第十七話 ゼール商会の若番頭 パウリ
前回のあらすじ:
党首会議が始まる。
一瞬で沸騰したかのような、空気に満ちた商談室。
だが、そんな空気をやんわりと窘める微風のように、柔らかい声が発せられた。
「私からもいいかね?」
挙手とともに発言したのは、またもピートルだった。
パウリが浮かべているような作り物ではない、本物の温和さに満ちた笑顔を湛えている。
毒気を抜かれるとはこのことだ。大人の手本のような態度をとる彼の前で、肩意地を張っていると、まるで自分がいたらない子どもに戻ったような気分にさせられる。
パウリもそう考えたのだろう。
「ええ、ええ、どうぞ。もちろんですとも、ピートル様」
俺をずっと値踏みしていたパウリが、矛を収めるようにその瞼を閉じると、降参とばかりに肩を竦めた。
この危険な臭いをさせる青年をして、諌められるだけの人柄が、ピートルには備わっているということだ。カジウ一の商会党首は伊達ではない。
そのピートルが温厚篤実な笑顔のまま、俺に訊ねた。
「聞けば、マグナス殿は“魔王を討つ者”と呼ばれる、高名な大魔法使い殿だとか。そんな貴殿が、どうしてカジウで商売を?」
俺もまた彼の人柄に感じ入るものがあり、誠実に答えた。
「この地に潜む“八魔将”を討つために、〈海嘯の剣〉が必要なのです」
「おお……。そうか……なるほど、なるほど……」
くどくどと説明する必要もなく、ピートルは合点が行ったように何度もうなずいた。
俺が「なぜカジウで商売を始めたのか?」については興味がなかった党首たちも、理由を聞けば納得顔になった。
ゴルメスだけは「ハッ。綺麗事だな。ワシはだまされんぞ」とほざいていたが。
まあ、俺のこの言葉を真実と証明する手立ては実はないから、内心疑っている者は他にもいそうだが。嫌味言いたさのあまり、わざわざ口にしているバカはあんた一人だぞ?
俺はゴルメス以外の列席者たちに向かって訴えた。
「いい機会だから、俺もお聞かせ願いたい。貴殿らの中に、俺に援助してくださる方はおられぬだろうか? 俺は〈海賊王の証〉も〈日記〉も必要ない。〈海嘯の剣〉も“八魔将”を討った後、お返ししよう。現状のところハンナ夫人が協力を約束してくださっているが、正直な話、まだ赤子のリンク殿を俺の都合で“南の海賊王”の後継者にしてよいものか、決めかねている」
「ふうむ……」
ピートルをはじめ、皆が考え込んだ。
ゴルメスだけが「バカがっ。そうやって大金をせしめる気だろうが呪い師めっ。詐欺師めっ」とうるさかったが、もちろん無視。
そんな中で、一番返事が早かったのは、パウリだった。
「〈海嘯の剣〉をとるの、諦めてくれません?」
頬傷のあるベビーフェイスをにこにこさせて、またぞろとんでもないことを言い出した。
「……意味がつかねかねるが?」
「そのまんまの意味ですよ。〈海嘯の剣〉をとろうと思ったら、九商会のご党首様方のどなたかを、“海賊王”の後継者にしないといけませんよね? それ迷惑だからやめてくれません?」
パウリの過激な発言に、商談室の中がざわつく。
しかし、反対意見もすぐには出なかった。
「一つ、僕らの視点に立って考えてみてくれませんか?」
「……興味深い視点だな」
「薄々お気づきだと思いますが、我々“連盟”は内心、もう〈海賊王の証〉を諦めてるんですよ。入手ハードルが高すぎて。そんな中で、マグナスさんがひょっこり現れて、革命的商売を以って、大儲けを持ちかけてくる。そこまでは大歓迎! しかしマグナスさんの最終目的は、ここにいらっしゃるどなたか――あるいはウチのボスに、もはや諦めてる〈証〉を恵んでくださるということですよね? 言い換えれば」
「……俺はそこまで自惚れていないが、続きを聞かせてくれ」
「それ、もらえるお一人はいいですけど、残り八商会にとっては迷惑なんですよね。だから、やめてくれません?」
パウリのあけすけで、ざっくばらんな物言い。
正直に言えば、少し小気味が良い。
だからといって、俺の立場としては手を叩いてもいられない。
「なるほど、確かに迷惑をかけてしまうな。だが、俺が“八魔将”を、ひいては魔王を斃すことは、回り回って貴殿らの利益に繋がるはずだ。平和な世界こそが、商人にとっての楽園であるはずだ」
厳密には平和ではない方が儲かる、武器商人のような職種もあるが、“連盟”にはいない。
平和な海で大儲けせよと、百年前に“南の海賊王”が、そんな海域を創り上げたからだ。
「私はマグナス殿の言葉が、正論と思えるな」
ピートルが温和なだけでなく、理知的な声音で意見を言った。
