旧神竜ジオールド
謁見の間で、練を学院島に帰還させるための異世界間転移魔法の準備が、ソニアによって完了した。
準備の時間がなかったため、とりあえず帰還するのは練一人のみ。道長は後で、改めて送還されることになり、別室に案内されて行った。
謁見の間にいるのは、練とソニアのみである。
「あの、練くん。帰る前に、一つだけ謝らせて」
とソニア。転移の魔法陣の中で、練は首を傾げた。
「別に、ソニア王女殿下に謝ってもらうようなことはないですが」
「……カミルのことよ。気付いていると思うけれど、前のジオールド召喚も、今回の一連の事件も。全て、愚弟の浅はかな謀略――王位継承権争いになんて巻き込んでしまって、ほんとうに……」
「いや、だから謝ってもらうようなことはないですよ。今回のことは、王族扱いになる爵位を拒まなかった俺にも責任がありますから」
申し訳なさそうな顔をしているソニアに、練は続ける。
「王族扱いなんだから、何位か知りませんが、俺にもすでに王位継承権があるんですよね? 故にカミル王子が俺の暗殺しようとしても、罪には問えない。
だから、カミル王子に謝罪を求めるつもりはありませんし、ソニア王女殿下に謝ってもらうなんて、そもそも筋違いです」
ソニアが小さくため息をついた。
「王位継承権についても理解していたのね。説明が省けて私は助かるけれど、でも……」
語尾を濁すソニア。謝らないと気が済まないような気配を練は感じた。
急ぎたいのにと練は珍しく、軽く苛立ちを覚える。
「ああもう。やっぱり、悪いのは王位継承権争い暗殺に罪を問わない、この国の慣習――いや、法律か」
練は、ぶつぶつと呟く。
「王位継承権争いだけ暗殺していいなんて、そんな法律があるからルナリアもレイチェルさんも、悲しい思いをするんだ」
(ま、それはそうだな。あの娘たちみたいな善人にゃ、いいことなんざねえのは確かだ。なら、どうするよ。練よ?)
練の左の視界の中。グロリアスが練を煽るように、意味ありげに太い笑みを浮かべた。
乗せられた気がする。そう自覚しながらも、練は決意を口にする。
「そんな法律。俺が、変えてやる」
ソニアの目が、驚いたように丸くなる。
「あの、練くん? その発言、もしかして――」
(おお! やっとその気になったか、練よ!)
「今回のトラブルが片付いたら、ちゃんとお話をしたいと思います。その時に、カミル王子にもきちんと文句を言いますから、今は、俺を向こうの世界に」
ソニアが、こくりと頷いた。
「そうね。楽しみにしているわ、その時を。じゃあ……行ってらっしゃい」
不意にソニアが練に身を寄せ、一瞬だけ、頬に唇で触れた。
「は?」
何が起きたかよくわからない練の足下。転移の魔法陣が発動した。
ぺろっと小さく舌を出したソニアの顔が、真っ白い光に包まれて消え、練は浮遊感に包まれた。
直撃すれば、月さえ穿つ。
そう評される、ルナリアの切り札。
月穿ち――超高出力の熱閃光砲撃が放たれた。
影さえ焼き尽くすほどの真っ白い閃光が、グラウンドの土砂を巻き上げるどころか蒸発させつつ、アリスの拘束魔法で動けない麗=ジオールドに迫る。
「身動きできずとも! 我輩の防御は、その程度では抜けぬのじゃ!」
アリスの拘束魔法は、あくまで破ろうとする魔力に対して反応する仕組みだ。それ以外の魔力に対して吸収する効果はない。
麗=ジオールドが、迫る熱閃光を肩越しに睨みつける。
半球型の防御障壁が幾層にも重なって発生し、熱閃光を受け止めた。
『月穿ち』は、魔力弾を塊で打ち出すタイプではなく、魔力を高密度のエネルギーそのものに変換し、放射するタイプの砲撃魔法だ。
防御障壁で受け止められたら、エネルギーは拡散して広がる。
結果。麗=ジオールドから充分距離を取ったと考えたアリスは慌てることになる。
今のアリスの魔力は、空っぽだ。転移で逃げるどころか、紙切れのような防壁すら、もはや張れない。
「ちょっとおっ!? これじゃ私、巻き込まれ――」
裏返ったアリスの声は、その姿もろともかき消えた。
