第五話 初めての商売
前回のあらすじ:
アズーリ商会党首を毒殺したというヨーテルに、「ネルフ島では商売はさせん!」と恫喝される。
ヨーテルが乗っ取ったアズーリ商会が、乾燥させた〈バライの実〉の販売を、ネルフ島全土で大々的に始めた。
強気の値段設定というか、かなりぼったくっていた。
それでも島民は、異常な蚊害に耐えかねて、買うしかなかった。
島民が泣かされた分だけ、ヨーテルの笑いが止まらないという状態だ。
例年より大量に、唸るほど仕入れた彼らの〈バライの実〉が、完売ということになれば、途方もない額の金がアズーリ商会に転がり込むだろう。
そんな状況の中で――俺たちは商売に打って出た。
ハンナ夫人を中心に、「本家」アズーリ商会の看板を掲げ、それをマルム商会が借りて店を広げる。
「ゆくゆくは私たちも島全土で商売するつもりですが、まずは橋頭堡の確保が肝心です」
そう力強く言ったのは、アリアである。
弱冠十五歳。しかし物心つく前から、父親に商売のイロハを叩き込まれた彼女だ。
まずはネルフ島最大の港町である、同名のネルフでのみの販売を、テキパキと段取りする。
「店舗も別に要りません。港の倉庫でそのまま、私たち全員で販売しましょう。お客様が真実、欲してやまない商品なら、格好なんてどうでもいいんです。ハンナさんが『看板』を貸してくださるおかげで、島民への信用もありますしね」
頼れるアリアの陣頭指揮の下、俺たちはその「客が欲してやまない商品」を販売開始した。
〈カトリの木〉を乾燥させて作った、お香である。
ラクスタは四季もあり、水も緑も豊かなお国柄。
となれば普通は、夏となれば藪蚊に悩まされそうなもの。だが、蚊害がほとんどといって存在しないのは、国全土に生えている〈カトリの木〉のおかげなのだ。
この木が放つほのかな香りを、蚊は大変にきらう。焚こうものならその煙は、蚊にとっての猛毒になる。
しかも人間にとっても、悪臭というほどの煙は出ない。ちょっと独特のキツさがあるだけで。
つまりは俺たちの商品とは、蚊害に対して〈バライの実〉より効果覿面且つ、臭いも抑えられた優れ物。
しかも値段も勉強させてもらった。亡きフェリックスがもし見れば、きっと口元をほころばせるだろうほどに。
これが売れないはずがない!
評判が評判を呼び、俺たちの倉庫の前には連日の行列ができた。
「こ、これは……どういうことだ……っ」
その様を見て、愕然となっていたのはヨーテルである。
噂を聞きつけて、様子を見に来たらしい。
俺は交代で休憩に入ることにすると、奴の方へと向かう。
「こんなところにいていいのか? 今が稼ぎ時で、極めて忙しいんじゃがなかったのか?」
「う、うるさいっ」
「大方、〈バライの実〉が売れなくて、暇を持て余しているというところか?」
「うるさいうるさいうるさい!」
ヨーテルは地団駄踏んで、わめき散らした。
かと思えば、形相を歪めて恫喝してくる。
「いい気になるなよ、若僧? 貴様が図に乗っていられるのも、今のうちだけだ。貴様はやはり、商売というものをわかっとらん!」
「ほう。ならばぜひ先達に、ご教示していただきたいものだな」
俺の敢えての慇懃無礼な態度と挑発に、ヨーテルはあっさり激昂しつつ、
「ワシとて〈カトリの木〉のことは知っておった! 調べた上で、商売にならんと判断して、手を出さなかっただけだ! ラクスタはあまりに遠く、木材運輸はあまりに嵩張る! コストが高くつきすぎて、庶民の手には届かん値段になってしまうということだ!」
うむ、極めて正論だな。
ハンナ夫人の言う通り、やはりこいつは商売事に関しては、まともな判断力を持っている。
「貴様は大方、客寄せのつもりで安売りしているのだろうがな! そんな商売がいつまでも続けられるものかよ! しかも在庫問題だ! これが常に付きまとうだろうがっ」
