練、自身の非常識さを自覚する
「カミル! 入るわよ!!」
ソニアは大声と同時にドアを壊さんばかりの勢いで開け、カミルの私室に足を踏み入れた。
本を片手に椅子に座っているカミルが、微笑を浮かべてソニアに顔を向けた。
「これはソニア姉さま。大声など上げてどうしたのですか?」
「しらばっくれるんじゃないわよ! あんた、ブリタリア行政特区の外で仕掛けてくるなんて何を考えているわけッ!?」
ソニアは秋葉原でのルナリア暗殺未遂事件の黒幕は、カミルだと確信している。
今日、ルナリアの行動を確実に把握していたのは、あの場に護衛ドロイドを遣わせていたソニアと、ルナリアに工作員を同行させているカミルしかいない。
ルナリアに付けているカミルの工作員が、カミルを裏切って第三者に情報を流していない限り、誰かが、今日、秋葉原にルナリアが来ると知ることは、ほぼ不可能だ。
「練くんがどうにかしてくれたからよかったけど! 日本の警察なんかにルナリアが連れて行かれたわよ、絶対に面倒なことになるわ!」
ソニアは再び怒鳴った。カミルの顔から微笑が消える。不安そうに瞳を揺らす。
「……まさか。ルナリア姉さまが、またどこかで襲撃されたのですか?」
秋葉原でのことなどまったく知らないというような表情と、言葉。
カミルのこの演技は、絶対に証拠が残っていないという自信があってのものだと察する。
ルナリアと一緒にいるカミルの工作員さえも、秋葉原での暗殺計画を知らされていないだろう。暗殺を実行した犯人も、口封じのために殺されているか、生きていたとしても、魔法で記憶と人格を壊されているはず。
ソニアは舌打ちをした。
「そう。知らないならいいわ。騒がせたわね、カミル」
ドレスの裾を翻してソニアは踵を返した。部屋を出る間際に、振り返らずに告げる。
「覚えておきなさい、カミル。あんたが犬同然に利用している人間にも、誇りというものがあるわ。それを無視するようなことを続けていたら、ろくなことにならないわよ」
「何のことかわかりませんが、胸に留めておきますよ」
動揺を微塵も感じさせないカミルの声。ソニアはドアを蹴り飛ばし、部屋を出た。
「やらかしてくれたのぉ、小僧ども」
学院島に戻った練と紫音は、すぐさま学院長室に連行された。そこで、不機嫌極まりないというようなオーラを全身に纏っている、マリーと対面した。
マリーはすでに、物騒極まりない真紅の鉄槌を片手に提げていた。
強烈な重量があるだろう鉄槌をマリーは、片腕でやすやすと持ち上げた。紫音の細い顎を、無骨なハンマーヘッドでくいっと下から押す。
「儂の立場を悪くしない限り、ソニアにもカミルにも、自由にさせるという約束はした。だがさすがに、今回はちと目に余る」
ぐ、とマリーが紫音の顎を持ち上げる鉄槌に力を込めた。
「とりあえずこれを引っ込めてくれませんかね。おっかなくてしょうがないですよ」
ぶんっとマリーが鉄槌を振り回し、どすんとハンマーヘッドを自分の横に下ろした。
「それを叩き潰そうが貴様は痛くもかゆくもないから、腹立たしい。ずるっ子め」
「潰されたら痛いですよ、さすがに」
「どうだか」
紫音とマリーの会話の意味が、練にはよくわからない。
マリーの言ったソニアとカミルが、第一王女ソニア・ソード=ブリタリアと、第一王子カミル・ソード=ブリタリアだとは察しが付くが『自由にさせる』が何のことか、さっぱりだ。
(……俺はちょいと読めてきたぜ。なるほどなるほど)
――わかるなら、説明してくれないか?
