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自業自得の凡人、有り得ぬ月の真実

 今日、最初に外に出た時に月を見たか、どうか。

 練は思い出そうと記憶を探る――


「な、何だ、これはッ!?」


 思考が、誰かの大声で邪魔された。反射的に練は、声が聞こえたほうに目を向ける。

 共用施設棟の玄関から、道長が出てきていた。


「まさか。これが僕のせいだというのか……」


 幽霊のように生気がない顔で、ふらふらと道長が前に出る。

 それに気付いたか、何匹かのブラックドッグが共用施設棟のほうに赤い双眸を向けた。


「不用意だ、三条院!」


 練は叫んで注意を促した。生気のなかった道長の顔に、怒りの色が浮かぶ。


「ぼ、僕に向かって何を偉そうに! ノウ無しの分際で! こんな低級そうな怪異など、僕の敵ではないッ!!」


 道長が練に向かって、ずかずかと大股で歩き出した。


「ゴアッ!」「ゴルルルアッ」


 二匹のブラックドッグが道長に向かって猛然と突っ込んでいく。

 アリスとルナリアは自分の闘いに集中し、気付く様子がない。

 ジェンカたちもそれぞれ、練と紫音を狙うブラックドッグの対処に追われている。


「……」紫音は無言で見ているだけだ。


「三条院、危ない!!」


「だからうるさいと言っている!!」


 道長が懐から呪符の折り紙を出し、襲来するブラックドッグに投げつけると同時に魔法を発動させる。


「朱雀が眷属、紅蓮鷹! 疾く来たりて我が前に立ちふさがる愚鈍を灰燼に帰せ! 急急如律令!!」


 折り紙が巨大な炎の鷹になり、先頭のブラックドッグに激突する。

 炎の鷹のシルエットが崩れ、どおっと火炎が地を這った。二匹目のブラックドッグも火炎に呑み込まれる。


「ギャ!」「ギャウ」


 短い悲鳴を上げ、二匹のブラックドッグが燃え上がる。

「この通りだ! 見たか、ノウ無しが!!」

 道長が得意げな顔を練に向けた。練は何と返していいかわからない。


(奴も大したものではあるんだよな。ただ、人間としての器がくっそ小せえだけで)


 グロリアスの道長の評価が、すとんと練の胸に落ちた。


「……なるほど。器が小さいと言えばいいのか」


 独り言である。声はかなり小さいが、隣の紫音には聞こえたらしい。


「ぷっ。言い得て妙だねえ、それ」


「江井紫音、何を笑っている!? さてはノウ無しが何か言ったな!?」


 道長が紫音の笑いに気付いたようだ。燃えるブラックドッグをちらりとも見ずに、練を睨みつける。


「自力じゃこの程度の怪異も倒せない貴様が、いったい、何を言った!! 白状しろ!!」


 器が小さいと正直に言えば、道長がますます怒るだけだ。


「何をと言われても――」


 言葉に困った練は、燃えさかる炎の中でちかりと光が瞬くのに気付いた。

 魔法記述光跡などなくとも、魔力の揺らぎで練にはわかる。

 それが、光術系攻撃魔法だと。

 敵を撃ち抜き、殺す。

 その悪意のみで、瀕死のブラックドッグが原始的な魔法を放とうとしている。


(練!)


「わかってる!」



 練は即座に、一〇メートル以上離れた道長の頭の横に極微細魔法記述光跡を発生させた。

 魔法効果魔力還元魔法の立体魔法陣を一瞬で構築する。

「何だ?」と道長が立体魔法陣に気付いた。

 同時に、ぱうっと炎を貫き、矢のような閃光が放たれる。


「起動!」


 練が魔法を発動させた。ブラックドッグの放った光術系攻撃魔法の効果が失せ、魔力に戻る。

 その魔力を利用して反撃をしようとした練を、道長が怒鳴りつける。


「余計なことをするな! あの程度、僕だって簡単に防げた!!」


(いや、無理だろさすがに。至近距離で、完全に不意を衝かれていたじゃねえか)


