第二話 カーマイナー教室
前回のあらすじ:
記憶を失った謎の人物、ひろわれた賢者の学苑にて仲間を得、究極魔法を求めて〈叡智の塔〉を攻略することに!?
賢者の学苑は、広大な敷地面積を誇っている。
実に王都ジニアスの約一割ほどが相当するといえば、感覚として理解してもらえるだろうか。
また敷地内には授業のための講堂や校舎、寮などの生活空間、あるいは図書館等の施設が、たくさん立ち並んでいる。
中でも特徴的なのは教師一人一人が、敷地内に邸宅を構えていること。
学苑で「●●教室」と呼ぶ時は、その●●殿を担当教師として仰ぐ生徒たちのグループという意味の他に、その教師の邸宅自体を指すこともある。
そして俺はヒイロ、モモ、リンゴの後をついて、恩師カーマイナー先生の邸宅――「カーマイナー教室」へ向かっていた。
学苑敷地の中でも割と端っこの方の、人気のない場所にある。
カーマイナー先生がわざわざそんな場所に、教室を構えた理由は二つ。
一つは学苑の中枢部は様々な校舎や施設がひしめき、大きな住居を立てるのが不可能なこと。
もう一つは、カーマイナー教室には子供たちが――引き取った孤児たちが大勢いて、彼らが元気いっぱいにはしゃぎ回るため、騒音等で周囲に迷惑をかけないようにという配慮だった。
そう、カーマイナー先生は篤志家である。
記憶と意識を失い、学苑前に転がっていた俺を、ひろってくれたのも先生だからこそだ。
同様にカーマイナー先生は、孤児を引き取ってたくさん育てているのである。
親が無責任に作った子供を捨てる。
金に困ったか育児に疲れたか、理由は様々だろうが。
まったく甚だ由々しき話で、しかしこれが世界中で見られる問題である。
そして王都ジニアスではその昔から、賢者の学苑の前に赤子や幼児を捨てていく親が、後を絶たないのだという。
立派な賢者に育って、どうか幸せになって頂戴、とな!
だから、実はヒイロたちも孤児なのだと聞いた。
ヒイロは赤ん坊の時に正門の前に捨てられていて、モモは二歳、リンゴが四歳の時に親に手を引かれて学苑を訪ね、そのまま一緒に置き去りにされたのだと。
なんとも惨い話だ。
でもだからこそカーマイナー教室の学生たちは、師をまるで実父の如く慕っている。
学生同士の団結も強い。
「ただいま、先生!」
ヒイロが大声で挨拶をしながら、玄関を開ける。
俺も含めてこの四人は現在、学生寮住まいである。
しかし入寮可能年齢である十二歳までは、このカーマイナー教室で暮らしたのだという。
だからヒイロたちは今でも「ただいま」という習慣があるのだ。
「先生、どちらにいらっしゃいますか?」
「先生ー?」
いつもはすぐある返事が、今日はなぜかない。
モモとリンゴが怪訝そうにしながら、家の中を探し回る。
すると倒れている白髪の老人を発見した。
「先生エエエエエエエエエエエエエ!?」
「しっかりしろよ、先生!」
「いったい何があったんですか、先生!?」
ヒイロたちが慌てて駆け寄り、俺も続いた。
上体を助け起こすとまだ息があり、「うう……っ」とうめき声を漏らす。
この齢七十一の老賢者が、カーマイナー先生だ。
「どこか痛めたんですか、先生!?」
「まさかヤバい病気じゃないでしょうね!?」
「つ――」
「「「つ?」」」」
「――疲れた」
疲労困憊、息も絶え絶えに答えたカーマイナー先生に、ヒイロたちが安堵したような、驚かせるなと文句をつけたいような、曰く言い難い微妙な表情になった。
◇◆◇◆◇
リンゴが五人分のコーヒーを淹れてくれて、俺たちは食堂でいただく。
と同時にカーマイナー先生から事情を聞く。
先生はまさしく好々爺然とした、温厚な笑みを浮かべて、
「前に言っていただろう? 宮殿の一般公開日でね。レドたちは社会見学に行ってるんだ」
「ああ、今日がその日だったのかー」
「レドたちはそれはもう楽しみな様子で、昨日から大はしゃぎでね。おかげでつき合うこっちは疲れるなんてもんじゃなかった。だから引率を頼んだムンゾ君がみんなを連れて行った後、私は気が抜けて倒れてしまったというわけさ」
