1日で彼女を作れと女神様に言われた僕、修羅場へと突き進む
「明久、目を開けなさい」
頭の中に響く声に従い、僕は目覚めた。
「あれ? ここどこ?」
辺り一面に広がる白い世界。足元に広がる雲海と、雲海に浮く大理石の神殿。そして、白い空。
「明久、こっちです」
後ろから聞こえる声に振り返ると、女神がいた。
いや、女神かどうかは判らないけど。金髪に白翼が生えた美女を表現する言葉を、僕は他に知らない。
「私は愛を司る女神、パテナ。早速ですが、貴方に使命を与えます」
どうやら、本当に女神様のようだ。そして、いきなり使命を与えてくる。名乗って3秒という早業だ。僕でも見逃しちゃうね。
「目が覚めたら、運命を共にする伴侶を決めなさい。猶予は1日です。使命を果たせなかったら、貴方は死にます」
「展開が早すぎませんかねっ!?」
「女神は忙しいのです」
それにしても、いきなり運命を共にする伴侶を決めろと言われても困る。
「あの、お恥ずかしながら僕には恋人がいないのですが…」
「知っています」
「知ってるのかよ!」
「当たり前です。愛を司る女神なのですから」
相変わらず無表情の女神様だが、どこか自慢気な様子が伝わってくる。
「無理ですよ。僕の住む日本では、数年単位で交際して結婚相手を見極めるのが普通なんです。1日じゃ、婚約相手どころか恋人を作るのだって厳しいですよ」
「つまり、1日で運命を共にする伴侶を決めるのは無理だと言いたいのですか?」
「そういうことになります」
「では、これを与えましょう」
女神様の手元が光ると、ペアリングが出現した。
「明久、左手を出しなさい」
言われるがままに左手を差し出すと、一瞬で薬指に銀の指輪がはめられた。
「その指輪は、愛に仕える者の指輪―――略してATMの指輪と言います」
「略称がひどすぎる!」
「対となる指輪は、マスターリングと言います」
「名前も対にして欲しかった!」
「1日で運命の伴侶を見つけるのが難しいということですので、マスターリングを誰かにはめればよいことにします。マスターリングを着けた者は、ATMの指輪―――呼びにくいですね。スレイヴリングにしましょう」
「マスターの対になったけど、名前が不穏過ぎるのですが……」
明らかにマスターがスレイヴに命令できるヤツじゃん。
「お察しの通り、マスターリングをはめた者は、スレイヴリングをはめている者に命令ができます。ちなみに、スレイヴリングはマスターにしか外せません」
「それ奴隷ってレベルじゃないんですけどっ!? 本当に外れないしっ!?」
左手薬指にはまった指輪を引っ張るが、びくともしなかった。
「安心してください。何でも命令できるわけではありません」
「そうですよね。何でも命令できる指輪を、問答無用ではめるわけないですよね」
「マスターがスレイヴに抱く愛情の強さに比例して、より強力な命令を行えます。頑張れば、催眠や洗脳みたいなこともできますよ」
「頑張ればって……」
しかし、良い情報もあった。命令できる内容は、マスターがスレイブに抱く愛情に比例するということは、愛情がなければ何も出来ないと言うことだ。
「あなたを愛する者がマスターリングを身につければ、あなたは傀儡――じゃなくて、えーっと……」
「そこで言葉に詰まらないでもらえますかね……」
「とにかく、生涯を共に歩む伴侶を得られるでしょう」
「伴侶というには、明らかに上下関係がありますよね。その関係」
「伴侶との関係が対等でなければいけない道理はありませんから」
確かに、政略結婚とかなら対等な関係にはならないだろう。って、今はそんな話はどうでもいい。
「……マスターリングを、はめてもらえばいいんですか?」
「ええ。サイズは自動調整されるのでご安心を。マスターリングで命令する度に、使われた愛の力の一部が私に集まるので、出来ればたくさん命令して欲しいですが、そこまでは強制しません」
