ルームメイトは訳あり女子
グラウンドから逃げたした練だが、簡単には寮に来られなかった。
「酷い目に遭った」
(おう。群衆はいつの時代も恐ろしいな。奴らは群れると遠慮がなくなる)
練の運動神経は人並みだ。足もそれほど速くない。練を強引な勧誘に来た生徒の中に陸上部の部員がいて、練は校門を出る前にあっさりと捕まってしまった。
さらに拘束魔法を掛けられ、三〇人以上の生徒たちに取り囲まれ。
騒ぎを聞きつけた学院長が勧誘合戦に介入するまで、練はもみくちゃにされたのだった。
学院長が『黒陽練の部活勧誘は絶対禁止だ! わかったなガキども! 禁を破った生徒は我が鉄槌の裁きを喰らわすぞ!!』と怒ったのが効いたらしい。
寮の部屋まで部活の勧誘に来る生徒は、いなかった。
「部活勧誘でこれだけ騒がれるんだ。もし王女殿下に求婚されたことがバレたら、どうなる」
(まあさっき以上の大騒ぎになるだろうな。くっくっくっ、たいへんだなあ、おい)
他人事のようにグロリアス。ぶるっと練は身震いした。
「……だよな。あれだけは秘密にしないと」
練はため息をつき、これから卒業まで住む部屋のドアのノブに手をかける。
ぴた、とそこで練は動きを止めた。
(どうした? 入らねえのか?)
「……さっきの勧誘の誰かが、こっそり中で待ち構えている可能性に気がついた」
(さすがにそれはねえだろ。寮、ここまで生徒の誰にも会わなかったじゃねえか。マリーが気を利かせてくれたおかげで、他の生徒より早く寮に来られたんだしよ)
遅刻した練は校舎に寄らず寮に来た。
他の生徒は今頃、寮への帰路につく頃だろう。
「それもそうか」
練は安心してドアを開けた。
正面。滑らかな白い背中。緩やかな曲線の臀部を覆う白い布の面積は狭く、すらりとした長い足も肌が露わになっている。
練はドアノブを握ったまま硬直した。
――あれはどう見ても男物の下着には見えないが。
――しかし背中が丸見えだ。ブラジャーは付けていない。
――いや待て、男性用ブラジャーなるものを何かで見た覚えがある。
――女だってブラジャーを付けないこともありえるんじゃないのか?
そんなことを考え、じいっと練は、白い背中から尻、太股からつま先まで眺め回した。
(あの尻と太股で男だったら、この世は理解不能の奇跡で満ちてるぜ?)
と、グロリアス。
ここは男子寮。部屋も間違ってはいないはず。
彼か彼女か不明のその人は、着替えの途中らしい。手にシャツを持ったまま、ショートカットの髪を揺らして振り返る。
「あ、ごめん。すぐ着替えるし、入っててよ」
男にしては高く、女にしてはやや低めの柔らかい響くよい声で、練はそう言われた。
(この声で男だったら俺、初めて男を喘がせてみたいと思った)
――いや、さすがにこの体つきにこの声は、女の子だ。
「部屋を間違えた」
練は後ずさり、ドアを閉めようとした。
シャツで胸元を隠した、彼か彼女か判断に困る相手が、ととっと練に駆け寄り手を掴む。
「黒陽練くんだよね? 大丈夫、部屋は間違ってないから」
ほっそりとした指からは想像できない強い力で手首を握られ、練は部屋に引っ張り込まれた。
練を部屋の奥へと押し込み、身体を入れ替えて彼女が後ろ手でドアを閉める。
がちゃり、と鍵のかかる音がした。練は気にせず、部屋を改めて見る。
部屋は八畳ほどの広さで正方形に近く、両側の壁にそれぞれクローゼットとロフトタイプのベッドが据え付けられている。ベッドの下に机と椅子。
部屋中央、天井にはカーテンレールがあり、部屋をカーテンで仕切って使うようだ。
右側の机のそばに、見知った段ボール箱が四つある。練が送った荷物が三つ、学院から支給された教科書類の箱が一つだ。
(狭ぇ部屋だなあ、おい)
「必要充分だろ、勉強して寝るのには」
練の言葉を彼女は独り言だと思ったようだ。シャツを羽織った彼女が手を差し出す。
「うん、広くはないよね。今日からよろしく」
「どうも」と練は手を握り返す。
彼女が握手したまま、にこりと笑んだ。
「さっそくだけど自己紹介をしようか。僕は江井紫音。君と同じ高等部からの編入組だよ。で、君のクラスメイトでルームメイト。今日は体調が微妙だったから、入学式だけ出てオリエンテーションは途中で早退したんだ。どうにも身体がまだ上手く動かせなくてね」
「それで部屋にいたのか――って、先に着替えを済ませてくれないか、目のやり場に困る」
練は顔を横に向けた。だが目はどうしてもシャツとパンツのみの女体に向いてしまう。
(諦めろ。それが思春期の男の子ってもんだ)
「う――」るさい、と声に出しそうになり、練は自重した。
