少女の姿をした怪物
「よう来たのじゃ、黒陽練と、その中の男よ。我輩の召喚に怯えず竦まず、逃げず。その脆弱な身と魂を我輩の前に晒したその勇気と無謀。とりあえずは、褒めてやってもよいぞ」
機械処理されたような、奇妙な響きの声。声音は少女のようだが、それすら怪しい。
時刻は深夜。場所は国立魔法技術学院高等部男子寮棟屋上。
屋上に立つ人影は、二つのみ。
一人は、黒陽練。
もう一人――いや、一人と数えることが適切かどうか、疑わしい。
ドラゴンを模したと思われるマスク。
肌の露出が多い、どこの国の文化にも当てはまらなそうな奇異なデザインの衣装。
身体のラインは、未成熟な女……すなわち、少女のそれだ。
一見する限りでは、当たり前の少女が妙なコスプレをしているだけのようにも見えなくもないが――
決してそれは少女などではない。
少女ならば、紫色の魔力光を全身から放ったりはしない。
紫色の魔力光。その身に宿した巨大な魔力が、滲み出ているのである。
(なんっつーバカ魔力だ、コイツ。魔力量、一〇〇〇〇や二〇〇〇〇じゃねーぞ!)
練の左目の視界で、露骨に焦っているグロリアス。
そんなグロリアスなど、練は見たことがない。
練もまた、ドラゴンマスクから常軌を逸した巨大な魔力を感じている。
その巨大さよりも、魔力の質に、練は驚愕していた。
同じ質の魔力を、練は知っている。
――この魔力。
――まさか、とは思うが。
「……おまえは。誰だ?」
くっくっくっ、とドラゴンマスクから含み笑いが漏れる。
「誰と問うか。愚問じゃな。我輩が何者であるのか? それはぬしが、もっともよく……わかっておるじゃろ?」
「…………ジオールド――――!」
ジオールド。
ブリタリア王国のある異世界で、この世界のアイルランドに相当する国を島ごと消し飛ばした、旧神竜と呼ばれる高次元存在。
そして先日、練たちの暮らす東京湾上の人工浮島の真上に顕現し、世界に危機をもたらしかけ、練によって討ち滅ぼされたはずの巨大な竜。
それが何故か、少女の姿で現れたのだ。
『我輩の前に来るのじゃ。来ねば今度こそこの島を消し飛ばすぞ? 我輩は、ぬしらがジオールドと呼ぶものじゃ』
そんな思念を受け、練とグロリアスは、半信半疑で深夜の寮屋上に来たのだった。
目の当たりにした存在が、人間を遙かに超越しているのは、認めざるを得ない。
「いったい何の用だ」
(旧神竜と言葉が通じるなんて、思ってなかったぜ)
「なに。ちょいと我輩を滅ぼした奴らの顔を、近くで見とうなっての。どれ、まずは挨拶代わりじゃ」
ドラゴンマスク――ジオールドが、片手を練に向けてかざす。
その華奢な手のひらの前。でたらめな勢いで魔力が集積し、拳ほどの光球となった。
(おいおい。俺たちを殺すにはずいぶんと気合い入った魔力だな)
「ああ。魔力量、五〇〇――いや。六〇〇、七〇〇……まだ増える」
貴様を殺す。
その害意のみで、ジオールドが攻撃魔法を放とうとしている。
直撃すれば、練どころか屋上全てが一瞬で蒸発する威力の、爆裂熱閃光弾。
「!」
咄嗟に練は、全魔力『1』を費やし、自分の正面に魔法記述光跡を展開した。前方へと広がる円錐型の立体魔法陣だ。
魔法効果魔力還元魔法。
練がグロリアスと共に開発し、現時点で、練にしか行使できない特異極まりない魔法である。
「受けてみるがよい! かかっ!」
短い笑いと共に、ジオールドが光弾を放つ。
落雷のような轟音。目を焼きそうな閃光。
怯まず練は、襲い来る光弾を見据えてタイミングを計る。
(今だ、練!)
