『人間と感情』-ジャーナリング-
ジャーナリング2作目ということで、見てくださりありがとうございます。心に浮かんだ物を頭で考えずにサッと綴っておりますので、推敲等はあえて致しておりません。改行、段落分けも思考の流れにそって書いたという都合上、するかとても迷いました。今回はしておりませんが、次回以降考えたいと思います。
『人間と感情』
感情というのは、一体なんなのか。考えてみる。人間の感情というのは喜怒哀楽で良く語られる。嬉しい、悲しい、イライラする、楽しい。これは明確なものではない。状況によって感情はころころと変わるし、ずっと同じ感情が現れ続けるなんてことはない。では怖いという感情はどうだろうか。怖いというのは不安を感じている、ということなのか。例えば高いビルの屋上の柵を越えて、下の光景を見てみたとする。行き交う自動車がまるでプラモデルのようで、時折吹く風が服の裾を揺らす。一般的な人間ならこの状況でどのような感情を感じるだろうか。普通なら怖い、と感じるだろう。怖いというのはどういうことを意味するのだろうか。人間は未来の自分を想像することができる。その想像によって危険を回避したり、より良い未来をつかみ取ることが可能となる。この状況では足を踏み出せば高いビルから転落し、地面に叩きつけられ、潰れたトマトのようになる自分を想像するだろう。これは足を踏み出し、落ちることへの不安と同義であるだろうし、怖いという感情は不安という感情と同義なのではないか。また別の例えを考えてみる。知人が瓦礫に埋もれて、手だけが上に伸びている状況だ。この状況を見て、人は一体どのような感情を抱くだろう。それは知人との間柄によるかもしれないが、もし心配したとして胸の内で感じている感情はどんなものだろうか。知人が瓦礫に埋まっているという驚き、もしかすると知人は死んでいるのではないか、という恐れ、助け出さないといけないという焦り。次はプラスの感情を例を交えて考えてみる。例えば一年に一度の誕生日に友達がサプライズパーティーを開いて、祝福してくれた、という状況を考える。この時、おそらくだが嬉しいという感情が表にでてくるのではないだろうか。それに付随してでてくる感情は多々あるだろうが、-の感情がそれほど多く現れるとは思わない。では祝福する側の感情はどうだろうか。祝福する側も近しい間柄なら+の感情を感じるのではないだろうか。良く雰囲気というものがあるといわれるが、それは場を共有する人達が抱いている感情が表れたものと考えることはできないだろうか。もしそうであるならば、人間が感じる感情というものは、大きく状況に左右されると考えられ、環境をコントロールすることができれば、人間が感じる感情に方向性を与えることもできるということになる。人種によってもしかすると感情の感じ方に差異がある可能性は残されているが、それでもこの考え方から大きくずれる結果となることはないように思われる。人間社会に渦巻く問題は人間の感情を大きく左右するものばかりで、この問題を恒久的に解決した暁には、人間は極端な感情の振れ幅を経験することなく、穏やかに一生を送ることができるようになるのではないだろうか。とすれば人間の感じる-の感情の多くは社会を支配する構造から生まれた問題が生じさせていると考えることができ、この構造の問題を解決することが大切だと考えられる。人間の感情の振れ幅を増幅させているのは間違いなく周囲を取り巻く環境であるし、その環境に大きな要因を与えているのは社会の構造と考えると、人間の感情をいたずらに振り回すこと無く、また人間を尊重する社会を形成するには構造そのものを考え直す必要があるのではないだろうか。
最後まで読んで頂いた方も、途中まで目を通して頂いた方にも感謝を申し上げます。ジャーナリングは性質上「考えるな、心に浮かんだものをただ書け」というスタンスなので、書いていると落ち着つき、さらには自分はこういうことを考えているんだな、という自己模索もできるので、私は好きです。そのせいで読みづらい思いをさせてしまい、本当に申し訳なく思うのですが...。もし興味を持って戴けたなら、おすすめですのでぜひやってみてください。心の中の自分に手を伸ばすことができるかもしれません。
夏も終わり、そろそろ秋が来ますね。これから冷え込む季節となって参りますが、体調崩されませんよう御自愛ください。親愛なる諸賢へ。