世界を救いに行こうじゃないか
「お待たせいたしました」とルナリア。
「ごめーん、待った?」とアリス。
待ち合わせた大食堂入り口に現れた二人の姿を見て、練は首を捻った。
「二人とも、ずいぶんときちんとした服を部屋着にしているんだな。外出するみたいだ」
「あらそう? 私くらい女子力高いと、これっくらいは当然よ、当然」
アリスは、ざっくりとした風合いのニットの長袖カットソーにミニスカート、ニーハイソックス。寮の施設は土足生活が基本で多くの生徒がサンダルを使っている中、ちゃんと洒落た靴を履いている。
「どこか、おかしいでしょうか」
ルナリアは、高原の別荘のテラスで読書をする令嬢が着ていそうな、白系の清楚なワンピースに身を包んでいる。豊かな胸元に対し、ウエストはきゅっと締まったシルエットでボディラインにフィット。明らかに市販品ではなく、オーダーメイドだ。
ルナリアの斜め後ろにジェンカ。普段通りのメイド服で、両腕が揃っている。破損した三号機ではなさそうだが、練にはジェンカの顔の区別は付かない。
対して、練も紫音も私物のジャージだ。場に馴染んでいるのは練たちのほうである。
大食堂の営業終了時刻は、午後八時半。今は、オーダーストップの午後八時寸前で、混雑する時刻はとっくに過ぎている。
それでも大食堂の席のあちこちには、雑談に興じる生徒たちがちらほらと残っていた。
その多くが、食券販売機の近くにいる練たちに視線を向けている。
「王女殿下がいらっしゃったぜ、こんな時間に」
「王女さま、千羽さんと一緒に停学らしいけど、何したんだろうな」
「黒陽たちも停学なんだろ。あの四人、何かしでかしたのかよ」
近くの席の生徒たちの会話が、わずかに聞こえてきた。
停学の理由となった秋葉原の事件を、生徒たちは知らないままのようだ。
アリスが冷静な目で大食堂の中を見回す。
「情報管制はきちんとできているようね。日曜日のことが知れ渡っていたら、もっと騒がれるはずだもの、私たち」
「そこは学院長がちゃんとやってくれているさ。一度、改めてお礼をしないと」
と紫音。「そうですね」とルナリアが同意した。
「ま、そこは私たちの考えるべきところじゃないわね。考えるべきは何を食べるか――って。さすがにこの時間だと、ろくなメニューが残ってないわね」
アリスが食券販売機に歩み寄った。
ずらりと並んだメニューボタンに、売り切れの赤い表示。ほとんど全てが売り切れのようだ。
「失敗したわ。こんなことなら練たちに先に来させて食券確保してもらっておけばよかった」
「学生カードで発行してもらえるのは一人前だけだろう? 千羽さんたちの分まで確保は無理じゃないか」
と練。アリスはさも当然という顔で、
「そんなの、私と王女殿下の分を確保してもらったに決まってるじゃない。あんたたちは素うどんでも充分でしょ?」
売り切れになっていない、素うどんの販売ボタンを指さした。
紫音が遠い目をする。
「……素うどんだけ食べるくらいなら、自腹でお金を払ってサイドメニューを頼むよ、僕は」
「そうね」とアリス。「どっちみち、残っているのは素うどんと、おむすびとかおいなりさんだもの。適当に幾つか買って、シェアして食べましょ。王女殿下もそれでいい? ずいぶんと質素な晩ご飯になっちゃうけれど」
「お任せします」
ルナリアが答えた時だった。
「ああ! ちょうどいいところにいらっしゃった、ルナリアさまッ!」
やけに興奮したような男の大声が響いた。これまで以上に生徒たちの注目が集まる。
誰だ、と練は声が聞こえたほうに目を向け、ぎょっとする。
月曜日の昼に会った時よりもさらにやつれた、三条院道長が、そこにいた。
血走った目の下には濃い隈、こけた頬に影。
帰寮したばかりなのか、制服姿だ。その制服も薄汚れている。
「……三条院さん?」
ルナリアが訝しげな視線を道長に向けた。
「やりとげました、ルナリアさま! この僕が! 仰せのままに!」
片手に中身のない革のブックカバーのようなものを持った道長が、早足でやってくる。
道長の前に、ジェンカが立ちふさがる。
「待つデス。貴様からは妙な魔力が検知されているデス」
「邪魔をするんじゃない、メイド! 僕はおまえに頼まれた通りに全ての手順をこなしてきたんだ! ルナリアさまの願いを叶えるために!」
ルナリアの表情に浮かぶ疑念の色が濃くなる。
「私の願い……? ジェンカ。三条院さんに何か依頼したのですか?」
「そんな記録はありませんデス。三条院道長と直接会話するのは、これが初めてデス」
「何を言っている! これを僕に渡して依頼したのは、おまえだろう!」
道長が、手にしたものを突き出した。
ブックカバーに見えたものは、革の装丁。本のようだが、ページが全て失われている。
「それは……!?」「まさか、どうして……!」
革の装丁を見たルナリアと紫音の顔色が変わる。
(練! あれはヤバい! 何であんなものが、ここにあるッ!!)
