第十四話 学苑生活
前回のあらすじ:
学苑長やカーマイナー先生の許可を得て、ナナシは自由に禁書保管庫へ出入りできることに
俺は息を止めて、大きな鏡の前に立っていた。
カーマイナー先生がお若いころ、今は亡き奥方にプレゼントしたという、高価な姿見だ。
しかし歪みの全くない鏡面に、俺の立ち姿はまるで映っていない。
俺の左右にはモモとリンゴが立っているはずなのだが、やはり鏡には映っていないし、俺の目にも何も見えない。
そして、
「ぷはっ」
と可愛らしい息継ぎ音が聞こえたかと思うと、リンゴの姿がいきなり俺の目の前に現れる。
同時に姿見の方にもしっかり映る。
さらには、
「はい、リンゴ姉の負けー!」
とモモの姿もいきなり目の前に現れ、勝ち誇る姿が鏡にも映っていた。
「これでリンゴ姉の五連敗ーっ」
「はいはい、奢ればいいんでしょ。モモちゃんには敵わないわ」
「『黒樹』屋の新作タルト、どっちもだからねっ。あー楽しみっ」
「わたしも楽しみだわー。おサイフの軽さがどうでもよくなっちゃうくらい、美味しいといいわー」
姉妹でじゃれ合いつつ、二人とも肩で息をしていた。
しばらく呼吸を止めていていたので、反動で空気を貪っているのだ。
逆に、俺はまだしばらく息を止めたままにしていたが――やがて限界を迎えて――口を開き、肺に新鮮な空気を送り込む。
と同時に、俺の姿も鏡に映っていた。
「〈姿を消す魔法〉もみんな、だいぶ会得できたわね」
「ただ、ずっと息を止めておかないと、効果が切れちゃうのがやっぱダルすぎ。面白いけど、あんま使い道ないんじゃない?」
「そうねえ。せめてナナシ君くらい長く息を止めておくことができないと、不便かも」
リンゴとモモが話し合っている通り、俺たちは新魔法の練習中だった。
場所は学苑の端っこ、カーマイナー先生のお屋敷(教室)。衣装部屋。
誰にも見られず秘密特訓をするには、うってつけだ。
俺が今、手にしている〈インヴィジブル〉の魔法書は、禁書保管庫からこっそりとってきたものだ。
「姿を消して透明になれる」というその効果は、悪用しようと思えばいくらでもできるものなので、習得するのは俺、ヒイロ、モモ、リンゴの四人だけと事前に話し合っていた。
ただ、「呪文を唱えて効果が発動した後、ずっと息を止めておかないとその効果が切れる」という不便な特性も持っているため、使いどころはけっこう限定的であろう。
また、ということは俺たちの懸念に反し、悪用するにも用途が乏しいかもしれない。
「ナナシはどうしてそんなに長く、息を止めていられるワケ?」
「それは男女の性差というものだと思う。肺活量ではやはり男の方が平均的に勝り、長く息を止めていられる」
「でもナナシ君と違って、ヒイロ君はわたしたちとそんなに変わらないですよね?」
「それは……俺は多分、記憶をなくす前は、なんらかの前衛職だったのだと思う。だから体の鍛え方がヒイロとは違い、従って肺活量でも俺が勝っているのだろう」
「アッハ! ヒイロなんて態度ばっかエラソーなモヤシだもんね、昔っから!」
「仕方ないわよ、モモちゃん。わたしたちは子どもの時から〈賢者〉を目指してるのだし、お勉強ばかりで体を鍛える余裕もないもの」
「――って言いつつヒイロなんて魔法のセンス頼りで、オベンキョーの方もイマイチだけどねっ」
いつものようにモモがヒイロのことをくさし、リンゴが親愛のこもった苦笑いで宥める。
すると、
「まーたモモがオレの悪口、言ってんな!」
この場にいないはずのヒイロの声が、いきなり背後から聞こえた。
三人で振り返ると、衣装部屋に「漆黒の楕円」とも形容すべき転移門が出現し、その向こう側からヒイロが飛び出てくる。
