第二十九話 今昔の学苑長
前回のあらすじ:
ヒイロはケンキドゥから〈大賢者の杖〉を貸与される。
一方で、わずか十日で叡智の塔を制覇し、〈賢者〉になることを強要されたのであった。
憤懣やる方ない想いで学苑長室を後にすると、俺たちは今日のうちにもトウシタへ向かうことにした。
とにかく時間が惜しかった。
「それでもカーマイナー先生に一言、挨拶していこう」
ヒイロがいつになく硬い顔で言い出し、俺たちも真剣な顔でうなずいた。
その言葉の重さを、誰もが理解していた。
叡智の塔の最上階まであと十五階。
それを大急ぎで駆け上がれば、まず間違いなく第三〈特別〉試練が発生するし、当てにしなくては十日で登頂は難しい。
あの命懸けの試練を、もう一度くぐり抜けなくてはならないのだ。
俺たちだって第二〈特別〉試練の後、今まで以上に学問と修行に力を入れた。
加えて〈オールドメデューサ〉を斃した経験からか、全員がさらに〈レベル〉を上げていた。俺はついにⅡ系魔法である〈ファイアⅡ〉を習得したし、ヒイロなど〈サンダーⅢ〉まで習得した。
その他にも禁書保管庫から俺が密かに持ち出した魔法だって、新たにいくつも習得している。
グラディウスという破格の前衛も得た。
魔法の果実を大量に食べて、ヒイロたち三人の全〈ステータス〉は劇的に向上した。
それでもなお、第三〈特別〉試練を侮ることはできなかった。
ただでさえ第一〈特別〉試練は難しかったのに、続く第二〈特別〉試練の難易度――というか塔が隠し持つ悪意――の跳ね上がり方が尋常ではなかったからだ。
もしかしたら今度こそ、俺たちの誰かが命を落とすかもしれない。あるいは全滅するかもしれない。
だからカーマイナー先生に一目、会っていこう。
これが最期になるかもしれないのだから。
ヒイロはそう言っているのだ。
「でも先生を心配させたくはないわ」
「今生の別れみたいな空気にならないよう、気をつけなきゃね」
モモとリンゴの言葉に、今度はヒイロが重々しくうなずく。
だが俺は、心配させたくないという意見自体には賛成だが、それが果たして実行可能かは危ぶんだ。
そして、俺の懸念は的中してしまった。
カーマイナー教室(先生のお屋敷)を訪ねた俺たちを、先生はいつものように温かく迎えてくれて、居間に茶と菓子を用意してくれた。
だが、ヒイロが「またちょっとトウシタに行ってくるぜ!」と軽いノリで言った途端――
「ふむ……。何やら『ちょっと』では済まない雰囲気だが、どうしたんだい?」
――と、ヒイロの表情にほんのわずかに差していた影を、カーマイナー先生は決して見逃さなかったのだ。
さすが先生は賢明なお人で、しかも人生経験が桁外れだ。
図星を指され、ヒイロとモモ、リンゴはギクリとしてしまう。
三人とも隠し事が苦手なのだ、もう誤魔化せない状況になってしまう。
「おまえたちが〈賢者〉になりたいという、その意欲は大いに買おう。だが最近のおまえたちには、意欲ではなく焦りが見える。『賢者になりたい』のではなく『賢者にならねばならない』という、何かのっぴきならない事情があるんじゃないのかい?」
先生は正確な看破を続け、俺たちのことを心配するように眉根を寄せた。
一方、俺たちはケンキドゥに脅迫されているなどと、真相を告げるわけにはいかない。先生のことだ、だったらカーマイナー教室はなくなってもいいと言い出しかねない。
しかし嘘をつくのが苦手なヒイロたちは、「事情は話せないけど隠し事をしている」と、顔色にありありと出してしまっていた。
賢明なカーマイナー先生なら、察してしまわないわけがない。
果たして先生はしばし黙考した後、「年寄りの昔話を聞いてくれるかい?」と言い出した。
無論、俺たちに否やはない。
「若いころの私は今よりもっと愚かな教師でな。少しの才を鼻にかけて、塔の最上階に至るのは私しかいないと自惚れていた。優秀な学生を教室に集め、さらに競わせることで磨きをかけていたが……私は自分の教室の生徒たちを、私自身が登塔するための道具だとしか思っていなかったんだ。およそ教育なんて呼んでいい代物じゃない」
先生の口から漏れる、衝撃の数々。
昔の先生がどんな人物だったか、ふわっとは調べていた。
しかしまさか「自分の生徒を道具だと思っていた」だなんて、そこまでは想像していなかった。
篤志の人である今の先生から、到底想像できるものではなかった。
