第九話 美女と困惑
前回のあらすじ:
〈ブリザード〉を撃破し、現在誰も突破できていない三十五階の試練をクリア!
三十五階の試練を突破した俺たちは、「叡智の塔の攻略は一日一階まで」「〈MP〉だいじに」「無理をしない」の定石に則って、トウシタにある宿に戻った。
もちろん皆笑顔で、凱旋気分だ。
俺、ヒイロ、モモ、リンゴの四人を、「生還者の笑顔」亭が迎えてくれる。
前回も世話になった、三つ子同士の夫婦が営む宿である。
外観も内装も提供される料理も一流店のそれなのに、塔へ挑む学苑生には破格の安さで宿泊させてくれる良心店。
オリーヴィアたちも誘ったのだが、ジェリド教室には大昔から使っている定宿があるそうで、彼女たち七人とは一旦、別々になることに。
夕食の時間になると――これも前回と一緒で――宿の共同経営者であるテッド、ラッド、マッドの三つ子たちが同席した。
俺たちは七人で大きなテーブルを囲み、豪勢な晩餐に舌鼓を打った。
と同時に三十五階攻略の顛末を、三つ子たちに語り聞かせた。
冒険者としてアラバーナで大成功を収めたテッドたちだが、未だ古代遺跡のようなものに関心冷めやらず、ぜひにと冒険譚をせがまれたのだ。
ヒイロとモモは調子に乗りやすい性格で、冒険譚だか自慢話だかわからない代物を披露したが、気のいい三つ子たちは心底楽しそうに耳を傾けていた。
「〈ブリザード〉ですか! 御伽噺とかにもよく出てくる、有名な精霊ですよね。僕も一目、見てみたかったなあ」
「〈イフリート〉の方ならアラバーナで出くわして、けっこう痛い目に遭ったんだけどなあ! やっぱ暑っちいトコだから〈ブリザード〉はいなかったんかね?」
「とはいえアラバーナの砂漠化は、古代魔法帝国の滅亡と同時だって話だったんで。当時に召喚されてた一体や二体が、遺跡の奥に残っててもおかしくはありやせんが。いや不思議なもんでさあ」
凄腕の元冒険者たちは、俺たちの話を聞いて羨み、また知的興味のままに分析を試みていた。
前回に手伝ってもらった時同様に、三つ子たちの方でも一緒に攻略したかったのだろうが、そうはできない事情があった。
「他の教室の皆さんとの同盟が決まったんでしょう?」
「しかも人数制限が厳しい試練じゃ、俺たちを連れてけねえのもしゃんないって!」
「あっしらはあくまで塔と冒険に対する、興味と憧れがあるだけなんで。〈賢者〉になろうって真剣に攻略なさってる皆さんの、足を引っ張るのは本位じゃありやせんぜ」
三つ子たちはどうか気にしないで欲しいと、口々に言ってくれていた。
「マッドの言う通りです。僕たちは第一に皆さんが塔を制覇するのを、応援したいんです」
「俺たちの力が必要になった時だけ、いつでも声をかけてくれりゃいいんだよ!」
「どうぞご遠慮なく、便利遣いしてくだせえや」
とまで言ってくれた。
ヒイロたちはホッとしていたし、俺も思い遣り深い彼らの気持ちがうれしい。
だが――俺が三つ子たちをもう塔へ連れていけない本当の事情は、本人らに伝えるわけにはいかなかった。
実は前回、トウシタを去る直前に、三つ子のご婦人方から頼まれたのだ。
俺にとっては初挑戦だった叡智の塔だが、テンポよく登塔していった最後に、事件が起きた。
〈ジニアスアバター〉が、いきなり一気に五階スキップできるボーナス試練を課してきて、それが「〈ミスリルゴーレム〉を斃せ」という無理難題な上に、断ることもリタイアもできない危険な内容だったのだ。
まさに〈叡智の塔〉が潜ませていた悪意を、剥き出しにしてきたのだ。
あの時は偶然俺の体が動いてくれて、ヒイロたちの後方支援のもとに肉弾戦で斃すという無理が通ったが……。
次また何か塔の悪意と遭遇した時に、上手くいくという保証はない。
その時は犠牲者が出るかもしれない。
塔の攻略はやはり命懸けなのだ。
三つ子たちはさすが元冒険者だけあって、そんなトラブルが起きても平然としていた。
「生還者の笑顔」亭に帰った後、笑顔で自慢話をする余裕があった。
だがそれを聞いた奥方たち三人は、平然とはしていられなかったのだ。
皆が寝静まった後、俺は奥方たちに内緒話を持ちかけられた。
「テッドたちはアラバーナで大活躍した、私たちには過ぎた夫です」
