第八話 三方良し
前回のあらすじ:
辣腕の警察隊長と出会ったり、マグナスの今回の旅の目的が、海賊王の残した財宝の一つだと明かしたり。
ヨーテルを成敗し、アズーリ商会を実質的に奪い返したことで、俺たちの〈カトリの木〉の商売も、第二段階へと進むことができた。
マルム商会は完全に卸売だけを担い、販売とネルフ島へ行き渡らせる輸送は、アズーリ商会に委ねたのだ。
「その分、粗利は減りますけど、マルム商会は人件費を減らせますし、あるいは人手を他の事業に回すことができますからねー」
と、アリアが算盤を弾いてくれた。
俺は安心して、ネルフ島で次の事業の立ち上げにかかった。
この島の密林には、〈ゴムの木〉という他では見られない木が、たくさん自生している。
木材としてはすぐ曲がるし、ドス黒く変色するので、とても使い辛い。そのくせ、切ると妙に樹液が粘って、伐採もし辛いという、島民にとっては大昔から傍迷惑なことで知られているらしい。
ところが、この〈ゴムの樹液〉を精製加工することで、そのままずばり〈ゴム〉という未知の素材を作り出すことができるという。
その製法と便利な特性について、〈攻略本〉に詳述されていたのを、俺は発見したのだ。
だから、この情報を利用しない手はないと思った。
俺とアリアで代わる代わる、ハンナ夫人に提案した。
「樹液の採取法は伝授する。製法もだ。今はラクスティアに、加工のための施設を準備したのが精一杯だが、この島でもゆくゆくは加工できるよう、アズーリ商会に体制を整えて欲しい」
「……つまりは、その採集と加工に携わる人手を、我がアズーリで島民から恒久的に募集し、管理をすればいいということですね?」
「はい、そうです。流通や販売は、うちのマルムと合同で行いましょう」
「なるほど……。正直に申し上げて、未知の素材と言われても、ピンと来ないものがあります。しかし、マグナス殿には何度も助けていただきました。そのあなたが仰ることなら、我がアズーリは社を挙げて協力させていただきますとも」
「助かる。絶対にそちらにも儲けさせると約束する」
もう何度目だろうか? こうして俺とアリアは、ハンナ夫人と握手を交わした。
ラクスタ王国やカジウに、〈ゴム〉製品が行き渡るのはまだまだ先のことになるだろう。
しかし、その体制の下準備さえ完成すれば、差し当たり俺がネルフ島でやるべき商売は、一段落を得る。
◇◆◇◆◇
アズーリ商会はさすが“連盟”の一角だった。
アリアがラクスタから連れてくるスタッフたちも、優秀の一言だった。
〈カトリの木〉と〈ゴムの木〉の事業は、順調すぎるほどに進行していった。
一方で、やはりトラブルは起こるものだ。
カジウ海域にある九の群島の一つで、ネルフとは隣同士のバゴダード島から、不意の来客がやってきた。
三十半ばくらいの、よく日に焼けた女性だ。男勝りという表現がピッタリの。
「やい、テメー! マグナスとかいうヨソモンはテメーか!?」
と、最初からケンカ腰だった。
その剣幕にハンナ夫人がびっくりしつつも、俺とアリア、ショコラに紹介してくれる。
「“連盟”の紅一点、トネーニ商会のご党首で、アネモネ様ですわ」
「『暫定』党首だ! アタシは“海賊王”の直系だが、男子じゃない! じゃなきゃ正統の党首として認められねえって、クソ迷惑な海賊王が決めちまったからな」
バカバカしい因習だとばかりに、肩を竦めて吐き捨てるアネモネ。
かと思えば、右目だけを引ん剥いて俺に詰め寄り、
「ンなこたあどうでもいいんだよ! オイ、胡散クセエ魔法使いヤロー! テメー、よくもウチの商売を潰してくれやがったな!?」
俺の胸ぐらをつかんで、ガタガタと揺らしてきた。
威勢の良すぎる女性である。
トネーニ商会というのは、半ばヤクザ的というか、気風もいいし仁義も担ぐが、一方で「舐められちゃならねえ」の精神が屋台骨を支える、まるでスマートじゃない組織だという。
そんな商会あっての、この女親分ということだ。
「ちょっと、マグナスさんを離してください!」
『マグナス様。ご命令あれば、ショコラはいつでもご主人様の敵を排除してご覧に入れます』