広がる熱閃光に飲まれる、ほんの一瞬前に。
「るってば!」
ルナリアの背後にいる紫音のすぐ隣に、アリスが出現した。
「遠隔の転移魔法、間に合ってよかったよ」
と紫音。月穿ちの熱閃光は、グラウンドを丸ごと焼き尽くす勢いで広がっているが、紫音たちのいる場所は、多少蒸し暑い程度だった。
紫音と二体のジェンカ、そしてマリーが、周辺に防御障壁を展開しているおかげだ。
ここは、安全。そう察したアリスがぱちくりと瞬きし、少し顔を赤くして姿勢を正す。
「じ、自分でも何とかできたけれど。一応、お礼は言っておくわね、紫音」
「どういたしまして」
紫音がアリスに微笑を向けた。顔を前に戻すなり、真顔に戻る。
「至近距離からの月穿ちだ。幾ら旧神竜でも、耐えきれるはずがない」
「私は真横から見ていたけど。麗ちゃんに取り憑いた奴、直撃の寸前に多層の防御障壁を張っていたわよ。ちゃんと数えられたわけじゃないけど、八層か九層はあったと思う」
とアリス。は、とマリーが鼻で笑う。
「たかが九層程度の防御障壁で、防げる代物などではないわ! 事実、先だっての竜体ジオールドは直撃を避けたものの、三対六枚の翼のうち、二枚を失ったのだろう? のう、ルナリアよ」
マリーが、砲撃魔法を制御しているルナリアの背に声を投じた。
ルナリアが振り返らずに返す。
「――はい。たとえ旧神竜の防御障壁であっても、長くは持たないはず」
放っている熱閃光の光で、麗=ジオールドの姿は見えない。
攻撃の結果は、砲撃魔法が終わるまでは、わからないのだ。
「魔力砲撃、終了します」
ルナリアの言葉と同時に、直径数メートルはあった熱閃光の柱が、見る間に細くなり、途切れる。
グラウンドは大半の土が消し飛び、金属の構造物が剥き出しとなり。その構造物は一部が赤熱化して溶けて歪んでいる。
ピンポイントで核攻撃でも受けたかのような有様の、先。
「かか。その魔法を水平に撃つとは、さすがに予想してはおらんかったのじゃ」
無傷で佇む、麗=ジオールド。
アリスの拘束魔法も効果時間が切れたようで、消え失せている。
顔の横で立てた一差し指の先、極めて小さな、しかしでたらめに高圧縮された魔力の光球が浮かんでいる。
「……そんな」とアリス。
「あれは、まさか」と紫音。
「砲撃魔法を受けきったのみならず、魔力に還元した……だと」とマリー。
ルナリアが、無言で聖剣を構え直した。切っ先越しに、麗=ジオールドを睨む。
「黒い太陽どもがおもしろい技を使っておったろ? あれ、我輩も覚えたのじゃ。砲撃を障壁で防ぎつつじゃったから、ちと手間取りはしたけれども、ほれ、この通り」
魔法効果魔力還元魔法。
これを麗=ジオールドが使うのは、二度目だ。
一度目は、大量の水の中でルナリアとマリーが失神していた時。
故に、ルナリアとマリーは、麗=ジオールドがこの魔法を使えるとは知らなかった。
「あれ、やっぱり練と同じ魔法だったんだ……」とアリス。
「これは、僕のミスだ。伝えておくべきだった……!」と紫音。
アリスと紫音は、大量の水が消される場面を見てはいた。
だが、その麗=ジオールドの行為が、練のオリジナル魔法と同じだとは、信じていなかった。
信じたくなかった、というのが正しいかもしれない。
『技術』としての魔法は、人間のみが使えるものだ。
旧神竜やブラックドッグなど、異次元に根源を有するとされる存在は、技術など用いなくても『意志』のみで魔力を効果や現象に変える。
それが、原始的な魔法。麗=ジオールドが展開する防御障壁も、攻撃に使用する魔力弾も、そうした原始的な魔法だ。
決して技術ではない。
理論に基づいた技術を要する魔法を操る。
それは、人間の証明だ。
「旧神竜の正体、理解ったぞ」とマリー。続けて、
「貴様、人であることを捨て、魔法で不死となったのだな?」
か、と麗=ジオールドが短く嗤った。
「我輩は、力を追及した故に。この真理に辿り着いただけじゃ。中途半端に不老に足を突っ込んだ魔法使いよ。その人の殻を捨て去れば、世界の広さを堪能できるぞ?」