道長と決闘をする羽目になったのも、グロリアスの軽口にうっかり反応してしまったせいだ。
紫音が面白そうに練の顔を覗き込む。
「そうかい? 別に僕は困らないんだけどね?」
「近い」
「近づいているからね。っていうか、お近づきになりたいし? なんならこの下、見る?」
羽織っているだけのシャツの前を紫音が開こうとした。
「遠慮するよ。そんなことより、君。女子なのにどうして男子寮に――待て。さっき、ルームメイトだって言わなかったか?」
練は紫音に向き直った。鼻と鼻がぶつかりそうになり、のけぞって身を離す。
「言ったよ?」
きょとんとした顔で、紫音。
「あれれ、学院長から聞いてない?」
「何も聞いていない」
「そっか。聞いてないなら戸惑いもするよね。ごめんごめん。んじゃ改めて僕から説明するよ。僕、一身上の都合で男子生徒として入学したんだけど、ほら、この学院の高等部って全寮制じゃない、二人部屋の。
一人部屋を希望したんだけど無理って言われてさ、それなら秘密を守ってくれる紳士的な生徒と同室にしてくださいって、学院長と直接交渉したんだよね」
(紳士? ヘタレの間違いだろ)
ヘタレと言われても練は腹が立たない。無節操に異性に手を出さないのがヘタレならば、そう呼ばれても別に構わないと思うからだ。
「それで、俺なのか」
「うんにゃ、そういう生徒に心当たりがあるって、僕が君を指名していたり! 君になら手を出してもらっても僕は構わないからね。僕が女子だってことさえ黙っていてくれるなら、何なら今、身体で支払っておこうか、口止め料?
ちょっと胸が控えめだけど、割といい身体していると思うんだ、僕。ほら、この腰のラインとかさ、そそらない?」
くいっと腰をくねらせて紫音がボディラインを強調する。
練は再び顔を逸らした。少し顔が赤くなっているのが自分でもわかる。
「初対面だよな。それなのに俺を指名って、変じゃないのか」
「あはは。初対面だけどね、君は、君が思っているよりも有名人なんだよ? この学院にいるものなら、生徒、講師、誰もが君を知っているさ。君は偉業の達成者なんだから」
(ま、当然だろ。後からわかったこととはいえ、ブリタリアの魔法使い数人がかりの攻城魔法を一人で防ぎきったんだからな、一二歳のガキだったおまえが)
「そうなのか?」
練の問いはグロリアスへのものだったが、紫音が、ぱっと表情をさらに明るくした。
「そうなんだよ! あんな可愛い王女が暗殺されるなんて、この世界にとってもブリタリアにとっても大損失だよね、ほんとうに命を救ってくれてありがとう!」
紫音が練の手を両手で握り、ぶんぶんと振った。その動きでシャツがはためき、前が開く。
「……その。ほとんど見えてるから、ちょっとは遠慮してくれないか」
「うん、知ってる。っていうか見せてるし」
「荷物の整理をしたいんだ。お互い,プライベートはそれなりに大事にしよう」
練は強引に紫音の手を振りほどき同意を得る前に部屋の仕切りのカーテンを引いた。
ほ、と一息つき自分の段ボールに向かう。
「黒陽くんさ。女と同室なんて無理だとか、学院長が許可しても他の講師に訴えるとか、言わないんだね。それって普通?」
紫音の声。練が振り返ると、カーテンに紫音の影が映っていた。
(おおう。直に見るよりエロいんじゃねえか。特に足のラインとか)
練は、さっと視線をカーテンから外した。
「江井さんには江井さんの事情があるんだろ、性別を偽るのに」
「まあ、ね。その理由、聞かないんだ?」
「聞く必要はない。学院長が同室を許可したんだろう? 抗議をしたところで、あの学院長がまともに話を聞くとも思えない」
練はルナリアに大鉄槌で襲いかかったマリーの姿を思い出した。
――あの人は、自分が面白ければそれでいいタイプの人間だ。
でなければ、道長との決闘を許可したりはしないだろう。
(まあ、ありゃ確かに一度決めたことを考え直したりはしねえタイプだな)
「それに。江井さんは俺なら秘密を守ると信用して、俺を指名したんだろう? その期待を裏切りはしない。だから、適度に距離を取って接してくれると助かる」
「ふふっ。ほんと、いい人だね。僕のことは紫音でいいよ」
「悪い人よりはマシじゃないか、紫音。秘密を盾に色々要望するような奴だったら困るだろ」
「僕はそれでもよかったんだけどね、相手が君だったら。重ねてお礼を言うよ。三年前、ルナリアを守ってくれてほんとうにありがとう」
「紫音に礼を言われることじゃないさ。俺のことも、練でいい」
「そっか。それじゃ練、また後でね」
(内心喜んでいるくせに)
うるさい、と胸中で呟き、練は荷ほどきに取りかかった。