 呆れたように、グロリアス。練は声を張り上げる。


「油断するな! 一匹、まだ生きているぞ!!」


「だから僕に指図するんじゃない、ノウ無しの分際でえッ!!」


 怒りの形相で怒鳴る道長。まだ燃えさかっている炎が、覆い被さるように動いた。

 炎の中、黒い影。崩れかけたシルエットが、巨大な顎門を開く。


「三条院、逃げろッ!!」


「……あ?」


 道長が間の抜けた声を上げ、振り返る。その姿が、ばくりと黒いシルエットに飲み込まれた。


「三条院!!」


 叫ぶ練の視界の中。道長を呑み込んだブラックドッグが、炎の中で燃え尽きる。

 そして炎がちりぢりになる。火の粉がわずかに舞い、そして消えた。

 後には、何も残らない。


「自業自得だよ」


 ぽつりと紫音が呟いた。ここに至り、アリスとルナリアが事態に気付いたようだ。


「三条院がどうかしたの!?」


「まさか、彼が外に来たのですか!!」


 アリスとルナリアが練のそばに戻って来た。練は二人から目を逸らし、告げる。


「三条院がブラックドッグに呑まれた」


 ルナリアが血相を変え、きょろきょろとする。


「どのブラックドッグですか! まだ切り裂けば、異次元に落ちる前に助けられるかもしれません!」


 アリスとルナリア、ジェンカたちのおかげでブラックドッグの残りは、数えられそうな程度に減っている。仲間の大半を失ったからか、練たちと距離を取って襲ってくる様子はない。

 紫音が小さく首を横に振る。


「無駄だよ。そのブラックドッグは、三条院の火炎魔法で燃え尽きたから」


 そんな、とルナリアが片手で口を押さえる。アリスが苦々しげに呟く。


「自分の召喚した怪異に呑まれて異次元に落ちるなんて。救いようがないわね」


 召喚。そのアリスの言葉で、練は気を取り直す。


「三条院には悪いが、今は悔やんでやれる時間はない。千羽さん、飛行魔法で俺を空に連れて行ってくれないか?」


「空に? 何で?」


「上から学院島を見たい。この妙な停電の復旧の仕方が、気にかかる」


 練はくるりと視線を巡らした。

 先ほどよりも灯りのついている建物や外灯の数が増えているが、やはりまばらだ。

 すぐそばの外灯に光が戻っているのに、共有施設棟も男子寮も女子寮も、暗いまま。

 明らかに、作為的な状況だ。


「私一人じゃ練を運ぶのは厳しいわよ。飛行魔法、基本的には一人用だもの」


「飛行魔法なら私も使えます。千羽さんと二人でなら、練さまを運べるかと」


 アリスとルナリアが頷き合い、アリスが練の右に、ルナリアが練の左に回った。

 ルナリアが左手に剣を提げたまま右腕を練の左腕に絡め、アリスが練の右腕に両手で抱きつく。そして二人とも顔を赤くした。


「……こうやってくっつくのって。微妙に照れるわね」


「嬉しさと恥ずかしさで、どうにかなりそうです」


 言われて練も二人を意識した。両腕にそれぞれ伝わる温もりに、妙な幸福感さえ覚える。


(おーおー、両手に花って奴じゃねえのかよ、これ)


「両手に花ってまさにこれを言うのかな? 気分はどう、練?」


「からかうなよ。今はそんな余裕なんてない」


(堅物だな、おまえ。危機的状況だからこそ余計な緊張をするんじゃねえっての)


「ゆとりのない状況だから、逆に二人の感触を楽しむくらいの余裕が必要かな」


 グロリアスと紫音が同じようにからかい、同じように助言した。


「一理あるかもしれない」


「だからってじっくり感触を味わうなんていやらしいこと考えないでよ?」


「申し訳ありません、ブレストプレートが固くて不快でしょうか」


「二人とも、余計なことは考えなくていいから、早く飛行魔法を頼む」


「了解っと」


「承知いたしました」


 アリスとルナリアが同時に魔法記述光跡を足下に発生させた。どちらも記述はほぼ同じ。

 練はここぞとばかりに飛行魔法の構成を読み、記憶する。


「基本は重力制御で推進力に風か。なるほど、重力を操るなら消費魔力が大きいのもうなずける。確か、一〇メートル飛ぶのに魔力を一、消費するんだったか」


 最初にアリスが練の寮の部屋に忍び込んできた時に、アリスに聞いたことだ。


「よく覚えていたわね。真上に浮かび上がるだけなら、そこまで魔力は消費しないけれど、私のほうはそろそろ魔力の残りが怪しいから、遠くまでは飛べないわよ?」


「私のほうは魔力に不安はありません、大丈夫です」


「わかった。とりあえず上昇してくれればいい、学院島全域が見える高さまで」


 アリスとルナリアが練を挟んで頷き合う。


「それじゃ」「はい」

「せーの!」「参ります!」


 アリスとルナリアが息を合わせて飛行魔法を発動させる。

 練は自分の身体の重さが消えるのを感じた。

 奇妙な感覚。心地よくはないなと思った瞬間、一気に地面が遠くなった。

 一〇秒かからず学院島にあるどの建物よりも高い場所に到達し、学院島全域がほぼ見渡せた。

 黒々とした夜の東京湾に浮かぶ、人工の浮島。ほぼ円形で、直径は約二キロメートル。

 ブリタリア王国の魔法と、日本の造船技術を合わせて建造された、世界最大の人工浮島(メガフロート)だ。

 島の外周に沿って光が円を描いている。その内側、複雑に構成された光の線。

 全て外灯や建物の灯りのようだが、単なる停電の復旧で、意図的な図案が描かれるように電灯がつくことなど、確率的にありえない。

 直径二キロメートルの、巨大な光の紋章。

 魔法記述光跡を用いる近代ブリタリア式魔法とはまるで様式が異なるが、これは間違いなく。


「――魔法陣だ。意味はわからないが、規模がでたらめに大きいのだけはわかる」


(……冗談じゃねえぜ。コイツは。さすがに洒落にならねえ)