俺たちの倉庫に山と積まれた商品を指しながら、ヨーテルがわめき続けた。
「どこに隠していたのか、はたまたうちの社員の目が節穴だったのか、これだけ用意したことは褒めてやろう。しかし全く足らぬわ! ネルフ島の夏は長いんだ、この在庫も遠からず底を尽くだろう! 追加の仕入れはどうするのだ? まさか用意できているわけではあるまいよ。遥々ラクスタから? 嵩張る木材を? 大船団でも組んで? 大した値段じゃ捌けない日常消耗品を? ハハハ、到底現実的ではない!」
自分でもアラ探ししているうちに、だんだん自信がついてきたのだろう。
ヨーテルの胸が徐々にふんぞり返っていく。
「薄利多売にすらならん、コストに見合わん投げ売り商法を、せいぜい続けておればいいわ! そして赤字だけを抱えて島から出ていけ! グワハハハハ!」
また勝ち誇った高笑いとともに、満足して帰っていくヨーテル。
その背中を俺は無言で見送った。
ただ片頬を、皮肉っぽく吊り上げて。
◇◆◇◆◇
ヨーテルたちは小賢しくも、「元祖」アズーリ商会の看板を大々的に掲げると、そのくせ俺たちとの競争を避けて、最大の港町以外での〈バライの実〉販売に力を入れた。
一方、俺たちも段階的に、最大の港町の外へと商売を広げていった。
ハンナ夫人が「本家」の看板を掲げ、商売を始めたのを見て、ヨーテルの「元祖」アズーリ商会から、大勢の社員が戻ってきたのだ。
「本当に申し訳ありませんでした、奥様!」
「でも俺らあも、カカアとボウズを食わせにゃならんで、路頭に迷うわけにはいかんかったんでさあ……」
「ヨーテルの野郎がどんなに気に食わなくても、渋々付き従うしかなかったんです!」
「身を粉にして働きます! それでお詫びとさせていただきます! ですからどうか、オレたちを雇ってください!!」
彼らはそう言って、ハンナ夫人の前で平伏した。地面に額をこすりつけた。
『調子のいい人たちです。どんな理由があろうと、ご主人様を裏切るなんて、ショコラには理解できないです』
「俺たちは部外者だ。『本家』アズーリ商会のことは、夫人に任せよう」
「そうですよ、ショコラさん。卑劣な真似はどうかと思いますが、綺麗事ばかりでも商売は立ちゆかないんですから」
不満たらたらの様子のショコラを、俺とアリアが宥めた。
そして夫人は、出戻りを希望する彼らのほとんどを寛大に受け容れ、「本家」の社員としたのである。
ただし俺の観察するところ、あからさまにヨーテルのスパイくさい連中だけ、夫人はきっちりお断りしていた。この辺、ただ若くて顔がいいだけの、お飾りの奥方様ではないようだった。
亡きフェリックスの、妻を見る目もまた正しかったということだろう。
ともあれ、社員が一斉に増えたことで、俺たちはより手広い商売ができるようになったのである。
その勢いは日の出の如しで、瞬く間に島全土へ広がっていった。
当然、「元祖」アズーリ商会の、〈バライの実〉販売網を駆逐した。
ヨーテルは慌てて値段を例年通りに戻したが、もはや客は戻らなかった。〈カトリの木〉の素晴らしさを知った島民たちは、同じ程度の値ならば、俺たちの商品だけを買い求めた。
人間というものは元来保守的で、言うほど新し物好きではない。
本来、〈カトリの木〉の良さが浸透するまで、俺は時間がかかると計算していた。根気よく売っていくつもりだった。
しかし、どこかの業突く張りが、〈バライの実〉でボろうとしたため、島民は仕方なく俺たちの〈カトリの木〉を買い、結果として〈バライの実〉がもはや不要であることに、あっという間に気づいたという流れだ。
ありがとう、ヨーテル!
あんたの強欲さの分だけ、俺たちは笑いが止まらない!