ということは、事情を説明しないで指輪をはめてもらって、返してもらえばいいのか。
「ちなみに、マスターリングに触れた者には、マスターリングの使い方が頭にインプットされる仕様となっています。迂闊に触らせると、痛い目を見ますよ」
「……そうですか」
なんとも嫌らしい仕様である。
「では、そろそろお別れのようですね。貴方に愛の祝福があらんことを」
女神様が別れを告げると、僕の体がフワフワと浮き始めた。さらに、少しずつ体が透け始めている。
そんな中、僕の胸中を占めているのは、ささやかな1つの願いだった。
(夢オチだったらいいなぁ…)
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目を覚ますと、いつもの天井だった。
違いがあるとすれば、左薬指にはめられた銀の指輪と、右手に握られた金の指輪の存在だ。
「夢じゃなかったのか……」
夢で見たのと全く同じデザインの指輪。軽く引っ張ってみたが、抜ける気配はなかった。
「や、やるしかないのか……」
マスターリングを今日中にはめてもらわないと、死ぬと言われたのだ。やるしかない。
「さて、誰に頼むか」
安全度でいえば初対面の女子に頼むことだが、指輪をはめて欲しいとお願いしたら間違いなく不審者扱いされるだろう。僕の平凡な学園生活を脅かす真似だけは、絶対に避けなければならない。となると、身近な女子になるのだが……
「桜か小雪ちゃんなら、頼めるか?」
自分の異性交流の幅に涙を流しながら、頼めそうな人をリストアップする。この2人でダメなら、妹の千夏に土下座するしかない。
「こうなったら、やるしかない!」
僕は覚悟を決め、まずは幼馴染の桜にチャットアプリでメッセージを送った。
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春川家の前で、幼馴染の桜を待つ。
「おはよー、明久」
「おはよう、桜。朝早くにごめん」
「いいよ。それより、相談って何?」
「歩きながらでいいかな。ちょっとオカルト染みた話なんだけど―――」
桜と肩を並べながら、高校への通学路を進む。
幼馴染の桜とは、小学校からの付き合いになる。付き合いと言っても、ご近所付き合いだ。僕に彼女がいたこともないし、桜の彼氏の噂も聞いたことがない。
「―――とまあ、こんな感じの夢を見たんだ。夢なら良かったんだけど、目覚めたら指輪がはめられててさ」
そう言って、左手の指輪を見せる。軽く引っ張って、抜けないことも伝える。
「本当だ。触ってみていい?」
「いいよ」
桜は恐る恐る僕の手に触れると、人差し指で指輪を何度もなぞる。
「抜けないでしょ?」
「うん。キツくて抜けない訳じゃなさそうだし、不思議ね。もう1つの指輪も見ていい? 明久の話が本当なら、触れた瞬間に使い方が分かるんでしょ?」
「うん。ちょっと待って」
僕はポケットからマスターリングを取り出し、桜に渡そうと―――
「―――!?」
背筋に凄まじい悪寒が走った。思わずリングを引っ込める。
「明久、どうしたの?」
「いや、何でもないよ」
頭の中で、謎の警報が響き渡る。女神様が言っていた「迂闊に触らせると、痛い目を見ますよ」という言葉が、脳裏をよぎった。
マスターリングを右手の小指にはめ、手のひらを握る。これで、マスターリングを取られることはない。
手のひらを握ったまま恐る恐る右手をつき出す僕に、桜は「変なの……」と本音をこぼす。それから、桜はマスターリングへと触れた。
「……」
「……どう?」
「……明久の言う通り、頭の中に流れてきたよ。本当だったんだね」
流れて来るって… 体に問題はないのだろうか?