「どうだろう、諸兄。ここにいる九商会とマルム商会さんで合資し、“南の海賊王”が定めた金額を、海原の神霊に奉納するというのは? これだけの大商会が力を合わせれば、決して不可能ではないはずだ。その上で、マグナス殿には“八魔将”の一角を討っていただく。そして、〈海賊王の証〉は形だけリンク君がもらい受けた後、海に還す。後継者は二度と現れなかったこととする。それが一番丸く収まると思わないかね?」
「名案だと思います、ピートル様」
「乗ったぜ、オッチャン!」
ピートルの提案は俺にとって、目を瞠るほどありがたいものだった。
そしてハンナ夫人とアネモネが真っ先に賛同してくれ、やや遅れてパライソ商会のポポスも同意を示す。
一方、パウリも同じくらい早く、スカした態度で挙手をした。
「いやあ、いくらピートル様のご提案でも、そいつには乗れませんねえ」
すかさずゴルメスも「そうだ! 乗れるか!」とわめき散らしていたが、とうとうピートルさえそれは無視して、
「どうしてかな、パウリ君?」
「あまりに利がなさすぎます。これには投資しかねます」
「しかし、マグナス殿は“八魔将”を――」
「そう、そこが僕は気に食わない! お話にならない!」
パウリは血の通っていない笑顔のまま力説した。
「例えばこれが、魔王を斃すために〈海嘯の剣〉が必要である……という話ならば、まだしも僕も一考しましょう。それでこの世から魔物が一掃されるなら、投資のし甲斐もあるというものです」
「だ、だからマグナス殿は、ひいては魔王を討つために、まず――」
「まず、そのたかだか“八魔将”の一角を討つために、我々の身銭を切らせようと? それもとんでもない額を? 冷静になりましょうよ、ピートルさん」
パウリはさも忠言面をして言うと、今度は俺に向かって、
「試みにお訊ねしますが、マグナスさんは今まで何体の“八魔将”を討伐してきたんで?」
その口ぶりでは、調べはついているだろうに、パウリはわざわざ訊いてくる。言質をとりにくる。
俺もすぐバレる嘘をつく理由はどこにもなく、正直に答える。
「二体だ」
「たったの二体! 途上も途上じゃないですか!」
信じられない話を聞いたとばかり、パウリは芝居がかった仕種で頭を抱えた。
「おわかりですか、皆様? マグナスさんに投資しても、本当に魔王まで届くかどうかわからない。失礼ながら、彼が“八魔将”を一体ずつ倒している途中で、敗れて死ぬ公算は大いにあり得る。これはなんとも分の悪い投資ですよ。ウチのボスから責任を預かる身としては、そんな博打は打てませんね。皆様はどうですか?」
周囲を諭すパウリの笑顔に血が通っていく。
皮肉っぽく、頬を歪めるような笑い方に変わっていく。
その大きな頬傷が引きつるような形になって、なんとも危険な笑みになる。
「マグナス殿がいなければ、わたくしもここにはいません。投資に異存はございません」
ハンナ夫人は真っ先に、俺のことを支持してくれた。
「わ、私のグァバ島も、海賊から救っていただきました」
「今後何十年って儲かる方法も教えてもらった義理があるしな。ウチも出すぜ」
ポポスとアネモネもまた、支持表明してくれた。
でも、そこまでだ。
後の党首たちは、逡巡しているか、黙りこくっている。
一人、ゴルメスだけが「グヒ、こりゃ話にならんなあ?」と程度の低い愉悦に浸っている。
会議の場が、四対五で真っ二つにわれた。
「待ってください、皆さん!」
そんな中――アリアが席を立って訴える。
「マグナスさんは本当にお強いんです! 絶対に魔王を斃してくれる人なんです!」
『そうです。マグナス様を信じてください!』
ショコラまで前に出て、大声を上げてくれる。
二人の気持ちはとてもうれしい。
だが、その論法は通じないのだ。
アリアも商売のことなら、もっと冷静になれたはずだ。
しかし、話が「魔王を斃せるか」「斃せないか」になってしまったから、アリアが俺を信頼してくれる気持ちがあまりに大きすぎて、ムキになってしまったのだろう。
もしかしたら、俺のことをバカにされたと思って、俺の分まで怒ってくれているのかもしれない。
ショコラもだ。
本当にうれしい。心に沁みるし、おかげで俺が代わりに冷静になれる。
「いいんだ。二人とも、ありがとう」
俺は穏やかな声で、アリアとショコラを宥めた。
俺の気持ちが二人にも通じたのだろう、渋々といった様子ながら、アリアは着席し、ショコラも元の位置に戻った。
それを見て、パウリが「へえ」と小さく、感嘆の吐息を漏らす。
