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過ぎたるは及ばざるがごとし

「レイチェル、涙を拭きましょう」


 ルナリアがハンカチを取り出し、レイチェルに歩み寄る。レイチェルが、わずかに顔をルナリアへと差し出した。

 まるで母親が幼子にするように、ルナリアはレイチェルの目元をやさしく拭う。


「はい、これで大丈夫ですよ」


「ありがとうございます、ルナリアさま」


 練はレイチェルを改めて観察するように見た。

 見れば見るほど、従妹の明星麗に似ている。髪と瞳の色合いこそ違うが、歳の割に幼さを感じさせる雰囲気まで、そっくりだった。

 もっとも。麗は何もないところで転ぶようなドジではなく、むしろ、しっかり者とさえ言える。


『魔法の勉強もいいけれど、練兄は、もっと一般常識を身につけるべきだよ』


 練がまだ叔母夫妻の家で世話になっていた頃。まだ小学校の中学年だった麗に、よくそう言われた。

 麗は魔力を持たない、この世界では一般的な人間だ。だから魔法の資質はなく、魔法に対してあまり興味も持っていなかった。


 ――やっぱり別人……なんだよな。


(そりゃそうだろ。麗は魔力のない普通の人間だしな)


 レイチェルがぱちくりと瞬きし、小首を傾げる。


「あの。レン・クロヒ公爵さま? レイチェルの顔に、何かついていますでしょうか?」


「あ、いえ。すみません。よく似た人を知っているので、うっかり見入ってしまいました」


 ぱあっとレイチェルが表情を輝かせ、胸の前で手を合わせた。


「レイチェルに似てる人ですか! わあ! 会ってみたいですっ」


「そんな方がいらっしゃるんですか?」とルナリア。


「三つ年下の従妹が、よく似ているんだ。アリスは何となく覚えてないか?」


 練はアリスに目を向けた。数秒ほどアリスは考える素振りをすると、あ、と何かに気付いたような顔になる。


「ええとええと、名前、うら、うら……そう、麗! 麗ちゃんのことよね、ぎりっぎり覚えてるわよ、あの子のことなら」


「ぎりぎり……まあ、そんなものか。アリスが麗と会ったのは九歳の頃、それも一ヶ月だけだからな」


 魔法後進国日本における魔法教育の実験として、練は九歳の時、ブリタリアからやってきたアリスと一ヶ月間、魔法を学んでいる。

 その際アリスは、練が世話になっていた叔母夫妻の家にホームステイした。

 当時のアリスはまったく日本語ができず、言葉は通じなかったが、麗は練よりも上手にアリスと遊んでいたように、練はおぼろげに覚えている。


「練さまの従妹、ですか。私もお目にかかりたく存じます!」


 レイチェルそっくりの仕草で、ルナリアが胸の前で手を合わせた。

 練は二人並んだ同じポーズのブリタリアの姫を前に、首を捻る。


「ランス=ブリタリア家の姫さまが、どうしてこの学院の制服なんて着ているんです?」


 元気よくレイチェルが答える。


「はい! 基礎から魔法を学ぶべく、留学してまいりましたです! ちょっと遅れてしまいましたが、レイチェルは中等部の一年生として学ばせていただきますです!」


(基礎からって。ブリタリア人なら小学生以下だろ、ここの中等部一年の授業って)


「……だよな?」と練はさらに首を傾げた。ルナリアが苦笑する。


「すぐに明らかになることでしょうから、包み隠さずお話しします。この子――とっっっっても、魔法が下手なんです」


 ざわざわと、練たちを遠巻きに見ていた中等部の生徒たち。


「一年一組だったよな、レイチェルさまの転入したの」

「一組の奴、何か聞いてないか?」

「言ってたよ。今朝のご挨拶の時、魔法がとても下手なので学びにきましたって」

「……あれ、マジだったのか……王族ジョークかと思ってた」

「ありえねえだろ、ブリタリアの王族だってのに、魔法下手って」


 侮辱にさえ受け取れるような遠慮のない声も聞えてきたが、当のレイチェルは、とても楽しそうに、にこにことしている。


「この学院なら、基礎から学び直せるとルナリアさまから教えていただきまして。我が儘を言って、留学の手続きをしていただいたのですっ」


 練は半ば、呆気に取られた。

 ブリタリア人で、それも王族で魔法が苦手。

 どうにもイメージがわかない。


「いくら何でも基礎の基礎、ライティングやウォータークリエイトくらいはできますよね? 向こうじゃ生活必需魔法ですし」


 ライティングは灯りの魔法。あらゆる魔法の基礎であり、修得が簡単な上に魔力効率が著しくよい。

 魔力が一しかない練でも、夜の読書に使う程度の明るさのライティングならば、一時間は余裕で持つほどだ。

 ウォータークリエイトは、綺麗な水を作る魔法。飲み水等に重宝するが、水道が整備され尽くした日本では、ほとんど存在意義がない。


「ライティングですか? ええと……こう……だったかなぁ」


 レイチェルが胸元で見えない壺を持つかのように手を構えた。

 手の間に魔法記述光跡(スペルライン)で術式を構成するのが、初歩の魔法では多い。ライティングもその一つだ。

 使う魔力は、せいぜい一か二。通常ならば、ライティングの術式は拳大くらいにしかならない。


「あれ?」と呟いたレイチェルの両手から、魔法記述光跡が爆発的な勢いで溢れた。

 でたらめな勢いで流れる術式を練は瞬間的に読み取る。


「なんで爆裂なんて術式が入ってる!?」


 術式に『火炎』『爆発』の構成が混じっている。爆裂魔法で使われる組み合わせだ。通常のライティングではありえない。


(おいおい、しかもでたらめな高圧縮の魔力じゃねえか。たかがライティングの暴走で、この前のルナリアの全力月穿ち(ルナティックバスター)に匹敵するぜ?)