これも〈タウンゲート〉という遺失魔法で、効果は「人口一万以上の大都市に、一瞬で移動できる転移門を出現させる」というもの。
俺が禁書保管庫からこっそり魔法書を持ち出し、ヒイロが早速会得していた。
一方、モモとリンゴはまだまだ失敗が多く修業中。
俺はといえば、まだ一度も成功させられていないので――〈インヴィジブル〉と違い――習得するのに〈レベル〉が全く足りていない公算が高い。
「どうだ見たか、モモ! ナナシ! リンゴ姉! もはや百発百中だぜっ」
誰より早く〈タウンゲート〉をものにした魔法の天才は、特にモモの前で勝ち誇り、負けん気の強いモモを悔しがらせた。
「フンっ。実験したいからって、朝からわざわざトウシタまで遠出したバカが、威張り腐るのやめてくれるー? お調子者ってかもはやピエロよピエロ」
「ピっ、ピエロじゃねーしっっっ」
ヒイロも浮かれていた自覚があるのか、モモの皮肉に声を震わせる。
一方、リンゴは頬に手を当ててぼやいた。
「伝説の〈タウンゲート〉に、まさか大都市にしか移動ができないって難点があるなんて、思ってもなかったわよねえ。もし習得できたらさぞ便利だろうって憧れてたのに……結局これからもトウシタまでは、馬車に揺られるしかないなんて」
とリンゴの言う通り、〈叡智の塔〉のあるトウシタは小さな町のため、往路に〈タウンゲート〉を使用するわけにはいかなかった。
だが、ここ〈賢者の学苑〉がある王都ガクレキアンキは人口一万を遥かに超えているため、帰路では〈タウンゲート〉で楽することが可能になった。
「そして王都に一瞬で戻れるだけでも、用途は多いはずだ」
例えば塔の試練の内容によって、王都で専門家を探し求めるだとか、学苑で必要アイテムを調達するだとか、その時間短縮に使える。
そうすれば他の誰かに試練を先に突破され、内容が変わってしまうという事態を防ぐこともできるだろう。
まあもっとも、現在は俺たちカーマイナー教室だけが四十階に到達しているから、その懸念はだいぶ薄れたのだがな。
もっと早く〈タウンゲート〉が習得できていたら……と考えるのは、贅沢というものだろう。
「なるほどー。確かにナナシ君の言う通りですね」
「それに転移門が開いている間は、双方向に行き来可能なんだ。ちょっとした忘れ物があっても、気兼ねなく学苑へとりに戻れるという利点もある」
モモが大胆にも「漆黒の楕円」の中に首を突っ込み、転移門の向こう側を覗き見ている――その後ろ姿を指して俺はリンゴに説明する。
誰にも目撃されず遺失魔法の実験をするため、ヒイロは〈生還者の笑顔〉亭で部屋を借りて、そこで〈タウンゲート〉を使う手はずだった。
だからモモが覗き見ている景色は、かつて俺たちも泊ったあの豪華な宿の客室風景のはずだ。
「これさー、ずっと開けたまんまにしとけば、トウシタまで行き来し放題なんじゃない?」
そのモモが「漆黒の楕円」から首を引っこ抜いて、俺たち三人を振り返って言った。
答えたのはヒイロだ。
「それがオレも試してみたんだけど、転移門をずっと維持するためには、術者自身がずっと集中してなきゃダメみたいなんだ」
「じゃあアンタ、一生集中してなさいよ」
「ンンンンな無茶できるかモモっ」
「それかアンタ、一生トウシタに住んで、アタシたちが塔の攻略に行くたびに〈タウンゲート〉で迎えなさいよ」
「オレはテメエの使用人じゃねえからな!?」
ヒイロとモモがいつものように、底意のない口ゲンカを始める。
真面目な話をしていたかと思えば、すぐにこれだ。
でも俺はリンゴと一緒に、二人の口論を微笑ましく眺める。
カーマイナー教室のこの和気藹々とした空気が、俺には本当に好ましかった。
やはり正解だったらしい。
