旧神竜(エルダードラゴン)、出現
練は冷静に、ありえない月の正体を告げる。
「二人とも、落ち着いて聞いてくれ。あれは月じゃない。あれがおそらく、旧神竜だ」
「冗談言わないでよ、あんなのただの満月でしょ、満月!」
アリスが怒鳴り、天を指さす。アリスを落ち着かせるために、練は淡々と諭すように告げる。
「俺が停電後に外に出て、最初にあれに気がついた時は、半月だったんだ。それが今、満月になっている。そんなものが、ただの満月だと思うか?」
「――うそ」
アリスの顔から表情が消えた。ぱたりと掲げた手が力なく落ちる。
「俺が感じていた空間魔力の妙な濃さの理由が、あれを見てわかった。あれ《・・》がでたらめな勢いで魔力を集めているせいだ。そうだろう?」
練の問いは、己の中のグロリアスに対してだ。
(ああ、そう考えて間違いないな。で、どうするよ? 奴はたぶん、いつ孵化するかわからねえ卵のようなもんだ。竜の姿に転じたが最後、奴を滅ぼさない限り、この学院島どころか東京、いや関東一帯まで確実に消し飛ぶぜ?)
その前に、倒せばいい。そう練は、グロリアスに返せなかった。
魔力が一しかない自分に、いったい何ができるのかと自問し。
できることなど何もない、と自答する。
黙り込んだ練の傍らで、ルナリアが大剣を天に向けて掲げた。
「そうですね。あれがジオールドであり、魔力を集めて完全体になろうとしていることは、わかりました。ならば。今のうちに、私が討ちます」
「そんなの、できるわけっ!」
アリスの顔に表情が戻る。怒りと焦りと悲哀が混ざったぐしゃぐしゃの顔で、アリスがルナリアの両肩を掴んだ。
「できるか、ではありません。やるのです」
「熱っ」
アリスが驚いた顔でルナリアの肩から手を離す。ルナリアの白銀のブレストプレートが、ガントレットが、全ての装甲がやや赤みを帯びた白い光を放ち始めた。
ルナリアの右目。瞳孔の外周に紅い魔法陣を宿した蒼い瞳が紫に輝き、さらに紅へと変化する。
「練さまも、姉さまも、私から離れていてください。私の最大火力の熱閃光攻撃魔法『月穿ち』で、あれをここから消し飛ばします」
ルナリアが口にした姉さま。それが誰か、練にはわからない。
膝立ちの姿勢で呆然としていた紫音が、ゆっくりと立ち上がる。
「ルナリア。貴女、いつから気付いて……」
「その話は、後にしましょう。その身体は借り物であっても、死せば姉さまの魂にも傷が及ぶはず。それくらい、私にもわかりますので」
ルナリアと紫音のやりとりで、練にも、先ほどの姉さまという言葉が誰を指すのかわかった。
だが微妙に納得がいかない。
「……どういうことだ? 紫音が王女殿下の、母親が違う姉とかなのか?」
「そのことは後で説明いたします」
とルナリア。かしゃんと鎧に音を立てさせ、練から歩いて離れる。
「見ていてくださいね、練さま。三年前のご恩と、少し前のカフェテリアでのご恩。それから先日の秋葉原でのご恩に、今ここで、報いてみせますから」
「あれはかなりの高空にいるようだが、攻撃、届くのか?」
練は敬語を使うことを忘れてしまったが、振り返ったルナリアは微笑を浮かべていた。
「私の二つ名『真円に満ちる白い月』は、月さえ撃ち抜けるだろうという評価で付けられたものなのです。ご心配なく。魔力もほとんど残っていますし、必ずやあれを墜としてみせます」
(こんな時でも笑うかよ、この娘。大したタマだぜ)
剣を持ったルナリアの左手が震えていることに、練は気付いた。だが指摘はしない。
「信じる。勉強させてもらうよ、君の魔法」
ルナリアが両手で剣を抱き、頬を染めた。
「君……なんと素晴らしい響き……このルナリア、万の援軍を得た気持ちです!」
「いちゃついてんじゃないわよ、死ぬかもしれないって時に」
ぶつぶつとアリスが呟くが、ルナリアには聞こえていないようだ。
手の震えが収まったルナリアが、両手で剣を握り直した。
大きく足を開いて腰を落とし、右に身を捻る。
低く構えた大剣の切っ先が、地面に触れた。
「参りましょう、セレブレイト」
ルナリアが剣の名を呼んだ。刀身が輝き、魔法記述光跡が無数に噴き出す。
魔法記述光跡がルナリアの周囲に、二重、三重、四重と円を重ね、魔法陣を形成する。
さらに上へと魔法記述光跡が編み上がり、立体魔法陣と化してさらに伸びていく。
「ジェンカ。照準の補助を頼みます」
