異なる世界の双子
「で。今日はレイチェルに何を教えてきたわけ?」
「私も大変、興味があります。ぜひ、お話しください」
高等部の寮共同施設内、大食堂。練と紫音、アリスとルナリアは夕食を共にするのが日課になっている。
レイチェルへの練の魔法指導が始まった、その日の夕食時。
夕食をテーブルにおいたアリスとルナリアは、食事よりまず先に、練に質問した。
「理科を教えてきた」と練。
「理科?」「理科、ですか」とアリスとルナリア。アリスが続ける。
「なんでそんなの教えるわけ? 練、魔法の家庭教師を頼まれたのよね?」
「ああ。だから、理科からだ」
「すみません。理解が及ばないのですが……何故、理科なのですか?」
と、ルナリア。ルナリアほど魔法を極めていても、科学と魔法を関連して考えないとは、と練は改めてブリタリア人の感覚を理解した。
「魔法の効果は、精神系を除くと物理現象が多い。だから、理科なんだ。火や光、水や風、電気などを科学的にある程度でも理解すれば、それは必ず、魔法制御の役に立つ」
「ふーん。そういうものなんだ」
「そういうものなのですね」
わかっているのか、いないのか。アリスとルナリアが、こくこくと頷く。
(まあ、わかってねえんだろうなあ。この世界が長いアリスなんかはわかってもいいと思うんだが、コイツはコイツで魔法の才能があるから、魔法習得に悩んだことなんざねえんだろうな。感覚的にできちまう奴は、往々にして理論なんて気にしねえもんだし。
ルナリアはルナリアで、コイツは麗しい見た目のくせに中身はただの『ど根性女』だからな)
「ど根性?」
うっかり、練は声に出した。グロリアスが楽しそうに返す。
「根性って、何の話? レイチェルのこと?」とアリス。
「ど根性、ですか。レイチェルは、確かに頑固なところがありますが」とルナリア。
(常軌を逸したレベルの根性がなきゃ、どれほど才能があろうが三年で素人が聖騎士になんざ、なれねーっての)
なるほど、と納得しつつ、練は声に出してしまったことを反省する。
「あ、いや。何でもない。レイチェルさんがそうだって話でもないから、気にしないでくれ」
「ま、いいけれど」
アリスがようやく食事を始める。スパゲティナポリタンにフォークを突き立て、くるくると巻き取るとそれを練へと差し出した。
「はい、あーん」
「え」
「ちょっとお待ちくださいっ」
ルナリアが慌てて、手元のハンバーグステーキを一口大に切り分け、それをフォークで刺すと練へと向けた。
「はい、どうぞ」
「ええっ」
練は突きつけられたナポリタンとハンバーグを交互に見ると、そのまま視線を周囲に向けた。
「……まーたやってるぜ、黒陽の奴」
「いちゃいちゃしやがってよ、クソ羨ましい」
「しかも相手が千羽と王女殿下だぜ?」
「ああ贅沢だ、贅沢だっと」
「なのに困った顔しやがって」
「……奴には死すら生ぬるい」
主に男子生徒のやっかみの視線が、練に突き刺さる。
どうしたものかと困る練。す、と紫音が動く。
「じゃあ僕がいただくよ」
紫音が箸で器用にナポリタンとハンバーグを自分の和定食Aの皿に移した。
ちっとアリスが舌打ちし、ルナリアが露骨に残念そうな顔をする。
「毎度毎度、邪魔をしてくれるわね。ソニアさま」
「姉さまのご意向とあらば、私は従わないといけません」
「いやあ、そこまで深く考えなくてもいいよ。それよりちょっとは練の世間体ってものを考えてやってくれないかな、二人とも」
「私にあーんされるのが、恥ずかしことってわけ?」
「僕じゃなくて練に聞いてくれないかい?」
「じゃあ、練。どうなのよ」
「俺個人は、実のところ別にどうとも思わないんだが。どうも、それを見るのが嫌な連中が、多くいるらしい」
「人目なんか気にしなくていいのに。でもまあ、そうゆうことなら。今度、二人っきりの時にやってあげる」
にひ、と笑うアリス。ルナリアが焦る。
「だ、ダメですよ、抜け駆けは! 淑女協定を結んだではありませんか!」
「さーて、どうだっけねー。冷める前に食べないと!」
「……雇用契約、見直さないといけないかもしれません」
アリスがせっせとナポリタンを食べ始めた一方。むっとした顔でルナリアがハンバーグを切り刻む。
練は一息つき、手元の醤油ラーメンに箸を向け、ひと啜りした。
「……麺がちょっと伸びてる」
軽くがっかりしたその時だった。ポケットの中でスマートフォンが震えた。
何だ? とスマートフォンを取り出すと、メールの着信。
「……珍しいな。麗からメールだ」
従妹の、明星麗からのメールだった。練はさっそくチェックする。
『はろー、練兄。さっぱり連絡くれないけど、元気でやってる? あたしも中学生になってるっつーのに、ほらほら、制服! どう? 萌える? 自分でもこれはかなりかわいいと思うんだけど! 感想募集中!』
メールには、麗の自撮り写真が添付されていた。
練が通っていた中学の制服姿の麗が、片手で目元ピースして写っている。
「……見れば見るほど、似ているよな」
