御身に、娶られに参りました。
「あ、今のは王女殿下に言ったわけじゃ。って、聞いてませんね、もはや」
(こういう時は一発、ビンタでもしてやりゃいいんだよ。ほら、バチンと)
「……王女殿下にそんなことできるわけ――」
練の言葉の途中で、平手打ちに似た音がパンと響き、ルナリアの顔が横を向いた。
まるで誰かにビンタをされたかのように。
「おまえ、勝手に!」
グロリアスが練の左手を許可なく動かしたかと練は思ったが、左手はそのままだ。動いた跡はない。
(俺じゃねえよ。何かいるぜ? ほら、そこ。幻術系魔法で隠れていたのが出るぞ)
ルナリアのすぐそば。何もない空間が、ゆらりと揺らぐ。
先ほどルナリアが現れた転移の魔法とは違い、空間からにじみ出すように人影が現れる。
「……子供?」
現れたのは、メイド服姿の少女だった。
一二〇センチに届いていないだろう背丈。ヘッドドレスを飾ったショートカットの髪は、桃色がかったブロンドという珍しい色合い。
メイド服は長袖にロングスカートというクラシカルなタイプで、白い手袋をはめている。そのため、肌は顔と首の辺りしか見えない。
「しっかりするデス、姫さま。これは想定の範囲デス」
と、メイド少女。舌足らずで、どこか機械じみた棒読み。
ぱちくりとルナリアが瞬きをし、瞳に意志の光が戻った。練に差し出していた剣を持ち直すとメイド少女に話しかける。
「あら、ジェンカ。来ていましたか。いつの間に」
「ジェンカはいつも姫さまのおそばに、デス」
ジェンカ。それがメイド少女の名前のようだ。
練は無意識に、じろじろとジェンカを観察するように見た。それにルナリアが気付く。
「この子はジェンカ。私の護衛ドロイドです」
「ドロイド? この子が? まさか」
ドロイド。
近代ブリタリア式魔法が生み出した、人工精霊を宿した自律人形の一種だ。
人型のものをドロイド、大型で人型に限定されないものをゴーレムと呼ぶ。
ドロイドはしょせん人形である。人間と見間違うほど精巧なものはない――と、知られているが、目の前のメイドは人間にしか見えなかった。
ルナリアが嬉しそうな表情をする。
「はい、私の護衛ドロイドです。ブリタリア史上でも屈指の魔導具師と名高い、我が姉ソニアの手がけた逸品で、小型ですが屈強な兵よりも力が強く、様々な魔法を機能として内蔵しているのですよ。姿を消すのもその一つなのです」
ルナリアの姉、ソニア・ソード=ブリタリア。
ブリタリア王国第一王女にして王位継承権第一位の、ルナリアの姉だ。
無表情のままジェンカが真っ平らな胸を張る。
「えへん。それほどでもデス」
(魔法が使える人工精霊は、俺も生きている時に研究していたが。ソイツをドロイドに組み込み、実用化するとは。ソニアって奴はでたらめに優秀じゃねえか)
グロリアスが感心したように、ジェンカを見る。
魔法を組み込んだ道具は様々に存在するが、道具が魔法を発動させることはない。
あくまで魔法を発動させるのは人間だ。魔法が使えるドロイドなど聞いたことがなかった。
「……凄いのか、この子。そうは見えないが」
と練。ルナリアが前のめりになる。
「凄いのです、ジェンカも、ソニアも! 我が姉ながらソニア姉さまはほんとうに優秀で、魔法技術も聖騎士の位を得た私よりずっと上で――はっ。も、申し訳ありませんっ。はしたないところをお見せしてしまいました」
「別に気にしません」
(ちっとは気にしてやれっての。女心がわかんねえ奴だな)
――特にわかりたいとも思わない。
こほん、とルナリアが自らを落ち着かせるように咳払いをした。
「騎士たるもの、主と仰ぐ人物の前でうろたえるものではありませんでした。今は剣を授かれなくても、私の忠誠は変わりません。いつか認めていただくまで――」
不意にルナリアがわずかに頬を染めた。
ぬいぐるみでも抱くように大剣を胸元によせ、何故か身をくねらせる。
「そ、それよりも。大事なことを、私は練さまに、宣誓しなければなりません」
すすす、とジェンカがルナリアの斜め後ろに移動した。
ルナリアが片手で魔法記述光跡を発生させ、小さな魔法陣を描く。その内容を練は読む。
「指向性……音の範囲限定?」
声が周囲に漏れることなく練のみに届くように、ルナリアが魔法を発動させた。
「御身に、娶られに参りました」
その声が、まるで耳のすぐそばでささやいたかのように聞こえた。
娶られに。言葉の意味がわからず、練はきょとんとする。
(娶るって言葉、知らねえか? ま、この国じゃ古くせえ言い回しだよな。早い話、おまえの嫁になりに来たってよ、このお姫さま)
「は?」
練はグロリアスの言葉を整理し、考えた。
結婚しに来た。ルナリアは、そう言ったようだ。からかわれているとしか思えない。
「申し訳ないんですが、ブリタリア式の冗談は、俺にはわかりません」
(冗談じゃねえと思うぜ、今の。っていうか、練。ほんと女心がわからないな、おまえ)
冗談じゃないなんて、まさか。練は思わず苦笑した。
剣を抱いたまま、ルナリアがぴくりと小さく身を震わせた。
「じょ、冗談――冗談……じょ、じょ、じょ――」
再びルナリアが硬直し、瞳の光が消えた。
どうやら想定外の事態への対処が苦手らしい。