 グロリアスの口調は、付き合いの長い練が聞いたことがないほどに深刻だった。

 練は左腕に、震えを感じた。左腕に右腕を絡めたルナリアが、全身を震わせている。


「……なんというものを。こんなこと、いったい誰が三条院さんに――」


「ごめん、王女殿下。私はそろそろ魔力がピンチだから、降りていい?」


 とアリス。ルナリアには聞こえていないようだ。

 練は左腕を動かし、ルナリアの右手に左手の指を絡めた。


「とにかく降りましょう、王女殿下。ここでできることは、何もない」


 ルナリアがはっとして顔を練に向ける。


「わかりました。千羽さん、下降しましょう」


「そう言ってるじゃない、私。それじゃ行くわよ」


「はい」とルナリア。アリスとルナリアが再び息を合わせて飛行魔法を操る。

 ほどなくして練たちは元の場所に降り立った。


「どうだった?」


 と紫音。練が見たままを伝える。


「外灯や建物の照明を使って、この学院島全域に魔法陣が描かれている。それがおそらく三条院が施した魔法の全容だと思う」


「魔法陣……それも、本を使った叙述式の……」


 紫音の表情に深刻さが増していく。紫音がルナリアと視線を合わせた。


「ルナリア。貴女にはわかったの?」


「はい。召喚されるのは、旧神竜(エルダードラゴン)。それもおそらく――

『ジオールド』です」


 ジオールド。練の聞いたことがない名だ。


「…………嘘でしょ、それ」


 アリスの顔色が一瞬で悪くなる。のみならず、見てわかるほどに膝が震えている。

 明らかに、怯えている。

 旧神竜。

 その単語を練は覚えている。

 授業初日、ブリタリア王国のある異世界の世界地図で、この世界にアイルランドに相当する島が存在しないのが、その旧神竜という高次元生命体のせいだとグロリアスから教えられた。

 だが、ジオールドという名に聞き覚えはない。


(前に、俺に反旗を翻そうとして、母国の島ごと消えた奴らがいると教えただろ。奴らが呼んだのが、まさにそのジオールドだ)


「間違いはないのね?」


 と紫音。完全に女性の口調だ。もはや口調を隠す精神的な余裕もないらしい。


「はい。父上から教えられた旧神竜の紋章の一つ、ジオールドのものに相違ないと思います」


「それなら、マリーに連絡してすぐにでも照明を破壊させないと! 召喚が始まる前に!」


 紫音がポケットからスマートフォンを取り出した。

 召喚が始まる前に。その言葉が練は気になった。


「――召喚が始まると、手遅れになるのか?」


「召喚が始まってしまったら、魔法陣を破壊しても意味がないの。わずかにでも旧神竜がこの世界に出現してしまったら、後は完全体になるまで周辺魔力を吸収し続ける」


「……完全体になる前に、破壊はできないのか?」


「ジオールドを滅ぼしたという勇者の伝承があるけれど、今のブリタリアでは信憑性が怪しい寓話として扱われているわ――こんな話をしている場合じゃない、早くマリーに連絡を」


 紫音がスマートフォンを操作しようとする。その手を練は押さえた。


「その前に、空を見上げてくれ。あれ(・・)が何なのか、俺にはわからない」


 練はもう片方の手で真上を指さした。

 練の指の先を、その場の全員が見上げた。

 夜空の頂点。満月(・・)が皓々と白く輝いている。


「……満月ね」とアリス。


「確かに綺麗ですが、月がどうかしましたか?」とルナリア。


 紫音だけが練の言っていることを理解したようだ。空を見上げたまま、がくんと膝から崩れ落ちる。


「……そんな」


「月がどうしたっていうのよっ」


「あれが何だというのですか!?」


 アリスとルナリアが、紫音に詰め寄った。

 練は、紫音の反応で事実を察した。念のためにスマートフォンで今日の月齢をチェックする。

 月齢は二九日。極めて細い三日月だ。それが、午後六時前には西の地平に沈んでいる。

 つまり。今、月が見えるはずはない。

 紫音の反応で、練は察した。あの月の、正体を。

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