折れる聖剣、砕け散る宝鎚
確実にジオールドを捉えると見えた、ルナリアの斬撃とマリーの打撃。
当たれば致命傷になるだろう二人の連係攻撃は、しかしジオールドの身体をすり抜ける。
「残像!?」とルナリアが驚愕の声を上げる。
叩き潰すべき敵はすでにいないが、マリーのハンマーは急に止められるものではない。勢いそのまま、グラウンドに叩きつけられる。
地面が下から爆裂したように噴き上がる土砂。
ルナリアとマリーが、土砂を避けてそれぞれ後ろに跳び、二人がほぼ同時に着地した。
そして、揃って同じ方向に顔を向ける。
一〇メートル以上離れた場所で、何事もなかったかのようにジオールドが腕組みをして立っていた。
「近距離転移ですか。旧神竜ともあろうものが、せこい真似を――」
ルナリアの言葉の途中で、カシンと乾いた金属音がした。
音がしたのは、ルナリアが両手で構えた聖剣セレブレイト。
その、刃。
次の瞬間。ルナリアの背ほどもある長い刀身が、中央で綺麗に割れ、真ん中から先の部分が落下し、地に刺さる。
「今の一瞬で、セレブレイトをへし折った……だとおッ!?」
マリーが、驚愕に目を見開く。さらに信じられぬものを見る。
ルナリアとの戦闘でひび割れだらけだったハンマーの玄翁部分が、まるでガラス細工のように、あっけなく砕け散る。
「なん……だと……」
絶句するマリー。ルナリアの顔が真っ青になった。
「そんな痛んだ武器で、真っ向から我輩に刃向かうからじゃ、たわけ者どもが。せっかく魔法を使える身なのじゃ、知恵の限りを尽くし魔法で挑めばよかったものを。
反省し、己を鍛えて出直すがよい。さすればもう少し遊んでやってもよいぞ――ふん。もはや言葉を交わす余裕もないと見える」
ジオールドが、練へと顔を向けた。
ドラゴンマスクの眼の部分の、奥。紫色の光る瞳が確かに自分を見ていると練は感じる。
「黒い太陽どもよ。やはりぬしらとのみ、我輩も満足ゆくまで遊べるようじゃ。さっそく――
と、言いたいところじゃが、この身は存外に不自由での。今の動きでさえ、少々無理たったようじゃ。この身を壊しては意味がない――またの機会に遊んでやろう。次こそ存分に、な?」
練の返事を聞くことなく、ジオールドの姿がかき消える。
転移の魔法陣など使わない、純粋な意志の力のみでの転移。
練はその現象に、驚くよりも感心した。
「あのレベルの存在になると、術式なんかなくても魔法と同じ効果を得られるのか。転移は魔法でも高難度の部類なのに。凄いな、旧神竜というものは」
(意志や感情のみで発動させる魔法は原始的であると同時に、究極だからな、ある意味。俺たちのやっている魔法は、言っちまえば、連中のやってる奇跡の真似事だ)
奇跡の真似事。それが、魔法。
グロリアスの言い方は自虐的だったが、練は、真似事だろうが卑下するものでもないと思う。
「真似事でもいいさ。極めれば、それも本物になる」
(いいこと言うじゃねえか、我が弟子よ。それはそうと。可哀相な王女と公爵、フォローしてやったほうがいいんじゃねえのか?)
「――だな」
練はルナリアに視線を向けた。
まさにルナリアは膝から崩れ落ちるところだった。折れた聖剣を両腕で抱え込み、うつむく。
「紫音は学院長のフォローを頼む。俺はルナリアのところに行く」
練はルナリアを呼び捨てしたことに気付かない。一般市民ならば死罪にもなりかねない不敬だが、練はブリタリアの公爵であり、非公式の扱いではあるが、ルナリアの婚約者という立場。
もっとも。そんな立場に関係なく、練がルナリアを呼び捨てにすることを、紫音と紫音の創造主であるソニアは、喜びこそすれ咎めるはずはない。
少し嬉しそうに、紫音がソニアの口調で返す。
「それがいいわね。妹は任せるから、こっちも任せてちょうだい」
「わかりました」
練は急いでルナリアの元に向かう。その後ろにレイチェルが続く。
「レイチェルも行きますです!」
でこぼこだらけになったグラウンドに難儀しつつ、練はルナリアのそばに来た。
魔法術装の白銀の鎧は、遠目で見た印象よりかなり酷かった。マリーとよほど強烈にやりやった証拠だ。
傷んだ武器。
ジオールドは、確かにそう言った。聖剣セレブレイトも、ジオールドがへし折るまでもなく相当のダメージを負っていたらしい。
ルナリアがマリーと決闘などをすることになった理由は、自分にある。それがわからない練ではない。
ルナリアは、少しでも練と一緒にいたいがために、王位継承権まで賭けて、マリーとの決闘に臨んだのだ。
だからこそ。掛ける言葉もない。
途方に暮れて練は立ち尽くす。
(まー。とりあえず泣くのに胸でも貸してやればいいんじゃね?)