「なになに?」とアリスが興味を示し、フォークを置いて席を立つと練の横にやってきて、断りなく練のスマートフォンを取り上げる。
「あ、これ。もしかしなくても麗ちゃん? あー、そうそう。何となく子供の頃の面影がある気がする! って、ほんっと似てるわね、レイチェルに。ほらほら、ルナリア。これが練の従妹って子」
アリスがルナリアの横に戻り、スマートフォンを見せる。
ルナリアの目が丸くなった。
「レイチェル、いつの間に練さまとメールなんてする仲になったのです? ……あれ? でも、おかしいですね。こんな服は知りませんし、それに髪の色、変わっていますけれど――??」
「そっくりだけど、この子、レイチェルじゃなくて練の従妹なんだってば」
「練さまの、従妹? こちらの方が? またまた、ご冗談を。似ているとは先日聞きましたけれども、これはレイチェル本人ではありませんか」
「だってさ、練。はいっと」
アリスがスマートフォンを練に投げて返した。練は慌てて空中でキャッチし、メールの返信は後回しにしてスマートフォンをしまう。
「王女殿下、信じられないのはわかりますが。ほんとうに俺の従妹なんです」
「にわかには、信じられませんけれど。練さまが私に嘘などつくはずもありませんし、ああでも、あんな可愛らしい子がこの世に二人も存在するだなんて、それこそ到底信じられるものでは、ああ、いけません、また硬直してしまいそうっ」
「……珍しい。あのルナリアがうろたえている」
練は敬語を使うのも忘れてそう呟いた。くすくすと紫音が笑う。
「この子は少女趣味だもの。可愛らしいものがとても好きなのよ」
紫音の声だが、口調が違う。ソニアの言葉らしい。
「ソニアさまですか?」
「そ。ちょっと気になることがあったから。言っておこうかなって」
「気になること、ですか」
「レイチェルと見た目がそっくりの、君の従妹ちゃん。異世界間双子っていう可能性があるの」
「異世界間、双子? 聞いたことがありませんが」
「まあ、双子というのは単なる比喩表現なのだけれど。早い話が、こちらとそちら、可能性で分岐した平行世界における、偶発的で必然性の高い同一人物ってこと」
「偶発的で必然性が高いって矛盾してるわよね」とアリス。
「何となくですが、意味はわかります。生まれたのは偶然ですが、見た目がそっくりなのは必然性があるということですよね、姉さま」
ルナリアが、紫音を通してブリタリアにいるソニアに語りかけた。
「さすがは我が妹。察しがいいわね。レイチェルと練くんの従妹ちゃん、ちゃんと検査すると魂がとてもよく似ているかもしれない」
練は少し考える。
この世界とブリタリアのある世界は、文化の発展において、科学が発達したか、魔法が発達したか、と大きな違いはあるものの、惑星の歴史レベルで考えると、ほぼ同一と言える平行世界だ。
大陸の形状に大きな差はなく、魔法と科学を除く文明や言語の進化はそっくりだ。実際、英語とブリタリア語は少し単語のスペルに違いがある程度で、同じ言語である。
日本に相当する島国も極東に存在し、国名は倭。こちら側の世界にも過去に存在した名だ。
世界の成り立ちが同じ以上、そこに暮らす人間に同一の存在が発生しても、不思議はない。
「――なるほど。わかりました。で、その魂がよく似た異世界間双子という存在ですが、何か、問題になることはありますか?」
練の問いに、紫音が普段の彼女ならばしない、眉をハの字にした困惑顔になる。
「それがねえ、わかんないのよ。なにせ、異世界間双子って概念も、そちらの世界とつながってからできた新しいものだし、実際、可能性として存在しているだろうってだけの話で、実在はまだ確認されてないんだから」
(何だ、そのレベルの話かよ。でもまあ、興味はあるな。おそらく、だが。俺と練も、魂はかなり似ているはずだし)
「そうなのか?」
(中途半端な形ではあるけどな、俺はこうして、五〇〇年前のブリタリアからこの世界に転生したんだぜ? 同じ身体に魂の相乗りしてるんだ、よく似た魂だからこそ拒絶反応とか出でねえんだと俺は考えてる)
「……なるほど」
「あの、練くん? 自分で疑問を口にして、勝手に納得されると。こっちは微妙に、気持ち悪いんだけど」
紫音の眉のハの字がいっそう強くなる。練はグロリアスへの相づちを声に出していたことに気付いた。
「すみません。今のは独り言です、気にしないでください」
「ま、いいけどね。事情は何となくわかってるし、私も似たことをしてるんだし。それじゃ紫音、あとよろしくね」
紫音、ぱちくりと瞬き一回。口調が元に戻る。
「……練、ごめん。話、やっぱり長かったかな?」
「あ、いや。興味深い話だったから、問題ない」
「でもさ、それ。すーっかり、伸びきってるよね?」
「それ? ――あ」
紫音が少々行儀悪く箸で指し示した先。
練の手元のラーメンは、途中まで食べていたはずなのに、ずいぶんと量が増えていた。麺が汁を吸い、すっかり伸びてしまったのだった。
「……皆と食べる時は麺類を避けたほうがいいか、やはり」