レドというのは現在、この教室で暮らしている子供たちの中では最年長の男の子。
ムンゾというのはこの教室出身で、既に賢者の学院を卒業した二十歳の青年。
「先生が怪我や病気じゃなくてよかったですけれど……」
「あんま紛らわしい真似しないでくれよ! オレらめっちゃ心配したじゃん」
「先生ももうイイ歳なんだからね!」
ヒイロたちがブツクサ抗議すると、カーマイナー先生は「すまん、すまん」と謝罪する。
どこかうれしそうなのは、未だ変わらぬヒイロたちの愛情を感じたからだろう。
「それで、リンゴたちは今日はなんの用事かね?」
「わたしたち、〈叡智の塔〉にまた挑戦しに行くことになったのです」
「そんでしばらく留守にするからさ、先生には一言伝えとこうと思ってさ」
「ま、アタシたちの実力があれば、先生が心配するようなことは何もないんですケド!」
「ほうほう、それはまた急だねえ」
カーマイナー先生が「何か事情があるのかい?」という顔つきになる。
しかしヒイロたちはケンキドゥ学苑長に脅迫されたことを、打ち明けなかった。
カーマイナー教室が解散を命じられるかもしれないとか、先生に心配をかけたくないからだ。
一方、先生も敢えてだろう、根掘り葉掘りは聞いてこなかった。
思慮深いお人なのだ。
俺のこの「ナナシ」という呼び名をつけてくれたのも、先生。
リンゴは「もっと人間らしい名前の方が……」と言い添えてくれたのだが、カーマイナー先生にはお考えがあった。
「あまり自然な名前を付けて、それに私たちが慣れてしまったら、ナナシ君の記憶が戻った時に、呼び方に戸惑ってしまうだろう?」
と俺たちのその後の関係にまで配慮し、
「それにナナシ君と呼んでいたら、何事かと周りがつい興味を持ってくれると思わないか? その中にナナシ君を知っている人がいるかもしれないし、手掛かりにつながる情報を持っている人がいるかもしれない」
と心算を明かしてくれたのだ。
これまさに深謀遠慮。
そんなカーマイナー先生が、今は敢えて何も気づかないふりをして、代わりにヒイロに訊ねる。
「他の子たちも連れて行くのかい?」
「や、今回は本気で登塔したいから、この四人だけで行く」
カーマイナー教室に所属する学生はもう幾人かいるが、皆まだ幼く魔法の腕前も心許ない。
逆にリンゴより年長者も何人かいるが、全員がムンゾのように既に卒業している。
卒業といえば聞こえはいいが――この学苑においては――〈賢者〉になることをさっさと諦め、別の仕事に生きる道を求めたということである。
だから俺たちはここにいるたった四人で、〈塔〉に挑戦するしかない。
しかも〈ファイア〉を覚えたばかりの俺などは、そもそも戦力に数えていいのか怪しいくらいだしな。
カーマイナー先生は、若き日はこの学苑の名物教師だったらしい。
極めて優秀で、それはもうたくさんの学生を抱えていたのだとか。
しかし三十歳を節目に職を変え、政治の世界に身を置いた。
そこで二十年、ガクレキアンキのために精力的な執政を続け――そして、身も心も疲れ果てた。
だから五十歳を節目に、再び学苑に戻って教鞭を執った。
でも若き日のころとは違い、選りすぐりの学生たちに最先端の講義をするような、そんな教師ではなくなった。
むしろ学苑に捨てられていく孤児たちを引き取り、育て、簡単な勉強から教えることに生き甲斐を見出したのだという。
そんな状態だから、先生に育てられた孤児以外で、カーマイナー教室に入ろうという学生など今やいない。
また己の知力、学力、魔力に自信を持って学苑の門を叩く一般の生徒と違い、この教室出身の孤児は別に〈魔法使い〉や〈僧侶〉、あるいは〈学者〉に向いているとは限らない。
いや――はっきり言えば、適正がないのが普通だろう。
だから一人前のモモやリンゴが例外、魔法の天才と謳われるヒイロが超例外で、今やカーマイナー教室は「こども教室」と周囲に揶揄されるくらい、学生グループとしては機能していないというわけだ。