〈インヴィジブル〉も〈タウンゲート〉も、禁書保管庫から持ち出した魔法であることを、俺はヒイロたちには伏せておいた。
おかげで三人はこれらの魔法の危険性に、全く気づいていない。
だから禁書保管庫に入った時はあんなに怖気づいていたのに、今はこんなに無邪気にしていられる。
そう、〈インヴィジブル〉は言わずもがな、〈タウンゲート〉だって本来は封印に値する、危険な魔法だ。
例えば――もしこの魔法の使い手と、悪徳商人が手を結び、交易に用いたらだ。
本来は商材を輸送するのに莫大な時間やコストがかかるところを、ゼロにすることができる。
儲かるどころの話じゃない。手広くやれば、他の交易商を完全に出し抜ける。
その気になれば、他の交易商を尽く廃業に追い込める。
想像するだに恐ろしい。人類が歴史の中で育んできた流通網というものを、根底から破壊できるということだ。
だが俺はヒイロたちの性格なら悪用しない、できないと踏んで、叡智の塔攻略の一助になればと習得させたのである。
またヒイロたちが使うのに気後れしないよう、方便も使った。
「結局、鍵はカーマイナー先生に預けることになったが、禁書保管庫の存在自体は圧巻だった。改めてこの学苑の図書館の、蔵書の凄まじさを思い知らされた。
そこで俺は考えたんだが――もしかしたら通常の書架の中にも、大昔に納められたまま忘れ去られている魔法書の一冊や二冊、あるんじゃないか? 禁書保管庫に封印しければならないほど危険な代物ではなくても、今では遺失魔法扱いになっている魔法書が眠っているんじゃないか?
俺は試しに今日からしばらくの間、探してみることにする」
――と言い含めておいてから「やはりあったぞ!」と、通常書架から見つけたことにしておいたのだ。
さらには、
「俺が思うに……この二つも悪用しようと思えばできそうな魔法だが、禁書保管庫に封印されていなかったということは、そこまでは危険な魔法ではないということだろう」
「そうだな! 要はオレたちが注意すればいいって話だな!」
「アタシのプライドにかけて、悪用なんかしないわよっ」
「加えて他の者たちにも決して見せず、俺たちだけの秘密にしておこう」
「ええ。わたしもナナシ君にさーんせい」
というやりとりが四人の間であった。
それでヒイロたちも「注意さえしていれば安全」な代物だと、すっかり信じ込んでいるというわけだ。
この調子で今後は他の魔法書も、禁書保管庫から持ち出し、三人に習得してもらうことにしよう。
もちろんカーマイナー先生に誓った通り、「ヒイロたちなら安全なもの」と「そうでないもの」を、しっかりと選り分けた上でだ。
毒も使いようによっては薬になる。
禁書保管庫に眠る強力な魔法群を上手く利用できれば、登塔がきっと捗ることだろう。
◇◆◇◆◇
とはいえ俺が学苑で学ぶべきものは、他にもたくさんある。
通常の魔法の修業も大事だし、図書館で知識をつけるのも大事、教師による有意義な講義も見逃せない。
まあ、〈僧侶〉としての修業の方は、相変わらず身が入らないというか、サボッてばかりなんだがな。
ヒイロも元々熱心ではなかったようで、俺の真似をしてますますサボるようになったから、リンゴに「ナナシ君は良い影響も悪い影響も、ヒイロ君に与えまくりですねー」と呆れられてしまった。
ともあれ。
その日も俺は、リンゴたちが参加した神学の講義(ヒイロも姉妹に無理やり連れていかれた)をパスし、一人で禁書保管庫にこもった後、学食でお昼をとることにした。
だが生憎とひどい混雑で、席を確保するのも難しかった。
定食の載ったトレイを持ったまま、学苑生でごった返す食堂をさまようことしばし――八人掛けの長テーブルの、角の一席が空いているのを発見した。
