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王女殿下の小さな願い

 開いたドアから顔を出したのは、アリスだった。

 警備員がすぐに気付き、アリスに声をかけた。


「どうかしましたか?」


「あ、別にそうじゃないです。ちょっと外の様子が気になっただけで」


「そうでしたか。警護はきちんとしていますので、安心してください。引き続きルナリアさまをお願いいたします」


「わかりました」


 アリスが警備員に答えつつ、ちらりとこちら(・・・)を見た。紫音が不思議そうに呟く。


「どういうわけか、僕たちのことに気付いているね。入れって感じだよ」


「とにかく入らせてもらおう」


 紫音と練は部屋に入った。少し遅れてアリスがドアを閉める。

 女子寮の部屋の造りは男子寮と同じだ。ロフトベッドの下に机と椅子があり、片方の椅子にルナリアが座り、そばにジェンカが立っている。


 ルナリアの表情は冴えない。うつむきがちで髪が顔に影を作っている。

 そのルナリアがこちら(・・・)に顔を向けた。


「来てくださったのですね、練さま」


 ルナリアにも練の存在がわかるらしい。だが視線が合っているわけではないので正確な位置まではわからないようだ。

 紫音が迷彩魔法を解除する。直後、練はルナリアと視線が合った。練は声を潜めて問う。


「迷彩魔法。完璧だったはずなんですが、どうして俺だとわかったんです?」


「練さまには失礼なことだと思うのですが、魔力が極端に低い人間に限定して察知する魔法を、アリスが使ってくれていたんです。練さまが来るかもしれない、と」


 ルナリアが弱々しく微笑んだ。隣でアリスがこくりと頷く。


「警備の人間は全員ブリタリア人だし、この寮にいる生徒は全て、魔力持ちでしょ。だとしたら、魔力がなくてここに来るだろう人間は、貴方だけなわけ」


 アリスは声を抑えていない。練はそれが気になった。さらに声を小さくして訊ねる。


「普通にしゃべって大丈夫か? この寮、それほど防音がよくないだろ?」


「王女殿下ご滞在の部屋よ? そこのドアと窓さえ閉めていれば、ここは一種の結界の中。防音は当然。それどころか、ここだけなら核攻撃の直撃にだって耐えるわよ」


 ちらりと練は紫音を見た。「まあ当然かな」と紫音。

「で。何しにきたわけ、練?」とアリス。


 練は改めてルナリアに視線を戻し、今日一日かけて考えていたことを告げる。


「秋葉原に行きませんか、王女殿下」


「秋葉原にですか!?」


 ルナリアが、聞いたことがないほどに弾んだ声を出した。ライトノベルを読むだけあって興味があるようだ。暗かった表情が一転、まばゆいくらいに明るくなった。

 だが一瞬のことだ。すぐに、ふっと顔に影が再び降りる。


「大変嬉しいお話ですが。今の私に外出は……それも学院島の外となると……」


「いいんじゃない? 江井くんの迷彩魔法を使えば警備は簡単にかいくぐれるのは、練がここまで来たので証明できたし、ジェンカたちで身代わりもできるでしょ?」


「……それは」とルナリア。


「ジェンカたち?」と練はルナリアの隣に立つジェンカを見た。

 警護ドロイドは一体しかいないはず――


「ジェンカは」

「ジェンカなのデス」

「ジェンカたちではありませんデス」


 同じ声が三つ、連なった。そしてジェンカの隣に、ふいっとまったく同じメイド姿が二つ、浮かび上がる。


「――もしかして。一人を残して二人は紫音と似たような迷彩魔法で隠れていたのか?」


「察しがいいですね」とルナリア。


「そういうこと。王女殿下護衛用の特別製だもの、この子。ただの幻術系じゃない光学系迷彩魔法装置くらい標準機能でついてるわよ」


 それで、と挟んでアリスが続ける。


「王族護衛ドロイドには、迷彩魔法を応用したデコイ機能があるわ。誰でもいいからジェンカ、王女殿下に化けてみせなさいよ」


 ルナリアにもっとも近いジェンカが、ルナリアに確認する。


「よろしいデス、姫さま?」


