人間をやめる方法とサンドイッチ
練がレイチェルに個人指導を始めて、数日。今日は土曜日だ。
ここ、国立魔法技術学院は全学、土曜日も授業がある。大学はどこもだいたいそうだが、昨今の中学校、高校はほとんどが週休二日。
この学院に土曜日も授業があるのは、魔法学のためだ。
通常の五科目系を最小限の時間割にしても、他の学校にはない魔法学のせいで、平日五日間ではどうしても足りず、土曜日は午前中のみ、授業がある。
練のクラスは今日、魔法学の授業がなかった。そして今、最後の授業が終わったところだ。
「さて、と」と練は学習用具をカバンにしまい、席を立った。
すぐさま、両隣のルナリアとアリスも席を立つ。
「練さま、自習室の個室を予約してあります。完璧な防音結界完備ですので、王族のみに伝わる秘術秘法を伝授できますけれど、いかがでしょう」
「練! 放課後は暇よね、暇でしょ! カフェでお茶した後、大図書館で一緒に勉強しない? 刃系の魔法、レクチャーしてあげるわよ!」
右からルナリア、左からアリスがそれぞれ練に話しかけた。
練は器用に、右と左で聞き分ける。
「アリスの刃系魔法も興味あるし、王女殿下の秘術秘法なんて教えていただけるなら光栄なのですが、今日はちょっと、先約があって」
「先約ですって?」「先約、ですか?」
「レイチェルさんに頼まれているんです。今日の放課後も、魔法を教えてもらえないかと。断る理由もないし、あの書庫で調べ物もしたいから――」
ずいっとアリスとルナリアが練に身を寄せる。
「行ってもいいわよね」「決してお邪魔はいたしませんから」
有無を言わせるつもりがない様子のアリス。
控えめながら、こちらも頑として断らせないつもりらしいルナリア。
練は、少し離れた席の紫音に目を向けた。苦笑している紫音と目が合う。
「場所が学院長の私設書庫だから、学院長がいいと言えば、いいんじゃないかな」
「――だ、そうだ」
「行くわよルナリア。学院長のところへ」
「はい。必ずや私設書庫の入室許可をもらいましょう。では練さま、また後で」
アリスとルナリアは、足早に教室を出て行った。それを見送り、練は紫音と一緒に教室を後にする。
「許可、もらえると思うか?」
「まあ。無理だろうねえ、許可を出す理由がないとか言われるのがオチじゃないかな」
(まー、そうだろうなあ。ルナリアに至っては、いちおう王位継承権の競争相手でもあるからな。書庫の公開は、ライバルに手の内を晒すようなもんだ)
と、グロリアス。練は立ち止まり、ふと気になった疑問を口にする。
「マリー学院長。ハンマー=ブリタリアって四王家だと序列四位だよな。王位継承権、何位になるんだ? 素人考えだが、かなり下なのか、やはり」
「学院長? 王位継承権は四位だよ」
「四位!?」
一位はソニア。二位はルナリア。そして三位はカミル。
ソード家の嫡女嫡男に続く、王位継承権四位。
予想外に高い順位に、練は驚いた。紫音が微笑しつつ説明する。
「ブリタリアの王家はの序列は今、一位のソード、二位のランス、三位のシールド、四位のハンマーなんだけど。王位継承権の優先権は今、序列一位のソード家が持ってる。
ソード家直系の子供が生まれた順で一位、二位と上の順位になるわけだけど、他の王家は、全部ひっくるめて年齢順になるんだ。
『鉄槌使いの紅い魔女』ことマリー・ゴールド・ハンマー=ブリタリアは、たしか……二三六歳になったんだったかな? 誰も、マリー学院長の王位継承権第四位に文句なんてつけないさ」
「……二〇〇歳以上だって聞いていたが。ほんとうだったのか……。魔法を極めれば不老不死にさえなれるんだな」
「不老不死とは違うけどね、学院長は。限りなく不死に近い不老というだけで、致命傷を負えば死ぬって聞いてる」
(人間辞めれば不死になる方法も、あるにはあるけどな。自身を霊的に改ざんし、人間以外のものになればいいんだぜ)
「……人間以外の、もの?」
練のグロリアスへの反応に、紫音が軽く首を傾げる。
「いや、学院長は人間辞めてないと思うけど。人間を辞める気になれば、学院長クラスの魔法使いなら、本物の不老不死に近い吸血鬼にでもリッチーにでも、なれるからね。まあ、そんな魔法は禁呪だから、使った時点で王国から誅伐対象認定されて、狩られるだけだけど」
吸血鬼。リッチー。どちらも、RPGなどのゲームではメジャーな不死の魔物だ。練にとってはファンタジーそのもの。
そんなものになる魔法が実在する。その事実が練を興奮させた。
「アンデッドになる魔法が、ほんとうに存在するのか! 単なる物理現象や精神操作の領域をはるかに凌駕しているじゃないか、その魔法は! いったい、どういう原理なんだ?」
(そう興奮するんじゃねーよ、気持ちはわかるけどよ。研究したいなら止めはしねえが、研究するだけで異端扱い、この前もらった爵位は剥奪、ブリタリア領からの永久追放だからな?)
