エピローグ
両耳が熟した林檎のように真っ赤でジンジンと燃えるように熱い。だが、不思議と嫌な熱さではなく、雪弥が耳を塞いでくれたお陰で、花火の音がいつもより怖く感じなかった。本当にありがとう、と恐怖や不安を和らげてくれた雪弥に心の底から感謝する。
あっ、しまった……!
真夏の夜道を歩きながら、ある事に気づいた華那は可能な限り背筋をピンとまっすぐ伸ばした。
また猫背になっていたのだ。この癖はなかなか治らない。手強いなぁ、とぱっつん前髪の中で眉をひそめる。
──私は居ない。
その時、不意に九歳の頃の自分の声が頭の中で重く響いた。胸がキリリと鋭く痛むような切ない声だ。
『私は居ない』と毎日必死に言い聞かせていた。
この三年二組の教室に私が居なければ。この世に私が居なければ。もう、誰からも悪口や陰口を言われなくなるだろう。本気でそう信じて、言われなくなる日が来る事を本気で願っていた。
結局、『私は居ない』は自分をきつく縛りつけるだけの紐でしかなかったが。
続いて、ぼんやりと、徐々にはっきりと見えてきたのは、小さく縮こまった自信なさげな少女の背中だ。
不思議だ。自分の後ろ姿は鏡で見ないと見えないのに、この小さく縮こまった自信なさげな背中が自分の過去の記憶のみを放送するTVに映った瞬間に分かる。ああこれは自分だな、と。
実際、小三のあの時期の華那の背中は小さく縮こまった自身なさげな背中だったろうと思う。
どの授業中も、椅子の上で小さく縮こまり、欠伸もくしゃみも我慢して、当てられない限り声は発さない。
例え、誰かが面白い冗談を言っても、絶対に笑わないように口の中を痛みを感じるくらい強く噛んで、息と自分を殺して、地獄の時間が終わるのを、ただひたすら待っていた。
私は少しは変わっただろうか──。
小さく縮こまった自信なさげな背中ではなく、まっすぐに伸びた逞しさも弱さも感じさせる背中で思う。
私は居る、と口を動かした。声は出さない。
何やってんだろ、とおかしくなって思わず吹き出したら、雪弥に「大丈夫か?」と心配された。
「うん、大丈夫」
「思い出し笑いか?」
華那は「違う」と即答して、「あれ、もう着いてるじゃん!」と純和風の一軒家に目を向けて立ち止まる。
「いや、着いたから着いたぞって言おうとした時に、お前が急に笑い出したんだ。怖ぇぞ……。本当に大丈夫か?」
真面目な顔で華那の額に手を当てた雪弥に、華那は、大丈夫だってばー、と笑いながら言いかけて……やめた。
「ねぇ雪弥。友達になってくれてありがとう」
代わりに伝え忘れていた言葉を口にした。
筆箱につけているアニメキャラクターのキーホルダーを指差しながら『〇〇くん好きなのか? 俺も好きだぞ』と雪弥が話しかけてくれたから。私たちは友達になれた。雪弥のお陰だ。
雪弥を信じる。雪弥の言葉を信じる。
「私《《も》》雪弥の事が好きだよ」
だが、やはり、信じ過ぎないように信じようと思う。
「きゅ、急にどうした!?」
雪弥は奥二重のやや釣り上がったロシアンブルーのような瞳を大きく見開く。
「マジで意味分かんねぇ……」
恥ずかしそうに目を伏せながら呟いて、やがて、ハハッと笑った。
正式に友人になった中一の五月から今まで、『面白い!』と言いつつもにこりと微笑むだけだった雪弥が。華那の前で初めて声を上げて笑った。
小三の頃のくしゃっとした笑顔に比べると大分ぎこちないが、歯並びの良い白い歯を見せて笑っている。
「こちらこそ、ありがとう。けど……告白の返事遅すぎだろ」




