異世界間双子
ここは大観覧車のあるレジャー施設の一角。
今日は日曜日、大勢の人が行き交っている。
当然、麗の大声に周囲の目が集まった。
「ブリタリアのお姫さまって、あの異世界のっ?」
「どれどれ、どの子っ!? あの赤っぽい髪のちっちゃい子!?」
「隣の眼鏡の子もすげえ可愛いぜ、おい!」
「俺、金髪の彼女! 気が強そうなところが!」
ルナリアが王女だとはバレていないようだが、それでも騒動になると問題だ。観覧車を楽しむどころの話ではなくなる。
「ど、どうしますです、ルナリア姉さまっ」
「大丈夫です。私たちにやましいことなど何もありません、堂々としていればよいのです」
怯えたようにルナリアの腕にしがみつくレイチェル。
泰然とした態度ながら、やや声が震えているルナリア。
野次馬が集まってきそうな雰囲気だ。アリスが練に問う。
「どうする、練?」
「とにかくここに留まるのはよくない。移動しよう」
「あ、あたしも行っていい?」と麗。
「おまえ、誰かと待ち合わせとかじゃないのか?」
「友達来るけど、待ち合わせまでまだ時間あるしっ。っていうか、この状況で一人取り残されたら心細いしっ」
「そうだな。一緒に行こう」
ひとまずどこに逃げようと練は辺りを見回した。そのタイミングで、紫音が訊ねる。
「その前に、練。少し時間もらえるかな」
「急いだほうがいいと思うが」
「大丈夫、すぐに済む」
すいっと紫音が、両手でオーケストラの指揮をするように構える。
その両手の先から、極めて細い魔法記述光跡が発生した。
極微細魔法記述光跡。
練が、自身の『1』しかない魔力を最大限に利用するために開発した、独自の技術だ。それを紫音が行使する。
「……極微細魔法記述光跡? いつの間に」と練。
「使い勝手がよさそうだからって、ソニアさまが僕の機能に追加したんだよ。この前の、修理の時に。これなら、ほら。ほとんど人目につかない」
極微細魔法記述光跡は、蜘蛛の糸と見間違うくらいに細く、淡く発光している。おかげで日中だとほほ目には見えない。
故に。魔法を行使する相手に、気付かれにくい。
魔法の知識がない一般人相手ならば、なおさらだ。
紫音の手元から、魔法記述光跡が蜘蛛の巣のように拡散し、周辺すべての人の頭に絡みつく。
相手は、ざっと見るだけでも、一〇〇人以上。
「短期記憶消去、起動」
紫音の言葉で魔法が発動。一瞬だけ、ぽうっと魔法記述光跡が淡く発光し、跡形もなく消える。
「……あれ? 何か騒いでたっけ?」
「気のせいでしょ。行こ」
「あ。何か可愛い子たちがいるな。どこの外人だろ」
「さあ。別にどこでもいいんじゃね? どうせ言葉通じないし」
ルナリアたちに興味を示していた人々が、それこそ蜘蛛の子を散らすように、それぞれ目的の場所に去って行く。
後には、普通に人々の行き交う当たり前の雑踏が残るだけだ。
「凄いな、紫音。あれだけの人数の記憶を、一瞬で操作するなんて」
「精神系魔法の簡単な応用だよ。前に言ったよね、然るべき準備さえ整えれば、一千万都民だって精神操作してみせるって。ちょっとは信じてくれたかな?」
ほんの少し得意げな表情で、紫音。
練もグロリアスも素直に感心した。
「それは、初めから疑ってはいないが。それでも、凄いものは凄い」
(おうよ! これでドロイドってんだから、コイツはほんとに凄えぜ。いや、造ったソニアが凄えのか? ま、どっちでも同じことか。凄えものは凄え! 少なくとも、俺にすらできねえからな、こんな同時精神操作なんざ!)