「大丈夫? 気分悪くない?」
「大丈夫だよ。そんなことより―――」
桜は「心配ない」と言わんばかりに手を振ると、振った手をそのまま差し出した。
「指輪を着けたままだと、困るでしょ。私がマスターになって、外してあげる」
「いや、まあ、そうなんだけど……」
上手く言葉が出てこない。桜の言う通り、はずさないといけない、だが、桜には渡しちゃいけない気がする。
「先生に怒られちゃうよ?」
確かに、先生に見つかったら大変だ。「外せ」→「外れません」→「マジで外れない」→「救急車だ」の4連コンボになるのが容易に想像できる。
「……」
マスターリングを外し、ゆっくりと桜の手のひらへと持っていく。なぜか頭がガンガンと痛み、喉がカラカラしてきた。
(迂闊に触らせると、痛い目を見ますよ)
桜にマスターリングを渡すギリギリのタイミングで、僕は手を引っ込めた。
「そうだ! 絆創膏で隠せばいいんだ! 僕はコンビニで絆創膏買ってくるから、先に行ってて!」
「ええっ!? 今ここで外せばいいでしょ? あと、コンビニ行かなくても購買にいけば―――」
何かを伝えようとしている桜を無視して、僕は全力でこの場から逃走するのであった。
「行っちゃった… 他の人に頼まなきゃいいんだけど……」
明久の背中を見送りながら、少女はそう呟いた。
「―――他の人には、絶対に譲らないんだから」
決意の言葉は誰の耳にも入らず、ただ風に乗って消えていった。
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「先輩、お話ってなんですか?」
昼休み。僕は文芸部の後輩である冬田小雪ちゃんと、部室で二人きりになっていた。
……教室から抜け出す際、僕を探す桜の声が聞こえた気がするけど、きっと気のせいだ。
「ちょっと大変なことに巻き込まれてね。オカルト染みた話なんだけど―――」
小雪ちゃんに、一通り事情を説明する。
「……正直、信じられません」
「まあ、そうだよね」
ということで、マスターリングに触れてもらった。
「……どうやら、本当みたいですね」
信じられないと言った様子で、マスターリングを眺める小雪ちゃん。
「事情は分かりました。指輪を外したいんですね? 先輩のことだから、私以外に頼れる人がいないんでしょう?」
「いやいや、僕にだって仲の良い女子の1人や2人くらい――」
「では、その方にお願いしてはどうですか?」
「嘘です。僕にはもう小雪ちゃんしかいないんです。見捨てないでください」
机に額をつけて懇願する僕。頭の上から、小雪ちゃんがくすっと笑う声が聞こえた。
「なかなか甘美な響きです。では、指輪を渡してください」
小雪ちゃんが、僕に向かって手を差し出す。名前の通り、まるで雪のように白い手だ。小雪ちゃんの手のひらに、僕は指輪を乗せようとして――
(迂闊に触らせると、痛い目を見ますよ)
再び脳裏をよぎる女神様の声。僕は、思わず手を引っ込めた。
「……先輩? どうかしましたか?」
不思議そうに首をかしげる小雪ちゃん。その表情から内心を読み取ることは、僕にはできなかった。
「もしかして、『指輪を悪用されたらどうしよう』とか思っています? 流石に自意識過剰すぎですよ」
「そ、そんなわけないよっ!」
「なら、指輪を渡してください。貴重なお昼休みの時間がもったいないです」
「……わかったよ」
胸が不安でざわざわするが、僕はそれを振り払う。半ば自棄になって、指輪を差し出した。
その瞬間、部室の扉が開かれた。
「――明久、ここにいるの~?」
扉から現れたのは、幼馴染の桜だった。
「……なにしてるの?」
半開きの目でこちらへ鋭い眼光を向ける。殺意すら感じる視線に、僕の背筋に悪寒が走った。
「あの、いや…… えっと、これはですね……」
「怒らないから、正直に話して」
怒らないからって、もう既に怒っているじゃないですか……
「春川先輩。ちょっと席を外してもらっていいですか? 今、先輩と大切なお話をしていたところですので」
「奇遇ね。私も明久と大切な話があるの。とーっても大切な話だから、申し訳ないけど後にしてもらえる?」
オブラートに包んだ小雪ちゃんの要求を、桜が一蹴する。それでも、小雪ちゃんは笑顔を浮かべたままだ。 つまり、笑顔は仮面である。仮面の下がどうなっているのか、僕は考えないことにした。
「えっと、桜は何の用かな……?」
言った瞬間、僕は地雷を踏んだことに気が付いた。桜は怒り心頭と言った様子で、右手で僕の顔面を掴んだ。世間一般では、アイアンクローと呼ばれるプロレス技だ。
「いだだだだだっ! 桜っ! 痛い痛いっ!」
「どう? 痛みで思い出したかしら?」
「指輪っ! 指輪の件でしょっ!」
僕の言葉を聞いて、桜は僕の顔面から手を離した。指が食い込んでいた気がするが、痕とか残ってないよね?