「まあ、待て待て」
俺の身を案じて抗議してくれるアリアと、過激なことを口走るショコラを、俺はガタガタ揺すられながら片手で宥める。
このアネモネが、トネーニ商会の(暫定)党首だと知って、俺は非難されることも覚悟の上だったのだ。ある程度の狼藉は、甘んじて受けるつもりだったのだ。
俺の商売の全貌を理解してくれているアリアはともかく、ショコラは要領を得ていないだろうから(そして何をしでかすかわかったものではないから)、ガタガタ揺すられながら説明する。
「バゴダードは、〈バライの実〉を特産とする島だ。わかるか? トネーニ商会にとって、ネルフ島相手の〈バライの実〉輸出は、一大産業だったんだ」
しかし、俺たちが〈カトリの木〉によって〈バライの実〉を市場から駆逐してしまった。結果、トネーニ商会はもはや輸出のメドが立たなくなってしまったのである。
より良いものが売れ、そうでないものは淘汰される――それが市場原理だ。商売というものだ。
と、反論するのは容易い。
が、俺はアネモネが頭にくる心情も、人として理解できる。
そう、カジウで商売を始める前に、アリアに教え諭されたのだ――
◇◆◇◆◇
それは、アラバーナでの遺跡探索も終盤に差し掛かり、カジウでの交易もそろそろ視野に入れるため、臨時の「休日」をアリアと過ごしていた時のことだ。
新居で彼女の手料理を堪能した後、リビングのソファで、二人で寛いでいた。
「これが〈攻略本〉ですかー。すごい情報がたくさん載ってるんですかー」
アリアは感心したように、手に取った〈攻略本〉をしげしげと眺めていた。
俺の膝の上に載って。
寄りかかる彼女の背中の温もりや、俺の膝に押し当てられたお尻の柔らかさに、俺の方は内心ドギマギさせられているというのに、
「でも本当に私じゃさっぱり読めませんねー」
と、アリアの方は何の気なしに、真面目な話を続けた。
これも「尻に敷かれている」うちに入るのだろうか?
でも、こんなに気持ちいいなら、俺は別に尻に敷かれても――いやいや、真面目な話だったな。
「神の言語である、聖刻文字で書かれているからな」
「ただ、絵図も多いんですねー。これなら私にもわかりますー」
そう言ってアリアは各地の地図や、『重要人物一覧』の似顔絵を、興味津々に眺めていた。
「あれ? これって私の父です?」
「そうだ。マルム殿は重要人物だからな」
「なるほどー。あはは、さすがに私は載ってませんねー」
俺は全力で話題を逸らしたくなった。
しかし、そうもいかないだろう。戦々恐々としながら真実を白状する。
「実は、以前は載ってたんだ」
「え、そうなんです? どんなこと書いてあったんですか?」
俺は一字一句を思い返しながら、正確に、正直に、全てを答える。幸か不幸か、記憶力には自信がある方だ。
『意外と積極的な性格』だとか、『パンケーキが好き』だとか、他にも好みのアクセサリの方向性だとか、エビとカニに目がないことだとか。そんなことが書いてあった。
「……実は……初めてのデートの時、かなり参考にさせてもらった」
「あはは、なるほどー。マグナスさんてば全然女性慣れしてなさそうだったのに、デートコースだけはバッチリだったんで、ちょっと不思議だったんですよね。ようやく腑に落ちました」
「……怒ってないのか?」
「なんで怒るんですか? 私と仲良くなりたいって思ってくれて、一生懸命調べてくれて、デートコースも考えてくださったんでしょう? むしろうれしいですよ」
「そ、そういうものか?」
「そうですよ。『実は大して興味なくて、テキトーにやってた』って言われた方が怒りますよ。というか泣きますよ」
アリアはにっこりとなりながら、俺に体重を預けてくる。
こんなことなら、もっと早く懺悔すればよかった……と思うのは、あまりに調子がいいか。俺もまだまだ未熟だ。
「でもじゃあ、どうして、私の項目がなくなっちゃったんですか?」
「この〈攻略本〉は、毎朝最新情報に書き換わる。そして、魔王退治に必要、重要な情報ほど詳しい。そういう法則がある」