一方、俺は奴が言うはずだった台詞を――鬼の首を獲ったかのように、アリアに叩きつけるつもりだったろう言葉を、代わりに告げた。
「俺は誓って、魔王を討つことに全力を注ぐ。旅を続ける。だが、そこに絶対は約束できない。できるほど、俺はまだ強くない。自惚れてもいない。もしそれが約束できるのだったら、魔王より弱い“八魔将”くらい、〈海嘯の剣〉抜きで斃してみろという話になる。そうだろう?」
アリアとショコラが「あっ」という表情になった。
パウリが口笛を短く吹いた。
それから、奴も語調を大人しいものに変えて、
「ご自覚があるならけっこうです。そして、僕も物言いが大人げなかった。そこはお詫びしましょう。代わりと言ってはなんですが、もしカジウ以外にいる“八魔将”全てを斃して、それでもまだ〈海嘯の剣〉が必要ということであれば、その時はあなたに投資しましょう。お約束します」
それを聞いて、ゲオルグ翁も首肯した。
「よい落としどころだね。我がセントニー商会もそうさせてもらおう」
俺とパウリのやり合いを、目つきの悪い猫と一緒に、物見高そうに注視していた彼も、そう言って気を抜いた雰囲気を醸し出す。
ステンレス商会のゴーリキーも尻馬に乗り、なりゆきでそういう話の流れになってしまう。
ゴルメスだけが「ワシは銅貨一枚投資せんぞ!」とわめいていたが、もう誰も聞いていない。側近にすら無視されていていた。
他にも議題はあったが――ともあれ、党首会議はそれで終わったのだった。
◇◆◇◆◇
解散となった後、俺はピートルに呼び止められた。
「私は貴殿の話に感銘を受けたのだが……お力になれず、すまなかった」
「いいえ、そのお言葉こそありがたい。それに、俺にとっては実りのある会議になりました」
「そうなのかね?」
目をぱちくりさせるピートル。
俺は負け惜しみでもなんでもなく、本心から首肯した。
「あなたがお味方してくれるとわかった。これは収穫ですよ」
実は〈攻略本〉情報では、ピートルのことは『温厚篤実なのは間違いないが、やや保守的で頭の固いところがある』と記載されている。
俺が最初に協力を求めに行ったのが、フェリックスであって彼ではない所以だ。
もし、俺がいきなりピートルを訪ねて、〈海嘯の剣〉のことを掛け合ったり、そうでなくても画期的な商売を持ちかけたりしたら、警戒されていた可能性が高かったということだ。
しかし、俺はカジウに来て、あちこちで誠実な商売を続け、マルム商会のみならずアズーリ商会たちを儲けさせた。
それでピートルも心証が違ったのだろう。
今だからこそ、ここまで信用してくれたのだろう。
とはいえ、その「今だからこそ」は結果論にすぎず、俺は果たしてこの男の信用を得られるかどうかは未知数だった。
そして、他でもない“連盟”筆頭が協力的だとわかったのだから、それだけでもこの会議に出席した価値はあるというものだ。
「なるほど、マグナス殿。私にできることなら、遠慮なく言って欲しい」
俺の言葉を聞いて、ピートルは破顔一笑した。
「ええ、甘えさせていただきますよ」
俺は彼と堅い握手を交わした。
また、俺とピートルの個人的な話が終わるのを、待っていた党首もいた。
目つきの悪い黒猫を抱いた老人、ゲオルグ翁だ。
「さっきは悪かったね」
と、ピートル提案の合資話を蹴ったことを、まず一番に謝罪する。
「君の心証を害したかもしれないな。だが、ぬけぬけと言わせてもらえば、君とやる合同事業の方は大いに期待しているんだ。君の気分が変わっていないことを祈るが、さてどうかな?」
「もちろん、気分などとつまらない問題で、せっかくの儲け話をふいにはしませんよ」
「いや、それを聞いて安心したよ! ありがとう、ありがとう」
「会議も終わったことだ、明日にもお伺いしてよろしいか、ゲオルグ翁?」
「なんの、こちらから伺わせてもらうとも。では、また明日。マグナス殿」
俺たちは円満に、今日のところは暇を告げる。
食えないジジイめと思いつつも、そこは俺もドライに割りきる。
それに、実は言うほど気分を害していない。
パウリの論法は一理あると思ったし、そもそも俺は自力で必要額を稼ぐつもりで、カジウまで乗り込んだのだからな。
もちろん援助してくれるに越したことはないが、してくれなかったからと言って恨むのは、ちと甘えすぎというものだ。
ゴルメスのような愚鈍と違い、マルム商会と一緒に稼ぐ話に乗ってくれるだけ、助かるというものさ。
読んでくださってありがとうございます!
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