アリスが表情を険しくする。
「なるほどね。ブリタリア聖教が、不死の研究をとことん嫌って異端扱いするわけだわ。人間が、こんな怪物になるんだもの。そりゃ禁止して当然よ」
「そこの娘、そう人を怪物のような目で見るでない。旧神竜などとぬしらに呼ばれる我輩とて、有り様の変わったただの人間じゃぞ?」
聖剣を油断なく構えたまま、ルナリアが問う。
「ただの人間が。何故、『厄災』となど名乗るのです」
「名乗った覚えなぞないのじゃ。人間が、そう我輩を呼ぶだけじゃぞ?」
「そう呼ばれる理由を、問うているのです」
ふん、と麗=ジオールドが鼻で笑う。
「我輩が人の殻を捨てる時。反動で国が一つ消し飛んだのじゃが、そのせいかも知れぬの。ま、我輩にとっては詮無き事じゃ」
マリーの表情がいっそう険しくなる。
「二五〇〇年前の、スカンジナビア半島先端消失の真相が、それか……!」
ブリタリア王国のある世界で、最初にジオールドが確認されたのは二五〇〇年前と伝承に残っている。
国が消し飛んだ。その麗=ジオールドの言葉が事実ならば、それは伝承と合致する。
ルナリアの瞳に、怒りの色が浮かんだ。
「貴女は。貴女自身が不死になるためだけに、何千、何万の罪もない民を殺したというのですか」
「罪なき民――か」
麗=ジオールドの表情に影が降りる。
「そんなものがおるならば、会ってみたかったのじゃ。我輩がまだ、人間だった時に――それこそ。詮無きことじゃがの」
麗=ジオールドにも事情はあったらしい。だがそれを説明する気はなさそうだ。
さて、と挟んでジオールドが続ける。
「とうとう、黒い太陽どもは来なかったのじゃ。我輩も、そろそろ飽きた。この借り物の娘の身体も、いよいよ限界が近そうじゃから、ここらで仕舞いとするかの――ぬしらの全てを、な」
麗=ジオールドの指先に浮かぶ魔力の塊から、ぶわりと魔法記述光跡が溢れ出す。
魔法記述光跡が編み上がり、砲身の形状を成していく。
「それは、私の!」とルナリア。
「見たのは二度目。我輩はこれを無効化できた。すなわち、理論を完璧に理解した証拠じゃ。撃てぬ道理はあるまい?」
月穿ちの魔力砲身を、ルナリアが放った魔力で麗=ジオールドが組み上げる。
「ルナリアさま、転移でお逃げください。僕がお連れします。ですから、ここは――」
と言いかけた紫音に、ルナリアが視線すら向けずに告げる。
「私には構わず、レイチェルのみを連れて逃げなさい。紫音、貴女の魔力残量も、何人も連れて跳べるほどには残っていないはず」
「ですが、王女殿下――その必要は、ないわよ?」
紫音の口調が、途中でソニアに変わった。
「今、彼がそっちに行ったから」
「練さまが!?」とルナリア。その表情が一瞬で輝いた。
「遅いわよ!」と怒鳴るアリス。しかし笑顔だ。
「黒陽練が戻るか! ふんばりどころだな、ここが!」とマリー。
「……さてと。もうひと頑張りしないとね」と、普段の口調に戻って紫音。
「レン先生が、帰ってくれば。あんなちんちくりん、けちょんけちょんにしてくれるのです!」
レイチェルの言葉に、アリスが苦笑した。
「ちんちくりん、て。貴女、まったく同じ見た目よ?」
「違うのです! あの痴女っぽい姿で、レイチェルは確信しましたです! レイチェルのほうが、胸が大きいのです、ちょっとだけ!」
えへんとレイチェルが胸を張る。
くす、とルナリアが笑いをこぼした。
「麗さんを取り戻したら、麗さんも一緒にドレスを新調しましょう。採寸すれば、どちらのスタイルがよいか、わかりますよ」
「望むところなのです!」
ルナリアたちがそんなやりとりをしている間に、麗=ジオールドの月穿ちが完成する。
「何をごちゃごちゃ言っておるか知らぬが、等しく逝くのじゃ! そこそこ楽しめたのじゃ、褒めてつかわす!! 褒美代わりじゃ、受け取るがよい!!」
魔力砲身の底に収束した魔力弾を、麗=ジオールドが拳で殴りつける。
そして再び、月穿ちが発動した。