第十一話 実に“八魔将”二体分のバケモノ
前回のあらすじ:
突然現れた謎の美女()エリスは、いきなりナナシの婚約者だと言い出す!
さらにジェリド教室との同盟にヒビを入れた上、自分がカーマイナー教室を登塔させると言い出したのであった。
塔へ向かって先先と進むエリスに、俺たちは一旦「生還者の笑顔」亭へ立ち寄るよう提案した。
「それはどうして?」
「〈叡智の塔〉の試練は、〈魔力〉を持った者しか挑戦できないんだ」
だから、テッドたち三つ子に助太刀してもらった時同様に、マジックアイテムを装備して〈魔力〉を外付けしなければ、エリスは挑戦することができない――というのが俺たちの意図だった。
が、
「だったら大丈夫。あたし、〈魔力〉あるし」
とエリスは言い切った。
しかも口ぶりからして、相当の自信をのぞかせた。
ううむ。
正直、エリスは〈魔法使い〉にも〈僧侶〉にも見えないのだが……そんなに強い〈魔力〉を有していると?
この謎の美女の謎が、ますます深まるばかりだ。
ともかくエリス自身がそう言うからには俺たちも異存なく、五人で塔へ直行した。
一階広間にある祭壇には、今日も学苑生たちが順番待ちの列をなし、俺たちも最後尾に並んだ(エリスが待ち時間が退屈だと、ぼやいてうるさかった)。
そして俺たちの番が来て、ヒイロが代表して三十六階に挑戦する旨を〈ジニアスアバター〉に申告した。
テレポートした先は、瀟洒な家具がしつらえられた小部屋。
俺たちはもう慣れたものだが、初挑戦のエリスはいきなりどこかへ飛ばされて、物珍しそうにキョロキョロ周りを見回していた(びっくりというほど驚いていないのが、大した胆力だった)。
やがてエリスや俺たちの視線は、一点に留まる。
小部屋の中央、二人掛けのテーブルの上に、盤上遊戯の用意がされていたのだ。
駒が既に盤の上に配置されており、これが尋常の勝負ではなく、いわゆる詰問題であることが一目でわかった。
その一方で、ヒイロとモモ、リンゴが困惑した様子になっていた。
「見たことない駒ばっか並んでるんだけど……」
うめいたヒイロに、モモとリンゴがウンウンとうなずく。
そう。
盤上に並べられているのは、俺たちがよく知るキング、クイーン、ルーク、ビショップ、ナイト、ポーンではなく――
雄獅子、雌獅子、馬、蝙蝠、兎、犬、蛇、熊をかたどった駒たちだったのだ。
「現在、俺たちが知る盤上遊戯の原型――大昔に使われていた駒だな」
俺が言うと、エリスが「へえ?」と面白げにし、またもっと詳しい説明を求めてきた。
「雄獅子は現在のキングに相当し、雌獅子がクイーン、馬がルーク、蝙蝠がビショップ、兎がナイト、犬がポーンの役割だ。ルールの方も現在とは違って、敵陣奥まで達した駒は馬にしか昇格できないし、雄獅子の入城も存在しない。一方、相手の蝙蝠をとると、自分の駒として好きな場所に指すことができるという変則ルールが存在する」
一緒に聞いていたヒイロたちがますます困惑顔で、
「馬がナイトじゃないのはちょっと混乱しちまうな!」
「今よりルール複雑そうじゃない? 普通、大昔のものほどシンプルだったりしないの?」
「この場合は、それだけルールがより面白く洗練されたってことだと思うの、モモちゃん」
と、ぼやいていた。
しかしなるぼど、この〈叡智の塔〉が建造されたのは千年前なのだから、盤上遊戯のルールが現在とは違うのは当たり前か。