「構いません」と頷くルナリア。

「では」とジェンカが告げた途端、その姿が一瞬で変化した。


「こんな感じになりますデス。触られない限り、見破られない自信がありますデスよ」


 ジェンカがルナリアに化けた。口調こそ変わらないが、声もルナリアそのものだ。


「凄いな。確かに見分けがつかないが、個人特有の魔力の波動パターンはどうするんだ?」


 ルナリアの姿のまま、ジェンカが両手を腰の横に当てて胸を張る。


「もちろん偽装するデスよ、完璧に。でなければ(デコイ)にはなれませんデス」


「他の人間にも化けられるのか?」


「あい。迷彩偽装に必要な情報さえあれば、どんな人間の姿にもなれるデス」


 紫音が補足するように話す。


「光学系迷彩というのは、自分の周辺の空間に立体映像を出すようなものだからね。人間だけじゃなく物にも偽装できるよ、自分自身とそれほど大きさが変わらなければ。例えばポストとかね。他にも壁に張り付いて、壁の一部になりすますという使い方もできるんだ」


「便利だな、光学迷彩。そのうちきちんと理論を覚えることにしよう」


(それほどデカい魔力は必要ないが、一しかないおまえだと、使い道ないぞ?)


「使えないにしても。覚えておけば何かに応用が利くかもしれない」


 グロリアスへの返事だったが、あまり不自然ではなかったようだ。紫音もルナリアも、そしてアリスも感心したような顔をした。


「勤勉だよね、練って。うん、悪くないよ」


「そういうひたむきさに憧れさえ覚えます」


「無知は罪だもの。いいんじゃない?」


 褒められると思っていなかった練は、やや面食らった。


「あ、ありがとう。それよりも、王女殿下。どうですか、ここにいるメンバーでの外出。ごまかすのは、どうにかなるはずです」


 気を取り直し、練はルナリアに向き直った。


「その……お誘いは、とても嬉しく思います。ですが、自分の立場と責任を考えると……」


 ルナリアが視線をわずかに逸らす。言葉は歯切れが悪い。

 アリスの顔に、苛立ちの色が浮かぶ。


「あのさ。立場とか責任とか言う前に、行きたいか、行きたくないか、答えなさいよ」


「それは……」


 ルナリアが完全に視線を逸らした。

 アリスが「じれったいのよっ」とルナリアに詰め寄ろうとする。

 練はそれを片手で制し、一歩、ルナリアへと踏み込んだ。


「俺の記憶違いじゃなければ。王女殿下が三年前、この地に来たのは、この世界が見たかったというただの我が儘だったと。そうでしたよね?」


「……ええ、はい。それで私は練さまに酷い迷惑を――」


「そのことは、もういいんです。もし悪いと思っているなら、俺の話を聞いてください」


 ルナリアが練に視線を戻した。まっすぐとした眼差し。

 澄み切った蒼の左の瞳と、わずかに紫がかった右の瞳が練を映す。


「千羽さんから聞いたんですが。王女殿下は、この世界の創作物がお好きだそうですね。もしかして、三年前のアカデミー入学式に来たのも、創作物の本場が東京にあると聞いたからではないですか? 式に来賓として挨拶した後、お忍びで都内に出かけよう……と」


 ぴくり、とルナリアが身じろぎした。


「――何でもお見通しなのですね。確かに、その通りでした」


「お見通しというほどじゃないですよ。前に、我が儘でこの世界に来た、とご自身で仰いましたし、少女向けライトノベルを好んで読むという話から、推測しただけです」


「確かに聖地と名高い秋葉原には今も憧れがあります。ですが、あれから私も少しは大人になりました。ここで外出などという身勝手な行動しない程度の分別はつきます」


 淡々とルナリア。まるで自分に言い聞かせているようだった。


「それだと、俺が王女殿下にお礼をする機会がなくなるかもしれません……あ。その、騎士だとか……(めとる)とか、そういう期待に応えることが礼だと言われたら、困るんですが」


 娶られに参りましたとルナリアは入学式の日にささやいた。嫁に貰って欲しいということだ。


(だから貰っときゃいいのによ、嫁に。損はねえって)