そして、その業突く張りが、再び俺たちの倉庫まで偵察に来て、愕然となっていた。
「こ、これは……どういうことだ……っ」
売っても売っても、島全土に行き渡らせても、まだなお山と積まれている〈カトリの木〉を見て、呆然となっていた。
「おかしい! こんなことがあるわけない! うちの社員にずっと港を監視させているんだ。貴様らが追加分を全く水揚げしていないことは知っているんだ! なのにどうして在庫がなくならない!?」
まるで責めるようにわめき散らすが、そんなものは負け犬の遠吠えだ。
俺は冷淡に答えた。
「悪いが、あんたの相手をしている暇はない。俺たちは今が稼ぎ時で、極めて忙しいんだ」
もはやヨーテルなど相手をせず、俺は並んでくれるお客たちと順番に、一対一で、〈カトリの木〉の販売を続けた。
彼らの健康と安眠を祈って。
◇◆◇◆◇
翌早朝のことである。
俺、アリア、ショコラの三人はいつも通り、ネルフの港の倉庫にやってきていた。
在庫仕入れの時間なのである。
俺たちの目の前、何もないがらんとした場所に、突如として漆黒の門が開く。
王都ラクスティアとこの倉庫をつないだ、〈タウンゲート〉だ。
そこからまず現れたのは、ナディアとサリーマの姉妹。
「お疲れ様です、お二人とも」
「とんでもないです、アリア嬢!」
「多くの人々の暮らしを支える、意義のあるお仕事ができるのがうれしくて、活力を持て余しているくらいです」
「そう言ってもらえると、私も助かります。お給金もいっぱい払いますので、今後ともよろしくお願いいたしますね!」
「いえ、別に私たちは――」
「ダメです! ちゃんと見合う対価はもらってください!」
『アリア様の仰る通りですよ。人間サマに無償の奉仕なんてされては、ワタシたちサーヴァントの存在意義が薄れてしまいます』
「……もしショコラさんみたいなのが世に溢れたら、仕事がなくなって路頭に迷う人続出か、働かなくなって堕落する人続出になりそうですね……」
『お褒めに与り光栄です、アリア様!』
「この悪魔め、って言ったつもりなんですけど……」
そんなやりとりをしている間にも、転移門からは次々と馬車が現れる。
乾燥させた〈カトリの木〉を、山と積んだ馬車である。
それをマルム商会の従業員たちがテキパキと荷下ろししていく。
再び唸るほどの在庫が積まれていく。
「こ、こんな仕掛けがあったのか……!」
いきなり驚き声が聞こえた。
俺たちが振り返ると、倉庫の入り口の陰にヨーテルがいた。
性懲りもなく、コソコソ偵察に来ていたのだ。
「ああ、そうだ。ナディアの〈タウンゲート〉があれば、俺たちは別に商品を船で運ぶ必要も、わざわざ海を渡る必要もない。ラクスティアから直接、一瞬で運べる。だから手間がべらぼうに安いし、庶民価格で〈カトリの木〉を大量販売できるんだ」
隠すほどのことでもなく、俺はヨーテルに教えてやった。
ヨーテルは震えながら、転移門から続々と運ばれる〈カトリの木〉を凝視していた。
これでもかと見開かれた、その目が言っていた。「信じられない」「信じたくない」「こんなの現実じゃない」「現実にしないでくれ!」
しかし、残念ながらこれは現実だ。
ヨーテルは悟っただろう。奴ら「元祖」アズーリ商会が、俺たちマルム商会と組んだ「本家」には、もはや絶対に勝てないことを。
そうなるとヨーテルに残るのは、大量の売れない〈バライの実〉だ。
今年の異常蚊害に対抗するため、フェリックスはかなり無理をして――つまりは過剰な先行投資をして――用意していたはずだ。
その無理をしたツケが全て、ヨーテルにのしかかるのだ。フェリックスを毒殺し、彼の後釜に座った男が! フェリックスの代わりに!
「あああああ……」
ヨーテルはとうとうその場にうずくまり、頭を抱えた。
そして、半泣きになって懇願してきた。
「お願いしますっ。わたくしどもの〈バライの実〉を、引き取ってくださいっ。買ってくださいっ。儲けようとは思いません、仕入れ値でお買い上げくださればそれで充分です! わたくしどもを助けると思って、どうか! どうか!」
俺は冷淡に答えた。
「はて? あんたの目が黒いうちは、俺たちとは絶対に商売しないんだろう?」
自分で言った言葉には、責任を持たないとな。
読んでくださってありがとうございます!
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