黒い太陽
練がかざした両手から無数の極微細魔法記述光跡がほとばしり、逆円錐状に編み上がる。
巨大な魔法陣の漏斗が、学院島上空を覆い尽くす。
魔法効果魔力還元魔法。
いつもの、たった一の魔力ではなく、二〇〇〇に近い魔力で構成された極微細魔法記述光跡の漏斗が、天空から降り注ぐ破滅の光を余すところなく吸い込んだ。
「起動!」
練の意志で、魔法が発動する。
ぎゅるんと漏斗の口が閉じ、ジオールドの放った莫大な熱閃光を封じ込める。
カッと立体魔法陣が発光し、熱閃光が魔力に還元された。
練の頭上。濃密な魔力の塊が現れた。
空間が揺らぎ、ジオールドの姿が歪んで見える。
(かーっ! この魔力量は、ざっくり一〇〇〇〇ってところだぜ! これなら、あれさえ撃てるぜ、練よ!)
グロリアスの思念が、一つの魔法の理論を概念として練に伝えた。
(コイツだ。いけるか?)
練は即座に、グロリアスが伝えた魔法の理論を理解する。
「問題ない。魔力砲身、再構築開始」
頭上の魔力を使い、練は再び魔法記述光跡で立体魔法陣を空中に描く。
「なんという大きさ……」
「これは。凄いわね」
ルナリアとソニアが感嘆の息を漏らした。
直径はゆうに一〇〇メートルを超え、全長はもはや、よくわからない。
巨大な円筒型立体魔法陣を見上げ、アリスが呟く。
「スカイツリーを下から見てるみたいね、まるで」
(でかいだけで驚かれちゃ困るぜ。こっからが見物なんだからよ)
「魔力砲身、旋転開始」
立体魔法陣が回転を始める。回転速度が上昇し、練が続ける。
「崩壊弾生成、魔力充填加速」
円筒の底。ルナリアの光弾とは違い、ぽつ、と小さな黒い球体が出現した。
「月穿ちじゃない……?」とルナリア。
「あれは、まさか」とソニアが顔に驚愕の色を浮かべる。
(練。そいつはじゃじゃ馬だ。上手く押さえ込めよ? 爆ぜたら、この島どころか関東一円がざっくり消滅するぜ?)
「――わかっている。それにしても……これは。制御が重い」
黒い球体が、練の精神に負荷をかける。
気を抜いたら、意識をごっそり引き抜かれそうなほどだ。
どくんと脈打ち、黒い球体が一気に膨れあがった。
太陽のプロミネンスのように、影よりもなお暗く黒い何かが、球体の表面でうねり、躍る。
「姉さま、何か知っていらっしゃるんですか?」
「――あれは……いいえ、そんなはずが。でも――けれど……」
ソニアが悩み、逡巡する。その間にも黒い球体が巨大化していく。
まるで、燃えさかる漆黒。
練の左目のみの視界で、グロリアスが天に拳を突き上げる。
(覚えているか、ジオールド! かつて貴様を滅ぼした『黒い太陽』だ!!)
「■■■■■■■■■■■■ッ!!!!!!」
ジオールドが三度、幾重にも光の輪を生み出し、地上を焼かんと全身を震わせる。
やらせるものかという強い意志と強烈な魔力を練は感じたが、一瞬たりとも怯まない。
魔法の制御に集中する。燃えさかる漆黒の球体は、直径一〇〇メートル超の魔力砲身の底一杯にまで巨大化し、はるか上空のジオールドの姿が、練たちからは見えなくなった。
「鍵槍ブリオナック、顕現開始」
練の提げた右手に、棒状の魔法記述光跡が出現する。
魔法記述光跡が弾けて現れたのは、光の槍だ。
その光の槍を練は掴み、投げるために構える。
「――起動」
練は魔力砲身の底めがけ、鍵槍ブリオナックを全力で投げた。
一条の光と化した鍵槍ブリオナックが、魔力砲身の底を貫き、『黒い太陽』へと突き刺さる。
『黒い太陽』がどくんと脈打ち、膨れあがる。魔力砲身を内側から粉砕し、天頂へと放たれる。
同じタイミングで、ジオールドの光の輪が収束して光線と化した。
『黒い太陽』の直径よりも太い紫の光の柱が、地上を焼き払わんと落ちてくる。
紫の光の柱が、『黒い太陽』を直撃した。
「無駄だ」
(無駄なんだよ、あの時のようにな!)