 ぶるぶると練は大きく首を横に振った。アリスとルナリアが驚き顔になる。


「いきなり何よ、それ」「どうかしたのですか?」


 紫音だけがニヤニヤと笑みを浮かべた。


「恥ずかしいことでも思い出したんじゃないかな。聞こえなかったなら、訊かないであげるのがここは彼のためだよ」


 む、とアリスが軽く怒ったような顔をする。


「何か大事なことな気がするけれど。追及すると話が際限なく逸れる予感がするのよね……いいわ、いつか必ず口を割らせるけれど、今だけはスルーしてあげる」


「とにかく」と練はやや語気を強めにして話を強引に戻す。

「単刀直入にお訊ねします、王女殿下。今回の暗殺未遂事件のせいで、帰国の話が持ち上がっていますよね? そして、もし帰国したなら。次にこちらに来られるのは、いつになるかわからない――むしろ、二度と来られない可能性のほうが高い。違いますか?」


 ルナリアが、ハッとしたような表情になる。そして困ったように微笑した。


「……ほんとうに、何もかもお見通しのようですね。はい、そのような話が出ています」


「帰られたら俺が困るんだ。恩を返せなくなる」


 アリスが不思議そうな顔をした。


「恩って。練が王女殿下の命の恩人でしょ? それも、二回も」

「それは別の話だ、千羽さん。ノウ無しと呼ばれる俺が、今ここで、魔法の勉強をできるようになったのは、王女殿下のおかげなんだ」


「そんなこと。誰かに聞かされたわけ?」


「聞いてはいない。だが、考えてみればわかる。ここは魔法を教える学院だ。そこに、ろくに魔法が使えない生徒が入学できるはずがない。入学できるとしたら、学院運営陣の、さらに上の存在からの圧力だけだ。俺の入学をごり押しできる人間。千羽さんは誰を思いつく?」


 アリスと練が揃ってルナリアを見やる。


「――この方だけよね、そんなことを考えるのも、そんなことをするのも」


「俺もそうとしか思えない。だから、少しでも恩を返したい。秋葉原に連れ出すことで恩返しになるかどうかは微妙なところだが、それでも。王女殿下のこの国の思い出が、東京湾の中にあるこの学院島という特殊な世界だけなんて、俺が嫌なんだ」


 ルナリアの微笑の困惑の色が濃くなる。


「お気持ちは、凄く嬉しいのです。感激に身震いしてしまうくらいに。ですが――」


 練はもう一歩ルナリアへと踏みだし、細い両肩を掴んだ。


「俺に恩を感じているのなら。ここは黙って、俺に連れ出されてくれないか。この際、俺の自己満足に付き合ってもらう、それだけでも構わない」


 気圧されたようにルナリアが目を丸くし、瞬きをする。


「――はい」


 直後。ばんっと練は二発、強く背中を叩かれた。ルナリアの肩から手を放し、振り返る。


「痛いじゃないか」


 びっとアリスが親指を立てて見せる。


「言うじゃない。見直したわよ、ちょっとだけね」


(俺も同感だ。練、おまえがこういう強引さを出せるとは思わなかったぜ)


「……そうか?」


 と練。褒められていることにあまり実感が湧かない。


「男の子にはそういう強引さが必要だと、僕は常々思うんだ。僕に対しても、ね」


 女子らしい柔らかい動きで紫音が身体をくねらせた。続けて、


「そうと決まれば計画を練ろう。決行は、そうだね……次の日曜日がいいだろうね、やっぱり。学生にしか見えない僕たちが、平日に秋葉原をうろついたら警察に補導されかねないし。日曜なら、僕と練が寮にいなくても誰も不思議に思わないんじゃないかな」


「そうね、異論はないわ。王女殿下もいいわよね?」


 頬を赤く染めたルナリアが、ぽーっとした顔で呟く。


「……はい。全てお任せいたします」


(くっくっく。この姫、メスの顔してやがる。きっと今、じゅんってしてるぜ)


「じゅんってしてる?」


 意味がわからず練はおうむ返しに声にした。

 直後。練は、顔を真っ赤にしたアリスに、拳で頬を殴りつけられた。

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