「でも、もうお金は充分すぎるくらい手に入ったし、ウチらはもうラッドたちに危険な真似はして欲しくないんだよ!」
「勝手なことを申しているのは重々承知でありんす。ですが旦那たちを塔へいざなうのは、これっきりにしていただけませんかえ。どうかどうか、後生でありんす」
と、平伏せんばかりの様子で頭を下げられた。
俺だって彼女らの気持ちはわかるし、俺たちの都合で三つ子たちに命を懸けてくれなどと言えない。
三つ子たちには上手く誤魔化しつつ、二度と塔攻略の手伝いは頼まないと約束した。
と――そんな経緯があったのだ。
俺たちがキツい試練でどんなに神経をすり減らしても、生還した俺たちを笑顔で迎えてくれて、美味い食事と柔らかな寝床で癒してくれるこの宿を――何よりこの温かい雰囲気を、俺は壊したくはない。
◇◆◇◆◇
翌日からも、ジェリド教室との合同で塔に挑戦する予定だった。
今回帯同した両教室十一人で、行けるところまでは行って、もしクリア不可能な試練に当たったら、改めて対策を練るなり学苑に帰って準備をすると、事前に取り決めていたのだ。
さて三十六階の試練は如何なるものかと、俺たちは意気込んで「生還者の笑顔」亭で朝食をとった。
それから宿の前で、オリーヴィアたちと合流する。
塔に向かうまでの道中、俺たちは教室の垣根を越えて雑談に興じる――という雰囲気にはならなかった。
昨日はあんなに気さくだったジェリド教室の面々から、今日はなんだか壁を感じるのだ。
「ごめんなさいね? ヒイロたちに隔意があるというよりは、自分たちの情けなさに忸怩たる想いを抱えているのよ。へらへら接する気になれないのよ」
と、明け透けな物言いで説明したのはオリーヴィアだ。
なるほどな。
三十五階の試練では、ジェリド教室は結局何も打開策を見い出せなかった。
それが俺たちカーマイナー教室の機転と魔法技術で、一発クリアできてしまった。
彼らからすれば、
「俺たちは学内三位の教室なのに、何もできなかった」
「これでは同盟ではなく、ただの依存だ」
「正直、恥ずかしくてカーマイナー教室に合わせる顔がない」
という感じで、ばつが悪くて仕方ないのだろう。
俺に言わせれば、気にしすぎだと思うがな。
ジェリド教室の皆が猛吹雪の防御と回復魔法に務めてくれたからこそ、俺たちカーマイナー教室は攻撃に専念できたわけで、これも立派な同盟、共同作業だと思うのだが。
もし俺たち四人だけで〈ブリザード〉を攻略するとなったら――少なくともリンゴ、あるいはモモにも防御と回復に回ってもらうから――火力が足りるか足りないか、ギリギリのところだったと思う。
同じ博打なら勝率が高い方が絶対にいい。
とはいえ、ジェリド教室の皆はエリートとしてプライドがあるからこそ、「俺たちも役に立った!」などと手柄面できないのだろう。
まず不甲斐なさが先に立つのだろう。
同じプライドが高いのでも、虚栄心にまみれたイズール教室のこじらせた連中より、万倍まともな人間だと言えよう。
一方でオリーヴィアだけは、さばさばと割り切った様子。
むしろ「カーマイナー教室と同盟を組むことを決めた、私の判断力の賜物ね」とばかりに、そこはかとなく得意げだ。
さすが性根が逞しいこと、この上ない。
「昨日の今日でみんな、まだ呑み込めてないの。でもすぐに立ち直ると思うから、ヒイロたちも気にしないで頂戴ね?」
と自分の教室の仲間たちの様子を、まるで他人事で説明する。
そしてオリーヴィアだけは昨日同様、気さくに話しかけてくる。
「ヒイロの〈ファイアⅢ〉は、本当にすごかったわね」
と昨日はやる心の余裕が一同になかった、三十五階の試練の振り返り。
事実である一方、オリーヴィアの猫なで声からはヒイロをおだてるための言葉だと、そんな気配が伝わる。
モモとリンゴがすぐさま「むむっ」となって、ヒイロを左右から挟み、「渡さないわよ!」とばかりに腕を抱えた。
昨日、道中の馬車で、オリーヴィアがヒイロにベタベタと色仕掛けしたことを、まだ根に持っているのだろう。
そんなモモとリンゴの反応を、オリーヴィアはくすくすと微笑ましげにしていた。
かと思えばこんなことを言い出した。
「でも私、理解したの。カーマイナー教室のこのところの躍進は、ヒイロの魔法の腕前が上がったからではない――でしょう?」
さらには!
