黄昏時に、誰そ彼女
傾いた陽が、大観覧車の巨大な影をいっそう長くする時刻。
「遊んだのです! 目一杯、遊んだのです! 堪能したのです!」
ベースボールキャップの中にふわふわの長い赤毛を押し込み、小学生でも通じる幼児体型を生かして『小学生男子』っぽく短パンをメインにコーディネートしたレイチェルが、これ以上ないほどの笑顔をルナリアに向けた。
「そうですね。大変、楽しかったですね」
樹脂フレームを金属フレームに変え、OL然としたスーツ姿に衣装を変えたルナリアが、微笑み返す。
その二人の姿は、教師と教え子のようだった。
ルナリアとレイチェルの変装を終えた後。練たちは、近隣のレジャー施設をはしごし、遊び倒した。
レジャー施設には、様々なジャンルのスポットがある。ボウリング、ビリヤード、ダーツ、卓球、カラオケ、ビデオゲーム、コインゲームなど、この世界での定番レジャーはたいていあった。
ボウリングなどこの世界でも古くからある遊びは、ブリタリアにもほぼ同じ遊びがあり、ルナリアやレイチェルも違和感なく遊べたが、この二人が特にはまったのは、ゲームセンターだった。
三時間ぶっ続けでリズムゲームに興じる、ブリタリア王国第二王女と序列二位のランス=ブリタリア家の四女。
母国の重鎮が見たら卒倒しそうな光景だが、アリスの変装技術のおかげで、単なる外国人家庭教師とその教え子が遊んでいるようにしか見えず、騒ぎになることはなかった。
もっとも。それでも二人はかなりのギャラリーを集めたが。
そろそろ学院島に戻ろうと、練たちはレジャー施設の建物から外に出た。
途端、違和感に気付く。
「……妙だ。人が、いない」と練。
黄昏色に染まった湾岸のレジャースポットは、見渡す限り、人の姿がなかった。
出てきた建物を振り返る。建物内にも、誰もいない。
紫音が、ルナリアとレイチェルの前に移動する。
「ルナリアさま、レイチェル。僕から離れないように。アリス、背後の警戒を頼むよ」
「了解したわ」とアリスがルナリアとレイチェルの背後に回り、背中を合わせる格好で辺りを警戒する。
練の左目の中。グロリアスが、ちっと舌打ちした。
(これだけの規模の、封絶魔法かよ。人間業じゃねえぞ、こんなもの)
――と、いうことは。
(ああ。あの気まぐれ旧神竜の、ご登場だぜ?)
練が瞬きした直後。数メートル先に、たった今までなかった影が、出現した。
「ずいぶんと楽しそうに遊んでおったでな。つい、誘われて出てきのじゃ」
ドラゴンマスクに、痴女じみたコスチュームの少女。
そして身に纏う紫色の魔力光。
ジオールドである。
練は背後にルナリアたちをかばうよう、前に出る。
「ずいぶんと早いな、ジオールド。昨日の今日じゃないか」
「別に構わぬじゃろう、昨日の今日でも? それに、じゃ。今日の遊ぶは、文字通りじゃぞ」
「どういうことだ?」
ばっとジオールドが両手を広げる。
「面白いのぉ、この世界の人間のすることは! たかが娯楽に、これだけのものを作るとは! 別の場所のもいくつか見てきたが、ただ遊ぶための場所だというのに、城壁都市まがいのものまであったぞ、向こうの海近くには! よほど暇を持てあましているようじゃの! 悪くない、悪くないのじゃ。知的存在にとって暇は害悪、滅ぼすべき怨敵じゃからの!」
興奮したように、ジオールド。練は少々困惑する。
「つまり。遊ぶというのは俺の魔法を試すのではなく。ここのレジャー施設で、普通に遊びたい、と?」
「うむ! そう言っておるのじゃ!」
ジオールドが胸を張る。かなり慎ましいサイズだが、ぐぬぬとアリスが唸った。
「あんなお子様っぽいのに、私よりあるのを見せつけるなんて……!」
「レイチェルもちょうどあれくらいあるのですよ?」
「なっ! 中学一年生に負ける私っ?」
アリスが顔を引き攣らせた。そのアリスに、ジオールドが顔を向ける。
「そこの娘。我輩の力を以てすれば、体型なぞ自由自在じゃぞ? この身体はいちおう借り物なのでな、宿主を尊重していじっておらぬが……本来の我輩は、こんなものではないのじゃ」
「――そりゃそうでしょ。翼を広げたサイズが、ざっと三キロメートルって伝承にあるんだから」
「かか。あれはあれで、確かに我輩ではあるが、あれ一つが真実の現し身というわけでもないのじゃ。ま、身体も魂も一つきりしか持ち得ぬ人間には、わからぬ話じゃろうがのぉ」
ドラゴンマスクを透けて、ドヤ顔が見えるような口調だった。
「何かムカつく奴ね……! まともに戦ったら秒殺されるのは、わかってるけれど……腹が立つっつーかっ」
「ほう? ぬしとはまだ遊んでなかったな? 遊ぶか? 我輩、それでも構わぬぞ? そっちのドロイドと一緒に、かかってくるか? 我輩相手に三秒耐えたら、褒美をくれてやってもよいのじゃぞ?」
本気なのか、冗談なのか。判断に困る、やや笑いを含んだジオールドの口調。
練はもう一歩、ジオールドに歩み寄る。
「おまえの目当ては、俺じゃないのか? 彼女たちに手を出すというのなら、俺にも考えがある」
「……ほう? 考え、とな。人間ふぜいの浅はかな知恵で、何をたくらむというのじゃ」
「おまえの相手を、徹底的に――しない。何があろうが、何をされようが、俺はおまえを無視する。たとえ、この世界が滅ぼされようが、だ」