 月穿ち。

 東京湾上の高空に出現したジオールドを討つべく、ルナリアが放った極めて強力な攻撃魔法だ。

 効果は、強烈な熱閃光。ジオールドの反撃によって威力を逸らされたものの、かつて北海道に相当する規模の島を滅ぼした旧神竜ジオールドの六枚の翼のうち、二枚をもぎ取った。


 月穿ちに匹敵する魔力量の暴走。

 ルナリアにも異常はわかったようだ。焦りを隠さない声が飛ぶ。


「レイチェル、落ち着いて解呪するのです!!」


「ふええ、どうしていいかわかりませぇんっ」


 ルナリアの大声でレイチェルは余計にパニックになったようだ。

 溢れる魔力。その両目からも大粒の涙が溢れて散らばる。


「どうするの、練! あの勢いで爆裂なんて発動したら、この食堂どころか中等部が丸ごと消し飛ぶわよ!」


 アリスの叫びに、練はしかし冷静に答える。


「なんとかするから心配いらない。暴走の理由と術式は読めた、魔法効果魔力還元魔法の応用で対処できる」


 練は、魔法の効果を魔力へと還元する魔法を即興でアレンジする。


(……お、なるほど。その手もあるのか、この魔法)


 魔法記述光跡は、行使する者の魔力で構成された『意味を有する魔力光の集合体』である。


「ああ。魔法記述光跡の特定の意味だけを単なる魔力にしてしまえば、発動そのものがキャンセルできる。さしずめ、魔法効果(アンチマジック)魔力還元魔法(カウンタースペル)じゃなくて、魔法記述(マジックスペル)無効化魔法キャンセルスペルというところか」


 練は、片手をレイチェルへと掲げた。その指先から、練特有の極微細(ミニマム)魔法記述光跡スペルラインが伸び、網のように大きく広がる。

 レイチェルを、暴走させているスペルラインもろとも、練の極微細魔法記述光跡の立体魔法陣が包み込んだ。


「起動」


 練の声に応え、ぱっと立体魔法陣が淡く輝いた。

 レイチェルの暴走魔法記述光跡が見る間に崩れ、細かい火の粉が散らばるように光の残滓となって消えていく。

 その間、ほんの数秒。

 まるで何事もなかったかのように、暴走魔法記述光跡は消滅した。

 後には、空間が歪んでいるかのように見えるほどの濃密な魔力が残るのみだ。


 ぺたんとレイチェルがその場に座り込み、本格的に泣き出す。


「……ふええぇ……こ、怖かった、です……ひぃぃん」


 ルナリアがレイチェルに駆け寄り、抱きしめた。


「もう大丈夫ですから。泣かなくても、大丈夫です。これからきちんと魔力の使い方を覚えていきましょうね」


 その二人の様子を見て、練は納得した。


「……生まれながらにして、でたらめに魔力が大きいのか、この子。暴走を恐れて、きちんと魔法を教えてもらってさえいなかったということか」


 レイチェルを抱きしめたままのルナリアが告げる。


「事情は後で、きちんとお話しします。ですから、どうか。この子を嫌わないでいただけますでしょうか」


「嫌ったりするものか。その巨大な魔力は、その子の罪じゃない。魔力を失った俺より、よほど不自由で辛いはずだ」


 とんっとアリスが練を肘で軽く小突く。


「そういうことを人目も気にせずにあっさり言えるところが、好きよ」


「そうなのか?」


「そうなの。回り見てみれば、わかるわよ。ほんとうに普通の子(・・・・)たちは、理解できないものを怖がるんだから」


 練はアリスに促され、見回した。練たちに好奇心旺盛な視線を向けていた中等部の生徒たちが皆、表情を変えている。


 恐怖。困惑。嫌悪。


 程度の差こそあれ、どの顔にも負の感情が浮かんでいる。


「……みたいだな。王女殿下、ひとまず場所を変えませんか。学院長室にでも」


「そうですね」とルナリアが腰を上げ、先ほど転んだ時とは違い、レイチェルに手を差し伸べる。


「行きましょう、レイチェル」


「ふわい」と鼻声でレイチェル。


 練の左目のみに見えるグロリアスが、珍しく深刻な顔した。


(……たぶん、だが。この子、全盛期の俺より魔力があるぜ?)


「いちま」うっかり練は声に出してしまいそうになり、慌てて口を閉ざす。


 ――最低でも一〇〇〇〇以上の魔力があるということか?


(ああ。そりゃ魔法を使いさせたくないわけだ、この子の回りにいた連中。本気で魔法を覚えて、その気で使ったら。聖騎士のルナリアですら、下手したら勝てねえからな)


 ブリタリア王国の歴史において、聖騎士と称された『剣と魔法を極めし騎士』は、一〇人に満たない。

 聖騎士は、国にとっての最終兵器と冗談めかして言う人間もいるが、それはあながち嘘ではない。

 個人の持ち得る最大戦闘力の体現者。一人で、一軍に匹敵する。

 それが聖騎士だ。


「……練さま?」


 レイチェルの片手を引き、女性らしい仕草で振り返ったルナリアは、その気になれば、街一つだって数十分もあれば滅ぼし尽くせる戦闘力を持っているのだ。


「いや、なんでもない。行こうか、学院長のところに」


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