グロリアスにも革の装丁が何かわかったらしい。
アリスが素早く道長へと迫った。
「何か知らないけど、ヤバいものなのは確かみたいね! 三条院、それを寄こしなさい!!」
「誰が!」
道長が怒鳴り、空いている手で懐から紙片を取り出す。呪符でできた折り紙の小鳥だ。
「疾く来たりて敵を討て! 朱雀が眷属、群雀! 急急如律令!」
道長が即座に呪符を起動させた。燃え上がった折り紙が複数の小さな火球となり、アリスに襲いかかる。
「そんなもの!」
アリスが片手で宙を水平に薙ぐ。その指の軌跡に魔法記述光跡が走り、瞬時にしてナイフのような薄い刃が幾つも放たれた。
刃が、飛来する火球を次々と迎撃する。
「なにいっ?」と驚愕する道長を、びっとアリスが指さした。
「いい、三条院! あんたじゃあたしには敵わない! ノウ無しと馬鹿にする練にだって、絶対に敵わないわ! そんなあんたに、王女が何を依頼するというの!? いい加減に、身の程をわきまえることね!!」
ぎり、と道長が歯ぎしりをする。
「……千羽くん。君はあくまで僕が、そのノウ無しに劣ると言うのか――」
道長の持つ革装丁が、光をうっすらと放ち始めた。
魔力を持たない故に魔力の動きに敏感な練が、すぐに違和感に気付いた。
「あの表紙。周辺の魔力を、喰らってる?」
(練、あれを奪い取れ! もう魔法が発動しかかっていやがる!!)
練が動こうとした瞬間。
「ジェンカ、あれを奪いなさい!」
「させるか!」
ルナリアに命じられたジェンカと紫音が、同時に道長へと飛びかかった。
「もう遅い! 今こそ僕の優秀さを証明する時だ!」
道長が、唇を吊り上げて嗤い、自分の親指の腹を噛み千切った。噛み傷から溢れる血を、革表紙のタイトルの箔押し文字に、なすりつける。
革装丁を中心にして、魔力が膨れあがった。
その魔力が魔法記述光跡を形成し、物理的な圧力となって、ジェンカと紫音を退ける。
魔法記述光跡を構成している言語は、ブリタリア語ではなかった。練には内容が読めない。
だが、わかることはあった。
「魔法を発動させようとしているのは、道長じゃない。あの本だ」
(だから奪って焼くんだよ! あれが呼ぶのは災いそのものだ!!)
