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塞ぐ  作者: 海原ろこめ
第四章
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第一節

 待ってくれ……!


 侑聖ゆうせいがサッカー部の部室を施錠し始めるのを目にして、清水雪弥しみずゆきやは思わず眉を顰めた。

 それから、すぐに侑聖に向かって呼びかける。

「侑聖先輩! 鍵閉めるの、ちょっと待ってください!!」

 すると、侑聖はすぐに手を止めてこちらを振り返った。だが、侑聖は雪弥と目が合うと露骨に不機嫌そうな表情になった。

 やはり、嫌われているらしい。

 倉園くらぞの侑聖は──サッカー部の副キャプテンとゴールキーパーを務める三年生だ。雪弥よりも背が高く、細身だが骨格はしっかりしている。

 雪弥は歩を早めて侑聖に近づくと、バッと素早く頭を下げた。

「すみません、ありがとうございます!!」

 侑聖は「ああ」と顎を引くように頷くと、「お疲れ」と呟くように言った。

「お疲れ様です! あの、俺……部室に忘れ物をしてしまって」

「忘れんなよ、面倒臭ぇ」

 侑聖は気怠げに返す。

「本当にすみません……!」

 雪弥は謝罪したが、侑聖は奥二重の切れ長の目でじろりと睨んできた。蛇のようだ。

 内心怯んでいると、侑聖が突然こちらに向かって鍵を放り投げてきた。

 反射的に両手で受け取ったので、何とか地面に落とさずに済んだが。

 唖然とした表情をしている雪弥に侑聖が言う。

「戸締りしてちゃんと返せよ」

 ……それってつまり、俺に任せるって事だよな?

「ありがとうございます! 責任持って施錠後に返却します!!」

 雪弥が嬉しそうに微笑みつつそう答えた途端、なぜか侑聖は決まり悪そうな顔になった。

「……雪弥」

「はい!」

 しばらく間を置いて、侑聖は地面に視線を落としつつ、

「何、忘れたんだよ?」

「ああ、腕時計です。大事な物なのに忘れて、ロッカーの鍵も掛け忘れてしまったので心配で……、」

「聞いてない事まで答えんな! うぜぇ!!」

 雪弥の説明は、侑聖の苛立った声によって途中で遮られてしまった。

 いや、なんか今日は一段と機嫌が悪くないか? 部活中も怒鳴られたし。いや、俺が侑聖先輩に嫌われてるだけかもな……。

 雪弥は「すみません!」と謝罪したが、侑聖は軽く舌打ちをした。さらには、「俺は帰る」と背を向ける。

 雪弥は慌てて「さようなら!」と頭を下げた。

 しかし、侑聖は振り返らずに無言で正門の方へ立ち去った。


 雪弥は部室のドアを開けて、中に入った。そのまま奥に進んで、自分のロッカーを開く。中を覗き込むと、左奥の方に腕時計が置いてあった。

「あっ、あった!」

 雪弥は思わず大きな声を出して喜んだ。よかった、とほっと胸を撫で下ろす。

 腕時計を忘れた原因は明白だった。着替える際、誤って床に落とさないようにロッカーの奥の方に仕舞ったからだ。

 だが、落として壊す事だけはどうしても避けたかったのだ。

 黒革ベルトのシンプルなアナログ時計。これは、雪弥が十歳の時に受け取った《《父親の形見》》だからだ。

 ごめん……。もう二度と忘れないように気をつける。

 雪弥はまるで誰かに話しかけるように胸の内でそう呟いた。遠い目をしている。

 雪弥の脳内では、ある場面が再生されていた。


『雪弥! 今日は凄く良い天気だし、お父さんと公園でサッカーしないか?』

 優しく穏やかな声で、くしゃっとした笑顔を浮かべており、口角にはえくぼ、右目の涙袋下には黒子がある。

 落ち着いた雰囲気で、爽やかな短髪は真っ黒で白髪は見当たらない。


 ……お父さんの声や色……ぼやけているんだ……忘れたくないのに……最期に苦しい思いさせて本当にごめん……俺のせいなんだ……ごめんなさい……


 雪弥は今、手に取った腕時計を眺めている。涙をこらえるようでも微笑んでいるようでもある複雑な表情をしていた。

 だが、ぱっと真剣な表情に変わると、腕時計をしっかりと左腕に嵌める。そして、他に忘れ物がないか確認し始めた。

 と、何やら違和感を覚えて表情を硬くする。

「……ねぇな」

 違和感の正体はすぐに分かった。試合用スパイクがないのだ。

 誰かが間違えたかあるいは、絢太じゅんたの仕業か……?

 柊木ひいらぎ絢太はクラスメイトで、サッカー部のチームメイトでもある。

 去年の十一月十七日──雪弥がキャプテンの天崎颯斗あまさきはやとと喧嘩した日の翌日から、絢太はわざと足をひっかける、脇腹をつまむなどの嫌がらせを開始した。

 絢太は颯斗を尊敬している。だから、嫌がらせ理由は颯斗の代わりに報復する為だろう。

 さらに、絢太は雪弥に『瀬川華那せがわはるなを巻き込みたくなければ、距離を置け!』と命令してきた。

 最初は『従ったところでお前が華那に手を出さない保証はねぇだろ』と拒否した。しかし、それに対する絢太の返答に、思いがけず納得してしまったので絢太の命令に従う事にした。

 つまり、雪弥は華那と会話する事を徐々に避けるようになっていった。念の為に、絢太が華那に手を出していないかどうか、出来る限り絢太を監視していた。だが、絢太は華那に一度も話しかける事はなかった。

 また、絢太は雪弥に嫌がらせをする事に飽きてきたのだろうか。今年から徐々に嫌がらせが減ってきた。

 絢太からの嫌がらせが減ったので、雪弥は命令が無効になったと勝手に判断していた。

 だからという訳ではなく、これは突発的な行動なのだが、雪弥は今日の部活休憩中に華那に話しかけたうえに、明日華那の家で遊ぶ約束までした。

 まさか、絢太はその事に気づいたから雪弥のスパイクを隠したのだろうか。まだ命令は有効だぞ、と自分の命令を破った雪弥に腹を立てて。

 雪弥は話しかけて遊ぶ約束までしてしまった理由が自分でも分からなかった。だが、部活が終わって着替えている時に何となく分かった。

 多分、無意識の内に、乾いて傷ついてしまった自分の心を何とか潤して癒そうとしたのだと思う。

 実は、去年の十一月十六日に颯斗と喧嘩してから今までずっと、辛くて苦しくて心身共にボロボロなのだ。

 だからもう勘弁してくれ。もう、華那と話したり遊んだりしてもいいよな……?

 雪弥は胸の内で絢太にそう尋ねた。

 俺が傍にいるせいで華那に災難が降りかかる事がないように、常に細心の注意を払っておくから、と。

 それから重い溜息を吐いて鞄から携帯を取り出す。


 

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