「ここ、いいだろうか?」
俺は対面の席で食事中の女学生に、許可を求めて声をかける。
「あ……」
その女学生は定食から顔を上げ、俺の方を見るや嫌そうな表情になった。
俺も遅ればせながら、その女学生が知り合いだったことに気づいた。
いや本当に面識がある程度で、知人というほど深い関係があるわけじゃないのだが。
以前、ジェリド教室と同盟して三十五階の試練に挑戦した時、定員十人の中に俺が入ったため、あぶれることになってしまった少女だ。
確か名前はミント。
歳は十六、七といったところだろうか。
物腰はクールだが、負けん気は人一倍ありそうで、時にツンケンした空気で周囲を刺しまくる。
まあ三大教室に数えられるジェリド教室で、七番手の実力者とオリーヴィアに認められているのだから、エリート中のエリート学生だろう。
そして、俺のせいで攻略メンバーから外されたことを、未だに根に持っているだろうことは、俺を見る嫌そうな顔つきからアリアリと伝わってきた。
「……悪い。他を当たるとする」
「別に目の前で食事をとるくらい構いませんよ。話しかけられたら迷惑ですけど」
ミントは素っ気ない態度と棘のある口調でそう言うと、さっさと自分の食事に戻る。
俺はこのとげとげしい空気の中で昼食をとるか、あてどもなく別の席を探すか、わずかに迷う。
でも結局、ままよ! とミントの対面に腰を下ろした。
「…………」
「…………」
本当に一切口を利かず、食事をする俺たち。
これでは味がしない……というほど俺も繊細ではないが、気まずいのは確か。
だが幸いというか、ミントは先に食事を始めていた分、先に終えてくれた。
そして口元をハンカチで拭うと、去り際のご挨拶とばかりに、訊ねてきた。
隣には聞こえないよう声をひそめて、
「記憶は戻ったんですか?」
と。意外なことを。
ミントを含むジェリド教室の何人かは、自称婚約者が押しかけてきた騒動を目撃していたから、俺が記憶喪失であることは知っていたはず。
同時に、その時が俺を見た最後のはずだから、その後に俺の記憶が自称婚約者をきっかけとして戻ったかもしれないと、ミントはそう考えたのだろう。
「生憎とまだだ。俺の婚約者を自称した女も偽物だった」
大っぴらにしたいわけではないが、隠すほどのことでもないので、正直に答える。
だが、どうしてミントがそんなことを気にするのかと、その点だけ不思議だった。
俺が怪訝にしているのが、ミントにもわかったのだろう。
彼女の方も正直に答えてくれた。
「戻ってないなら、日常生活一つとってもしんどいんじゃないですか? 本当の本当に困っていることがあったら、相談くらいには乗りますよ」
と。ますます意外なことを。
「優しいんだな?」
「別に。こんなのは人として最低限、当たり前のことでしょ?」
ミントは真顔で――というかクールな態度で断言した。
ちょっとは照れ臭そうにするとか、そんな一面は全く見せない。
つまりは本心から「当たり前のこと」だと思っているということか。
「幸いカーマイナー教室の皆がよくしてくれるので、今のところは困っていない」
「だったらよかったです。さよなら」
ミントは素っ気ない態度のまま、今度こそトレイを持って去っていった。
ふむ。
俺と仲良くする気はあくまでないと。
でも困っている者を見捨てられるほど、冷血ではないと。
してみると俺が対面で食事するのを許可したのも(あんなに嫌そうだったのに!)、困っていたから見過ごせなかったのかもな。
性格はクールなんだろうし、負けん気も強いんだろうが、根はお節介焼きなのかもしれない。
彼女は。
◇◆◇◆◇
ミントが立ち去ってしばらく後、
「ここ、よいかな?」