ヒイロたちにとってこの「カーマイナー教室」は、皆で切磋琢磨し合い、また協力して目的を達成するための組織ではなく――
本当にただただ、「家族の居場所」や「家族みんなの帰るところ」でしかないのだ。
でもだからこそヒイロたちは、利害のあるなしで教室を見限ったりはしない。
そして、どんなに不利益を被ろうとも、苦労を抱え込もうとも、絶対に守ろうとする。
「じゃあ行ってくるぜ、先生!」
「アタシの土産話、期待しててね、先生!」
「お疲れの時はちゃんとベッドで休んでくださいね、先生」
ヒイロたちは笑顔でカーマイナー教室を発った後――真剣な顔つきになる。
改めて決意を確認し合う。
「三十五階まで登塔した教室があるなら、オレたちは四十階! って言いたいところだけど……」
「現実問題として、いきなりそれは不可能だと思うわ」
「でもアタシたちの実力なら、本気を出せば三十階を目指せるはずよ!」
「そうだな、いきなり十階も登塔できれば、ケンキドゥも『こいつらやるな』って見直すだろう」
「カーマイナー教室を解散させるなんてお考えも、改めてくださるはずよね」
「てか絶対アイツに吠え面かかせる!」
おっとりとしたリンゴでさえ気炎を吐き、最後にヒイロが拳をにぎって宣言する。
「先生なんて、どうせ老い先短いんだ。教師をやってられるのもせいぜい五年か十年だろ。その五年か十年を――オレたちで守ってやろうぜ」
照れ隠しだろうか憎まれ口の含まれた、だが真摯で熱のこもったその台詞に、モモとリンゴもまた重々しくうなずいた。
俺はそんな三人を、一歩引いたところで見つめる。
別にニヒルとか、傍観者を気取っているわけではない。
むしろカーマイナー教室で一緒に育った、血よりも濃い絆で結ばれた、ヒイロたちの関係に羨望を覚える。そう、所詮は余所者でしかない俺が、無遠慮に割って入りがたいほどに。
だけど俺もカーマイナー先生に恩を返したい。
この気持ちの良い三人の力になりたい。
教室を守りたい。
でも自分が誰かもわからなければ、魔法使い成り立てでしかない俺に、いったい何ができるのだろうか……。
◇◆◇◆◇
〈叡智の塔〉は隣町に当たる、トウシタの中心にそびえ立っているという。
塔建造以降、多くの者たちが頂上を目指して挑戦した。
決して一日で攻略できる塔ではないから、彼らは何日も何週間も塔の周りで野営をすることになった。
不便を強いられることになった。
ゆえにそんな彼らを目当てに商売をする者が現れ、宿屋を営む者が増え、またその宿へ仕入れをする業者が生まれ……といった具合に、次第に塔の周りに町が出来上がったのだという。
王都からトウシタまでは、延々と徒歩で移動するか、馬車の定期便を使うのが普通。
なので俺たちはまず、王都の西端にある馬車駅を目指した。
「〈浮遊する絨毯〉でもあれば楽なのになあ。国宝級のマジックアイテムだけど」
「《タウンゲート》が使えれば一瞬なのに。遺失魔法だけど」
「うふっ。ヒイロ君もモモちゃんも、ないものねだりが好きなんだから。子供みたい」
ヒイロたちがいつもにぎやかなおかげで、俺も道中退屈せずに助かる。
また王都の通りを行き交う人々の顔も、明るく穏やかだ。
この賢者の国の民は、知恵の神霊ナルサリュー信仰が篤いことから、理性的で善良だといわれている(無論これは一般論で、中には無責任に子供を捨てるようなクズもいる)。
またガクレキアンキは現在、“魔霊将軍”の侵略を受けているはずなのだが、その影響は王都には届いていない。
町の空気は平和そのもの。
“十三賢者”の一人で“兵法百識”の異名を持つ将軍が、遥か南の戦線において、能く兵を用いて敢闘しているおかげだと伝え聞く。
少なくともこの王都周辺の物流に混乱はないし、街道の治安は保たれている。
だから俺たちの馬車旅も、なんの不安もなく順調そのもの。
横並びの座席で揺られ、王都で買ったサンドイッチ弁当をつまみながら、のんびり移動する。
「アタシのベーコンサンドとヒイロのキュウリサンド、交換してよ」