(ふふん。おまえでもそのうちわかるだろ。何、紫音は紫音だってことだ)
「……意味がわからない」
ぼそりと練は呟いた。紫音とマリーが同時に練を見やる。
「ああ、ごめんごめん。でも、わからなくていいよ」
「いっそ儂は説明してしまいたいがな。嫌がらせのために。全部ぶちまけた上で、叩き潰したいのだがの。なに、可愛い年寄りのわがままだ」
にやりと笑むマリー。紫音も笑みを浮かべるが目は笑っていない。
「いやあ、嫌がらせなんかされたら、僕が今ここで、全力で暴れたくなるかもしれませんよ。ええもう暴力生徒で構いません、退学だってそれほど困りませんしね。ええ、善良な一学生の悪あがきです」
「くっくっくっ」とマリーが喉を鳴らして笑う。
「うふふふふ」と光の消えた目で紫音が含み笑いをする。
(こ、怖え、コイツら)
――同感だ。
表情を強ばらせた練を、マリーが改めて見る。
「――と。冗談はこれくらいにして。はっきり言うとだな、貴様らがルナリアを連れ出すことくらいは想定しておった。どこに連れ出そうがソイツがついているのなら、ルナリアが死ぬことだけはなかろうと思ってな」
「紫音が、ですか? 彼女――いや、彼。そこまでの腕なのですか?」
「彼女で構わぬ。そもそも儂が許可したからな、おぬしとの同室を。腕がどうのというよりも、ソイツは何もかもが反則で、特別なだけだ。ずるっ子だ、ずるっ子」
「ずるっ子、ですか」
練は紫音を横目で見た。紫音が口笛を吹きつつ視線を泳がせる。
「別に、ずるはしていないさ、ずるだけはね。ま、おいおい話すこともあるかもしれないし、ないかもしれない。っていうか僕のことはどうでもいいんじゃないかな。もっと大事な話をしないとね? さ、学院長。続きをどうぞ」
「その軽さが儂は気に喰わぬが、まあよい。今回のことは、ブリタリア行政特区のこの島の外で、あそこまで派手にカミルが魔法で暗殺を試みるとは想像しなかった儂の落ち度でもある」
マリーの言葉に練は戦慄を覚えた。
「まさか。暗殺をしようとしているのは、実の弟のカミル王子なのか……?」
マリーが平然と告げる。
「血族で暗殺者を送り合うことなどブリタリアの王族では珍しくない。王位継承権をそうして争ってきた、それがブリタリア王国の歴史そのものだからな」
それにしても、と挟んでマリーが続ける。
「カミルめ、焦ったか……それとも、派手に事件を起こしたのは何かの目くらましか? いずれにしても抗議しておくか。さておき、黒陽練よ。おぬしにも訊かねばならぬことがある」
「俺にですか?」
「おぬし。敵の狙撃魔法を無効化し、カウンターで狙撃魔法を撃ち返したそうだな? 魔力がわずか一しかないおぬしに、何故、そんなことができる?」
(ま、説明するしかないだろな。魔法効果魔力還元魔法のことをよ。隠すことに意味はねえし、どうせ言われることもわかってるしな、俺は)
魔法の師であるグロリアスの許可が出た。練は隠さず説明する。
「魔法の効果を魔力に還元し、自分で利用して魔法を放つ技術が、俺にはあります」
ぴく、とマリーの片方の眉が跳ねた。
「……入学式の日。三条院の呪符魔法による火炎を消したのも、それか?」
「はい。とても見づらいと思いますが、あの時は、こんな構成でした」
練はその場で、道長の火炎系攻撃魔法を無効化した魔法陣を作った。
極微細魔法記述光跡で編み上げられた漏斗状の魔法陣を、マリーが間近で観察する。
「ほっそい魔法記述光跡だな。さらに強烈にややこしい。こうして近くでよくよく見ても、細かいところはさっぱりわからぬ。こんなものを一秒足らずで構成されたら、うちの講師陣がおぬしに教えられることなぞ皆無だぞ。カフェテリアでルナリアを守ったのも、これか?」
「無効化する魔法に合わせて記述に変更が入りますので、厳密には同じじゃありませんが、基本は同じものです。あの時はこれに高速起動の補助魔法を組み込みました」
マリーが呆れ顔になる。
「これよりまだややこしくなるというのか。どういう頭をしているか不思議になるぞ。もういい、わかった。魔法陣を消してよい」
(よかったな、練。『鉄槌使いの紅い魔女』が、おまえの頭の出来が不思議だってよ)
――褒め言葉なのだろうか、それ。