急に俺の左腕に抱きつき、肩に頭を預けてくるではないか!
「〈ブリザード〉の吹雪を耐えられないと見るや攻撃に転じ、しかもきっちり仕留めたナナシ君の咄嗟の判断、本当に素晴らしかったわ? もっと言うとナナシ君たちが使っていた〈ファイア〉系列、通常のものじゃないでしょう? あれは何? よかったら私たちにも手ほどきしてくれないかしら? あれもヒイロが編み出したものじゃなくて、ナナシ君がカーマイナー教室に伝授した技術なんでしょう?」
オリーヴィアはそう言って、俺に嫣然と微笑みかけてきた。
でも目は少しも笑ってなかった。
「「ちょおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ」」
俺が顔を引きつらせるのと同時に、モモとリンゴが興奮のていで動いた。
モモが俺とオリーヴィアの間に強引に割り込み、さらにリンゴと左右から挟み、姉妹でそれぞれ俺の腕を思いきり抱きかかえたのだ。
「ナナシは渡さないわよ!」
「ナナシ君はカーマイナー教室に必要な人なんですぅ」
オリーヴィアを威嚇するモモとリンゴ。
ところがオリーヴィアも然る者で、今度は正面から俺にしなだれかかってくると、
「あら? 子供の時からカーマイナー教室で家族同然に育ったあなたたちと違って、ナナシ君は入ったばかりなのでしょう? だったらジェリド教室に移籍しない理由なんて少ないのじゃないかしら? 将来を考えたら絶対、大教室にいた方が有利だし」
堂々と俺をスカウトしてきた。
おかげでモモとリンゴがますますムキになり、三人が俺を取り合うようにますます密着してくる。
俺はもう冷や汗が止まらない。
「ナナシの奴め、急にモテやがって! 昨日まではオレがそこのポジションだったのに!!」
さらにはヒイロまでが、悔しそうに俺をにらんでくる。
いやヒイロだけじゃない。
学内でも有名な美少女三人に揉みくちゃにされる俺を、ジェリド教室の男性陣まで、口には出さないが羨ましげに見てくるではないか。
いや待てオマエラ!
引きつったままの俺の顔を見ろ!
むしろ助けてくれ!
今から三十六階に挑戦だというのに、こんな空気で果たして攻略できるのだろうか?
俺は不安で堪らなかった。
しかも追い打ちをかけるように、状況はさらに混迷を極めることになった。
「ようやく見つけたわよ、マグナス! もう逃がさないから覚悟なさいな」
――と。
いきなり現れた何者かが、俺の方へ真っ直ぐ向かってきたのだ。
海を彷彿する青色の髪をした、美女だった。
それもただの美女ではない。
絶世の美女だった。
その謎の佳人が俺へと近づくごとに、モモ、リンゴ、オリーヴィアたちが気圧されたようになって後しざり、俺から離れていく。
三人の顔に「勝てない」と、まざまざと書いてある。
「本当に罪な男ね! このあたしを振り回すなんて、世界でもあんたくらいのものよ、マグナス?」
謎の佳人はそう言って、正面から堂々と俺に抱きついてくる。
もちろん、俺は唖然となって反応できない。
この美女が誰かもわからない。
だが、あちらは俺のことを良く知っているようだ。
そう、記憶を失う前の俺のことを。
「……マグナス? それが俺の本当の名前なのか?」
「? どうしちゃったの? まさか自分のこと、忘れちゃったの? じゃあ、あたしのことも?」
怪訝そうにしつつ美女は名乗った。
エリス・バーラック・メヘスレス――と。
次回もぜひお楽しみに!