入れ替わりに人が現れ、声をかけてきた。
俺が許可すると、定食をトレイに載せた学生が、対面の席に腰を下ろす。
またも見知った人物だった。
三大教室の二番手に数えらえるキャナリー教室、そのリーダーのワイエだ。
リンゴの話では、努力と人柄で人望を集める庶民派の代表みたいな学生で、学識や魔法の腕も確かな一方、僧侶としてのレベルは学内で最も高いのだとか。
「ナナシ君というそうだね。一度、話してみたかったんだ」
俺がミントと気づかず声をかけてしまったのとは違い、ワイエは俺を見かけたから同席を求めたらしい。
「ヒイロの次は、俺をスカウトしに来たのかな?」
「君がもしキャナリー教室に来てくれるのなら、大歓迎だよ」
俺はジョークで言ったのに、ワイエに大真面目に肯定されて、気まずい顔になってしまった。
「俺は最近、ようやく〈ウインド〉が使えるようになったばかりのレベルで、僧侶の魔法に至ってはさっぱりなんだが」
「構わないよ。君の真価はきっと別のところにあるのだろうからね」
食事を合間に挟みながら、ワイエは変わらず大真面目に答えた。
「それは買いかぶりもすぎると思うんだが……」
「僕はそうは思わない。と言いつつも僕自身、気づくのには時間がかかったんだけどね」
ワイエは苦い笑みを浮かべつつ、説明してくれた。
「確かに〈ファイアⅢ〉を会得したヒイロ君は、代えがたい逸材だ。その陰に隠れがちだが、リンゴ君やモモ君だって優秀な学生だ。でもだからと言って、ヒイロ君たちだけの力で、いきなり十階も二十階も登塔できるものだろうか? 高階層に到達できるものだろうか?」
どこぞの実力差別者の学苑長と違って、ワイエは違和感を覚えたらしい。
「それで少し調べてみたら、カーマイナー教室に新たに君という学生が入ったことがわかった。魔法を覚え始めて、まだ二か月も経っていないこともわかった。でも――それでも君の加入が、カーマイナー教室を躍進させたのだと、僕は確信したんだよ。いささか遅まきながらね」
だからどんな人物なのか、会って話してみたかったのだとワイエは言う。
俺もこの聡明な人物に俄然興味がわいて、試みに質問する。
「ちなみに俺はどんな能力で貢献できていると、予想している?」
「恐らくは頭脳で、試練の課題をズバズバと解いているんじゃないかな? ヒイロ君たちだって決してバカではないが、素直すぎるところがあるからね。ナナシ君が加入するまで、塔の試練の底意地の悪さには、さぞ手を焼いていたことだろう。
あるいはナナシ君は、魔法の修業こそ始めたのは最近だが、極めて優れた前衛職なのかもしれないね」
ワイエは賢者見習いという求道者に相応しい、透徹とした眼差しで洞察を語った。
「だからスカウトするならヒイロ君たちより、君にすべきだったと後悔しているんだよ。まあ、今や高階層に達した君たちの目に、僕たちの教室が魅力的に映ることはないだろうけどね」
どちらにせよ俺にはカーマイナー先生への恩義と、ヒイロたちへの友情があるから、スカウトされるのが早かろうと遅かろうと、結果に違いはないんだがな。
ワイエももう諦めてくれているのだから、それは言わずが華というものだろう。
「それにね、ナナシ君。僕の後悔といえば、君をスカウトしなかったこと以上に悔やんでいることがあるんだよ」
「というと?」
「君やヒイロ君たちをスカウトしようなんて色気をそもそも出さず、僕たちはただ同盟を求めればよかったんだよ。ジェリド教室みたいにね。
どうして気づかなかったのかと、心底悔やんだよ。僕たちは大教室だと、ヒイロ君たちにとっても移籍は願ったり叶ったりのはずだと、無意識の驕りがあったんだろう。
イズール教室のことを決して悪く言えたもんじゃない、猛省させられたよ」