「え、じゃあ私ってもう、重要じゃないってことですか?」
「そうじゃない。少し違う」
ちょっぴり涙目になったアリアに、俺は慌てて弁解した。
だから、気恥ずかしく思う暇もなかった。
「こんな本の一項目に、ちらりと書かれてあることよりも、俺の方が遥かにアリアに詳しくなって、アリアのことを今ではいっぱい知っているからだ。そういう意味で、もう必要のない情報になったというだけだ」
「うふ、納得しました」
必死になって説明すると、アリアはすぐに艶然と微笑んだ。
それから〈攻略本〉を閉じてローテーブルに置くと、俺の膝に載ったまま、上体だけをひねって、そっと口づけしてきた。
俺は未だヘタクソなまま、ギクシャクと応じる。
この日のキスはいつもより長く、濃密だった。
アリアが満足するまで続けて、また真面目な話に戻る。
「この〈攻略本〉と〈タウンゲート〉があれば、カジウでの交易は必ず上手くいくと思う。どの島にどんな需要があるか、全て書かれているんだからな」
「私もそう思います。だから、今のうちから父に頼んで、商品の用意をしておきますね」
「本当に助かる」
「ただ……ちょっと懸念もあるんですよねえ」
アリアはそう言い出すと、考え深い顔つきになった。
俺がカジウで行うつもりの商売計画は、既に全て彼女に伝えていた。
だから、その道のプロであるアリアから見て、何か穴があるのかと思った。
「いえいえ、マグナスさんの計画通りにやれば、荒稼ぎできると思います。まず間違いないです。ただこの、荒稼ぎってのが問題なんです」
「ふむ……というと?」
儲かることの何が悪いのかわからず、俺はその道のプロの教えを乞うた。
「マグナスさんの商売は、カジウの島々になかった画期的な商品を持ち込むわけですけど……このやり方だと、今現在カジウで営まれている、多くの産業を根底から破壊してしまいます」
「あっ……」
アリアの指摘に、俺は唸らされた。
カジウに巣食う“八魔将”を討つためとはいえ、俺は自分が金を稼ぐことしか考えていなかった。その他の観点をまるで失っていた。
「もちろん、商売って本質的にはそういうものですし。旧態依然が淘汰されるのは当然の話だって考え方もあります。ただ、一つの産業にはあまりにも多くの人々が携わっています。その人たちがもしかしたら、路頭に迷う可能性があります。マグナスさんはそれでも平気ですか?」
「いいや……」
俺は首を左右にした。
魔王を討つために、俺自身が魔王になってはならない。
それは俺がこの旅において、自分自身に課した戒めだ。
「商売には『三方良し』って考え方もあります」
アリアが教えてくれる。この場合の三方とは「売り手」と「買い手」、そして「世間」のことだ。その三者全てが満足できる商売こそが、良い商売だという考え方だ。
「マグナスさんが儲かるだけじゃなくて、カジウの人々も幸せになれるような、そういう商売を考えていきましょう? この〈攻略本〉があれば、そこまでやれると思うんです。もちろん、私もアイデア出しますし!」
「ありがとう、アリア。……本当に、ありがとう」
俺は心からの感謝を、アリアに告げた。
そして自分でも気づいた時には、膝の上に載せた彼女を抱き締めていた。
◇◆◇◆◇
つまりは、ネルフ島に〈カトリの木〉を持ち込む商売は、俺が当初から考えていた路線の商売だ。
そして、ネルフ島で〈ゴムの木〉を利用する産業を新たに根付かせる事業は、アリアのアドバイスを受けて考案した、「三方良し」路線の商売である。
だからこそ俺は、〈ゴムの木〉の活用法や新素材の製法を、惜しげもなく伝授した。マルム商会で独占しなかった。
そしてもちろん、バゴダード島での「三方良し」な商売も、俺は考案している。
「聞いてくれ、アネモネ殿!」
俺の胸ぐらをつかんで離さない、トネーニ商会の女党首に向かって言った。
「はあん? 命乞いならお門違――」
「そうじゃない、儲け話だ! 俺もあんたもしこたま儲かる!」
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