「分かったら、さっさと行くわよ」
「いや、ちょっと待って――「一発殴られたい?」――はい。分かりました」
右手でグーを作る桜に、僕は両手を上げて降伏する。実力行使は反則だ。
「ごめん。小雪ちゃん。呼び出しておいて申し訳ないけど――」
「先輩? もしかして、私じゃなくて春川先輩を選ぶつもりですか?」
先ほどまでの笑顔が嘘のように、無表情で僕に問いかける小雪ちゃん。
「選ぶっていうより、脅されたんだけど……」
その言葉を聞いて、小雪ちゃんは先ほどの無表情が嘘のように、満面の笑みを浮かべた。僕の第六感が告げている。「これはヤバイ」と。
「では、私も脅させて頂きますね。――実は、先輩が書いた小説なんですけど、ぜーんぶ私が持っているんですよ?」
まるでコレクションを自慢するように、小雪ちゃんは笑顔でそう言った。
「……どういうこと?」
「部室にあるPCに細工して、自動で小説をバックアップするようにしてあります。削除した小説も、バッチリ残っていますよ?」
「それは流石に反則過ぎませんかねっ!?」
まさかの精神攻撃だった。しかも、極めて凶悪。
「あと、先輩のSNSアカウントと小説投稿サイトのアカウントも特定しています。もちろん、小説投稿サイトに上がっている小説はバックアップ済みです。せっかくですから、ここで読み上げましょうか?」
「やめてください死んでしまいます」
オーバーキルってレベルじゃない。僕の命一つだけじゃなく、転生先すら3回くらい死んでしまいそうだ。
「たったその程度? 私は、明久の検索履歴や、押入れに隠してあるコレクションのラインナップだって知っているからっ!」
「おいこら桜お前今なんて言ったっ!?」
それ、どう考えても合法な手段じゃ手に入らない情報だよねっ!? 僕のプライバシーはどこいったっ!?
「……春川先輩のこと、少し見くびっていたようです」
「あなたも、なかなかやるようね」
バチバチと火花を散らしてけん制し合う2人。それに対し、僕がとった行動は―――
(……妹の千夏に土下座しよう)
2人が目を離したすきに、僕は部室のドアから逃げ出した。
昼休み。僕は久しぶりの鬼ごっこを満喫した。全く楽しくなかったけど。
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放課後、僕は部活をサボって帰宅した。昼休みの時点で電源を切っておいたスマホを起動すると、未読のメッセージが通知上限を超えていた。僕は、再びスマホの電源を切った。
「ただいまー」
夕方になって、妹の千夏が帰ってきた。僕は玄関に直行する。
「お願いします千夏様!」
「キモいんだけど?」
靴を脱ぎ終えた千夏に、僕はジャンピング土下座をキメる。足元に縋りつく僕に、千夏はゴミを見るような目を向けてきた。
しかし、僕も引けない。千夏に断られては、僕の命がどうなるか分からないからだ。
「千夏にしか頼めないことがあるんだ。あとで、僕の部屋に来て欲しい」
「いや」
「頼むっ! 僕の命や尊厳に関わることなんだっ!」
「じゃあ、死ねば?」
取り付く島もないとはこのこと。しかし、僕の命がかかっているのだ。僕だって引くことはできない。
この後、10分ほどかけて千夏に頼み続けて、「話を聞くだけで1000円」という条件を取りつけることができた。高校生の財布には大打撃だが、背に腹は代えられない。
時は進んで夕食後。僕は、自分の部屋で正座していた。向かいには、仁王立ちする千夏がいる。
「……事情は分かった。で、どうして私に頼むわけ? 彼女いないの?」
「……お恥ずかしながら」
「はぁ…… わかった。外してあげるから、指輪を渡して」
ため息を吐きながら、千夏は手を差し出す。僕は、指輪を手渡した。不思議なことに、悪寒や頭に女神の警告が響くこともなかった。
僕から指輪を受け取った千夏は、中指や人差し指にはめようとする。しかし、指輪のサイズが合わず、諦めた様子で薬指に指輪を通した。
「はあ、最悪……」
「助かったよ千夏。さあ、指輪を外してくれ」
僕は、指輪のはまっている左手を差し出す。あとは、千夏が指輪を外すだけだ。
