第二十一話 アラバーナの皇子 ヘイダル
前回のあらすじ:
皇太子がまさかの反乱を起こし、宮殿に攻め上がる。
恐れおののいた愚帝は、命惜しさにファラへと帝位を禅譲する。
俺――〈魔法使い〉マグナスは、「ファラ姫」が「ファラ帝」となる瞬間を見守っていた。
謁見の間に控えていた近衛兵たちが、泣きわめく前愚帝を、恭しくも西の塔へと連行した。その時、〈皇帝の指輪〉を預かるようにと、ファラ姫が命令した。近衛の一隊長が忠実に遂行し、ファラ姫へ最敬礼を以って差し出した。
彼女はそれを自分の左中指にはめると、列席する重臣たちの前で掲げてみせる。
そして、宣言する。
「これより、このファラが女帝となり、大逆を企てた我が兄ヘイダルを誅す! 異存がある者は遠慮なく申せ! 今この時のみ、受けつけよう!」
さすがは俺の見込んだ帝族だ。男とか女とか全く関係ない。第一、アラバーナ五百年の歴史には、何人もの女帝がいる。名君英君もいる。
最初は惚けていた彼女だったが、それもあくまで一瞬のこと。ファラ帝は早や毅然たる態度で、状況の激変に対応している。自分がすべきことをしっかりとわかっている。
「我ら、一切の異存はございませぬ!」
「ファラ様を新帝になされよという先帝陛下の詔、確かに拝聴しましてございます!」
「ファラ陛下に忠節の全てを捧げまする!」
果たして居並ぶ重臣たちは、全員がファラ帝に向かって跪いた。
無論、心から平伏している者が、この中に何人いるかもわかったものではない。
異議を唱えたが最後、「じゃあ誰が謀反鎮圧のリーダーシップをとるんだよ?」「おまえが責任とるのか?」とツッコまれるのがオチで、それがイヤで、事なかれ的態度を決め込んでいるだけだろう。
仮にこのままヘイダルのクーデターが成功してしまえば、今度はヘイダルに尻尾を振り出すに違いない。
まあ、それでいいのだ。今はなりゆきのままファラ姫の戴冠を認めさせるのが大事で、事態が収拾した後、時間をかけて、佞臣どもは一人ずつ放逐していけばよい。
ファラ帝ならきっとやり遂げるし、その点、俺は心配していない。
いま問題なのは、近衛の大半を味方につけ、この謁見の間を目指して進軍しているという、ヘイダルだ。
本来ならば抵抗を諦め、無血のうちに玉座を明け渡すべき、最悪の事態だ。
ファラ帝は気丈に振る舞っているが、内心は怖れおののいているだろう。
「安心なされよ、陛下。俺が御身を守ってみせる。ヘイダルを撃退してみせる」
「……すまない、マグナス殿。そなたには本当に頼りっ放しだ」
「俺にできることなら、いくらでも頼られよ。そしていずれ、御身にしかできないことを、頼らせていただく」
「持ちつ持たれつか……わかった。マグナス殿に頼られる、立派な女帝に余はなってみせよう」
「はは、頼もしい」
俺とファラ帝は互いに微笑を交わし合った。
そして、ヘイダルが乗り込んでくるのを待ち構えた。
この国の皇太子が今や大逆者となって、多数の近衛兵を引きつれ、ぞろぞろと現れる。
温和そうな顔の作りは、以前に一度会った時と同じ。
しかし、柔弱そうな表情は影も形もなく、力強い自信に満ち溢れている。
まるで別人。こっちの方が、ヘイダル本来のものというか、本性なのだろう。
明敏なヘイダルは、先帝のいない玉座を見て、ファラ帝の指にはまった〈皇帝の指輪〉を見て、すぐに状況を理解したようだ。
その上で、ファラ帝へと告げた。
「余の言いたいことはわかっておるだろう、我が妹よ?」
無血のうちにその指輪を渡せとばかり、右手をこちらへ向けた。
「兄上――敢えて、兄上と訊きます。どうしてこのような、大それた真似を企てたのですか? 何もなさらずともいずれは、帝冠は兄上の頭上にこそあったでしょうに!」
「知れたことだ、ファラよ。我が父とはいえ、あの愚帝に国政を任せておれば、アラバーナは傾く一方だ。取り返しのつかぬ事態となる前に、一年でも二年でも早く、あの愚帝を玉座から取り除かなくてはならぬ。その一心だ」
堂々と語るヘイダル。
聞いたファラ帝は、悔しげにしていた。
立場上、決して口にはできないが、「気持ちはわかる」と言いたいことだろう。
同時にこう思っているのではないか?