アリスが、後ろから練の背中を軽く押す。
「紫音の魔法は機能なんだから、そこまで感心することもないでしょ。とにかく移動しましょ、とりあえず個室にでも」
「個室? ここはレジャー施設だろう、そんなものがあるのか? カラオケとか?」
「違うわよ。あれよ、あれ」
アリスが、斜め上を指さす。練がつられて見上げた先。
そこには、大観覧車があった。
「高いのです……高いのです! 右も左も遠くまで見えるのです!」
「初めて乗ったけど、たっかーいっ! 天気がいいから、どこまでも見えそうで、見えないところが何だかもどかしいっ」
ちょうど頂点に達した大観覧車のゴンドラの中。
外の景色に興奮したレイチェルと麗が、そっくりな声で騒ぐ。
「これだけ高ければブリタリアも見えそうです、ルナリアさま!」
「練兄、家ってあっち!? 手を振ったらお母さん見えるかな!?」
「ブリタリアは異世界ですから、見えませんよ」とルナリア。
「家はスカイツリーの向こうだ。見えはしない」と練。
練たちがいるのは、定員が六人のゴンドラだ。練と麗、ルナリアとレイチェルで乗っている。
アリスと紫音は、外のほうが有事の際に対応しやすいからと、観覧車乗り場の前で警戒、待機している。
「そうなのですか、残念ですぅ」
「そっかー。残念残念っ」
そっくりの表情で、レイチェルと麗が揃って笑った。
髪と眼の色こそ違うが、同一人物にしか見えない。それはルナリアも同じようだった。
「ほんとうにそっくりなのですね、レイチェルと麗さん」
「ああ。色素が違うから見分けは付くが――異世界間双子、だったか。実在していると信じるしかないな」
「異世界間、双子って?」と麗。
「それはなんなのです?」とレイチェル。
「俺もよくは知らない。ブリタリアで提唱された、こちらとあちら側、異なる世界に存在する偶発的で必然性の高い同一人物――だったか」
「私も単語を聞いた程度の知識しかありませんが、おおむね、そんな認識でした。貴女たちはきっと、姿も魂もそっくりなのでしょう。素晴らしいことです、こんなに愛らしい子が、二人も存在するなんて! 剣十字に感謝を捧げましょうっ」
ルナリアが胸の前で十字を切り、祈りのポーズをとった。
「愛らしいなんて照れるのですっ」
「可愛いなんて照れちゃうなあっ」
そっくりの仕草で照れるレイチェルと麗。
(――すげえな。まるで同一人物だぜ)
――ああ。レイチェルさん一人を見ている時は、これほど似ているとは思わなかった。
偶発的で必然性の高い、異なる世界の同一人物。
レイチェルと麗、二人が存在する必然性。
何か、理由があるはず。だが、その何かを推測するには情報が足りない。
レイチェルは、生まれながらに巨大な魔力の資質を持っているが、麗に魔力はない。
――待てよ?
――ほんとうに、そうなのか?」
(どうした? 何か気になることでもあるのか?)
練は口に出さずに思念のみでグロリアスと言葉を交わす。
――麗は、子供の時の検査では。魔力がなかったが。
――今も、魔力はないままか?
(後天的に魔力持ちになるかってことか? うーん……魔力ってのは生まれながらにして容量がある程度決まるが、訓練で容量を増やすことはできる。
とはいえ、だ。まったく魔力のない奴が、後から魔力を持つようになったという例は、少なくとも俺が生きていた時は、知らねえ)
――だが、グロリアス。異世界間双子というのは、魂レベルで似ているんだろう?
――つまり。魂の一部らしい魔力蓄積霊的構造も、似ているんじゃないのか?
(その可能性は、確かにある。だけどよ。魔力蓄積霊的構造を持っているなら、生まれ落ちた直後の最初の呼吸で、空間から魔力を吸って魔力蓄積霊的構造が活性化するから、ガキの時の検査で魔力がないという結果は――待てよ)
グロリアスが何かに気付いたようだ。しばし、思案するように黙り込み、口を開き直す。
(生まれながらに馬鹿でけえ魔力蓄積霊的構造を持っていたとして。生まれた時の場所が、たまたま魔力が薄かったとしたら。でかすぎる魔力蓄積霊的構造を活性化させるだけの最初の魔力を、吸えなかったとしたら……)
――電気自動車の大型バッテリー、乾電池一本じゃ充電できないようなものか。
(ああ。だから、この世界にはおまえと同世代でも魔法の資質がない奴がいるんだろ。だとしたら、今、麗をそれなりに濃度の高い魔力の中に入れれば、魔力蓄積霊的構造が活性化する可能性があるな)
「うーん……」
練は腕組みをして唸った。すぐに麗が訊く。
「どしたの、練兄? 難しい顔して。お腹でも痛くなった?」
麗の、無垢な瞳が練を映す。呑気で、のほほんとしていて、それでいてしっかり者の、可愛い従妹。
練は性格的にも潔癖なところがあるため、実の妹だと考えたことはない。だが、それでも妹のような存在には違いない。