紫の光を呑み込み、『黒い太陽』が巨大化し、加速する。
アリスが拳を突き上げ、叫ぶ。
「いっけえっ!!」
「……」
ルナリアが剣を腕で抱き、祈るように両手を組み合わせて空を見上げる。
紫音の身体を借りたソニアが、ぶるりと身震いした。
「この力――本物だわ」
『黒い太陽』が、ジオールドへと迫る。
ここに至り、ジオールドが抵抗するように大きく羽撃いたいたが、上昇できない。
それどころか、『黒い太陽』へと引き寄せられる。
『黒い太陽』がさらに加速し。そして、ジオールドを直撃した。
轟音をまき散らし、夜空に、闇よりもなお深く昏い漆黒の穴が開く。
何もかもが崩壊する、虚無へと通じる次元の穴だ。
「■――――――――――――――――――■ッ!!!!!!!!!!」
ジオールドの魔力もシルエットも、紫の光も何もかも、次元の穴に吸い込まれる。
ぎゅるんと次元の穴が渦を巻き、一瞬で閉じた。
刹那、夜空が真っ白く染まるほどの閃光が広がり。
そして、消えた。
かつて島国一つを消滅させた、神に等しい旧き竜の痕跡は、魔力の欠片一つ、残っていない。
「れーんーっ!! 凄い凄い、凄い! あのジオールドを倒しちゃうなんて!」
アリスが練に飛びつき、首に両腕を回して全体重を預けてきた。
「重い」
耐えられず、練は尻餅をつく。
「重いって、失礼よ! せっかく全身で褒めてあげたっていうのに!」
「いや。それでも重いことに変わりはない。退いてくれないか、身体に力が入らないんだ」
「ふんだっ。意地でも退いてやんないんだから!」
アリスは離れようとしない。
どうしたものかと尻餅をついて困惑する練の傍らに、ルナリアとソニアが跪き、頭を垂れる。
「練さま。この命のみならず、この島に住う多くのブリタリアの民までお救いいただき、心から感謝いたします」
「ブリタリア王国第一王女、ソニア・ソード・=ブリタリアの名に於いて、最上の感謝を」
「二人とも、頭を上げてくれないか――くれませんか」
落ち着いた練は、ようやく敬語を使わないと、と意識した。
その練の手を、頭を上げたルナリアが両手で握る。
「いえ。どうか先ほどのように、ルナリアとお呼び捨てくださいませ」
「え。俺、そんなことしましたか?」
「はい」
ルナリアが頬を染め、きゅっと練の手を包む両手に力を込める。
「ちょっと王女殿下! だから練は私のだって言ったでしょう、その手を離してくださいませんかっての!」
「お断りいたします。貴女こそ、私の練さまの首にしがみつくのを止めてくださいませんか」
「それこそお断りよ!」
怒るアリスの顔を、ぐいっと押しのけたのはルナリアではなく、ソニアだ。
「立場上、感謝をしたところで。ちょっと失礼するわよ」
紫音の顔で、ソニアがまじまじと練の左目を覗き込む。
「な、何でしょうか。ソニア王女」
「やーね、私のことは紫音でいいわよ、これからも。この子にもね、ちゃんと自我があるんだから。今はちょっと主導権を借りているけれど――ふむ。あ。なるほど。そっかそっか」
ソニアが何を勝手に納得しているのか、練にはわからない。
だがグロリアスは何かに気付いたようだ。
(コイツ。もしかして、俺と同じことしてやがるのか?)
――同じこと?
(紫音の身体。特別製のドロイドだって言ったろ? ジェンカたちより上等な人工精霊――もはや人工魂だな、それを宿してる。その上で、ソニアの魂の一部が相乗りしてんだよ)
――ということは。俺の中にグロリアスがいること、バレたのか?
(何かいるってことには気付いたろうな。それが俺だと確信は……してないことを祈るしかねえな)
「あの、ソニア王女。本人の希望で、このことは内緒にしてもらえますか?」
むふん、とソニアが意味ありげに笑う。
「いいわよ。じゃ、貸し一つね!」
楽しそうに言い、ソニア――紫音が立ち上がる。うーんと背伸びをすると胸の穴を気にした。
「ああ、やっとソニアさまから解放されたよ。にしても見事に大穴を開けられちゃったね、元から貧相な胸がえぐれちゃった。ソニアさまに直してもらうけど、練。胸のサイズ、大きくしたほうがいいかな?」
「あ、いや。紫音はそのままのほうがスタイルに似合ってると思う」
「あはは。それならそのままにしておくよ、うん」
ルナリアが、がしゃりと鎧に音を立てさせ、練に這い寄った。
「まさか、練さまっ。乳房は乏しいのがお好みなのですかっ!?」
ブレストプレートを付けていてなお、ルナリアの胸の大きさはよくわかる。とても片手に収まるサイズではない。
「おほほほっ。まったく自慢じゃないけれど、貧乳には私、自信があるわよ! 穴で抉れた紫音と違って、私は元から抉れていると言っても過言じゃないくらいなんだから!」
アリスが練の首から両手を放し、背中を反らして薄い胸を誇張した。
直後、涙ぐむ。
「……そ、そうよ、ないのよっ、胸! 色々頑張ったけど! 練、ないのがいいのよね! そうだと言って、じゃないと私が可哀相だから!」
「違いますよね、練さま! 男性はふくよかなほうがお好きなのですよね!」
ルナリアが必死そうな顔で、聖騎士の装備を解除した。白いワンピース姿に戻り、練の腕に抱きついて身体の柔らかさを主張する。
(どーすんだよ、おまえ。貧乳と巨乳、どっちもいいなんて答えたら修羅場になるだけだぜ)
「心底、どうでもいい」
練は巨大な魔法を撃った充足感と、魔力が空っぽになった倦怠感を同時に覚え、その場に背中から倒れ込む。
見上げた夜空では、何事もなかったかのように、まばらに星が瞬いていた。