001 異世界に辿り着いた魂は……
不幸にも人ならざる子供を救おうとして命を落とした少女の魂は、それまで生きた世界とは異なる法則で成り立つ世界へと流れ、この地で新たな命に宿った。
それから十数年後、サンデルク王国、ユーメイル伯爵領領都ユーメルク。
「ここが王国一と噂されるユーメルクか……」
ユーメルクの一番外側の壁に備えられた街と街道を区切る大門をくぐり抜けたところで、旅装の男アルバートは、街を囲む外壁の中心地に配置された城へと伸びる大通りを前に呆然とするしか無かった。
王都と変わらないか、それ以上の立派な建物が建ち並ぶ目抜き通りは、それだけで彼の度肝を抜いたのである。
しかも、単に建物が立派というだけではなく、通りには大小様々な馬車が行き交い、多くの人々が往来し、見渡す限りの景色の全てが活気と喧噪に溢れていた。
「こりゃあ、他領の嫉妬を受けるのも仕方が無いってもんか……」
頭を掻きながらそう呟いた後で、アルバートはくるりと踵を返すと、先ほどからこちらへ視線を向けて観察している衛兵に声を掛ける。
「なあ、聞いても良いかな?」
「なんだ?」
警戒の色が強い衛兵の返しに、アルバートは、ニヘラと笑って「良い宿を教えて貰えないだろうか」と頼み込んだ。
「何か食事と酒を頼む」
アルバートが、宿屋の一階に併設された酒場に入るなり大声で注文すると、店の奥から「座ってな」と声が返ってきた。
大人しく席に座って待っていると、それほど間を置かずに、お盆に皿と木製のコップを載せた女性の給仕が、アルバートの席へと歩み寄ってくる。
「ワインと、牛肉の煮込みですが、良いですか?」
「もちろん」
女性給仕の問いに頷くと、目の前に飲み物が注がれたコップと料理の盛られた皿が並べられた。
アルバートの鼻をくすぐる良い匂いと、見てわかる大きめな具が、食欲を刺激してくる。
「これで足りるかな?」
じゃらじゃらとテーブルの上に持ち歩いている硬貨を広げると、女性給仕は慣れた手つきで、硬貨を拾い上げていった。
「お代はこれで足ります」
そう言って女性給仕が拾いあげたのは、この領で近年鋳造されるようになった『ソフィア青銅貨』ばかりで、わざと混ぜておいた形の似た青銅貨には目もくれない。
それどころか、女性給仕は「一応王国青銅貨も使えるお店もあると思いますけど、この領のお金に両替しておいた方が良いです。あと、これとこれは、ソフィア様の青銅貨に似せて作った他領の偽物なので、この領内では出さない方が良いと思います」と忠告までしてくれた。
王国の商店でも硬貨を区別できない店員がほとんどなのに、宿の給仕がこれほどはっきりと硬貨を区別していることにアルバートは正直度肝を抜かれてしまう。
王国随一の経済発展をしていると噂には聞いていたが、実際に自分の目で見て体感した衝撃は想像以上であった。
驚きを隠せないアルバートに、ひげ面の商人風の男が「驚いてるね、兄さん」と声を掛けてくる。
「あのミリーちゃんは『ソフィア様』信者だからさ、その肖像が書かれている硬貨だけは異常に詳しいんだよ」
ヒゲ商人の言葉に、なるほどと思ったアルバートだが、今度は信者という言葉が引っかかった。
「あ、あの失礼ですが、その『ソフィア様』というのは?」
アルバートの返しに、ヒゲ商人は「やっぱり、他領の人か」と笑う。
その言葉とこれまで得てきた情報で、アルバートは、意図的に領地外にその真実を隠されているのではないかと疑った少女の名前を思い浮かべた。
サラ・ソフィア・ユーメイル、現ユーメイル伯爵の二の姫で、王国内にその二つ名を知らない者はいない。
なぜならば、彼女はこの世でただ一人、誰もが生まれる時に与えられる天からの贈り物『天授技能』を与えられずに生まれた『無能姫』なのだ。