道長が勝ち誇ったように、声を張る。
「わかったところで、もう遅いと言っている!! 魔法は発動する、ルナリア王女殿下の願いを叶えるのは、この僕、三条院道長だッ!!」
道長が革装丁を頭上に掲げた。一際強く革装丁が輝く。
革装丁そのものが分解されて魔法記述光跡を構成し、そして閃光と化した。
魔法の輝きが一瞬で消え、辺りが暗闇に包まれる。
大食堂の生徒たちが悲鳴を上げる。
「きゃあっ」
「うおっ?」
「何だ、停電か!?」
「三条院が何かしたせいか!?」
あらゆる照明が消えたのだ。食券販売機のボタンのバックライトも消えている。
「……おかしいわね。非常灯がつかないなん――」
「ゴアアアアアッ!!」
アリスの言葉を、獣の咆吼のような重低音が遮った。二度三度とその音が繰り返す。
「ゴアアッ!!」「ゴゴアッ!」「ゴアアアアッ!!」
さらに音が重なった。獣だとしたら、一体二体ではなさそうだ。
音は建物の外から聞こえてくる。何かが外に出現したとしか考えられない。
「な、何、あの叫び声」
「猛獣なんてこの島にいないだろっ」
「でもこれ、獣みたいだぜ!」
大食堂の中がいっそう騒がしくなった。
「ジェンカ、灯りを」
「あい、姫さま」
闇の中でルナリアとジェンカの声。ジェンカそのものが全身から淡い光を放ち、周囲がうっすらと明るくなる。
ジェンカの放つ光に照らされたルナリアが、落ち着いた、しかし威圧感のある大きな声で大食堂に向けて告げる。
「皆さんは決して建物から出ないでください! この学院島の建物は全て、邪悪を退ける結界を備えています! 建物の中にさえいれば、この私がブリタリア王国第二王女の名において、安全を保証いたします! よろしいですね、絶対に外には出ないように! すぐに学院側から指示があるはずです、それに従ってください!」
大食堂の中のあちこちに魔法記述光跡が生じた。冷静な生徒たちが灯りの魔法を使い始めたようだ。その様子を確かめた後、ルナリアが道長に厳しい目を向ける。
「申し開きは後で改めて聞きます。けれどもこの事態の責任は、もはや貴方では決して背負えません」
「そんな! 僕はただ、王女殿下の願いを叶えるために!!」
悲壮感のある声と表情で道長が訴えた。だがルナリアの表情は険しさを増すだけだ。
「僕のほうがそこのノウ無しよりも優秀で、王女殿下の役に立てるはずなんだ、それを証明しようと――」
「あんたさ、もう黙ってなよ」
とアリス。瞬間的に道長のそばに移動し、いつの間にか手にしていたナイフの刃を道長の喉に添える。
「それとも。永遠に、物理的に黙らせて欲しい?」
ひ、と短い悲鳴を上げ、道長がその場にへたり込む。
「あんたはそうしているのがお似合いよ。で、王女殿下。どうするの?」
「外に出ます。まずは状況を確認しないと、対処方法も決まりません」
「そうね。じゃ付き合うわ。今回はお試しということで無報酬でいいわよ」
「いえ、後できちんと報酬は算定させていただきます」
ルナリアが視線をアリスからジェンカに向ける。
「ジェンカ。全員、機能の限定解除を許可します。ついてきなさい」
「あい姫さま」
「イエス、ユアハイネス」
「アイ、マム」
ジェンカの左右に、迷彩系魔法を解除したジェンカの姿が二つ、現れる。一つは右腕がないままだ。
ルナリアが練に向き直る。
「練さまは、ここにいてください」
「いや、俺も外に行く。この状況は魔法によるものなんだろう? それなら、何が起きているのかこの目で直接、確かめたい」
「いけません、外は極めて危険な状態のはずです」
(俺もそう思うぜ? あの咆吼は、エビルビーストあたりのものだろうからな)
――エビルビースト?
(別次元の精神生命体の一種だ。でっかい召喚魔法を使うと、副産物みたいに次元の隙間から這い出してきやがるやっかいな連中だ。何せ普通の武器の攻撃が効かねえ。
悪食で何でも呑み込むが、呑まれた奴がどうなるのか、俺ですらはっきりと知らねえよ。知るには呑まれるしかねえからな。異次元に落ちるって話は聞いたことがあるが)
練も確かに感じている。外で巨大な魔力のうねりが生じていることを。
「…………大規模な召喚魔法……?」
練の呟きに、ルナリアの表情がわずかに強ばった。
紫音が、練とルナリアの間に来る。
「練にも来てもらおうよ。彼の魔法の観察力は、おそらくこの島にいる誰よりも優れている。状況を見れば、打破する方法を見つけてくれるかもしれない」
「ですが、あまりに危険では」
大食堂のほうには聞こえないよう紫音が声を抑える。
「あの本がもし。私たちの想像通りのものなら、どこに居ても危険は変わらない。もっとも安全なのは、ルナリア、聖騎士たるあなたの隣。違う?」
紫音の口調が普段と違うことが練は気になった。
「紫音。君はいったい……?」
「その話は後! さあ、命を賭けて世界を救いに行こうじゃないか!」
紫音がルナリアと練の肩を同時に叩いた。
(これまた、たいそうなこと言い出しやがったな、おい)
――それくらいの気持ちで臨めということだろ。
「ああ、行こう」
ほどなくして、紫音の言葉に誇張など微塵もなかったことを練は知ることになる。