第二十五話 風雲なお急を告げるか
前回のあらすじ:
パウリは神霊サイレンを相手に恋に落ち、だから誰にも渡したくないと、妨害するためキュジオと化した。
俺――〈魔法使い〉マグナスは、「キュジオ」ことゼール商会のパウリと、対峙していた。
互いに互いの船の舳先に立ち、特ににらみ合うでもなく、だが確かにのっぴきならない空気を漂わせながら、言葉を交わす。
「僕が『キュジオ』だと、よく知ってたね?」
「……たまたまだ。別に誇れるようなことではない」
本当に威張れることは全くなくて、俺はばつの悪い態度で答えた。
俺がまだカジウに来る前の話である。
〈攻略本〉を熟読し、この地に潜む“魔海将軍”を斃すためには、〈海嘯の剣〉を手に入れることこそ最善だと知った俺は、ではどうやって剣を手に入れようかと調べて、頭を抱えそうになった。
〈海嘯の剣〉は、“南の海賊王”が遺した財宝の一つである。
ところが、カジウの『重要人物一覧』に載っている人々の大半が、そのプロフィールに『海賊王の財宝が、誰かの手に渡ったら困る』と書き添えられているのである。
“連盟”の党首たちをはじめとした、もう本当に誰も彼も。それこそ温厚篤実なピートルの項にさえ、そう記載されていたほどだ。
これでは味方がいないではないかと、正直あの時点では困惑を禁じ得なかった。
最後まで「キュジオ」を特定できなかった一因でもあった。可能性のある該当者があまりに多すぎて、絞りきれなかったのだ。
また逆の話、俺が最初にアズーリ商会のフェリックスを頼ろうとしたのは、彼が“連盟”党首で唯一、海賊王の財宝に関心のない男でもあったからだ。
そして、俺は実際にカジウまでやってきて、多くの人々と出会い、話をして、どうして誰も彼もが海賊王の財宝を他者には渡したくなかったのか、理解できた。
党首会議で、パウリが言った通りである。
皆が海賊王の後継者になることを諦めている。だったら、他の人間が後継者になっては困る。それだけの理屈だった。
同じく党首会議で、ピートルが他党首たちに、合資話を持ちかけた理由もわかるというもの。
「費用を分担することで、実現不可能に近い後継者の条件を、クリアする」
「〈海嘯の剣〉で“魔海将軍”を討伐する」
「〈海賊王の証〉を彼の墓に返すことで、いつか自分以外の後継者が現れるかもしれないという頭の痛い問題を、永遠にうやむやにする」
それら一石三鳥の提案だったわけだ。
さすが一流の商人であるピートルは、己が善意と実利を巧みに折衷してみせたのだ。
もっとも、パウリが「他者を後継者にしたくない」理由は別にあったわけで、彼だけはピートルの提案に乗るわけにはいかなかった。派手な論調で議題をひっかきまわした。
おかげで他の党首たちも、ピートル案のメリットを深く理解する前に――慎重論といえば聞こえがいいが――消極的反対に回ってしまったというわけだ。
――と、これら一連の話は、後から振り返れば「なるほど」とうなずけるものではあるが、その時その時においては情報が少なすぎて、俺も確信を得るまでには至らなかった。
そうこうしているうちに、パウリが俺を罠にハメるために策略をしかけてきて、おかげで〈攻略本〉が彼の存在を重要視(危険視ともいう)して、詳細な情報を記載したという流れだ。
まったく自慢にもならないだろう?
