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塞ぐ  作者: 海原ろこめ
第二章
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第一節

「──教えてくださってありがとうございました」

 黒短髪の男子生徒──清水雪弥しみずゆきやは、白髪交じりの頭髪の男性教師に頭を下げた。二人は、窓際の木棚を前に職員室前の廊下に横並びに立っていた。木棚の上には見開きのノートがあり、そのノートの周りには、ボールペンや筆記用具、数学IIの教科書、そして黒色の筆箱が置かれている。

 雪弥はつい先程まで、男性教師──富川孝二とみかわこうじから数学を教わっていた。富川は雪弥の担任の先生である。また、数学の教科担任で、雪弥のクラスである二年一組と二年三組の数学を担当している。

「どういたしまして。……なぁ、雪弥」

 富川が柔和な笑顔を浮かべつつこちらを見詰めてきた。

「……何ですか?」

 まさか気づかれた訳じゃねぇよな、と内心冷や冷やしながら雪弥は答えた。

「お前って数学得意だよな?」

「えっ?」

 富川からの唐突な質問に思わず素っ頓狂な声が出た。

「得意だよな?」

 だが、富川は同じ質問を繰り返すだけだ。雪弥はとても戸惑ったが何とか答える。

「はい、得意ですけど……」

 嘘は吐いていない。全教科の中で最も得意な科目は数学である。

 そうだよなぁ、と富川が不思議そうな表情で相槌を打った。

「どうしたんですか?」

 雪弥が怪訝そうに訊くと、

「いや……、」

 富川は白髪混じりの眉を下げつつ困ったように笑った。

「お前が昨日、授業後の休み時間だけじゃなくて昼休みや放課後まで質問しに来て、『やけに気合い入ってるなぁー!』って感心してたんだ。……だけど、今日も昨日と同じように三回も質問しに来たもんだから、さすがにびっくりして……。勉強熱心なのは素晴らしい事だが、数学のテストがそんなに不安か?」

 まずい……。俺の異変に気づき始めてる。富川先生と喋りながら問題を解いている時が一番気が紛れるからとはいえ、質問しに行き過ぎたようだ。どうしよう。何と返すべきだろうか? 冷や汗がダラダラと背筋を伝う。

 一旦気持ちを落ち着かせる為に自分を自分で励ます。大丈夫だ。まだ何とかなる。

 返答するのがやや遅れたが、

「別に、そんなに不安じゃないです」

 雪弥はしっかりとした口調で話し出した。

「ただ、前回の試験はちょっとミスが多かったので。だから、今回の試験では絶対にミスしないように先生に質問して解き方をしっかりと確認してるんです。……けど、数学だけじゃなくて他の教科もバンバン質問してますよ。だってもう、来週の火曜から試験始まっちゃうし。今週、本腰入れて頑張るのは当然じゃないですか?」

 本当の理由は全く言ってないが、嘘は吐いていない。よし。これなら怪しまれずに済みそうだ。

 無事に答える事が出来て雪弥はホッと胸を撫で下ろした。その一方で富川は、

「ミスか……」

 小声でそう呟いてから顎に手を当てて俯いた。何かを必死に思い出そうとしているような表情をしている。──それから数秒後。

「そういえば!」

 富川は大きな声を上げた。

「去年の学年末テストの時、ケアレスミスしたせいで、陽翔あきとに負けたんだったな! それでお前は、『マジ悔しい!』ってわざわざ俺のところまで言いにきたもんな? そうか、今度こそ陽翔に勝つ為に、めちゃくちゃ頑張ってるんだな?」

 はっはっはっ、と富川は楽しそうに笑う。大口を開けているので奥歯の銀歯までキラリと見えた。

「ちょっと!」

 雪弥は不服そうに口を開いた。

「俺にとって嫌な出来事をピンポイントで思い出さないでくださいよ!」

 富川のいくつかの誤解を解く為に間髪入れずに続ける。

「しかも、俺が言った前回の試験ってのは学年末じゃなくて今年の課題考査の事ですから! 確かに、課題考査でも陽翔に負けてるんでそりゃあ勝ちたいですけどっ! 俺がいつもより試験勉強頑張ってんのと陽翔は無関係です!!」

 最後に口が滑った気がする。が、言ってしまったものは仕方ない。後はもう、富川に詳細を訊かれない事を祈るしかない。

「あっ、そうなのか!?」

 富川は目を丸くした。次に、笑いながら軽く詫びる。

「ごめん、ごめん!」

「……別に大丈夫です」

 雪弥は拗ねたような顔で言った。

「でも、陽翔に負けて悔しがる俺の記憶なんて直ちに消去してください。……てか、悔しいに決まってるじゃないですか!? だって、学年末テストの点数は、俺が九十九点で、あいつが百点! たった一点差だし! 課題考査も俺の方がミスが二問多かっただけで、俺とあいつの点数差は四点なんで!!」

 一点差でも四点差でも関係ない。自分は陽翔に負けたのだ。充分理解していたがどうしても言わずにはいられなかった。それは、陽翔の嬉しそうな笑顔を鮮明に思い出して腹が立ったからだ。

「そうだなぁ」

 富川が二、三度ゆっくりと頷いた。

「お前の言う通り、陽翔との点数差はあまりないかもな」

 嬉しい事に富川は微笑んで肯定してくれた。

「おっ! そうですよね!?」

 雪弥は大いに喜ぶ。

「だけど文系科目はどうだろうか? 特に古典と世界史は点数差がかなりあるぞ」

 だが、富川はニヤニヤと笑いながらそう続けた。

「うっわ!」

 雪弥は露骨に不満そうな声を出してから、

「クッソ、痛いとこ突いてきやがって!!」

 富川に文句を言った。教師に向かって乱暴な言葉遣いだと思う。

 しかし、富川はその程度では怒らない寛容な人物である。その事を富川を慕っている雪弥はよく分かっていた。だから富川から説教される心配はない。

 とはいえ、富川に痛いところを突かれた雪弥は余裕のない表情をしていた。実際、雪弥は理系科目は得意だが文系科目は苦手であり、点数に偏りがある。それに対して、陽翔は全ての教科で偏りなく高得点を取るのだ。

「大丈夫だ」

 富川が目尻に皺を寄せて微笑みながら言った。

「頑張ってる理由が陽翔に勝つ為じゃないにしても、今回はやけに気合入ってるようだしなぁ……。ひょっとすると、陽翔に勝って学年一位になれるんじゃないか?」


 

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