「どうせ手を汚すならば、私に任せてくれればよかった」
「父を討つ役目はこの妹に任せ、兄上は綺麗な身のまま、次の玉座に就くべきであった」
「どうして相談してくれなかったのか?」
――などと。
「ヘイダル殿下――敢えて、殿下と言おう。御身は実際、この国を憂えて事を起こしたのだろう。その点、俺も疑っていない。ただ、もっと手段を選ぶべきだった」
「マグナス殿は何を言いたいのだ? 余がもっと穏当な手段を採るべきだったと? あるいはまさか、余ではない他の誰か……例えば我が妹に、手を汚させるべきであったと? 侮ってくれるなよ。余は他人に泥をかぶらせて、平気でいられるほど恥を知らぬ男ではないぞ」
「違う、そうじゃない。アラバーナ一国の中で、御身らがどんなやり方でどんな政争を繰り広げようと、そのこと自体は俺の知ったことではないし、差し出口を叩くことでもない」
「では、なんだと言いたいのだ?」
「御身は魔物に魂を売るべきではなかった。その手段だけは採ってはならなかった」
俺の指弾を受け、ヘイダルは一瞬、黙りこくった。
一瞬だけだ。
「魔法使いというのは、胡乱なことを申すなあ」
さすがヘイダルは見事なまでに、すっ呆けてみせた。
しかし俺も畳み掛ける。
「ここにいる諸兄らも、“八魔将”の名前くらいは知っているだろう?
だが、これはご存じあるまい。奴らは目的の国を侵略するに当たって、まず内通者を見繕う。その国の立場ある人間を、あの手この手の甘言で誑かし、魔物へ魂を売らせるのだ。
そして、アラバーナ侵略を企む“魔嵐将軍”が白羽の矢を立てたのが、ヘイダル殿下――あなただ」
俺の言葉の一つ一つに、謁見の間がざわついていく。
ファラ帝もまた、「そんなバカな」と瞠目している。実際、この俺の台詞でなかったら、とっくに笑い飛ばしていただろう。
一方、ヘイダルに付き従う近衛兵たちは、俺の言葉に激昂していた。
「妄言、甚だしいわ!」
「いい加減にしろ、魔法使い!」
彼らはあくまで愛国心や帝室への忠義から、ヘイダルの謀反に加担した者たちだ。何年も前から根回ししていたヘイダルの、「アラバーナをかつてのような強国にしたい」という志に打たれ、共感した者たちだ。
そのヘイダルがまさか魔物に魂を売っていたなどと、夢にも思っていなかったろうし、そう簡単に信じられるわけがないだろう。
俺は彼らの野次を無視して、言葉を続けた。
「ヘイダル殿下。『取り返しのつかぬ事態となる前に、一年でも二年でも早く』とあなたは言ったな?
じゃあ、なぜもっと早く行動を起こさなかった? なぜ今このタイミングで事を起こした?
俺が答えてやろうか。〈地帝宮の鍵〉がようやく一つ、手に入ったからだ」
「…………っ」
「地帝宮とは、古代魔法帝国の宮殿だ。その名の通り、地底の奥深くに存在している。
そして、地上からそこへとたどり着く方法は一つだけ。
全部で四つ存在する〈地帝宮の鍵〉の、うち二つを使って転移門を開くことだ」
「な……な……っ」
「〈地帝宮の鍵〉は全て、最難関遺跡の最深部に眠っている。
そのうちの一つは先日、ラムゼイの遺跡から発掘された。
そう、殿下が“憂国義勇団”に命じて盗ませ、今は殿下の懐にあるそれだ。
そしてもう一つだけ、遥か大昔に発掘された〈鍵〉がある。今はこの宮殿の宝物庫に納められている。
〈皇帝の指輪〉を持つ者だけが入ることのできる、特別の宝物庫にだ。
殿下が大逆を企んだ本当の目的はその〈鍵〉で、玉座なんかは後回しでいい。そう思ってるんだろう?」
「きっ……きさ、きさ、貴様……!」
俺に次々と内心を読み当てられ、ヘイダルの余裕の態度が、ぼろぼろと剥がれ落ちていく。
一方、ファラ帝もまた狼狽頻りの態度で、訊ねてきた。
「地帝宮……名前ならば知っている者も多かろう。だが実際、そこに何があるというのだ? どうして兄上は目指しているのだ?」
「隆盛を誇った古代アラバーナ帝国が一夜にして滅び、不毛の砂漠と化したのは、とある大がかりな魔法の儀式に失敗したから――それは御身もご存じだろう?
