第一節
「ねぇ! 天崎先輩って超イケメンだよね!?」
華那にそう質問してきたのは風花である。
風花はなぜか楽しそうな口調とは裏腹にぎこちない笑みを浮かべていた。床の上にあぐらをかいており、半袖の体操服から見える腕や青色の半ズボンから見える足は日焼けしている。
夏真っ盛りの七月中旬──華那と風花が通っている北橋高校は既に夏休みに入っていた。だが、残念ながら夏休み期間中も授業が行われる。
午前中の補習授業を頑張って終えた華那と風花は今、C棟二階にある美術室にいた。
やはり、窓の外から聞こえる蝉時雨が煩くてどうしても気になってしまうが、室内に漂うペンキの独特な匂いにはもう慣れた。
えっ、何で急に天崎先輩の話? さっきまで気持ちよさそうに寝てたのに……。
華那は風花に呆れた目を向けつつも、
「うん。イケメンだと思うよ。声もめっちゃかっこよかったし」
風花の質問にちゃんと答えた。
二人が話題にしている「天崎先輩」とは、天崎颯斗の事だ。颯斗は華那と風花より一学年上の三年生である。
先月末に華那は初めて颯斗に会って声を聞いた。颯斗の声はとても耳に心地よかった。 端的に言うと、イケボだった。
だが、魅力的なのは綺麗な声だけではない。
透き通った瞳に長い睫毛、小さな耳、色白で神秘的な雰囲気を醸し出している。だから、華那は颯斗を見てすぐに『ホッキョクギツネ』を連想した。
「それなー!」
風花が興奮気味に相槌を打った。
「もう見た目も声も百点満点だよね!? 先輩と喋った人全員口を揃えて『優しい』って言ってたし、絶対中身も百点満点だよ! なんかね、うちの学校だけじゃなくて他校の女の子にもモテモテなんだってさ!」
「へぇ、そうなんだ! 凄いね!」
天崎先輩ってやっぱりモテるんだなぁ……。いや、先輩はイケメンだしモテモテなのも分かったんだけどさ。
「風花は天崎先輩が好きになったの? 篠田くんが好きなんじゃなかった?」
華那が怪訝そうに訊くと、
「そりゃあ、一番好きなのは陽翔くんに決まってんじゃん! 世界一、いや宇宙一大好き!!」
風花はそう答えて、にっ、とはにかみ笑いをした。
華那は風花が陽翔に好意を寄せている事はとっくに気づいていた。
つい先日、本当に好意を寄せているのかふと気になったので訊いてみると、風花は陽翔への好意を素直に認めた。
「私は陽翔くんが好きで華那は清水が好き。ね、近いうちにこの四人でダブルデートしよう!」
風花が満面の笑みでそう提案してきた。華那はむすっとした顔で口を開く。
「私がいつ雪弥の事が好きなんて言った? 好きじゃないよ」
華那が否定すると、風花はニヤニヤしながら、
「またまたぁ!」
肘で華那の脇腹を小突いてきた。
「うわっ! ……ちょっとやめてよ!」
「だって華那が全然素直じゃないんだもん!」
素直じゃない、か……。確かにそうかもしれない、と内心納得する。
雪弥の事を『好きじゃないよ』と言ったがこれは嘘だ。
あのね、と華那は心の中で風花に話しかけた。私は《《雪弥の事が好きだよ》》。ずっと嘘吐いててごめんね……。
五月十四日──雪弥が自宅に遊びに来る前日の夜。
『だからもう、私は雪弥を好きにならない』
そう決意していたが。
本当は、雪弥への恋心はずっと消えていない。初めて好意を自覚した小三の頃から現在進行形で雪弥に片想いしている。
(ただし。美里たちから嫌がらせを受けていた小三の頃に嫌いになりかけた事はある。それは、雪弥が算数の授業で問題を間違えた自分の事を笑った時だ。
笑われた直後は、『私がバカだって分かって嫌いになったのかな……』と落ち込んだ。だが、『人の失敗を笑うなんて最低!』とだんだん腹が立ってきた。昼休みになると、急に悲しくなってトイレで独り静かに涙を流した。
笑った事は許せないが、どうしても嫌いにはなれなかった。)
雪弥の事は好きだけど告白する気はない。友達でいられるだけで幸せだから。
そう思っている華那は、雪弥への恋心を風花に打ち明けずに『好きじゃない』と否定して、胸の内にそっと仕舞ったのである。
それから、六月三十日の雪弥との思い出も胸の奥に大切に仕舞っている。
六月三十日は、朝は晴れていたのに夕方から激しい雷雨になってしまった日である。
この日、華那は朝バタバタしていて天気予報を見逃したのが原因で傘を忘れてしまった。
しかし、幸運な事に、昇降口前で遭遇した雪弥が傘を持ってきていた。だから、雪弥と相合い傘をする事になったのだが。
……これって……もしかして相合い傘? ……雪弥と私が相合い傘……?
頭の中でぐるぐると考えていた華那は、『帰らねぇのか?』と雪弥に訊かれるまでフリーズしたままだった。
また、その相合い傘の下で雪弥に《《頭を撫でられる》》という衝撃的な出来事が起こる。
雪弥の頭ポンポンに華那は心臓が飛び出るほど驚いた。そのまま呆然として、手に持っていた傘の受骨を雪弥の頭のてっぺんにぶつけてしまった。
雪弥は『ちっとも痛くねぇから心配すんな』と言ってくれた。だが、その後に頭のてっぺんをそっとさすっていたので痛かったに違いない。頭に傘をぶつけてしまった事は今でも本当に申し訳なく思っている。
それから、雪弥に撫でられた瞬間にこのささやかな胸がキュンと高鳴った事と、撫でられた時の重みや感触、温もり、優しさ全て、今でも鮮明に覚えている。
「あっ!」
風花が思い出したように声を上げた。
「私は天崎先輩に憧れてるだけで本命じゃないよ。もうとっくに可愛い彼女がいると思うし」
「あいつ、彼女いないよ」




