少女の名はレイチェル
国立魔法技術学院は、中等部、高等部、大学、大学院から成っている。
練は、魔力をほとんど失った故に中等部には通えず、高等部からルナリアの厚意によって学院の生徒となった。
中等部の敷地をきちんと歩くのは、これが初めてだ。
だが、新鮮さは特に感じない。
中等部と高等部は、雰囲気が似ているのだ。
「中等部の建物の配置、高等部とだいたい同じなんだな」
「練は気付いてる? この学院が、建物の配置で魔法陣を形成してること」
とアリス。ルナリアが補足するように言う。
「大学と大学院の敷地、高等部の敷地、中等部の敷地は、学院運営事務局の施設を中心に、正三角形の形に配置されています。そしてそれ自体が、魔法を安定させる効果のある大魔法陣となっています」
「ああ、生徒が魔法を暴走させないようにか。なるほど、道理で魔力の密度が安定しているわけだ」
納得顔の練。アリスが不思議そうな顔をする。
「よくわかるわよね、そういうの。私、さっぱりわからないわよ。練の魔力に対する感覚って、どんだけ鋭いの?」
「何が幸いするか、わからないものだな。俺だって自分に魔力が充分あった時は、ここまでよく空間や他人の魔力を感じ取れなかったから」
(魔力無しの数少ないメリットだよな、それ。なってみるもんだってか、ノウ無しにもよ)
「……いや、魔力はあるに越したことはない」
練が魔力を失ったきっかけのルナリアが、申し訳なさそうな表情になる。
「――それは、私の責任です。その償いは生涯を掛けて……」
「だから気にしてませんってば。その、正直。そこまで責任を感じられると、ちょっと重いです」
「お、重い! ……で、ですか……重い……私が、重――」
ルナリアが立ち止まり、硬直する。
重いと言われたことがかなりショックだったようだ。見開かれたままの眼から意志の光さえ消える。
予想外のことに弱い。それがルナリアのわかりやすい欠点だ。処理しきれない事態に陥ると、このように硬直してしまうことがある。
「あ。ルナリアがフリーズしちゃったじゃない。ちょっとジェンカ、いるんでしょ?」
アリスが虚空に向かって呼びかける。と、そこに、ふっとメイド姿の小柄な少女が唐突に出現した。
「あい。ジェンカはいつも姫さまのお側に、デス」
メイド少女の名は、ジェンカ。
熱光学迷彩魔法の機能を有した、自我を持つ高性能の護衛ドロイドだ。
基本的に、常に三体一組でルナリアを守っているが、普段は熱光学迷彩魔法にて、姿を消していることが多い。
「あんたのご主人さま、フリーズしたわよ。とっとと直して」
「了解なのデス。斜め四十五度の角度で、えい、なのデス」
ずがっと音を立て、ルナリアの頭にジェンカが手刀を叩き込む。
ぱちくりとルナリアが瞬きした。その瞳に光が戻る。
「あら、ジェンカ。もしかして私、また固まっていましたか?」
「あい、マイマスター。お考えになっているほど体重は重くないので大丈夫、デス」
「ジェ、ジェンカっ。そんなことを堂々とっ」
「別に気にするほど太ってないわよ、ルナリアは」
と、呆れ顔でアリス。ルナリアが自分の身体を隠すように、ばっと両腕で自分の肩を抱く。
「気にしない程度には太っているってことでしょうかっ?」
「……痩せてはないわよね。一部分は、特に。ほんと、ちょっとぐらいわけて欲しいくらいよ、それ」
一部分。どう考えても豊満すぎるルナリアの胸のことだ。それくらい、練にもグロリアスにもわかる。
(まー、マジででっかいからなあ、ルナリアのお宝)
「……否定する要素がまったくない」
「練さままで……お嫌いですか、こういう体つきは」
ちらりと練はルナリアを見て、そっぽを向く。
「いや。嫌う理由もまったくない。それは、ルナリアの個性だ――あ。王女殿下の個性です」
練は、うっかりルナリアを呼び捨てにし敬語を忘れた。不敬な行為だが、逆にルナリアは嬉しそうな顔になる。
「どうか呼び捨てになさってくださいまし。敬語ももちろん、不要です」
「そうもいきませんよ、周囲の目もありますし」
「でしたら。周りの目がない時だけでも」
「前向きに、考えます。今は先を急ぎませんか、昼休みもそう長くないですし」
「そうですね」とルナリア。
「そうね。それじゃジェンカ、下がっていいわよ」とアリス。
「あい。それでは」
ふいっとジェンカの姿が溶けるように消える。熱光学迷彩魔法の機能で姿を隠したのだ。
「練も熱光学迷彩魔法、覚えたいんじゃなかった?」とアリス。
「ああ。理論は紫音から一通りレクチャーしてもらったが、デフォルトだと魔力効率が悪くて、今の俺じゃ発動さえ難しい。省魔力で使えないか、研究しているところだ」
「いいわね、省魔力熱光学迷彩。理論が出来たら教えてちょうだい、私が試してあげる」
「ああ。その時は頼むよ」
「アリス。それこそ抜け駆けではありませんかっ」
慌てるルナリアに、余裕の笑みを浮かべるアリス。