ただし、情報さえしっかりとそろえば、それを駆使して状況を大胆に動かすのは、俺にとってはお手の物。
その結果が、まさに今ということである。
東の海から、ロレンス率いる海洋警察の艦隊の姿が見えてきた。
ここにいる全員を捕縛し、連行するに足る戦力だ。
この状況を作り上げるために俺は、敢えてロレンスを挑発して艦隊を率いてこさせたし、敢えてキュジオに情報を流しておびき寄せたというわけだ。
俺に濡れ衣を着せてくれた真犯人さえ捕まるなら、別に俺も裁判の場に出頭するのは、やぶさかではない。
俺の潔白が証明されれば、ロレンスに刃向かったことにも、正当防衛が成立するだろう。
「なあ、マグナスさんよ」
パウリもまたロレンスの艦隊を、どこか神妙な表情で見つめながら、切り出した。
「この期に及んでと笑われそうだが、お願いだから取引をしないか?」
「話の内容による」
「ありがとう」
俺が聞く耳を持ったことに対して、パウリは破顔して礼を言った。
「こうなったら僕の負けだ。往生際の悪いことはしたくない。大人しく捕まって、過去の悪事をあらいざらいぶちまけようじゃないか。マグナスさんの潔白も証明しようじゃないか。あんたもすぐに容疑が晴れた方が、助かるだろう? 魔王退治活動にすぐ戻れるだろう?」
「恩着せがましい――いや、盗人猛々しい奴だな」
俺は呆れて皮肉ったが、パウリはちっとも悪びれなかった。
本当に大したタマである。
「で? 代わりに俺に何をさせるつもりだ?」
「なに簡単なことさ。僕が今までしでかした悪事は、全て僕一人によるものだ。ここにいる部下たちは、脅されて仕方なくやったことだ。だから罪に服すのは、僕一人だけでいい。マグナスさんからも、そう言い添えてくれないかい?」
「……本気か?」
本気ならば手下思いでけっこうなことだが、同時に理解に苦しむ。
「パウリ。おまえは極めつけの悪人だろう? 他人を踏み躙って平気な人種だろう? 今さら手下を案じてどうする?」
「これは祖父の受け売りなんだけどね。『敵や獲物には容赦しない。だけど仲間は売らない。それが海賊ってものだ』そうだよ」
「……悪には悪の美学がある、か」
俺は納得した。
そして、そういうことなら取引に乗ってもよいと考えた。
一方、納得できない者もいた。
パウリの後ろで、それまでは黙っていたネビスだ。
「いけません、キュジオ様! キュジオ様お一人が犠牲になるだなんて――」
「いやいやいや、これは簡単な理屈の話だよ、ネビス? どうせ僕たちは逃げられない。そして、ここにいる皆で捕まろうと、それで僕の罪が薄まるわけじゃない。だったら、マグナスさんに甘えようじゃないか」
「だからといって、キュジオ様を差し出して、自分だけ助かろうとは思いません! そう考えているのは、私だけではないはずです! ここにいる全員、想いは同じはずです!」
「参ったなあ」
二人が押し問答している間にも、海洋警察艦隊はどんどん迫ってくる。
パウリはこのままのらりくらりとネビスをやりすごして、時間切れを待ち、うやむやのうちに一人で捕縛されるつもりだろう。
そんな二人のやりとりを、俺は黙って見守った。
今生の別れになる可能性だって、大いにあり得るのだ。口を挟むほど野暮ではなかった。
ただ――
俺が誘導しようと目論んだ状況は、この「キュジオ」をロレンスに引き渡す絶好機だけではなかった。
比べるとより確率の低い、俺としても「もしかしたら起こり得るのではないか」という代物にすぎなかったが、それでももう一つ目論見はあったのだ。
いきなり、船が大きく揺れ始めた。
舳先に立っていた俺とパウリは、危うく体勢を崩しかける。
「来たか……」
と俺は独白する。
パウリやネビスにとっては、別離を惜しむひと時を邪魔されるようなものだが、魔物を相手に野暮を問うても詮無きことなだろう。
周囲一帯にひしめく船の、全てが激しく揺れていた。
より正確には、波がいきなり荒ぶっていた。
「なんだ……?」
「何事か……?」
周りの船に乗ったパウリの手下たちから、当惑の声が漏れ出る。
そして、あちこちで同時多発的に、叫ぶ者が現れる。
「あ、あれを見ろ……!!」
遅れてこの場の全員が気づく。
北の海が、急に曇り始めていた。風が荒び始めていた。
そして、ここから一キロほど離れた場所に、そいつが巨体を現していた。
海中から、長く巨大な鎌首が、のそりともたげていた。
「シ、大海蛇か!?」
「バカ! 目測を誤るな! ありゃもっとデケエぞ!」
「じゃ、じゃあ、なんだってんだよ!?」
「ドラゴンだ!」
「ありゃウォータードラゴンだ!!」
あちこちで悲鳴と絶叫が上がった。
しかも刻一刻と、際限なく大きくなっていった。
なぜならば――
海中から現れ、鎌首をもたげる魔物の数は、一匹や二匹ではなかったからだ。
「ウォータードラゴンが……八匹……?」
どこかで誰かが、絶望を呟いた。
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