しかし、儀式の詳しい内容は誰も知るまい。如何なる文献にも書かれていない。
それをヘイダル殿下は“魔嵐将軍”から聞いたのだ。
その儀式の目的とは、当時まだ魔界にいた魔王の、その魔力だけを召喚して利用しようというものだったのだ。
そして召喚自体には成功したが、そんな代物が人の身で制御できるわけがなく……遭えなく暴走してドカンだ」
「当たり前の話ではないか……っ」
「古代アラバーナ人は、なんと大それたことを考えたのか……っ」
「傲岸不遜極まるというものだっ」
「ヘイダル殿下の目的は、地帝宮に未だ眠っている、魔王の莫大な魔力の片鱗を、手に入れることなのだ。
その巨大すぎる力を以って、アラバーナを再び周辺諸国へ君臨させるつもりなのだ」
「き、危険すぎる……!」
「古代魔法帝国でさえ、制御できなかったほどの力なのに!」
「もう一度暴走するのがオチだ!」
「緑の国が砂漠と化したのだぞ? 我らの土地がこれ以上、どうなってしまうことやら……」
重臣一同が騒然となり、もはや髪を振り乱す。
「世迷言を申すな、魔法使い! 皆もこんな妄言に惑わされるでないわ! マグナス! 貴様がいったい余の何を知っているとほざくか!!」
ヘイダルはツバを飛ばしてそう怒鳴り散らした。
「悪いが、あなたのことは全部知っているんだ」
俺は誇るでもなく、淡々と答えた。
実際、これは〈攻略本〉の情報のおかげで、俺が誇れる手柄は何一つないからな。
ただし、その情報は思いきり活用させてもらった。
ラムゼイの遺跡で、〈地帝宮の鍵〉を敢えて譲ったのも、ヘイダルに〈鍵〉が渡れば、彼が次いで謀反を起こすはずだと、そう踏んでのことだ。ヘイダルの行動を俺が誘発したのだ。
全ては愚帝を玉座から追放するため、汚れ役の泥はヘイダルにかぶってもらうため、そしてファラ姫が綺麗な体のまま帝冠を戴く――そのためにだ!
「ヘイダル殿下。俺はあなたのことを、心から称賛する。手段の是非は別として、殿下がこれまでなさってきたことは、偉業というしかないことばかりだ」
だからこそ、この有能な皇太子には、手段をちゃんと選んで欲しかった。
魔物なんぞに魂を売らなければ、俺はこの人を玉座に就かせるよう、画策していた。
本当に残念だった。
「……いったい何の話だ、マグナス……っ」
「殿下は確かに“魔嵐将軍”と内通した。形式上、儀式上は魂を売った。
しかし、皇太子の尊厳までは売らなかった。
あなたは“魔嵐将軍”のアドバイスを受け、“憂国義勇団”を強化し、様々な〈マジックアイテム〉を発掘し、着実に力をつけていった。
そして最後はその力で、“魔嵐将軍”ジャムイタンを討ち取ったんだ。
“八魔将”の特質を利用して、あなたが“魔嵐将軍”の力をそっくりもらい受け、ヘイダル=ジャムイタンとなったんだ。
人として絶対に越えてはいけない一線だが、手段だが――同時にこれは、偉業以外の何物でもない!」
「な、なぜ、貴様はそのことを、知っているのだ……」
ヘイダルは愕然となるあまり、言ってはいけないことを口走ってしまう。
「そ、そんな……」
「まさか……」
「あんな魔法使いの言うこと、嘘でございますよね、殿下……?」
「嘘と言ってください!」
ヘイダルが引き連れてきた、近衛兵たちにも動揺が走る。
だが俺は、この一連のやり取りに終止符を打つため、懐に手を入れた。
テンゼン=デルベンブロからドロップした、〈天界の宝石:赤青〉を取り出し、掲げた。
これが、俺がアラバーナに来た理由。
この宝石には、“魔嵐将軍”の力をわずかながら弱める効果があるのだ。
人に化けているヘイダル=ジャムイタンの、正体を暴く効果があるのだ。
「や、やめろおおおおおおおおおおおおっ」
ヘイダルが絶叫した。
しかし、〈天界の宝石〉の力には逆らえなかった。
衆目の真っただ中で、その正体をさらけ出した。
四枚の羽根を持つ巨大な蛇――それがヘイダル=ジャムイタンだった。
重臣たちが絶叫し、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
近衛兵たちも信じていた理想の主を失い、一人、また一人とその場にへたり込む。
ファラ帝もまた、「兄上……兄上……どうしてこんな……!」と悲嘆に暮れる。
俺はそんな彼女を背中に庇い、守りながら、戦うことも辞さないつもりだった。
騒ぎを聞きつけ、仲間たちも駆けつけてくれた。
しかし――
「ヘイダル殿下!」
「早くこちらへ!」
ナディアとサリーマの姉妹もまた現れ、〈タウンゲート〉を開く。
「マグナス! “魔王を討つ者”よ! 今日のところは余の負けだ! しかし、忘れるな! 最後に勝っているのは、この余だということを!」
ヘイダル=ジャムイタンは一切の躊躇も虚勢もなく、速やかに退却を選んだ。
さすがの慎重さだ! 油断がないとはこのことだ!
奴にとって予期せぬアクシデントが起きた以上、ここで戦うのは俺の思うツボだと、そう判断しての撤退だろう。
よかろう。ならば決戦は、次への持越しとしよう。
地帝宮にて、雌雄を決しようではないか!
次回、マグナスたちは地帝宮へ乗り込みます!
というわけで、読んでくださってありがとうございます!
毎晩更新がんばります!!