第五話 ヴィヴェラハラ流の高貴なる義務
俺はシャロンに指定されたレストランに、待ち合わせ時間ぴったりに到着した。
これがアリアとのデートであったら、五分も十分も早くに到着する。一秒でも会える時間を無駄にしたくなくて。
しかし、今日のこれは断じてデートなどではない。
出会ったばかりの将軍と軍師が、互いの関係性に潤滑油を塗るだけの行為にすぎない。
ゆえに妙な期待をされないように、だが失礼がないように、時間ぴったりを選んだのだ。
すると、
「さすがは軍師殿。時間に正確ですね! 戦とはかくあれかし、惚れ惚れする職業意識ですわ」
シャロンに開口一番、過剰なくらいに褒めちぎられた。
……凄まじい良いとこ探しだな。
「さあさあ、アンリ。魔女の国でしか食べられない、魔法のスパイスをふんだんに使った最高級料理を、ご馳走いたしますわ」
「……楽しみですな」
こんな緊張を強いられるシチュエーションでなければ、本当に楽しみなのだが。
さすがシャロンが市長なだけあって、俺たちは最上等のサービスを以って迎えられ、一番眺望のよい個室席に案内された。
魔法都市ネビュラでは、日没とともに魔力の灯りが町中に燈され、まるで地上の星空の如き夜景になる。
まったく美しいものだ。こんな緊張を強いられるシチュエーションでなければ(略)
俺はシャロンと向かい合ってテーブルに着く。
彼女はドレスに着替えていた。
肩や胸元周りが大きく露出した、鮮やかな緋色のデザインだ。それがシャロンのこぼれんばかりのバストや、よく手入れされた肌の白さを強調していた。
まあ、客観的に見て、美人なのだろうな。
俺にとってアリア以上に魅力的な女性はいないけれど。
ベテランの給仕がテキパキと乾杯の準備を進め、俺とシャロンは互いのグラスを掲げる。
酒が弱い俺は舐める程度。
シャロンは目敏く俺に合わせて、酒に弱いふりをする。
この辺り、観察に長けているのは、さすが高レベルの〈魔法使い〉といえよう。俺が彼女の「ふり」をすぐ洞察したのと同様に。
「アンリは休日、何をしてすごしているのかしら?」
「主に読書ですな。それと、私も魔法使いの端くれなので、その研鑽も」
……「休日」はアリアとデートしまくりですと、はっきり言った方がいいのだろうか?
気分を害して、“魔炎将軍”攻略に支障をきたしてしまうだろうか?
ううむ、女心はわからん。
「まあ! 私と同じね!」
「然様ですか」
「私たち、趣味ぴったりね!」
「そうと言えなくもなくはないですな」
前菜の皿が運ばれてくるが、シャロンの質問攻めは続く。
「好きな食べ物は?」
「好き嫌いは特にありませんが、良いものを少量いただきたいですな」
「好みの女性像は?」
「知的で、明るいけれども騒がしくはないという人が、理想ですな」
「そそそそそれってっ。もももももしかしてっ」
うん、あんたのことじゃないな。
アリアのことだな。
「将来、子どもは何人くらい欲しい!?」
「結婚相手の希望に合わせたいですな。というのも、私としては自分の時間や相手とすごす時間を大切にしたい主義なので、別に子どもが欲しくはないのです。薄情かもしれませんが」
「わかる! わかるわ~~~っっっ」
「ご理解痛み入ります」
つ、疲れる……。
この「将軍と軍師の会話」では絶対ナイやつ、いつまで続けねばならないのだろうか。
あるいは、俺がもっと社交的な男だったら、「美女とおしゃべりできてラッキー!」とか割りきれるのだろうか?