「あの。王女殿下。立てますか?」
「……………」
ルナリアがささやくように何かを言った。よく聞えず、練はかがみ込む。
「あの。大丈夫――」
「折られてしまいましたあっ!! 私が未熟なせいでッ!!」
勢いよく顔を上げたルナリアの目元から、舞う大粒の涙。
片手で剣を胸に抱いたまま、もう片方の手でルナリアが練の首に抱きつき、子供のように声を大きな声を上げて泣きじゃくる。
「うわああああんっわああああんっ! ひっ、ひっくっ、
うわああああああああんっ!!」
慰めようにも、練は、巨大な聖剣を簡単に振り回すルナリアの強烈な力で首を締め上げられ、声が出せない。
それどころか、窒息している。さっそく息苦しくなってきた。
パンパンとルナリアの背中を片手で叩くが、締める力はいっこうに弱まらない。どころか、ますます強くなる。
「ひっく、練さま、やっぱり、お優しい、そこが溜まらなく、愛しい、のです、ふええええんっ」
――喜ぶべき言葉なのは、わかる。
――だが。
――このままだと、俺は。
(死ぬよなあ、確実に。窒息するより先に、首が折られるんじゃね? ほれ、みしみし言ってるぜ? 首の骨)
「とーうッ!!」
真上から、アリスの声が振ってきた。校舎の三階から、得意の飛行魔法で飛んで来たらしい。
練は首を動かせず、眼だけでどうにか上を見やる。
青空を背景に、長い金髪ツインテールを躍らせて、アリスがすたっとルナリアの背後に降り立った。
「寝ときなさい。練、死んじゃうし」
アリスがルナリアの頭の後ろに魔法記述光跡を発生させる。
一瞬で、睡眠導入の魔法を組み立て、発動。
「ふぁ? ――くぅ…………」
練の首にしがみついたまま、ルナリアが寝息を立て始めた。首を絞める力が少しだが緩み、練はどうにか息ができるようになる。
「はあああああ……。助かった、アリス。ほんとうに死ぬかと思った」
「この貸しはデート五回で払ってくれればいいわよ?」
得意満面で、しかし少し照れながら、アリス。
練はわずかに眉を寄せる。
「五回は多いな。三回にまけてもらえないだろうか、魔法の自習をする時間が減ると困る」
「もー。しょーがないなー。じゃあ、どこかに出かけなくてもいいから、大図書館で二人だけで勉強するのも、一回に数えてあげる。私の刃精製魔法、なんならレクチャーしてあげてもいいわよ?」
刃精製魔法。千の刃を操るものの二つ名を持つ、アリスそのものとも言えるもの。
当然、魔法オタクを自負する練と、同じく魔法オタクを体現しているグロリアスの興味を惹かないはずがない。
「それなら、五回と言わず一〇回、いや二〇回、いっそ俺が一通り刃精製魔法を理解しマスターするまで、付き合ってもらえないだろうか」
(いいないいな、それ! 魔力『1』じゃ大したことはできそうもねえが、知識は絶対に、無駄にだけはならねえからな!)
「どーしよっかなー」
アリスがもったいぶった態度を取る。頼むとさらに言い募ろうとした練は、横から服の裾を引っ張られて我に返った。
「あのぉ。ルナリアさまをぶら下げたまま、いちゃいちゃするのってよくないと思う、です」
レイチェルの、困惑と呆れが混ざった眼差しが、練に突き刺さる。
「い、いちゃいちゃなどしていない」
「いいじゃない、いちゃいちゃさせてくれたって。貴女の王女殿下は、お休み中なんだから」
でもまあ、と挟んでアリスが続ける。
「いちゃいちゃしている場合じゃないのも、確かよね。なにせ、王位継承権争いの決闘が、うやむやになったのはいいけれど、その二人が、誰がどう見てもまともじゃないのに、負けちゃったんだから」
「むぅ」と練は短く唸り、校舎に目を向けた。何を言っているのかまではわからないが、校舎の三階の窓辺に並んだ野次馬たちが、ざわついている。
その一角。金髪の若い女講師が、必死の形相で大声を立てていた。
「皆さん、SNSとかで拡散しちゃあ、ダメですよお! 学院長に言ってスマフォ禁止にしちゃいますよ、もお! インターネットに写真アップとか、絶対ダメですからッ!!」
練たちの担任教師、シャーリー・ギルバートが、騒動を収めようとしているが、彼女の手に負えるものではなさそうだ。騒ぎはまったく収まらない。
シャーリーの声はアリスにも聞き取れたようだ。アリスが苦り切った顔をする。
「……そういう注意は逆効果よねぇ。事の重大さは、こっち生まれの生徒にはよくわかんないのに」
「事の重大さ?」
練は軽く首を傾げた。レイチェルが声を裏返して問う。
「レン先生、わかってないです!? ソード家の象徴たる聖剣が折られ、ハンマー家の伝家の宝鎚クリムゾンが砕かれたのです、これはもうブリタリア王国存続の危機なのです!!」
「……さすがにそれは大げさでは」
(日本人の感覚だと、そーだろうなあ。でもまあ。国家存亡の危機とまでは行かずとも、ソード家とハンマー家の存続の危機ではあるんだぜ?