「ちなみに蛇と熊はなんなわけ? 今は存在しない駒よね」
「蛇は右斜め前、左斜め前、と順に何マスでも蛇行できる。左斜め前からスタートしてもいい。熊は前と斜めに1マス移動でき、左右と下には移動できない」
エリスに訊かれ、俺は答える。
彼女は「オッケ、わかった」とすぐに返事したが、ヒイロたちは「待って熊のこともっかい言って!」「前と……斜めと……え?」「なんでこの駒、こんな変な移動しかできないルールにしたんです???」と困惑を極めていた。
「それにしてもマグナス、よくそんな大昔のゲームのことまで知ってたわね?」
「俺は本の虫だからな」
「最近、たまたまどっかで読んで仕入れた知識ってこと?」
「……いや。以前から知っていた」
「記憶喪失なのに?」
エリスが不思議がるのももっともだが、俺は「そうだ」としか答えようがない。
確かに俺は、自分のことをさっぱり思い出せない。
だからと言って、本当に何もかも忘れてしまっているわけではない。
この通り会話はできるし(つまり言語は憶えているし)、一般常識も忘却していない。
さらには大昔の盤上遊戯のルールみたいな、一般常識ではない知識まで持ち合わせている。いつ、どこで、どうやって仕入れた知識なのかは思い出せないのにだ。
俺自身、とても不思議で奇妙な症状だと、以前から思っていた。
だから記憶喪失とは具体的にどんなものなのか――それこそ病気なのか呪いなのか――学苑の図書館で調べてみた。
だが、信用のできる医学書や魔術書には言及がなく、ソースの胡乱な空想書まがいの本でしか詳説は見つけられなかった。
後はそれこそ物語では、多用されているくらいか。
とまれ、俺のことは一旦置こう。
今は塔の試練に挑戦する時。
遊戯盤の置かれたテーブル、その対面の椅子に、ジニアスアバターが腰掛けた状態でスーッと現れた。
『この詰問題を最短手で解け』
厳かに、手短かに、試練の内容を告げた。
まあ、予想通りだ。
しかしヒイロたちは、誰がジニアスアバターの対面に着席するかで、困り顔のままアイコンタクトを交わす。
皆自信がないのだろうが、ジニアスアバターは今回、人数制限を課さなかった。
だから全員で知恵を絞って解いても良いと解釈できるわけだが、ヒイロたちは気づいていない。
〈叡智の塔〉の試練は相変わらず意地が悪いというか、ヒイロたちのような根が正直な人間は登塔に向いていないというか。
もっとも純朴なのは美徳であり、そんなヒイロたちのことが俺は嫌いではないんだけどな。
ちなみに俺はといえば、もう攻略法に気づいている。
もし真っ当に挑戦すれば、ぶっちゃけお手上げ。
俺はこの手のゲームが下手ではないが、威張れるほどの上級者ではない。
まして現在とはルールが違い、定石だって変わる。
だが、だったらこれを解ける人間を探して連れてくればいいだけだ。
三つ子たちに助っ人を頼んだのと一緒だな。
この賢者の国に、盤上遊戯の達人はごまんといることだろう。
古典ルールの研究者だとて、いたっておかしくない。
そんな誰かを探し当てるのは、そう難しくないはずだ。
むしろ問題は、探して連れてくるまでのスピードが問われる。
というのも俺たちが一旦、塔を降りている間に、オリーヴィアたちジェリド教室がこの試練に挑戦し、先に解いてしまうかもしれないからだ。
彼女らも助っ人作戦を思いついた時、大教室のオリーヴィアたちの方が人脈があるだろうし、それこそ在籍メンバーに達人がいるかもしれないしな。