「……その前に、ちょっとくらい遊んでいいでしょ」
千夏はニヤリと笑うと、右手を差し出した。
「お手」
その命令を認識した瞬間、僕の体が勝手に動く。左手を引っ込めて、右手を千夏の左手に乗せた。
「……あの、千夏さん?」
「おかわり!」
またも体が勝手に動き、今度は左手を千夏の右手に乗せる。
「ふーん。私でも、この命令くらいはできるんだ」
僕の頭に、ある女神の言葉がフラッシュバックする。
(マスターがスレイヴに抱く愛情の強さに比例して、より強力な命令を行えます。頑張れば、催眠や洗脳みたいなこともできますよ)
「ちょっと待てっ!? これ家族愛も有効なの!?」
「面白そうだし、どこまで命令できるか試してみよっか。愛されている実感が得られて、嬉しいでしょ?」
「嬉しくないわっ! というか、何を命令するつもりっ!?」
「じゃあ、とりあえず一発芸でもしてみて」
「僕、そういうキャラじゃないから―――って、やっぱり体が勝手に動くぅぅぅうううう!!!」
この後、僕は千夏の検証に付き合わされ、様々な理不尽な命令を受け続けた。一発芸から始まり、マッサージをさせられ、千夏の食器洗い当番を代わりにやらされた。
「じゃ、明日からも引き続きよろしく♪」
上機嫌で自室へと戻っていく千夏を見送りながら、奴隷のような生活がこれから続くことを悟った。
(ああ…… こんなことなら、桜か小雪ちゃんに頼めばよかった……)
後悔先に立たず。僕の薬指では、指輪が忌々しいほどに光り輝いていた。
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IFエンド 桜ルート
放課後。僕は、近所の公園へと桜を呼び出した。10年前――男女の違いを全く意識しない幼稚園児の頃に、いつも一緒に遊んでいた公園だ。
「……指輪、外してもらえないかな? やっぱり、頼れる相手は桜しかいなかったよ」
僕は、背筋に冷たいものを感じながらも桜へ指輪を手渡した。
「うん。分かった」
指輪を受け取った桜は、指輪を薬指へとはめた。どうして桜まで緊張の面持ちなのか、僕には分からなかった。
次の瞬間、僕の視界が真っ白になった。
「明久……? 大丈夫?」
気が付くと、桜が僕の顔を覗き込んでいた。どうやら、ボーっとしていたようだ。
「ごめん。少し考え事してた」
「そう。それならよかった」
桜は安堵の息を漏らす。大げさだと思うが、心配されて嬉しく思う自分がいた。
「それで、こんな公園に呼び出した理由は何だったの?」
そうだ。桜をわざわざ呼び出したんだ。大切な話があったはずだ。
(告白だ)
桜の指にはめられた指輪が、チラリと光る。指輪をしているってことは、もう既に恋人がいるのかもしれない。
(いや、あの指輪は僕が渡したものだ。 ……なぜ、告白する前に指輪を渡しているんだ?)
自分でもわけが分からない。何か忘れているような違和感が、僕の胸をモヤモヤさせる。
「どうしたの?」
思考がまとまらない僕を、桜が心配する。考えても仕方ない。それより、今は桜に告白することが大切だ。
「桜。ずっと好きでした。僕と付き合ってください」
告白の仕方なんて分からない。勢い任せに言い切ると、僕は頭を下げて桜の返事を待った。
「いいよ」
あっさりとした返事に顔を上げると、桜が感極まった表情で涙を浮かべていた。どうにかしなきゃいけない。勢いのままに、桜を抱きしめる。
「……ありがとう、桜。僕を受け入れてくれて」
「ごめんね。でも、嬉しい」
僕は何度も、「ありがとう」と言った。桜に受け入れてもらえて嬉しかったから。
桜は何度も、「ごめんね」と謝った。涙で僕の服が濡れていることを、申し訳なく思ったのだろう。僕は「気にしないで」と言ったけど、それでも桜は「ごめんね」と言い続けた。
日が暮れるまで、僕たちの噛み合わない会話は続いたのだった。
翌日。
桜と一緒に登校した僕は、教室へ向かわずに部室へと向かった。
桜に想いを伝え、お互いに日が暮れるまで抱きしめ合った後。日が暮れて家に帰ると、スマホの電源を切っていたことに気が付いた。
電源をつけてみると、小雪ちゃんから大量のメッセージが来ていた。慌てて連絡を取ったが、どうにも話がかみ合わなかった。
