ド根性女の暴走
レイチェルのサンドイッチを食べ終わった後。
少しの食休みをはさみ、練はレイチェルに指導を始めた。
「君の場合。魔法記述光跡の構築中に暴走させてしまうのは、力みすぎているせいだと思うんだ」
「力みすぎ、です?」
「ああ。魔法を制御しないと、と意気込みすぎて、ただでさえあまりある魔力を、余計に魔法記述光跡に注ぎ込んでしまっているように見える。結果、自分の魔法制御処理能力をあっさり超えてしまい、暴走する」
「ええと。よくわかりませんです、レン先生」
「簡単に言うとだ。頑張りすぎている」
「頑張りすぎ、です? でもレイチェル、魔法は苦手だから頑張らないといけないと思うのです!」
「意気込みは、よくわかる。今まで学んでなかった魔法を修得したいという気持ちもわかるんだが、君が最初に修得しようとしているライティングは、別に頑張らなくても使える魔法なんだ」
真面目な顔で話を聞いているレイチェルに、練は続ける。
「今日、君はサンドイッチを作るのにキュウリを切った。使ったのは普通の庖丁だったよな? キュウリを薄切りにするのに、ルナリアの聖剣を使うような真似をするか?」
練のたとえ話に、レイチェルが焦る。
「ル、ルナリアさまの聖剣を、キュウリを切るのになんて考えるわけもないのですっ。いくらなんでも大げさなのですっ」
「そう、大げさ。当然だ。けれども、だ。君がライティングの魔法でやっていることは、それと同然なんだ。とにかく、頑張らなくていい――」
言い終える前に、練の制服のポケットでスマートフォンが震えた。ブーンブーンとマナーモードのヴァイブレーションが続く。メールやラインではなく、電話の着信のようだ。
「ちょっとごめん。電話だ」
練は断りを入れて、スマートフォンの通話に応じる。画面に表示された相手は、アリス。
『練、大急ぎで高等部のグラウンドまで来てッ!』
耳がキーンとするほどの大声に、練は思わず顔をしかめる。
「怒鳴らなくても聞えている。何があった?」
『どうしてもその書庫の入室を許可しないって言い張る学院長に、ルナリアがつい、切れちゃって! 王位継承権をかけての決闘になっちゃったのよ!!』
「学院長と王女殿下が、王位継承権をかけての、決闘――?」
(そいつは愉快な大事だな、はっはっはっ!)
「どうして、そんなことに」
早口でアリスがまくし立てる。
『私設宇書庫は、魔法使いそのものだってことは、練だって知っているでしょ? 学院長にとっては、全てをさらけ出すに等しいわけ! それに見合うものを出せるのかって学院長に言われたルナリアが、じゃあ私の王位継承権を賭けましょうなんて言っちゃって! どっちも後に引けなくなって、決闘に!」
「……やりとりが目に浮かぶようだ」
(ド根性女だからなあ、あの王女! ま、それくらいじゃないといつか王位を継ぐことがあったら、やってけねえけどな!)
実に楽しそうに、グロリアス。
紫音が苦笑し、ソニアの口調で言う。
「……ルナリア。ああ見えてけっこう短気なところがあるから。ごめんなさいね、練くん。止められるものなら、止めて欲しいけれど。無理ならせめて、見届け人を頼める?」
「見届ける……いや。止めてみせる。レイチェルさん、君の助けが必要だ。一緒に来てくれるか?」
「レイチェルが、ですか? わ、わかりました! 何ができるかわかりませんけれど、ご一緒します!」
「助かる。聞えていたか、アリス? すぐに行く!」
『待ってるわよ、練! とにかく大急ぎでよろしく!!』
「急ごう」と練。
「僕も行くよ」と紫音。
「頑張って走りますです!」とレイチェル。
スマートフォンをしまう間も惜しんで、練たちは急いで高等部のグラウンドに向かった。
中央ブリタリア王城、カミル・ソード=ブリタリアの私室。
部屋に入り口は一つのみ。窓はなく、全ての壁が書架になっている。ちょっとした図書館並の蔵書は、魔導書から帝王学、経済学、心理学と多岐にわたる。
一三歳の少年らしからぬ、学者のような部屋である。
生活感は、小さめのベッドからしか感じられない。
ベッド横の机で、カミルは水を張った小さな銀の皿を覗いていた。
注意して見ないとわからない程度に、水は赤みを帯びている。
その揺らめく水面に映っているのは、練の後ろ姿。
カミルの許嫁、レイチェル・ランス=ブリタリアの視界そのものだ。
皿の水には一滴のみ、レイチェルの血を混ぜてある。その血を触媒にした、精神系応用の遠視魔法。カミルのオリジナルの魔法だ。
水面からは、音も聞えてくる。
『学院長と王女殿下が、王位継承権をかけての、決闘――?』
練は誰かと電話をしている。相手の声は聞えないが、カミルはアリスだろうと推測した。
「また、面白いことに。ルナリア姉さま、マリー・ゴールドと何か揉めたか、黒陽練がらみで。感情で動く愚かな人だから……いや。だいたいの女性は、そうか。どうにも論理的思考に欠けている人が多い。ソニア姉さまなんて感覚のみで生きているみたいだし」
誰が、感覚のみで生きてるって?
そんなソニアの声が聞えた気がして、カミルはぎくりとした。
恐る恐る、背後のドアを振り返る。ドアには物理的にも魔法的にも施錠をしている。
わずかにでもドアが開き、そこから中をソニアが覗いているようなことなどありえない。
ほっと息をつき、銀の皿の水面に目を戻す。
練がスマートフォンをしまいながら、移動を始めるところだった。
「とりあえず、様子を見守らせてもらおうか。個人的には、ルナリア姉さまのほうが扱いやすいから、王位継承権二位がマリー・ゴールドに移らないほうがいいんだけれど……
いずれにしても、最後は僕が王位をもらうことに変わりはない。予定通りに全部片付けてみせるさ」
野望を隠さない、カミルの眼光。
その眼を、レイチェルは知らない。