「起動!」
円錐型立体魔法陣に光弾が入るその瞬間。練は魔法を起動させた。
立体魔法陣の底がすぼまり、光弾を包んで閉じる。
直後、爆ぜる光弾の威力を全て魔力に還元し、無効化。
練の前には、空間が歪んで見えるほどの濃密な魔力が残るのみだ。
魔力量は推定、およそ一〇〇〇。
「は。やりおるのじゃ」
楽しそうに、ジオールド。魔法を無効化されたことを喜んでさえいそうな雰囲気だ。
舐められている。練はそう感じた。
(おーおー、舐められてるぜ、練)
――舐められても仕方がないだろ。
――相手は、数万じゃきかない大魔力を持っている。
――対して俺は、魔力無しだ。
(ま、それは事実だからなあ。で、どうするよ? せっかく還元した魔力だが、この量だと奴にはかすり傷も負わせられねえぜ?)
「わかってる。あれを倒すには、この前と同じ魔法を使うしかない……」
この前の魔法――『黒い太陽』。
虚数空間に敵を落とす、一歩間違えれば世界そのものが終焉を迎える危険極まりない魔法だ。
その必要魔力量は、一〇〇〇〇。眼前の魔力では、一桁足りない。
ジオールドが、笑いを含んだ声で告げる。
「ほう。それでは魔力が不足か? ならば、足してやるのじゃ」
(おいおい。景気いいじゃねえかっ)
ジオールドの周囲。先ほどの一撃と同レベルの光弾が、幾つも同時に発生する。
「これならば、どうする? さあ、期待に応えてみせるがよい!」
魔法発射の炸裂音が連なる中、ジオールドが楽しげに怒鳴った。
複数の光弾が、様々な角度で練へと殺到する。
「こうするだけだ!」
練は先ほど無効化で得た一〇〇〇の魔力を用い、並列処理で複数の魔法効果魔力還元魔法の立体魔法陣を瞬時に形成、自分の周りに配置した。
さらに咄嗟に魔法をアレンジする。漏斗型の立体魔法陣に光弾が入った瞬間、自動で魔法が起動するように。
高度なアレンジを、しかし練はあっさりと成功させる。
練を囲み、複数の自動起動魔法効果魔力還元魔法が完成する。
(いいアレンジだ!)
「使える魔力が一〇〇〇もあれば、この程度は簡単だ」
冷静に、練。次々と光弾が立体魔法陣に捕まり、無効化されて魔力に戻った。ざっと五〇〇〇ほどの魔力だ。
「さて。魔力はくれてやったぞ? 次は我輩に何を見せてくれるのじゃ、小僧ども?」
(どうするよ、練。これだけの魔力があれば、奴を滅ぼせないまでも、一泡ふかせる魔法の一つや二つ、俺は提案できるぜ? どっちみち、ここじゃ『黒い太陽』は撃てねえからな。寮を巻き込んじまう)
「あれはとは話をするべきだと思う。だから、こうする」
効果想定、術式構築。組み立てるのは拘束魔法。
拘束魔法は通常、数十程度の魔力で行使する魔法。それを五〇〇〇もの大魔力で使うのだ。
「これならドラゴンだって捕縛できるはずだ」
「そう上手く行くかの?」
余裕の声のジオールドに向け、魔法記述光跡が無数に伸び、次々と実体の鎖が出現していく。
魔法の鎖が、少女然としたジオールドの小柄な身体に幾重にも巻き付き、締め上がる。
「ほうほう。よきかな、よきかな。悪くない束縛なのじゃ。借りの身とはいえ、縛り上げられるなど、いつ以来か……」
ぎりぎりと音を立てて鎖が締め上がるが、ジオールドの声には愉悦すらあった。
拘束は効果があるようだ。ジオールドは身動き一つしない。
練は改めて問う。
「旧神竜ともあろうものが、人の姿を真似て、この世界に来るなんて。目的は何だ?」
「言うたはずなのじゃ。おまえらの顔を、見に来た――とな」
ふっと突然、ジオールドの姿が消えた。
次の瞬間。眼前に、ドラゴンのマスクが現れる。
長短距離の転移。魔法と同じ現象だが、練は発動の兆候さえ気づけなかった。
ぎょっとする練の顔に、ジオールドがさらに顔を寄せる。
ドラゴンマスクの双眸の奥。紫に輝く瞳が、じいっと練の左目を覗き込む。
「な、何を」