練の言葉に、ルナリアとレイチェルがぽかんとし、紫音が苦笑した。アリスが露骨に焦り顔になる。
「な、なんっつーこと言い出すのよ、練ってばっ!」
「いいから」と練。
ジオールドが腕組みをし、まるで値踏みでもするように沈黙した。
黙り込む。
その圧力だけで、ジオールドが場を支配する。
練は改めて、眼前の少女の姿をした何かが、でたらめな怪物だと知った。
「……ふん。確かにそれは、我輩にとってはもっとも詰まらぬことじゃ。仕方のない、この場は寛大な心で引いてやろう。ところで。人間が普通に使う意味で、我輩とは遊んでくれぬのか?」
「は? 本気で、遊びたいのか?」
「だから、そう言っておるじゃろう? そこの建築物の中には、娯楽が詰まっておるのを知らぬ我輩ではないぞ?」
ジオールドが、くいっと顎で練たちの背後の建物を示した。
ちらりと練は振り返り、少し考える。
「訊くが。この無人の状況、おまえが作っているんだよな?」
「そうじゃ。そこのドロイドが、人払いの魔法を使っておったろう? あれを見て、真似てやった。どうじゃ、完璧じゃろう、凄いじゃろう! 空間を複製しつつ重ね合わせて位相をずらしたのじゃ。黒い太陽どもよ、ぬしらなら理解できるであろ?」
(まあ、な。理屈はわかるが、とんでもねえことを簡単にいいやがって)
「ああ。凄いのは、認める。だが――レジャー施設の職員までいないんじゃ、いくら貸し切りにできても、意味がない」
「なんと。……なるほど、道理じゃな。確かに我輩が見た限りでも、こまごまと働く奴らがいて、ここの娯楽は提供されておった……仕方がない。出直すとしてやろう」
くるりとジオールドが身を翻す。ちらりと肩越しに振り返り、思い出したように言う。
「そうじゃの。今回は、次の約束しておくとするのじゃ。七日の後、再び、我輩はぬしらの前に現れよう。我輩を満足させられるよう、ぬかりなく準備をしておくがいいぞ。
そこの聖剣使いよ。今度は簡単に折られぬ得物を期待しておる。あの鉄槌使いにも、伝えておけ」
よいな、という言葉と共に、現れた時と同様、唐突にジオールドは消えた。
虚空に、ジオールドの声だけが響く。
「黒い太陽ども。くれぐれも……逃げるでないぞ? ぬしらがもし逃げたら、我輩は腹いせに世界を滅ぼしかねぬからの」
直後。周囲が唐突に、雑踏に戻る。
練たちの感覚としては、行き交う人々の中に放り出されたも同然だが、周囲に、練たちを不思議がるものは誰もいない。
ごく当たり前に、建物から練たちは出てきたばかり。
そんな状況だった。
「ジオールド。時間まで止めていたのか? まさかとは、思うが」
練の呟きに、紫音が難しい顔になる。
「状況から判断すると、そうとしか考えられないね。チートを通り越して、なんなんだという気がしてくるよ」
「ですから、神に等しき旧き竜……なのでしょう」
ルナリアが、真剣な顔で続ける。
「七日後に来ると、あれは言いました。言った以上、必ず来るはず。備えなければなりません。急ぎ学院に戻り、まずはハンマー公に報告、本国にも対策本部を作らせないと」
あの、と挟んでルナリアが練を見つめた。
「ジオールドは元々、私たちの世界に関係のある存在です。それが、こちらの世界にまで災厄をもたらすことになりかねないこの状況、責任は全てブリタリアにあります。
それを承知で、どうか。どうか、あれの撃退にお力を貸していただけませんでしょうか。この身一つで足りないのでしたら、我が王国に出来ることならば、どんな望みでも叶えます」
(……国を寄こせと言えば、寄こしそうな勢いだな、おい。でもまあ。今回、明白に奴――ジオールドは、俺たちに喧嘩を売った。
この場にルナリアがいた以上、ブリタリアが喧嘩を売られたも同然。
これはもう、ジオールドとブリタリアの戦争だ、面白いことになってきたぜ!)
左目の視界で興奮するグロリアス。練は冷静に、淡々とルナリアに告げる。
「喧嘩を売られたのは、俺だ。名指しで逃げるなと言われたからな。むしろ、ルナリアさんたちを巻き込むことになって、申し訳ないとすら思う」
「そんなことはありません! そもそもジオールドは、私を学院島ごと抹殺するために召喚されたのですから」
「それは、あの竜の姿をしたジオールドだ。今回の、人の姿のジオールドの目的は――明らかに、俺だ」
ぐ、と練は拳を固めた。一週間後に対し、もっとも備えなければならないのは、自分だと意識する。
「全身全霊、全力を以て対処することを、君に誓う」
「練さま……」
ぼろぼろとルナリアが涙を流し始めた。
アリスが面白くなさそうな顔をする。
「あーあ、もう格好いいこと言っちゃって。こうやって女を泣かすんだ、練ってば」
「そんなつもりは」
「とにかくさ。往来でする話じゃないよね? ブリタリアって単語を聞きつけたのか、興味本位丸出してこっち見ている連中、ちらほらと出てきたし」
アリスの言葉に紫音が同意する。
「そうだね。まずは学院島に戻り、マリーに報告しよう。全てはそれからだよ」
「ああ」
頷く練の傍にレイチェルが来て、練の服の裾を掴む。
「大丈夫ですよね、レン先生」
不安げな魔法の教え子に、練は微笑みで返す。
「もちろんだ」