「やがて私は、その傲慢のツケを払うことになった。塔の試練は高階層に行くほど、人数制限が厳しくなるというのは教えたね? さらに五十階の辺りからは、一人では突破不可能な試練が出てくるんだよ。わかるかい? 『私一人が極めて優れていればそれでよい』『他の者は道具程度に使えればいい』だなんて考えが如何に不見識か、〈賢者〉には相応しくないか、叡智の塔はその試練を以って突きつけたんだ」
カーマイナー先生は当時の自分を振り返っているのだろう、不出来な子供に対して苦笑いを浮かべる親のような、なんともばつの悪い顔になっていた。
同時に、当時の先生ご自身が受けたショックの大きさを、懐かしむような表情でもあった。
「自分が〈賢者〉の器ではないと知った私はね、今度は自分の手で〈賢者〉に至る学生を育てることで、代償行為にしようとしたんだ。そのためには一教師の立場では限界があって、政界に転身した。“十三賢者”の一員――教育大臣になったんだ。叡智の塔を登り詰めることに比べたら、遥かに簡単だったけどね」
そう。この国の教育大臣、つまりは学苑長――
ケンキドゥからさかのぼって四代前に当たるのが、カーマイナー先生だったんだ。
「学苑長に就任した私は、当時の学生たちに大いに登塔を奨励した。ちょうど今の学苑の方針みたいにな。だが私がケンキドゥ師と違ったのは、学生たちが力を合わせて塔に挑戦する――『絆』を育むことを重視したんだ」
独力で登頂するのは不可能だと思い知った先生なのだから、これは当然の施策といえよう。
「ただし、おためごかしだったよ。塔の攻略に必要だから『絆』重視の教育を徹底させただけで、私自身は変わらず協調性と無縁だった。学苑の運営予算をもぎとるため、政治闘争に明け暮れる日々だった。いろいろと汚いこともやった。ただ……人間というのは不思議なものでね、私のようにどうしようもなく傲慢な男でも、歳をとればだんだんと丸くなっていったんだ。おためごかしでも『絆』を重視した教育を続けているうちにね、本物の交流が生まれていったんだ。いつの間にか、学生たちのことが可愛くて仕方なくなっていたんだ」
それは先生にとり振り返って、本当に好ましいご自身の変化だったのだろう。
同じ懐かしむのでも目を細め、満足そうにウン、ウンとうなずいていた。
だけど――と先生の瞳が哀しげに揺れる。
「私が五十になったころの話だ。この子らはきっと〈賢者〉になるに違いないと思えた、極めて優秀で、しかも厚い友情に結ばれた三人組が現れた。二十年に及ぶ教育がついに実ったのだと、うれしくて仕方なかった。だから私はその子らを特に目をかけ、我が子のように愛した。そして、その子らの一人が本当に〈賢者〉へと至った。だけど塔から無事に帰ってきたのも、その子だけだったんだ。他の二人は、塔の試練で命を落としてしまったんだ……」
どんな試練で、何があって帰らぬ人になったのか――しかも、それほど優秀だった学生が二人同時に――独り〈賢者〉に至ったその学生は、教えてはくれなかったという。
代わりに、
「『だまされた』……と私はその子になじられたよ。『こんなことなら、〈賢者〉なんか目指すんじゃなかった』『そうしたら親友を喪わずに済んだ』『けしかけた、カーマイナー師の責任だ』とね」
俺にはただの八つ当たりに聞こえた。
ヒイロたちもそう思っているに違いない。
先生だけに責任があることでは、絶対にない。〈賢者〉になれと強要や脅迫をされたわけでもあるまいし、だったら塔に挑戦したのは自分の意志。試練で命を落としたのも自分の実力だ。
あのケンキドゥが築く現体制ですら、塔の試練は命懸けだと、学苑では口を酸っぱくして教えている。大昔から周知の事実だということだろう。だったら「だまされた」も何もない。
しかしそれでも――親友を失った悲しみを、どこかにぶつけなければ、やりきれなかったということなのだろう。
人の感情は理屈通りに動くものではない。それは理屈一辺倒になりがちな俺でもわかる。
そしてカーマイナー先生もまた、理屈で言っているのではない。その三人を我が子のように愛していたからこそ、強く、強く、強く、責任を感じているのだ。自分を責めずにいられないのだ。
先生は五十一歳の時に政治の世界から身を引き、再び学苑の一教師に戻っている。
敷地の端っこにカーマイナー教室を構え、進んで孤児をひきとり、のびのびと育てることに専念している。
周囲からは「風采の上がらないおじいちゃん先生」と侮られても、まるで気にかけることもなく、ただただ子供たちに愛を注ぐ。
かつてのエリート教師が、辣腕の政治家が、どうしてそうなったのか? 調べてもわからなかった。
その理由が、きっかけが、この事件だったのだろうことは、想像に難くなかった。