埒が明かないと思ったのか、小雪ちゃんから「明日の朝、部室に来てください」と言われてしまった。
桜と一緒に登校することになっていたため、このことを桜に伝えると「私も行く」と言われ、こうして2人で朝の部室を訪れることになったのだ。
部室の扉を開けると、小雪ちゃんが椅子に座って本を読んでいた。小雪ちゃんは本を閉じると、顔を上げてこちらを見る。
「……やっぱり、指輪を渡してしまったんですね」
呆れたような、悲しいような、怒っているような。色んな感情がごちゃ混ぜになったような表情を浮かべる小雪ちゃん。その視線の先には、自慢げに指輪を見せつける桜の姿があった。
「とりあえず、おめでとうと言っておきます」
「ありがとう。桜と付き合うことになったよ」
「……先輩には言ってないですよ」
何かをこらえるように、小雪ちゃんの肩が揺れる。肩だけじゃなく、声も震えていた。
「春川先輩。その素敵な指輪、私に譲っていただけませんか?」
桜に向かって手を伸ばす小雪ちゃん。桜の身に着けている指輪しか、視界に入っていないようだ。
「嫌よ。譲るわけないでしょう」
小雪ちゃんが伸ばした手を、桜は容赦なく振り払った。
「私にできることなら、なんだってします。お金だって用意しますよ?」
「もし、あなたが私の立場だったら、お金で渡すの?」
「……渡さないと思います。でも、春川先輩が私の立場だったら、何もせずにいられるでしょうか?」
「……そうね。私も、同じようなことをしたと思うわ」
僕には2人が何の話をしているのか、さっぱり分からなかった。ただ、2人にとって大切な話であることは、なんとなく伝わってきた。
小雪ちゃんが、桜から視線を外して僕を見る。憔悴した様子に、僕は思わず言葉を失う。
「……先輩、胸を貸していただけないでしょうか? 先輩の胸で泣きたいです」
「僕は桜の恋人だから、そういうことをすることはできないよ」
僕は首を横に振る。小雪ちゃんの目から、涙が一筋流れた。
力になってあげたいけど、何でもしてあげられるわけじゃない。
「春川先輩。お願いです。これっきりでいいですから、先輩を貸してください」
声を震わせ、肩を震わせ、小雪ちゃんは頭を下げた。桜は、困ったように僕のことを見る。
「―――桜。もう行こう」
桜に縋る小雪ちゃんを無視して、僕は桜の手を引いた。そのまま、部室の扉を開ける。
「待ってくださいっ! 一人にしないで―――」
後ろを振り返らず、僕は扉を閉めた。少し力を入れたせいで、閉めた拍子にピシャリと音が響く。
桜の手を引いたまま、無言で廊下を突き進む。人気のない場所を求めて、空き教室の一つに桜を連れ込んだ。そのまま扉に鍵をかけて、誰も入ってこられないようにする。
「明久。どうしたの?」
僕に声をかける桜は、いつも通りだ。僕がイライラしていることに、微塵も気が付いていない。
僕は桜を抱き寄せ、少し乱暴に抱きしめる。
「ちょっと! どうしたの?」
「……桜に頼まれたって、僕は他の女性に胸を貸したりしないよ」
桜の耳元にささやく。じたばたと暴れていた桜の動きが止まった。
「僕が怒っているのは、桜が小雪ちゃんのお願いを断ってくれなかったことだよ」
「でも、明久にとって大切な後輩だったんでしょ?」
「そうだね。でも、胸を貸すのは恋人の桜だけだよ ……桜は嫌じゃないの? 僕が、小雪ちゃんに胸を貸しても―――」
「もちろん嫌だよっ! 明久は私のものなんだから―――」
桜は、僕の顔に手を添える。お互いの顔がくっつきそうな距離で見つめ合う。
「だから、断ってほしかったんだよ。 ……もし、桜が嫌じゃなかったらって考えたら、それだけで辛いんだ」
「……ごめんね」
「―――僕だって、桜の嫌がることはしたくない。だから、嫌だったら抵抗してね」
僕はそう言うと、桜の後頭部に手を回す。そのまま、桜の唇へと近づいていく。
―――桜は、抵抗しなかった。
色々と夢中になりすぎて、HRに遅刻しかけたのだった。
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