「いいのか!? そんな等価交換、許されるのか!? 宇宙の法則が乱れないのか!?」
「ヒイロって昔からキュウリが食べられないもんねー。はーオコサマ、オコサマ」
「うおおおサンキュ、モモ! このベーコンサンドからはおまえの愛の味がするぜっ」
「な……っ。バ、バッッッッッカじゃないの、ヒイロ! 何が愛の味よダッサ! カッコイイとか思ってんの? 自分に酔ってんの? はぁキンモー、まじキンモー」
モモが独特の言語感覚で「気持ち悪い」と連呼し、ヒイロを責め立てる。
そんな二人を、駅馬車に乗り合わせた対面座席のお客たちが、微笑ましげに眺めている。
でも一番、微笑ましげにしているのは、二人の隣に座るリンゴで、
「ヒイロ君とモモちゃんてば、ちっちゃなころからずっとこの調子なんですよ」
と、逆隣にいる俺へ小声で耳打ちしてくる。
「そうか。幼少時からずっとケンカばかりか」
「うふっ、そうなんです。おかしいでしょう?」
「ああ」
俺はてっきりモモはヒイロに、恋愛感情を抱いていると思っていたのだがな。
どうやら勘違いだったらしい。
人はわからないものだな。
「ちなみにリンゴはヒイロのことを、どう思っているんだ?」
「いつまでもヤンチャで手がかかる弟……かな」
俺も小声になって訊ねると、リンゴはすぐに答えてくれた。
「そうか。それはリンゴも苦労するな」
「ね。でもだから、わたしがずっと、ずーっとお世話してあげなくちゃいけないなって、そう思っているの」
「なるほどな」
俺はてっきりリンゴもヒイロに、恋愛感情を抱いていると思っていたのだがな。
ただの篤志の精神だったらしい。
きっとカーマイナー先生の影響だろうな。
いや、やっぱり一月程度一緒にいたところで、人間関係の本質など見えてこないものだな。
わかった気になっていた自分が恥ずかしい。
「ナナシ君てさ――」
「うん、俺が?」
「――女心とか疎そうだよね。誰か好きな人ができた時は、気をつけた方がいいよ」
そう言ってリンゴは、ミステリアスに微笑んだ。
でもリンゴが妖艶な一面を垣間見せたのは一瞬のこと。
すぐにいつものお姉さんぶった態度に戻って、
「それかナナシ君が全然気を遣わなくてもフォローしまくってくれるような、天使みたいな女の子を見つけることだね」
と忠告してくれた。
俺も特に反論はない。
というか、俺に好きな女性ができる日が来るのだろうか?
恋愛事に興味がないというか、図書館で本を読んでいたり、魔法の修業に打ち込むのが、無限に楽しくてならないのだが……。
ちょっと想像がつかないな。
◇◆◇◆◇
駅馬車はつつがなく、その日のうちにトウシタへ到着した。
町のどこからでも見ることができるだろう、〈叡智の塔〉を俺が物珍しく眺めていると、
「今日はもう遅いから登塔は明日にして、宿をとろうぜ!」
とヒイロが音頭をとった。
モモが例によって「またアンタが仕切って!」と噛みついていたが、誰も異論はなく宿を探すことにする。
「前にも泊ったところにすっか!」
「でも今回は本腰を入れて長逗留するつもりでしょう? あそこは予算的にちょっと厳しいかしら」
「うっ。そっか」
「だからアンタが仕切るんじゃなくて、リンゴ姉に任せとけばいいのよバーカ」
皆でワイワイ言いながら、表通りを歩いて今夜の宿を物色する。
その時だ――
俺が背中に違和感を覚えたのは。
反射的に足を止めて振り返る。
「どした、ナナシ?」
「誰か知ってる人でもいた?」
「え!? 記憶が戻ったってコト!?」
とヒイロたちが訊ねてくるが、俺は首を左右にする。
「誰かの視線を感じる」
今もずっと、じっと見られている。
息をひそめ、気配を殺して。
それも一人ではなく複数の。
「え、気のせいじゃね?」
「やめてよ、ナナシまでヒイロみたいな自意識過剰なこと言い出すの!」
ヒイロとモモが呑気なことを言っているが、仕方がない。
それだけこの視線の主らが、巧妙に気配を隠しているからだ。
すなわち、かなりの手練れだ――
次回もお楽しみに!!