わからん……。
「私からも質問をしてよろしいか、シャロン?」
「もちろんよ! お姉さんにどんどん聞いてちょうだい」
「このネビュラにはいくつかの魔法学校があり、大勢の学生と卒業生がいますね?」
「大勢の魔女候補者と、その何倍もの魔女になれなかった不適正者たちがいるわね」
シャロンが心苦しそうに訂正した。
魔女になれなかった者たち。不適正者。落第者――シャロン自身はそこまで思っていないが、ヴィヴェラハラの一般的な認識ではそうなのだと、諭すように。
この魔女の国では――他国では考えられないほど――魔法を学ぶ施設や制度、環境が充実している。
ただし、学ぶことができるのは、この国出身の女性だけだ。“始まりの魔女”の血筋を、隔世遺伝させる可能性を秘めた者たちだけだ。
そして、魔女になれる見込みなしと判断された者たちは、落第の烙印を捺される。輝かしい未来は閉ざされ、あるのは閑職ばかりとなる。
「シャロン。あなたの仰る落第者たちから、兵を募りませんか? 彼女らは魔女にはなれなかったかもしれませんが、魔法使いには違いないのです。攻撃魔法の一つや二つ、使えるはずでしょう?」
「正直に言って、彼女らが役に立つとは思えないのだけれど? 黒の魔女たちが操るドラゴンゾンビやジャイアントキメラに、太刀打ちするのは不可能でしょう?」
「一対一ならそうでしょう。しかしこれは戦争だ。数は力ですよ。一人一人はあなたの足元にも及ばなくても、部隊を組めば立派な火力として運用できる」
「……理屈はわからなくはないけど」
シャロンは肩を竦めた。
これまでの短い対話の間にも、彼女がこのヴィヴェラハラでは、かなり柔軟な思考の持ち主であることは窺えた。
それでも気乗りしない態度だった。
「気を悪くしないでね、アンリ? でも我が国ではね、戦争は魔女がやるものなのよ。ゴーレムやアンデッドを使ってね。それで戦死者を限りなくゼロにする。もし死ぬとすれば、それは魔女だけ。だからこそ、私たち魔女は特権を享受できる。これが貴族のいない我が国の、高貴なる義務というわけよ」
「魔法使いを矢面に立たせるつもりは私にもありません。あくまで後方からの火力支援に限定して、運用するのです。それならば犠牲者は出ない」
敵軍との攻撃魔法の撃ち合いになれば話は別だが、しかし黒の魔女たちもまた、「魔女による魔女だけの戦争と矜持」にこだわっているから、そうはならない。
そして、その兵理に関係のない慣習を破ることで、劣勢のシャロンにも逆転の目ができる。
「……少し、考えさせてちょうだい」
「ええ。わかりました」
ていのいい断りの言葉だった。
ただし、無視はしない。ちゃんと考えはする。そんなニュアンスが口調から窺える。
俺がシャロンとの関係を重んじ、疲れる会話にもつき合うように、シャロンの方でも俺の気分を害さないため、譲歩をしてくれるというわけだ。
今はまだそれでいい。
◇◆◇◆◇
せめて一つは実のある話ができて、俺は満足がいった。
……まあ、何も味がしないまま食事がどんどん進んで、デザートまで終わってしまったが。
さて、この後どうするか? という段になり、シャロンが一旦席を立った。
「ヲホホ、ちょっとお化粧直しに」
と個室を出ていった。
俺は独り、ぼんやり夜景を眺めていると、出入り口の扉が開く。
シャロンが戻ってきたかと思えば、違った。
ショコラだった。
この店の給仕娘に、完璧に変装している(器用な奴!)。
『シャロン様、お手洗いの鏡の前で、自分に発破をかけてらっしゃいましたよ』
「……それはなんと?」
『マグナス様を絶対にお持ち帰りするぞって』
「…………」
このまま黙って帰ろうかな?
「どう対処すべきだと思う、ショコラっ」
『〈スリープⅡ〉で眠らせてトンズラこくのではなかったのですか?』
「言葉の綾に決まっているだろうがっ」
『乱暴な綾ですねー』
「いいから対処法を教えてくれっ」
『申し訳ありません、マグナス様。時間切れのようです。シャロン様がお戻りになりました』
ショコラは俺の悲鳴をスルーし、影のように音もなく個室を出ていった。
すぐ入れ替わりに、シャロンが戻ってくる。
「あのね、アンリ。言い出しにくいんだけど――」
シャロンがキッと眦を決した。
それは獲物を前にした猛禽の表情か。あるいは剽悍な女豹のそれか。
どちらも違った。
「報せがあったわ。“魔獣狂い”の軍勢が、夜陰に紛れてこのネビュラに進軍中よ。残念だけど、デートはここまでにしましょう」
それは確かに高貴なる義務を知る、女将軍の表情だったのだ。