俺が王女のためにできること
暗殺未遂事件のあった次の朝。ホームルーム前の教室は、その噂で持ちきりだった。
教室の一角に数人の女子が集まり、話をしている。
「ルナリアさま、暗殺されそうになったってほんと?」
「ほんとっぽいよ。お兄ちゃんが大学にいるんだけど、カフェでその事件を見たって」
「王女殿下、本国に戻されるって噂だよね」
自分の席についている練は、右隣を見た。ルナリアの席だが、まだ登校していない。
「来ないわよ、王女なら」
左の席でアリスの声。練はそちらを見やる。
「千羽さん、ルームメイトだったな。王女殿下は寮か?」
「そ。ジェンカの他にも護衛をつけて、ね。学院島全域の安全が一通り確認できるまで、寮に軟禁状態。今、警備部を総動員して学院島中を大捜査中よ」
「昨日のようなトラップを探しているのか。簡単に見つかるものなのか?」
(見つかるものは見つかるし、見つからねえものは見つからねえ。そんなもんだ)
「見つかるのもあれば、見つからないのもあるんじゃない? そんなものよ」
「一通り捜査した時点で、とりあえず安全と見なすだけということか」
「そゆこと。でなきゃ王女、いつまで経っても部屋でラノベ読む生活になっちゃうわよ」
「……ラノベ? 王女殿下、そういうのを読むのか?」
「物語全般が好きみたいよ? 前にも少し話したと思うけど、ブリタリアって芸術面でこの世界に劣っているのよね。寓話や童話、神話は普通にあるんだけど、そういうのって子供向けばっかりなわけ。こっちの漫画とか、あっちじゃ貴族階級の娯楽になってたりするのよ」
(漫画、面白いからな! おい練、何時になったら満喫に連れて行ってくれるんだよ、俺、続きが読みたい漫画があるって言ったろうが!)
グロリアスが左目の視界で、じたばたと暴れる。あまりのうっとうしさに練はつい声を出す。
「わかってるって」
「へえ。あんまり知られてないことなのに、知ってるんだ。ふぅん」
アリスは自分の言葉への反応のように受け取ったらしい。
しまったと思いつつ、練は話の流れに乗る。
「聞いたことがあるくらいだ。そうか、それでラノベなのか」
「私がラノベしか持ってなかったからだけどね。でも一般向けより面白いみたい。姫が身分違いの従者の男と恋に落ちるような話、夢中になって読んでるし」
(ぷ)と噴き出すグロリアス。
(まったベタな話が好みだな、ルナリアの奴。まあ自分が姫だし主人公に感情移入しやすいんだろうがよ)
「夢中になって、か。気が紛れるなら何よりだ」
「どうなんだろうね。確かに昨日の事件までは毎晩、夜更かしまでして読んでたけど。今朝は本、逆さまに持っていたわよ。死んだ目で」
「気が紛れてないんじゃないか、それは。命を狙われたんだ、ショックは当然だと思うが」
「ショックなのはそれじゃないわね、たぶん」
(だな。暗殺されかけたことをいつまでも引きずりはしないだろ、あの姫は)
「……どういうことだ?」
練が首を傾げた時だった。道長が教室後ろのドアから入ってきた。
「やあ黒陽、おはよう。いい朝だな」
ざわっと教室中がにわかに騒々しくなる。
「あの三条院が黒陽に挨拶……だと」
「しかも笑顔だぜ、笑顔」
「ついに認めたのかな、黒陽くんのこと」
「ありえねー」
「怖」
道長が練をノウ無しと嘲り、徹底的に嫌っているのは有名だ。
その道長が笑顔で練に挨拶をした。誰の目にも奇異に映って当然だ。
アリスが、これ以上疑わしいものはないと言いたげに半眼になる。
「……何たくらんでるのよ、三条院」
「僕がどうして何かを企てなければならない? そんな必要、ないだろう。何せ、将来を約束された三条院家の次期党首なのだから」
ニヤニヤしつつ道長。アリスの顔が軽く引き攣る。
「……キモ」
「ふん。好きに言えばいい。ちゃんと僕の価値は、理解できる人には理解できているようだからな。せいぜい千羽くんは黒陽とつるんでいればいいさ」
「あんた。朝から喧嘩売ってんの?」
「別に。そう言えば黒陽、聞いたぞ。何でも課外授業、中止になるそうじゃないか。まあ昨日のようなテロが起きた以上、仕方がないことだろうがな」
言うだけ言って、道長は自分の席へと去って行った。練はアリスに目を戻す。
「中止って。千羽さんは聞いているか?」
「……王女のルームメイトだもの。そか、練はまだ知らなかったんだ」
「そうだったのか、残念だ……せっかく、まともなレベルの魔法が学べると思ったんだが――あ、そうか。王女殿下が落胆しているのは、もしかして」
「たぶんね」
(たぶんな)
――暗殺未遂が起きたせいで、学院長の課外授業が中止になったのを気に病んでいるのか。
――課外授業を望んだ俺の責任じゃないか、それなら。
――俺が王女殿下に、何かしてやれることはないだろうか。
(おまえまで思い詰めるこたあ、ねえと思うんだがよ。ま、おまえはそういう奴だったな)
楽しそうに、グロリアス。
練はこの日。授業は上の空で、ルナリアを励ますにはどうしたらいいか、考え続けた。