世界に一人しかいない誰もが持つ物を持たない姫は、経済的に大発展を遂げ、独自に所有する軍も領民も、王国帰属領随一である伯爵家に対する嫉妬も相まって、悪し様に語られている。
特に、貴族達は伯爵家の罪の証明だとしきりに噂し、数年前に起きた王国全土を壊滅寸前まで追い込んだ大寒波を呼び込み、数ヶ月ほど前にはこの領都に大災厄と呼ばれる『炎の魔人』を呼び込んだ話をしきりに広めていた。
だが、アルバートは、もし本当にそうならば『ミリーちゃん』と呼ばれた女性給仕が信者になるだろうかと噂の方の信憑性を疑った。
もちろん『ソフィア様』が二の姫のこととは限らないが、しかし、噂通り姫が災厄の種ならば、最近鋳造した硬貨の名前に、その名の一部が使われることもなければ、信仰の対象になることも無いだろう。
そう考えたアルバートは俄然二の姫に対する興味が強まった。
「なあ、親父さん、他領の人間に話して良い範囲で、サラ姫様の話を聞かせてくれないだろうか? 俺……いや、私は寓話収集家をしていてな。その傍ら現代の英雄の話も集めているんだ」
アルバートがそう切り出すと、ひげ面の商人は一瞬呆気にとられた顔を見せたが、その後でニヤリと笑ってみせる。
「お兄さんは運が良いな。少し前まではサラ姫様の話をするのは御法度だったんだが、つい先日、伯爵様のお許しが出たんだ」
「伯爵様のお許し……ってことは、伯爵様が方針をお変えになったって事か……」
ヒゲ商人に返したつもりだったのだが、いつの間にか近くに来ていたミリーが「その通りです!」と力強く肯定してきた。
突然の乱入に驚くアルバートだったが、信者という評価を思い出して納得をする。
一方、ミリーの熱はその一言で収まる事は無かった。
「今までは姫様を狙う他領の不届き者に、姫様の価値を悟らせないために皆で隠していたんですよ!」
なるほどとアルバートは納得する。
無能姫サラの噂は王国中に知れ渡っているのに、その出所は伯爵領以外の領からばかりで、肝心の伯爵領から流れてくる噂が無かったのだ。
情報統制を伯爵領が敷いているのは間違いなかったが、世間の判断では二の姫を異常に溺愛する伯爵が懸命にもみ消しているというのが一般的な見解である。
だが、実際はミリーが言うように、伯爵が二の姫の価値を理解し隠していた可能性の方が高いと推測したアルバートは、思い付いたままを言葉にした。
「なあ、聞きたいんだが、サラ姫様の逸話を後世に残すには、この地に根を下ろさないとダメだと思うんだが、定住の許可は得られるんだろうか?」
その言葉にミリーとヒゲ商人は目を合わす。
そして、その直後向き直ったミリーが「お兄さん、それなら移民局へ行くと良いですよ!」と前のめりで興奮気味に言い放った。
アルバートはミリーの勢いに押されながらも、苦笑を浮かべて「移民局ね」と頷く。
「この伯爵領は他領からの移民が多くてね。その為の手続きが一括で出来る役所があるんだよ」
ヒゲ商人の言葉に頷きながらアルバートは、そこで密偵などの選別も兼ねているのかと納得したが、続く聞き慣れない言葉に驚いた。
「そう、そこで住民票を発行して貰うんです!」
「じゅうみんひょう?」
「この領の人間であることを示す証明ですな。この証明があれば、領内の公共施設の多くを無料で利用出来るんですよ」
その聞いたことのない仕組みに、アルバートは驚きのあまり、何も考えずに「それもサラ姫様が?」と尋ねる。
対して、ヒゲ商人は意味深な笑みを浮かべてから「いいえ。制度を定めたのは、サラ姫様の兄上であられる太子のランティス様ですよ」と答えた。
明らかに『表向きは』と言いたげなヒゲ商人の態度に、アルバートの興味はより一層深まる。
こうして後の世に『サラ・ソフィア・ユーメイル』の伝記を記すことになる男は、翌日、移民局へと向かうのであった。
そして、この『サラ・ソフィア・ユーメイル』こそが、この地に流れ着いた少女の魂を身に宿した存在であった。