俺は皆にそう説明しようとした。
だがいち早く、エリスが動いた。
勝手に席に着いたかと思うと、優美な指で駒をつまみ、ポポポポンと動かしたのだ。
「――ハイここに蝙蝠で、同馬、同馬、同兎、同熊でチェックメイト。三十七手詰みね」
『正答なり。試練突破と認める』
と――あっさりクリアしてみせたのだ。
ヒイロたちがあんぐりとなった。
さしもの俺も瞠目だ。
そんな俺たちを、エリスが座ったまま振り返り、
「あたしの従兄殿がこの手のゲームは、冗談みたいに強くてね。あたしも子どもの時から意地になって挑んだんだけど、結局一度も勝ってない。でも、おかげであたしも鍛えられたのよ」
誇るでもなく説明した。
「ちょっとあたしに有利すぎる試練だったかな。まあ、変則ルールなのは退屈しなかったけど」
「や、オリーヴィアを怒らせた時はどうなるかと思ったけど、マジでジェリド教室より頼もしいじゃん、エリスさん!」
あっけらかんと言ってくれるエリスに、お調子者のヒイロがやんやと同調する。
さらには戯れで俺の肩へ肩を何度もぶつけながら、
「ナナシもそう思うだろ? てかスゲーじゃん、オマエの婚約者!」
と冷やかしてくる。
そのコメントに俺は一言物申そうとした。
だがいち早く、エリスが口を開いた。
「あたしのこと、少しは信頼できたかしら? この調子でどんどん上に登れたら、今度はマグナスがあたしに婚約者らしいことをしてくれる番だと思わない?」
などと、とんでもないことを言い出すではないか。
たちまちモモとリンゴが「ヒャー」と黄色い声を上げ、
「そそそそれってもしかしてデートとか!?」
「いっそキスとか!?」
と囃し立ててくる。
他人の恋愛話が楽しくて仕方ないんだろう……。
俺はもう反論する気力もなく、渋面のままオモチャにされることを甘受した。
「次は三十七階? 張り切っていきましょうよ」
「「「おー!」」」
音頭をとるエリスに、ヒイロたちが笑顔で賛同する。
「登塔は一日一階まで」という鉄則どこ行った……。
そりゃ確かに今回の試練はあっという間に突破できたし、誰も〈MP〉を消費してないがな。
ヒイロたち三人があっという間に手なずけられているのを見て、俺はむしろ空恐ろしくなった。
このエリスという女には「人懐こさ」なんてありきたりな言葉では言い表せない――人の懐にスッと入ってくる妖しい魅力があった。
◇◆◇◆◇
しかも「エリスはいったい何者なのか?」という謎は、その後も深まるばかりだった。
例えば続く三十七階の試練。
内容は「ジニアスアバターが五百を数える間に、〈リビングデッド〉を百体斃す」というもの。
似たようなアンデッドでも、〈ゾンビ〉より遥かに強力といわれる〈リビングデッド〉を、五秒に一体のペースで斃さなくてはいけないという、俺たちカーマイナー教室には難しい試練だ。久しぶりの人海戦術が有効な内容だ。
〈叡智の塔〉が創り出した仮そめの荒野に、地面から次々と出現する生ける屍。
凄まじい物量で押し寄せてくるアンデッドモンスターに対し、俺たちは魔法で守りを固めつつ、〈ファイア〉系列で対処しようとした。
しかし、必要なかった。
エリスが二体の炎の竜を召喚したかと思うと、まるで手足のように操り、群がる〈リビングデッド〉を尽く焼き払ったからだ。
……これはいったいどういう原理なのか?
あるいはなんという〈職業〉の〈スキル〉なのか?
