第十八話 ルクスン公女 ベアトリクシーヌ(レイ視点)
前回のあらすじ:
王宮暮らしになじめないレイだが、公女と出会って――
「お疲れ様ですわ、レイ。今日も差し入れを持って参りましたの」
「毎日ありがとうございます、ベアトリクシーヌ姫」
「『毎日ありがとう、ベリー』――でしょう?」
「う、うん。毎日ありがとう、ベリー」
お姫様に訂正を要求され、僕はしっかりと言い直した。
「苺ちゃん」だなんてまるで庶民の呼び方だけど、彼女は僕にだけ特別に許してくれた。
というか、そう呼ばないと逆に許してくれない。
「わたくしがこんな女官の格好をして、城のあちこちを自由に探検して回っているのも、日々の公務の息抜きですの。だから、あなたにまで過剰にお姫様扱いされたら、息抜きの意味がありませんわ!」
と、お姫様――ううん、ベリーはぼやく。
「お城の皆さんはこのこと、知ってるんだよね?」
「公然の秘密というやつですわね」
「皆さん、見て見ぬふりをしてくれるくらい、ベリーのことを信用してるんだね」
「たかを括られているだけですわ。実際、わたくしも城の敷地からは一歩も外に出るつもりはない、探検ゴッコもゴッコですもの」
ベリーはそう言って憎まれ口を叩くけど、「していいこと」と「しちゃいけないこと」をちゃんと線引きできている、賢い子だと思う。
城下の方まで探検に出てしまったら、どれだけ大勢の人に心配をかけるか、迷惑をかけるか、それがわかっているから、どんなに好奇心があっても行かないのだ。
だからベリーは、僕にお城の外の話を聞きたがる。
初めて会った日以来、毎日、僕が裏庭のすみっこで自己鍛錬しているところへ、彼女は差し入れを持ってきてくれる。
僕は休憩がてらそれをいただきながら、彼女とおしゃべりをする。
といっても、僕だって物を知らない田舎者だ。話題はもっぱら魔物に関することになる。これなら僕だってマグナスのおかげで、多少なりと詳しくなった。
「“魔弾将軍”の軍勢は、北から攻めてきているらしいですわね?」
「うん。でも、城塞都市キロミツで、しっかり食い止めてるって話だよ」
「キロミツを守るゲオルグ将軍は、歴戦の名指揮官ですもの!」
ベリーは大公家に仕える将軍様の名前を、誇らしげに挙げた。
「僕とマグナスはそのキロミツを目指しながら、途中で悪さをしているボスモンスターたちを退治して、レベルアップしていって、“魔弾将軍”に備える計画なんだ」
「それはけっこうですけど、それまでキロミツは保つのかしら、光の戦士サマ?」
「今のところは全然問題ないみたい。これはマグナスの受け売りなんだけど、北から難民が押し寄せてきてもいないし、大公国の流通や経済が荒れてるわけでもない。これはキロミツの防衛戦が安定している何よりの証拠だって」
「へえ……素晴らしい着眼点ですわ。マグナスという御仁、よほどの賢者でいらっしゃるみたいね」
「そうだね。僕はマグナスより賢くて物知りな人、会ったことないよ」
マグナスのことが褒められるのは、我がことのようにうれしい!
――なんて言ったら、調子に乗りすぎかな?