麗に、まだ目覚めていない魔法使いとしての資質があるのなら。
身内としては、本人に伝えておくべきだと練は考えた。
「なあ、麗。おまえ、今からでも魔法を使えるようになりたいか?」
「魔法?」
麗が、ぱちくりと目を瞬かせる。そして、困惑したように苦笑した。
「うーん……いきなり、訊かれてもなぁ。よくわかんないんだよね、そういうの。あたしはほら、ふつーの人じゃん? 魔法の天才の練兄と違ってさ? 魔法なんて使えないのが当たり前だし、使えなくても困ってないし。やっぱ、いらないかな。魔法」
レイチェルが、先ほどの麗と同じ表情で目をぱちくりとさせる。
「麗さんは魔法が使えないのです? 必要ないのです?」
「うん。あたし、ふつーの人だもん」
これが、この世界の一般人の感覚。練はそう、改めて納得した。
魔法を使える自分のほうが、この世界では異端なのだと。
「あの、練さま」とルナリア。
「すぐに、とは申しませんが……ブリタリアに、参りませんか? きっとそのほうが、その――練さまは、生きやすいと思うのです」
(ま、それもありだろうな。あっちのほうが魔法の勉強も捗るぜ? 何せ、俺が作った王室秘匿書庫もあるからな。今のおまえの立場なら、書庫を利用しても文句を言う奴は少ねえだろうしよ)
王室秘匿書庫。ブリタリア正統王家の序列一位、ソード=ブリタリア家が所有している、魔導の希書、奇書、珍書を管理している場所だ。
ブリタリア王国創始者のグロリアスが、当時の権力をフル活用し、書物を集めて作ったらしい。当然、蔵書には禁書扱いの魔導書も多い。
練にとっては興味の尽きない場所だ。
少し前ならば、二つ返事でブリタリアに行きたいと言っただろう。
だが今の練は、少し考え込んだ。
「……ブリタリア、か。興味はあるが――紫音が、言っていた。俺が向こうに行ったら、色々煩わしいことになると。その煩わしいことを、今はルナリ……いや、王女殿下が、全て引き受けてくれている、と。迷惑をかけているようです、申し訳ない」
ルナリアが恐縮したように、眉をハの字にして微笑む。
「いえいえ、お気になさらず。大したことはしておりませんので……――」
ルナリアがもじもじとし始める。
「それよりも。先ほど言いかけたように、私のことはどうか、名前でお呼びください。敬語も不要です」
(だな。いつまでも王女殿下ってのも他人行儀すぎるだろ。アリスのことは呼び捨てなのによ)
ルナリアを、呼び捨て。改めて意識すると、練は妙に照れくさくなった。
「善処し――するが、呼び捨てはハードルが高い。とりあえず、さん付けからでもいいで……いいかな。ルナリア、さん」
敬語を意識して使わないようにしたら、しどろもどろになってしまった。それが、ルナリアには好意的に思えたらしい。
ルナリアの微笑から困惑の色が消え、声にも喜びの感情が乗る。
「はい。練さまがそうしたいのでしたら」
今日初めて見た、ルナリアの曇りのない表情だった。
その微笑が見られただけで、徹夜明けでも外出に付き合ってよかったと練は思う。
「ルナリアさん。俺もこの辺りに詳しいわけじゃないが、今日は一日、楽しもうか」
「はい! 喜んで!」
そんな会話をしている間に、練たちの乗ったゴンドラは乗り場に近づいていく。
「ずいぶんと降りてきたのです」とレイチェル。
「だね。何周もぐるぐる乗っていたいけど、ダメなんだよねぇ。って、あれ? 何か乗り場の辺り、混んでない?」
麗の言葉で、練は乗り場のほうに目を向けた。確かに人だかりがある。業務用のカメラを担いでいる男が目に付いた。
「まさか」と練が呟いた直後。スマートフォンに着信が入る。相手はアリス。練はすぐに通話に応じた。
『練、マスコミにかぎつけられたみたい。さっきの騒ぎ、SNSで拡散した奴がいたみたいで、何か記者とか来てるのよっ』
ひそひそ声で、アリス。練もつられて声が小さくなる。
「記憶は消せても、すでにツイートされていたということか……記者とかカメラは、どれくらいいるんだ?」
『とりあえず、数人程度だけど。他は、野次馬。やっぱり最初の騒ぎをSNSで知ったみたい。どうする? 変装しててもルナリアは目を引くから、正体がバレる可能性、高いわよっ』
「大丈夫だ。こっちで何とかする。アリスと紫音は乗り場から離れておいてくれ、目立たないように」
『何とかって。できるわけっ?』
「ああ。できると思う。信用してくれ」
『練がそこまで言うなら、きっと何とかできるわね。わかったわ、任せるわよ。それじゃ、また後で』
「……どうかしたのですか?」とルナリア。
「乗り場で記者が待ち構えているらしいが、大丈夫だ。俺が何とかする。ちょうど、試したいものがあるから」
(お。使ってみるのか、魔力『1』カードをよ)
――ああ。今使わずして、いつ、使うんだ。
練は徹夜で作った三枚の魔力『1』カードを、取り出した。