エリスは呪文も唱えていないし、俺には少なくとも魔法の類には思えなかった。
二体の紅蓮の炎とともに、まるで舞を踊るように戦うエリスの姿がひたすら美しく、ヒイロはおろかモモとリンゴまで見惚れていた。
さらに続く三十八階の試練。
内容は「水深二百メートルの井戸の底から、設置された石板をひろって戻る」というもの。
これまた俺たちカーマイナー教室には、正攻法ではクリアできない課題だった。
ところがエリスは無造作に井戸へ飛び込むと、あれよという間に石板を持ち帰った。
なぜか濡れてすらいなかった。
またここで俺は一旦、登塔にストップをかけた。
以前、二十一階から二十五階まで一気に駆け上がった時、ジニアスアバターから「短期間で五つの試練を突破できた褒美に、さらに五階ステップアップできる〈特別〉試練への挑戦権を与える」と言われ、ギブアップ不可且つ死亡率の高い、理不尽な試練を強要されたことがあるからだ。
現在、俺たちはジェリド教室と同盟して突破した三十五階からこの三十八階まで、たった二日で四階分を突破した計算。
この上、次の三十九階まで連続突破してしまうと、また死の試練を強要される可能性があった。
俺はそのリスクを警告したのだが――
「さらに難度の高い、理不尽な試練ですって? 面白そうじゃない!」
むしろ逆にエリスの興をわかせることになってしまった。
挙句、エリスは俺たちに一言の相談もなく、ジニアスアバターへ次の階への挑戦を宣言してしまう有様。
その三十九階の試練。
内容は「ジニアスアバターが一千を数える間、〈イフリート〉の炎攻撃を耐え続ける。人数制限は十人」という、難関だった三十五階の試練と鏡合わせのような代物だった。
無論のこと、俺たちカーマイナー教室単独で突破することは不可能だ。
しかしエリスが無造作に俺たちの前に立つと、炎の大精霊の吐く凶猛な炎のブレスが――あたかもエリスの眼前に見えない壁でもあるかのように――勝手に左右に割れて、あらぬ方へと流れていったのだ。
「あたしには飛び道具の類は一切、効かないの。わかったらもう突破にしてくれない? 千も数えるのを待つなんて、退屈すぎるんだけど」
と、あくびをする余裕さえエリスにはあった。
ジニアスアバターはあくまで杓子定規に、一千を数えるまで突破を認めなかった。が、結果的にはこの難題を、楽々クリアできてしまった。
三十六階からこの三十九階まで、俺たちは本当に何もしていない。
エリスが不思議な力で対処――盤上遊戯の試練はともかく――する様を、見物していただけだ。
「ねえぇぇぇ。〈賢者〉の資格を問われ、叡智で攻略する塔じゃなかったの? ずっと力技ばっかさせられて、面白くもなんともないんだけどぉ」
ぶつくさ不平を唱えるエリス。
俺は驚愕を禁じえなかった。
力技でクリアできてしまうのがおかしいのだ。
普通、あり得ないのだ。
学苑の図書館で仕入れた知識だが――〈イフリート〉は〈ブリザード〉と同格の、人一人では決して対処できない大精霊とされている。
実際、俺たちは対〈ブリザード〉試練で、ジェリド教室と合同した上、一工夫凝らしてなんとか突破できたというのに。
エリスは独力で、しかもあくび混じりになんとかしてしまった。
三十七階の〈リビングデッド〉百体撃破は、まあジェリド教室と同盟すれば容易に突破できただろう。
エリスが急に現れ、茶々を入れなかったら、そうなっていたはずだ。
三十八階の井戸潜りは、俺ならそうだな……一旦学苑に帰り、〈ストーンゴーレム〉を何体か借り受ける。一体を荒縄でくくり、井戸に沈めて石板をひろわせる。その荒縄の反対側を残りのゴーレムににぎらせ、沈めたゴーレムを引っ張り上げる……という感じで対処しただろう。
とにかく、塔の試練は往々にしてなんらかの工夫を求める仕様になっている。
ところがこの謎の力を持つエリスには、その工夫の必要がない。
つまりは塔の想定を――古えの〈賢者〉ジニアスの想定を、遥かに超えてしまっているということだ。
これを驚かずにいられようか?
そんな俺の驚愕をよそにエリスは、
「ねえ。一気に階を登ったら、〈特別〉試練てやつに挑戦できるんでしょう? 早くやらせてよ」
『ならぬ。汝らはその条件を満たしておらぬ』
「なによマグナス、話が違うじゃない! あ~~~~あ、なんかもう飽きちゃった。今日はこの辺にして、帰りましょ?」
などと、ワガママなお嬢様そのものという態度で言い出した。
俺たちに否やはなかった。
今日一日で、エリスのおかげで労せず四階も登塔できたのだ。
感謝こそすれ文句があろうはずもない。
俺の懸念が外れて、特別試練が発生しなかったのも――エリスは不満そうだが――僥倖だ。
次の登塔はしばらく日を置いてから、挑戦するのがよいだろう。
まあ、その一方で思ったんだがな……。
このエリスなら、仮にどんな理不尽な〈特別〉試練を課されても、あっさり力技でクリアしてしまっていたのではないか、と。
次回もお楽しみに!