「何、とって喰おうというわけではない。じっとしとれ」
(――こいつ。俺に気づいてやがる、間違いなく)
「ふむ。なるほどの。知っておるのじゃ、そこの男」
(何を知ってやがるってんだ)
練の魂の同居人にして魔法の師、グロリアスの声は練の左耳にしか聞こえないはずだ。
だが、まるで聞こえているかのように、ジオールドが告げる。
「おおよそ、全てじゃな。過去に限定するならば、我輩はあらゆる時、あらゆる場所に存在している故に。
ぬしは我輩の現し身を滅ぼした後、あの島国を統一。さらに海峡を渡って大陸へと進軍し、様々な民族、国家を支配下に治め、そして東の果て、大地尽きる地にて好いた女に殺され。
死の間際、自らの魂に転生魔法を施したことくらいは……な?」
(マジでだいたい全部じゃねーか。このクソ覗きドラゴンめっ)
「全知全能気取りか」
「別に気取ってなどおらぬ。知っておるというだけじゃ。我輩にとって過去など単なる事実の羅列。不確定な未来のほうがよほど興味をそそるというものなのじゃ。これとて、最近までは退屈だったのじゃがな」
練の顔を覗き込むドラゴンマスクの奥の目が、細められる。
「何せ、現し身とはいえ我輩を二度も墜とした人間がおるのじゃ。せいぜい我輩を楽しませるがよい。期待を裏切るでないぞ?」
(は。鎖でがんじがらめの奴が、よく言うぜ)
「こんな鎖など蜘蛛の糸ほどにもならぬのじゃ? ほれ」
瞬間。魔法の鎖が砕け散り、残滓が魔力の輝きとなって消えた。
(な!? 魔力五〇〇〇の、それも練の拘束魔法をあっさりと破りやがった!?)
「驚く価値はなかろう、この程度。しょせんは人の知恵じゃ、それも常識の範疇の。のう、魔法使い? ぬしらの価値は、常識を逸脱してこそであろう?」
ジオールドがまるで少女のように小首を傾げると、くるりと身を翻す。
「次は、常識外の魔法を期待しておるのじゃ。ではな、二人とも。しばしの別れじゃ、息災にな」
大気が弾け、落雷そのものの轟音と閃光。眩しさに練は片手で目元を覆った。
光が収まったその時には、ジオールドの姿はなかった。
どこかに転移したようだ。
「グロリアス。今の奴、おまえの存在を確信していたよな」
(間違いねえな。俺の声……いや、思念か。それもきっちり感じ取っていたみたいだぜ? さすがは非常識そのものの存在、旧神竜が一柱ってところか)
「旧き神にも等しい竜……か。ジオールド……俺の知らない魔法を、それこそ無限に知っているんだろうか。だとしたら、詳しく話を聞きたいな」
(おいおい、やめとけって。連中の使う魔法なんて発動原理は基本的に衝動のみで、大魔力に頼り切った雑で乱暴なもんだぜ? 技術なんて言える代物じゃねえよ)
「……そんなものか」
(それよりも、だ。とっとと俺たちも退散しようぜ? 派手に騒いだからな、奴が。あんだけ大魔力をひけらかしたんだ、警備の連中が気がつかないわけがねえ」
「……言われてみれば、そうだな。じゃあ早く――遅かったみたいだ」
階下への入り口。開けっ放しのドアの向こう。複数のライトの光が近づいてくるのが見えた。
数名の警備員を従え、先頭に立っているのは、小柄な影。ゴシックロリータ様式のドレスを纏っている人間など、この学院には一人しかいない。
国立魔法技術学院、全学の学院長にして、ブリタリア王国屈指の大魔法使い。
マリー・ゴールド・ハンマー=ブリタリア。
「なんじゃ、黒陽練か。どこぞのドラゴンでも気まぐれに責めてきたかと思ったぞ」
マリーはおおよそ、何があったか見当がついているらしい。
話が早くて助かると、練は思った。
「だいたい合ってます、それで」
「話は聞かせてもらうぞ、一応な。また厄介事にならぬといいが……それを望むのは無理か、さすがにな」
「だと思います、俺も」
後に「旧神竜との歴史的邂逅」と呼ばれる事件は、こうして始まった