でも、本心は偽れないんだ。
「ですが、レイ? キロミツの将兵たちが、それだけ奮戦してくれているだろうことは、わたくしも疑いないところですけれど……“魔弾将軍”というのは、意外と口ほどにもない相手なのかしら?」
「とんでもない! 魔物って連中を、絶対に侮っちゃいけないよ、ベリー!」
僕は思いきり首を左右に振った。
「僕が今まで戦った中で、一番〈レベル〉が高かったのは、20のマンティコアなんだけど」
「20ですって!? 城で最強騎士の名をほしいままにしているデイン卿でさえ、15なのに!」
「うん、実際、マンティコアはとんでもない強さだったよ。でも、“魔弾将軍”のレベルは40を超えてるっていうんだ」
「嘘でしょう……」
ベリーは真っ青になって絶句してしまった。
お菓子に伸ばした手が固まってしまった。
「ねえ、レイ? それが事実だとしたら、キロミツはとっくに陥落しているのではなくて?」
「確かに、もし“魔弾将軍”自身が攻めてきたら、キロミツどころかこのお城だって落ちてると思う」
思うというか、これも全部マグナスの受け売りなんだけどね。
「では、なぜ“魔弾将軍”自身が攻めてきませんの? 手を抜いてますの?」
「えっと……ベリーにとっては、胸の悪くなる話かもしれないんだけど……」
「かまいませんから、仰ってくださいな。自分に不都合な話から耳を塞ぐ公女など、為政者の資格なしですわ!」
こういうベリーの毅然としたところ。
かっこいいなあ。
好きだなあ。
まあ、口には絶対出せないけど。
「じゃあ、えっと、仮に“魔弾将軍”がこの城に攻めてきて、ベリーや大公殿下や公子殿下たちがみんな殺されちゃったら、ルクスンという国は終わりだよね?」
「その前に、兄上たちのいずれかが城を脱して、お家再起を図るはず……という茶々はやめますから、どうぞ仮定の話をお続けになって?」
「で、ルクスンが滅びちゃったとして、でもそれは僕たち人間が、魔物に負けたというわけじゃ決してないんだ」
「なるほど、見えてきましたわ」
「魔物にとって、人間に勝つってことは、人間を絶滅状態に追い込むことなんだよ」
「“魔弾将軍”がこの城を火の海に変えたとして、生き延びた人間が各地に潜伏して、レジスタンス活動を続けたら、城を落とした意味などあまりないということですわね」
「そうそう。デイン卿は当然ネズミよりお強いよね? でも、城のネズミを根絶やしにはできないよね? “魔弾将軍”も同じなんだよ」
「では逆に、“魔弾将軍”はどうやって人間に勝つつもりなんですの?」
「だから、配下の魔物たちに戦わせて、軍勢のレベルアップを図ってるんだ」
「あ……!」
芝生に横座りしているベリーが、スカートの裾からちらりと覗く、可愛い膝頭を叩いた。
「最強の『個』を以って人間を根絶やしにするのは難しくても、鍛え抜かれた『集団』を以ってすれば、いつかはそれも可能になるということですわね」
「そうそう」
ついでにこれは、“八魔将”同士の間における出世競争の側面もあるんじゃないかって、マグナスは推測していた。
「ふーむ、興味深い話でしたわ。さすが、実際にモンスターたちと戦う最前線に、立っている方のお話は含蓄が違いますわね」
「いや……ははは……全部、マグナスの受け売りで……」
「レイは卑下する癖を直すべきですわ! マグナス様とて、どうでもよい相手にぺらぺらと自分の考えを語って聞かせるほど、軽薄な御仁ではないでしょう? レイに信頼を置いていらっしゃるからこそ、仲間として意識共有を図ってらっしゃるのでしょう? だったらレイは胸を張っていなさいな!」
「ごっ、ごめん……」
「すぐ謝らない!」
「あ、ありがとうっ」
「よろしいですわ」
ベリーはにっこりとして言った。
勝気な彼女のそんな表情が、僕には本当に眩しかった。
僕が自分を卑下するたび、我がことのように怒ってくれる彼女に、いつも心と気持ちが救われていく。
実際、彼女が毎日会いに来てくれるようになって、僕は王宮暮らしを辛いと感じることは、もうなくなっていたんだ。
ベリーの存在は、僕にとって本当にありがたかったんだ。
なのに――
「こんなところにおられましたか、ベアトリクシーヌ姫」
「随分とお捜しいたしましたぞ」
二人きりだった僕たちの元に、ずかずかと無遠慮な足音が近づいてきた。
僕の隣でベリーが、辟易したように嘆息する。
いったい何事かと僕は、裏庭の隅にまでわざわざやってきた集団に、目をやる。
騎士様たちの一団だった。
それも若手と呼ばれる、二十歳前の方々だ。
それはいい。この際、構わない。
問題は、彼らを率いるようにして、先頭を歩くその少年。
あちらも僕の存在に気づいて、目を瞠った。
僕らは互いに互いを見据えながら、同時に呟いた。
「レイ、なんでこんなところに?」
「エルドラ、なんでこんなところに?」