ルナリアの命令に、しかしジェンカは動かない。三体とも、返事さえしない。
「ジェンカ?」
片腕のジェンカが魔法の光を宿した手を手刀に構え、ルナリアめがけて矢のように走った。
ジェンカに表情はない。だから殺意があるかはわからない。
だが攻撃をしようとしているのだけは明白だ。
ルナリアは魔法を放つために、練たちから離れてしまっている。
しかも大規模攻撃魔法の構築中で完全に無防備だ。
「暴走っ?」
焦ってもアリスは、魔力が尽きている。練の魔力では物理攻撃を防ぐのは不可能。
練とアリスにルナリアを守る手立てはない。
「くっ」
紫音が駆け出したが間に合うはずがなく――
「限定、解除!」
紫音が全身に紅い魔力光を纏った。ジェンカたちの纏う光と同じものだ。
人間では不可能なレベルで紫音が加速し、蹴ったアスファルトが遅れて砕ける。
ジェンカが手刀を突き出す。間一髪、紫音がルナリアを背後にかばった。
ざしゅっと鈍く湿った音。
ジェンカの手刀が紫音の胸の中心を貫き、爪の先がルナリアの首から数センチのところで止まった。
「紫音!!」「紫音ッ!?」「姉さまッ!!」
練とアリス、ルナリアの声が重なった。
「大丈夫。私の急所はここじゃないから」
平然と笑みさえ浮かべてみせた紫音が、額をジェンカの額に押し付ける。
「乗っ取られるなんて、不甲斐ない子。貴女が守るべきは、誰? 宮殿の奥に引きこもってニヤニヤしている、あの子じゃないでしょう?」
ジェンカの全身の関節が、軋む音を立てた。動作と停止の狭間でせめぎ合っているように、がくがくと痙攣する。
「――…………ジェンカは、ジェンカを、破壊、するの、デス、早く」
突っ立っていたジェンカ二体が、何者かにコントロールを奪われたらしい片腕のジェンカに襲いかかる。
一体が首を手刀で斬り飛ばし、もう一体が背中から胸を拳でぶち抜いた。
がくん、と破壊されたジェンカが崩れ落ち、ずるりと腕が紫音の胸から引き抜かれた。
紫音の胸には大穴が開いている。
だが血の一滴も流れない。穴からは紅い魔力光が漏れるだけだ。その様で、練は気付いた。
「……ドロイド、なのか?」
(やっと気付いたか、練よ。ルナリアの姉、ソニア・ソード=ブリタリアが本国から精神系魔法で遠隔操作している特別製のドロイド。それが紫音だってことによ)
「江井紫音……A・SION。なるほど、ソニアのアナグラムか」
「そういうこと」
「そんなことより、姉さま! 大丈夫なのですか!!」
とルナリア。精神集中が削がれたか、構築中の立体魔法陣に揺らぎが生じ、一部、崩壊してしまう。
「大丈夫だと言っているでしょう、ルナリア。貴女は砲撃魔法構築に集中なさい!」
紫音――ソニアの叱責が飛び、ルナリアがびくりとした。
「――はい、姉さま」
表情を引き締め、立体魔法陣構築を再開する。そして再び空を仰ぎ見る。
練たちも再び夜空を見上げた。
「……大きくなっている」
満月に似た白く輝く球体の大きさが、ルナリアが魔法構築に入る前に見た時とは桁違いに巨大になっていた。もはや、満月と見間違えることなどありえない。
「――割れるわよ」
先にアリスが気付いた。白い球体に、亀裂が走る。
亀裂から禍々しいほどに濃い紫色の光が漏れ、そして爆ぜた。
そしてそれが出現する。
喩えるならば、それは紫色の光そのもので構成された竜の姿だった。
ひれ伏せ。
そう言わんばかりに、六枚の巨大な翼を広げる姿は、神として崇められる東洋の龍ではない。
悪魔として畏れられる、西洋の竜のシルエット。
「あれが、ジオールドなのか」
(ああ、その通りだ)
「あはは。笑うしかない大きさね」
呆れたようにアリスが笑った。
夜空全てがジオールドの光で紫に染まって見える。そのサイズ感は、見上げた視界にどうにか収まるという、低空飛行をする大型旅客機のようだ。
ソニアが淡々と告げる。
「エールランド滅亡の伝承の通りなら、広げた翼の大きさは一〇〇〇〇フィート――この世界の単位なら、約三三〇〇メートル。それより大きく見えるわね、これは」
「高空にいながら巨大に見える大きさなのか。凄い……旧き神の竜というだけのことはある」
莫大な魔力を、練はジオールドに感じた。
畏怖。
そうとしか表現できないものを感じたが、同時に、強い欲求を覚える。
「俺は。俺の魔法で、あれを倒してみたい」