「練の魔法研究に協力するだけだもの、セーフに決まってるじゃない。いいから行くわよ、練。中等部の寮はこっちが早道だから」
「そう言えばアリスは中等部から通ってたんだったな」
「そ。勝手知ったる我が母校ってね」
すたすたとアリスが早足になる。練とルナリアがアリスに続く。
程なくして、中等部の寮にある大食堂に到着した。
一度に数百人が食事をとれる大食堂の雰囲気は、やはり高等部と同じ。
ただ、利用している生徒たちが中等部らしく幼さを残しているだけだ。
「王女殿下が会わせたい人は、どこに?」
(とりあえずブリタリア王っぽいのはいねえな)
練がくるりと見渡した途端。
好奇心を隠さない無数の視線が、練たちに降りかかった。
「ルナリアさまだ!」
「爵位を貰ったって噂の、あの黒陽さんもいるぞ!」
「中等部レコードホルダーの千羽先輩、私、ファンなの!」
そんな声でざわめく中。一際、澄んだ声が響く。
「ルナリアさま! レイチェルは、ここに! ここに、おりますでーすっ!」
練たちのみならず、大食堂にいる全ての人間の視線が、一瞬で一点に集まった。
両手をぶんぶんと振りながら、テーブル向こうでぴょんぴょんと跳ねている少女が、そこにいた。
赤みがかったウェーブのあるふわふわの長い髪が目を引く、どこか小動物のような雰囲気のある少女だ。
アリスが驚いた顔になる。
「うっわ、可愛い子! ブリタリア人っぽいけど、あんな子いたら大人気でしょ、中等部じゃ」
少女は中等部の制服を着ているが、小学生でも通用しそうな華奢な体つきだ。そのせいで愛玩用の人形のようにさえ見える。
確かに可愛らしいことこの上ないその少女の姿に、練は目を丸くした。
「……!?」
(マジかよ。麗そっくりじゃねえか)
明星麗。
練の従妹だ。練の保護者である叔母夫妻の娘で、今年、中学一年生になった。
「そっくりだが、別人……だよな?」
レイチェルと名乗った少女はこちらを見ているが、視線は練ではなく、ルナリアに向いている。
取り巻いている生徒たちを残し、レイチェルが小走りでこちらにやってきた。
「あ」
何もないところで、すてんと躓き。ころんと転がり。
ごちんと額から床にぶつかった。
「ふええ、痛いのですー」
アリスが真っ先に、転んだ少女へと駆け寄った。
「大変っ、助け起こさないと!」
そのアリスに、わずかにも動かずルナリアが告げる。
「アリス。レイチェルに助けの手を差し伸べる必要はありません。そうですよね、レイチェル?」
「はい、ルナリアさま――レイチェルは、一人で立てますのです。誇り高きランス=ブリタリアの娘、なのです」
目に溢れる寸前の涙を湛えながらも、少女――レイチェルは、自力で立ち上がった。ルナリアが自愛に満ちた表情で頷く。
「立派ですよ、レイチェル。では、練さまにご挨拶を」
「はい、です。初めまして、レン・クロヒ公爵さま。レイチェル・ランス=ブリタリアと申します、です」
補足するようにルナリアが言う。
「レイチェルはランス=ブリタリア家の四女で、カミルの許嫁でして。小さなころから中央ブリタリア王城によく遊びにきていました。
私のことも実の姉のように慕ってくれて、とても可愛らしい妹のような存在なのです。練さまも、懇意にしていただけますと大変嬉しく存じます」
「カミル王子の、許嫁ですか」と練。
「許嫁がいるって話は私も聞いていたけれど。ふーん、ランス家の……」
アリスがレイチェルを値踏みするように見る。ルナリアが少し困惑気味に微笑する。
「アリス、そうじろじろ見たらこの子が萎縮してしまいます。遠慮してもらえますか?」
「あ、ごめんごめん。レイチェルもごめんね? あ、呼び捨てでも大丈夫かしら? 不敬罪とか言い出すタイプだったりしないわよね?」
「レイチェルは、そう呼んでもらえたほうが嬉しいのです。アリスさんのこともルナリアさまから聞いていますので、レイチェルとも仲良くしてもらえると、とても嬉しいのです!」
「貴女みたいな素直そうな子、好きよ? カミルの許嫁ってところは同情してあげる」
レイチェルがきょとんとする。
「同情、です……? カミル王子はお優しくて聡明な、とてもいい方なのです。きっと将来は立派な大人になって、王国を支える重要な役割を務められるのです、レイチェルも影ながら支えたいと思うのです!」
ルナリアとアリスが揃って、無言で苦笑した。
レイチェルがますます不思議そうな顔をする。その表情も、練の従妹の麗に似てはいるが、他人のそら似に違いない。
「やっぱり別人、か」と練。
「別人? なんのこと?」とアリス。
「いや、こっちの話だ。気にしないでくれ。ええと。レイチェルさん。こちらこそ、よろしく」
「はい、なのです! よしなにお願いいたします、レン・クロヒ公爵さま」
練の従妹にそっくりなその小さな王族の姫は、転んだ時に滲ませた涙はそのままで優雅な微笑を浮かべ、軽くスカートをつまんで見せた。