「なあ、リンゴ。ヒイロ。モモ。私はもう二度と同じ想いをしたくないんだよ」
幼子のころから育てた「我が子」を喪いたくないと、先生は願った。
〈賢者〉なんか目指さなくていいじゃないかと、先生は諭した。
三人の目を一人ずつ見つめながら、噛んで含めるように。
そこに俺の名前がなかったからといって、拗ねるほど野暮ではないし、先生は俺のことはどうでもいいのか! などと勘違いするほど馬鹿でもない。
「大方、ケンキドゥ師に『〈賢者〉になれなければ、カーマイナー教室を潰す』とでも脅されているんじゃないのかい?」
賢明な先生は俺たちが置かれた状況を正確に読み当て、ヒイロたちが目を剥いて驚く。
そしてヒイロたちが何か言う前に、たたみかけるように提案する。
「別にこの教室がなくなってもいいじゃないか。よそに孤児院なりなんなり作ればいい。どうせ私はあと十年も、教職を続けられないんだ。早いか遅いかの違いだよ」
先生らしい――悲喜こもごもを味わい、人格が熟成された、今のカーマイナー先生らしい、思い遣りに満ちた提案だ。
モモとリンゴの気持ちが揺らぎ、前のめりになるのがわかった。
俺は……未だカーマイナー教室の家族だと言いきる自信を持てない俺は、口を出すべきかどうか迷った。
本当に出していいのか、どうしても遠慮があった。
そして、俺が躊躇している間に、ヒイロが言い出した。
「先生がなんと言おうが、オレはカーマイナー教室がなくなるのは嫌だ……。先生が今より歳食って、自然となくなるなら仕方ねえけど……ケンキドゥの野郎に潰されるなんて嫌だ。絶対に絶対に嫌だ」
一つ一つ、自分の気持ちを確かめるように。
一言一言、絞り出すように。
ヒイロは皆に向かって語り続ける。
「そもそもオレは、ケンキドゥがハナから気に食わねえんだ。オレが〈賢者〉になりたいのは自分のためで、あの野郎のためじゃない。だから本当に〈賢者〉になって、『私のおかげだ』って得意げにしているあいつの前で、『オレの実力だバーカ!』って言ってやりたいんだ。鼻を明かしてやりたいんだ」
そんなヒイロの稚気が、カーマイナー先生は好ましくてならないのだろう。温かい目をして、クスリと笑った。
そして俺自身、ヒイロに同意だった。
ヒイロは言い方こそ拙かったけれど、俺が口を出したかったのも、全く同じことだった。
「ケンキドゥという男は、学苑長にも政治家にも相応しいとは思えません。辞めさせるのは難しいでしょうが、誰かが掣肘しなければ、いずれもっと箍を緩めて、暴走を始めることでしょう。そこでヒイロたちが正真の〈賢者〉になれば、“十三賢者”相手でも意見を言うことができるようになる。〈賢者〉にはそれだけの影響力が、この国ではある。そして、ヒイロたちがケンキドゥの箍になるのです」
ケンキドゥは大方、ヒイロのことを侮っている。扱いやすい子供だと思い込んでいる。
確かにヒイロに野心や権力欲といった大それたものはないだろう。
だがヒイロにだって意志はある。むしろ強い方だ。
たった今――大恩あるカーマイナー先生の思い遣りに満ちた提案にも、決して流されず自分で考え、嫌なものは嫌だとはっきり自分の想いを主張したように。
「ヒイロの言う通りです。いつまでもケンキドゥの言いなりでいてなるものか」
いつまでもケンキドゥの好きにさせてなるものか。
そして、カーマイナー教室に二度と手出しできないようにしてやる。
俺とヒイロの意見は一致していた。
「だから先生! 先生がオレたちを心配してくれるのはうれしいけど、でもオレは〈賢者〉になりてえ! その気持ちに嘘はつけねえ!」
ヒイロは威勢よく啖呵を切った。
実にヒイロらしい、ヒイロはこうじゃなくちゃ嘘だという、小気味良さがあった。
「アタシだってヒイロなんかに負けないわよっ」
「ハァ……ヤンチャな弟と妹を持つと、お姉ちゃんは苦労するなあ」
先生の提案に気持ちが揺らいでいたモモとリンゴも、塔の最上階を目指す決意を新たにした。
それを見て先生ももう何も言わず、「ウン……」「ウン……」と何度もうなずいていた。
親離れしていく子を見守るような、大きな喜びと一抹の寂しさを同居させた表情だった。
そして、そんな先生を見て、俺もまた決意を新たにする。
俺の懐には今、先生から預かったものがある。
禁書保管庫の鍵だ。様々な意味で重たい鍵だ。
その時に交わした、先生との約束を俺は決して忘れていない。
――頼む、ナナシ。ヒイロたちを守ってやってくれ。
と。
俺は先生のことを心から尊敬している。
だからその約束以上に重たいものは、今の俺にはない。
次回もお楽しみに!