(魔法使いには最高の褒め言葉だっての。俺たちはな、他人に理解されなくてなんぼの存在なんだよ)
そんなものなのか、と納得した練に、マリーが渋い顔を見せる。
「黒陽練。その魔法効果の魔力還元魔法、学生カードの魔法履歴機能に登録しておくが、人前で使うでないぞ? 特にブリタリア人の前ではな。禁を破れば退学も検討せざるを得ない」
(……そー来るか。所詮はマリーも小者ってことだな、つまんねえ)
不満げにグロリアス。練も当然、納得できない。
「禁止って、何故です」
マリーの表情の渋さが深くなる。
「それが禁忌の領域の魔法だからだ。おぬしに訊くが、剣の攻撃を防ぐにはどうする?」
マリーの質問が、練には的外れにしか思えない。
「剣、ですか。今、その質問は関係ないのではないですか、学院長」
「いいから答えよ。変に捻って考えず、常識で思いつく答えをな」
「盾……でしょうか。剣の種類によっては、同じ剣で受ける手もありますし、刀身を挟んでへし折るソードブレイカーという手もあります」
「ふむ。それでは、銃ならどうだ? 銃撃にはどう対処する?」
「やはり銃の種類次第でもありますが、盾や防弾チョッキでしょうか。もし避けることができるような状況なら、回避が最善だとは思いますが」
「そうだな。攻撃は受けて防ぐか、躱すか。それが常識だ。ならば。魔法で攻撃されたら、おぬしはどうする?」
「魔法効果魔力還元魔法で――……」
言いかけて練は気付いてしまった。それが、常識から外れた考えだということに。
「理解したか。そういうことだ、おぬしのその魔法は、ブリタリアの魔法文明の根底を揺るがしかねない。あらゆる魔法効果を消失させる可能性があるからな」
マリーが真剣な表情で、そう言った。
理屈ではわかる。だが感情では練は納得できない。
「ですが。ブリタリアにだって、攻撃系魔法を防御系魔法で受けるのではなく、転移系魔法の応用で異次元へと消し去ることで防ぐ方法がありますよね。魔法を消すという意味では同じじゃないですか」
「入学式の時の、三条院の小僧との決闘。あの時におぬしが使った魔力還元魔法は、誰の目にも転移系応用に見えただろう。儂とて、そうじゃないかと思ったくらいだ。だがな、あくまで結果が似て見えるだけで、本質はまったく違う」
「……本質、ですか。俺にはよくわかりません」
「いいか、黒陽練。魔法がなかったことにされるのだ。魔法に頼り切って生きているブリタリア人にとって、それが理解不能なほどに恐ろしいと、わからぬか?」
(……相も変わらず、ブリタリアの奴らは臆病ものばかりかよ。練、ちと借りるぜ)
練は左半身に強烈な違和感を覚えた。左半身のみ、あらゆる感覚が消失したのだ。
普段は左の視界の中にしか存在しないグロリアスが、強引に練の左半身のコントロールを乗っ取ったのである。
――おい、止めろって! って、声まで出ないっ?
声の主導権まで練は奪われた。グロリアスが練の身体で、動かせない右足を引きずり、マリーに詰め寄る。そして左手で襟を掴み引っ張り上げた。
「練っ? 何をするんだいっ?」
紫音が驚きの声を上げた。マリーも目を丸くする。
「ど、どうしたというのだ。儂を殴って気が済むのなら、それも構わぬが」
「やかましい。つまんねえこと言ってんじゃねえ、マリー・ゴールド。二〇〇年以上も魔法使いやってんだろ、常識なんぞに縛られてんじゃねえっての」
練はマリーの瞳に映り込む自分の顔を見た。
グロリアスが魂に潜んでいる証拠の左目が、蒼く発光している。
「……黒陽練。おぬし、いったい――」
ちっと舌打ちし、グロリアスがマリーを突き飛ばした。練に身体のコントロールを返す。
練はマリーから離れ、頭を下げた。
「すみません。ちょっと苛立っただけです。言い訳はしません。今の行為への罰も、王女殿下を連れ出したことに対する罰も、どんな処分でも受け入れます」
そんな練をマリーが訝しむように見る。
「二人ともひとまず、一週間の停学だ。授業中は自室から出ることを禁ずる。放課後も特別な理由がない限り、寮から出ることを許可しない。まずはきっちり頭を冷やせ。いいな?」
「わかりました」と練。
「当然の処分かな」と紫音。
この停学のせいで、練はブリタリア行政特区――学院島に迫る危機を、みすみす見過ごすことになるが、今は知る由もない。