この国で言うならば、そうだなあ。熱田神宮だったけか? 国家の象徴っつーか三種の神器の一つの何か凄い剣があるのって。今回のことは、その剣が賊にへし折られたってのと大差ねえ)
「……大事じゃないか」
「そうなのです! 大事、なのです! もしかしたら我がランス家が、ブリタリア正統四王家の序列一位になるかも、です!」
ふんふんと鼻息荒くレイチェル。その様子にアリスが面白そうに笑う。
「ルナリアを慕っているくせに、そういうところはやっぱりブリタリアの王族なのね、レイチェルも。殺し殺され、食い食われ。力あるものが王になるべき、と掲げる王族の血なのかしら」
(ま、そういうこったな。序列二位のランス家の娘なら、序列一位の現王のソード家の失墜は、喜びこそすれ同情なんかしねえ)
練は、自分に抱きついたままアリスの魔法で眠っているルナリアの身体を、そっと抱き返した。
鎧の上からでもわかる。多少同世代の女子よりは肉付きがよいとはいえ、男の練にしてみれば、華奢な体つき。
――いざとなったら。俺がこの人を、守らないと。
(おまえのそうゆうところ。俺は好きだぜ?)
――ちゃかすな。とにかく今は、この場を離れたほうがいい気がする。
(同意だな。校舎の連中は好きに騒がせておけばいいが、生徒のSNSから拡散された情報で、マスコミがこねえとも限らねえ。取材ヘリなんかで来られて映像とられたら、やっかいだ)
練は、離れたところでマリーを介抱している紫音に視線を向けた。
紫音も同じことを考えていたようだ。マリーを抱きかかえて立ち上がり、練に頷き返した。
「ジェンカたち。学院長本室までルナリアを運んでくれないか」
練は、すぐそばで待機していた三体のジェンカに告げた。
「承知したデス」「イエス、サー」「了解デス」
ジェンカたちがルナリアを練から引きはがそうとした。だが、ルナリアは眠っているのに練の首に回した手を離そうとしない。
「マスター練の首を切り落とすしか、姫さまを剥がすことができそうにないのデスが、よろしいのデス?」
「よろしくない。仕方がない、王女殿下は俺がどうにか運ぶとするよ。ジェンカは折れた聖剣の先と、ルナリアが握ったままの聖剣をどうにか支えてくれないか」
「心得ましたデス」「わかりましたデス」「重さは軽減できるデス」
ジェンカの一体が、折れた聖剣の刃を拾って抱えた。残り二体が、ルナリアと、ルナリアが握ったままの聖剣に向けて魔法記述光跡を発生させる。
重力制御。その術式が練には読み取れた。
「重力制御なんて使えるのか、君たちは」
魔法は本来、高度な霊的構造を持つ人間にしか使えない。だが、魔法道具開発の天才、ソニア・ソード=ブリタリアは『魔法の使えるドロイド』を開発した。
それがジェンカであり、ジェンカの上位モデルにして特別製ドロイド、紫音。彼女たちは人工の魂さえ持っている。
「驚くには値しないデス」「隠密行動用の機能の一つデス」
あっさりと、ジェンカたち。練は軽くなったルナリアを抱え直した。自然と、お姫さま抱っこをする形になる。
アリスが練を指さし、大声で主張する。
「あー! ずるいずるいずるーい! ルナリアばっかり! 私も練にお姫さま抱っこされたーいッ!!」
「ブリタリア人でも地団駄って踏むんだな」
「だって羨ましいんだもんっ! お姫さま抱っこは乙女の夢でしょう、夢ーっ!」
じーっとレイチェルも練とルナリアを見て、口元に指を当てる。
「レイチェルもちょっと羨ましいのです。レン先生、まるで姫さまを守る騎士みたいなのです」
騎士。そう言われると、練も悪い気はしない。
だが調子に乗るような性格でもなく、ただ、事実のみを答える。
「俺の騎士になりたがっているのは、王女殿下のほうだし、俺は騎士なんて柄じゃない。ただの、魔法オタクだから」
(おう、まったくもって、その通り)
「そんなことはないと思うのですけれど……」
まだ何か言いたげなレイチェル。練はこれ以上は会話に乗らず、マリーを抱えた紫音と合流して学院長本室のある学院運営事務局棟に向かった。