そう自己を省みることのできるワイエは、なるほど人柄優れているのだと偲ばせてくれる。
「同盟なら今からでも、ヒイロたちも歓迎すると思うが?」
「いや、これも遅まきながらの話だよ。やめておく」
ワイエはどこまでも思慮深い顔つきで、そう言った。
「高階層になれば、試練の人数制限がますます厳しくなるという話だからね。大所帯になって有利どころか、どちらの教室の誰を参加させるか、させないかで、揉める未来しか見えないよ」
「一理あるな」
ワイエの鋭い指摘に、俺も大いにうなずく。
その後もいろいろととりとめのない話を交わしたが、いやはや、期せずして楽しい昼食になった。
俺は決して話し上手な方ではないが、ワイエのような見識優れた人物と意見を交えるのは、本当に実のある時間だとうれしくなる。
互いに食事を終え、午後の講義も控え、ワイエが最後に抱負を語った。
「僕たちキャナリー教室も倍旧の努力をして、君たちの背中を追いかけるよ」
同時に忠告もしてくれた。
「ただ……イズール教室は、君たちの躍進を素直に認めることができないようだ。リーダーのネイヴの性格からいって、カーマイナー教室に有形無形の嫌がらせをしてくるかもしれない。頭の片隅にでも留意しておいて欲しい」
「承知した。忠告、痛み入る」
この思慮深い男の忠告なら、頭の片隅どころかど真ん中で検討する価値がある。
何しろ俺はこの学苑の事情に詳しくないから、本当に助かる。
◇◆◇◆◇
そして、ワイエの懸念はすぐに現実のものとなった。
「き、君はカーマイナー教室の学生だったね。ちょっと先生へのお使いを頼まれてくれないか。そ、それも大至急で」
あくる日の夕方、いきなり廊下で呼び止められたのだ。
相手は新任らしい教師だった。
俺と目を合わせようとせず、おどおどした様子を隠しきれていなかった。
学苑の敷地は広く、ちょっとした町ほどある。
そして繰り返すがカーマイナー先生の住む屋敷は、その端っこにある。
今から行けば、帰りは日が暮れてしまうだろう。
「わかりました。今から行ってきます」
俺は内心感じるものがあったが、敢えておくびも出さず、お使いを引き受けた。
新任教師は心底安堵した様子だったが、やはり最後まで俺の目を見られないままだった。やましそうに。
俺は新任教師から、高級な茶菓子の入ったバスケットを受け取り、カーマイナー先生を訪ねた。
「ハテ? 彼とはろくに交流もないのだが……」
「きっと内心、カーマイナー先生のことを尊敬なさっていたのでしょう」
「ふーむ……。まあ、こんな良いお菓子をもらったんだ。ナナシ君もお駄賃代わりに食べていきなさい」
カーマイナー先生は、例の新任教師から付け届けをもらういわれがないと、怪訝そうにしていた。
俺も空惚けて、ご相伴に預かることにした。
もう時間も遅いので、屋敷に住む子供たちの分は明日に残し、先生は俺とご自身の分だけを皿に盛り、紅茶も淹れてくれた。
俺は敢えてゆっくりと、先生との談笑を楽しみ、それから帰路に就いた。
日はとっぷりと沈んでいた。
途中、街路樹の茂った辺りを通ると――月明りが遮られ――目を凝らさずには足元もおぼつかなくなった。
そして、十人ほどの男たちに行く手を遮られた。
後ろにも十人。退路を断たれた格好だ。
全員が学苑生で、脅すように魔法の杖を掲げていた。
俺を追い詰めたつもりでニタニタ笑っていた。
やっぱりこうなったか。
しかし闇討ちとはまた古典的な……。
「こんな夜更けまで課外授業とは、感心だな。さすがは学苑トップのイズール教室だ」
俺も苦笑いを浮かべ、皮肉をぶつけた。
行く手を阻む学生たちの中心にいたネイヴへ。
次回もお楽しみに!




