮するのだ。
また『火』や『水』といった天授能力を与えられたならば、それぞれの天授技能に由来する魔法を得意とする魔法使いとなる。
もちろん、与えられた道筋を拒否して、所持する天授技能に向かない職業に就く者もいるのだが、どうしても適した天授技能所持者に比べれば、能力で劣るため、その数は限りなくゼロに近かった。
もちろん、サラは伯爵家の娘であるから、一般的な職業に就く必要はない……が、貴族の娘として、他の貴族家へ嫁ぐという役目が自然と与えられている。
しかし、天授技能がない娘を娶る貴族など、グリフィスにはいるとは思えなかった。
厳密に言えば、サラを求める者がいたとしても、まともな相手だとは思えない。
サラを受け入れる代わりに、多額の金銭を要求するなり、便宜を図るように強要するなりと、伯爵家が被る損失は少なくないはずだ。
加えて、相手側の家に入ることになるサラが、まともな幸せを得られる可能性は決して高くない。
貴族家の娘であるサラに、多少の我慢を強いるのは仕方がないと、グリフィスは覚悟しているが、そうだとしても、さすがにスタート地点が低すぎた。
余りにも先のない状況に、グリフィスは深いため息を吐き出す。
グリフィスは、よろよろとした動きで戦場から戻った直後よりも疲労を感じる体を愛用の革張りの椅子に沈めると、天井を見上げ、再び溜息を吐き出した。
それから、目を塞ぐ様に顔の上に右手を載せて、グリフィスは思案を巡らせる。
サラの天授技能を鑑定したのは国に所属する鑑定官であり、貴族家の者は忠誠を示すためにも王家に天授技能の報告をする責務がある為、隠蔽は不可能だ。
隠蔽できないとなれば、伯爵家への不信感を抱かせないためにも、使用人や領民に隠すことは出来ないだろう。
これまでのサラの出来の良さを伝え聞いている使用人や領民は、期待値が高くなっていた分だけ、天授技能がないことに落胆するのは間違いなかった。
グリフィスは単純にサラを哀れだと思うし、出来うるならば、その手で守ってやりたいと思うほど愛情を抱いている。
だが、能力のないサラを手厚く遇すれば、そこに反感を持つ使用人や領民が生まれてしまうことは想像に難くなかった。
「……距離を……おくしか、ないか……」
グリフィスは苦虫を噛み潰したような顔でそう呟く。
だが、わざわざ決意を自分に言い聞かせる為に口にしたのに、グリフィスはそこから気持ちを切り替えて立ち上がるのに長い時間を必要とした。
そして、グリフィスが敢えて距離を置いたことで、見放された伯爵令嬢と認識されることとなったサラは、心無い人たちから『無能姫』と呼ばれることとなった。