「練、研究したいなんて言わないでくれよ? 大事な友人の君を異端として糾弾する先鋒になんて立ちたくないから」
グロリアスも紫音も、深刻な口調だった。
練の興奮が一気に冷める。
「……人が行っていい領域の魔法じゃないということか。わかったよ、安易に興味を示さないよう、気を付ける」
「わかってもらえたようで、よかったよ。それじゃ行こうか、練」
「ああ。昼食は購買でパンでも買って、簡単に済ませよう」
「それがいいね」
教室を出たところで立ち話をしていた練と紫音は、マリーの私設書庫へと向かった。
「ええっ。レン先生、昼食、済ませてしまったのです!?」
マリーの私設書庫で顔を合わせたレイチェルが、声を裏返らせた。その手には、小ぶりのバスケット。中身は、今日の家庭科調理実習で作ったサンドイッチらしい。
レイチェルが露骨にしょんぼりとする。
「お昼、ご一緒しようとサンドイッチを持ってきたのです……食べていただこうと、誠心誠意、作ってきたのです……けれど……」
「問題ない。いただくよ」
(……運よく買えた、いつも売り切れのカツサンドに焼きそばパン、極厚コロッケパンの購買の三大がっつり系の総菜パン、喰ってきたよな?)
練は腹にずっしりとした満腹感を覚えている。
正直、食べ過ぎたと反省していた。
それでも練は、レイチェルのバスケットに手を伸ばす。
「問題、ない」
「……練ってそういう一面、あったんだ。素直に尊敬するよ。僕も食べてもいいかな、レイチェル?」
「はいです! あ、でも。紫音さんってソニアさまの造った内緒のドロイドさんでしたよね? お食事ってできるのです?」
「大天才ソニアさまの最高傑作だからね、僕。人間にできることは、どんなことでもできるように造られているんだ」
「どんなこと、でも、です? すごいのです!」
しょんぼりしたばかりのレイチェルが、目を輝かせた。実に子供らしい気分の変化の早さだ。
レイチェルがしょげていると、まるで従妹の明星麗が凹んでいるように思えてしまう練は、ほっとした。
レイチェルから受け取ったバスケットを開き、中を見る。
綺麗にパンと具の断面が揃ったサンドイッチが、隙間なく詰められていた。
白と緑のゼブラ模様。具は全て、緑色――。
「レイチェルさん。これ、具は?」
「キューカンパーです! サンドイッチと言えば、やっぱりこれなのです!」
「キューカンパー……?」
(キュウリだな)
「キュウリだよ」
グロリアスと紫音の声が重なった。紫音が付け加える。
「ブリタリアの文化形態は、こっちの世界のイギリスに似ているからね。イギリスでもメジャーなはずだよ、キュウリサンド」
「そうなのか。これ、具はキュウリだけなのか? 全部?」
練は誰にともなく訊いた。おずおずとレイチェルが答える。
「はいです。キュウリだけ、です。あの……ダメだったです?」
再び、レイチェルがしょんぼりしそうになる。練はその姿に従妹の麗を重ねて、少し慌てた。
「大丈夫だ。キュウリだけというサンドイッチを知らなかっただけだ。キュウリは嫌いじゃない、いただくよ」
練は満腹感に対抗し、サンドイッチを一つ手にして口にした。
柔らかなパンの風味、質のよいバターの香り。ワインビネガーと思しき酸味、それから塩の味。
薄切りキュウリの歯ごたえが、しゃくしゃくと心地よい。
まさに、満腹でも食べられるような、あっさり系の味だった。
「……うん。旨い」
ぱあっとレイチェルに笑顔の花が咲く。
「ほんとですか! よかったです!!」
紫音が横からバスケットに手を伸ばし、サンドイッチを一つ取って小さく一口食べた。
「どれ。僕もご相伴にあずかるとするよ……うん。とても上手にできているね、塩加減が絶妙だよ」
(かーっ。今の俺の何が不満って、こういう時だよな。ちょいと練、身体半分借りるぜ!)
練の魂の同居人、グロリアスは普段、練の左目にしか見えず、声は左耳にしか聞えないが、その気になれば、練の左半身のみならばグロリアスの意志で動かせる。
「ちょっ――」
と待て、と練が言い終える前に、左半身の自由が消えた。顔半分の自由も持って行かれて変な感じがしたので、練はこの際、一切、抵抗するのをやめた。
もぐもぐと自分の身体が咀嚼するのを、他人事のように感じる。
「おー! 旨えな、うん! 嬢ちゃん、いい嫁さんになれるぜ!」
練の声で、グロリアスの言葉。口調がまったく違う。
きょとんとするレイチェル。
「……レン先生が、何だかいきなりワイルドになったのです?」
「はっはっはっ、気にすんな! そんじゃ、ごっそさん!」
グロリアスが身体の優先権を練に返した。一瞬だけ練は身体に違和感を覚えるが、すぐに馴染む。
不思議そうな顔で練を見ているレイチェルに、どうごまかしたものかと数秒、思案。
「……あんまりに美味しかったので、つい。ちょっと我を忘れた」
「そ、そうなのですか。ちょっと驚きましたけれども、とても、嬉しいです! どんどん食べちゃってください、です!」
どうやらごまかせたようだ、と練はほっとして、サンドイッチを改めて味わった。