トラップ発動!
「え?」「何と」
ルナリアとマリーが驚いた顔で身を乗り出し、練が差し出したページを見る。
黙り込んで魔法の術式を読み込むこと、しばし。
「……できそうですね」とルナリア。
「矛盾が見あたらぬ……」とマリー。
(ほう。新しい次元間転移魔法を組みやがったか。ま、たまたまだろうが褒めてやる)
紫音が露骨に残念そうな表情をした。
「惜しむらくは、君自身がそれを試せないことだよね」
マリーが座り直すと椅子の背もたれに身を預ける。
「まったくだな。魔力蓄積霊的構造を自らぶっ壊して魔法につぎ込むだなどという無茶さえしなければ、ノウ無しになることなどなかったものを」
「ほんとうにね」冷たい声でアリス。
「……その節は、ほんとうに。もはや、お詫びのしようもなく――練さま。今さらではありますが、もし私の死をお望みならば、この場で自害しようとも悔いはありません」
ルナリアが身を小さくした。
いやいや、と練は首を振る。
「そんなこと望みませんし、今はもう、何とも思っていませんから。こうしてまた公の場で魔法が学べる、それだけでも俺は恵まれていますし」
この際、と練は、かつてグロリアスにも否定されたことを口に出す。
「俺の魔力蓄積霊的構造を修復する方法って、やはりないんですか?」
ルナリアが口を一文字につぐんだ。悔しそうに目を伏せる。
「ない」
マリーがきっぱりと言い切った。
(だから、そんなものはねえって言ってるだろ)
ブリタリア王国でも屈指の現役魔法使いと、近代ブリタリア式魔法の祖、伝説の魔法使いがが言うのだ。
ないものは、ない。練は改めてそう認識し、さすがに落ち込んだ。
「とはいえ、おまえのその状態。メリットがないわけでもないのだぞ」
意味ありげにマリーがにんまりと笑みを浮かべた。
「ほんとうですか?」
真っ先にルナリアが視線をマリーに向けた。
「そんなのあるんだ?」
アリスも驚いたような顔をする。紫音は特に表情を変えることなく、マリーを見やった。
練の左の視界で、珍しくグロリアスがうろたえる。
(ちょっと待ちやがれ、マリー! ソイツをコイツに教えるのは早い!)
「あるんですか、メリットが!」
練は立ち上がり、テーブルに身を乗り出した。
(ってこら、おい! 聞くな! やめておけって!)
騒ぐグロリアスを練は無視し、マリーに願う。
「教えてください、学院長! 俺でもちゃんとした魔法が使えるんですか!」
(ああもうしょうがねえなっ。聞いてガッカリしても俺は知らねえぜ)
ふてくされたようにグロリアスが黙る。
「まずは落ち着け。周りの目がさすがに邪魔くさいでな」
練の行動はかなり目立っていた。オープンテラス席にいる客のみならず、室内の客までがこちらを注目している。
「も、申し訳ありません。はしゃぎすぎました」
練は椅子に座り直した。やれやれ、とマリー。
「最初に言っておくぞ。他の連中同様に魔法が使えることはないからな。そこまで都合のいい話なんぞ、存在しない。何せ、おぬしの魔力蓄積霊的構造はぶっ壊れてしまっておるでな」
「……はい。それはわかっているつもりです」
「自分の状態を説明してみろ」
「状態、ですか――俺の魔力蓄積霊的構造は穴だらけで、魔力を溜めておくことができず、体内に取り込んだ魔力はほとんどそのまま外に流れ出てしまい、体内に留まるのは魔力量換算値でおよそ一のみという状態です」
「ふむ、その通りだ。正常な魔力蓄積霊的構造は、言わば蓋のついたバケツのようなものだ。中に溜められる量には限りがあり、その量は後天的に鍛え増やすことができるが、莫大な時間がかかる。つまりは、基本的には生まれつきの才能だ」
「俺の場合、そのバケツがひび割れだらけで、ダダ漏れ状態です」
再び、マリーがにやりとした。
「バケツに喩えてはいるが、魔力蓄積霊的構造はそもそも物体ではないぞ? 容量の概念があるのみだ。その容量の上限が、黒陽練、おぬしにはなくなっている」
練は腕組みをし、首を捻った。話がよくわからない。
「……容量の上限がなくても、そもそも溜まらなければ意味がありませんよね」
「そうでもないよ」と紫音が真面目な顔で口を挟む。
「個人差が多少はあるけれど、魔力の自然回復は一時間で六〇ほど。一分間辺り一、回復するのは知っているよね」
こくりと頷く練。紫音が話を続ける。
「君の場合。容量の上限がない、もし高純度の大魔力を瞬間的に体内に取り込む方法があるのなら、それを魔法として行使できる可能性があるという研究が、古くからあるんだけど」
紫音の言葉はどこか歯切れが悪かった。だが、練は高揚した。
「そうなのか!」
練は、ぱっと世界が明るくなったかのように感じた。目の前が開けるとはこのことか、と希望に胸が高鳴る。一方、左目の視界でグロリアスがごろんと横になった。
(あーあ。知っちまいやがった。知らねえからな、俺)
「でもそれ。問題が二つもあるわよね」とアリス。
「問題が二つ?」練はアリスに視線を向けた。
「そ。一つは、空間には希薄にしか存在しない魔力を、高純度の大魔力にして直接取り込む方法なんて、私の知る限りじゃないってこと。もう一つは、容量の上限がないってのが、ただの仮説に過ぎないってこと。私はきっと、許容限界値があると思うわ」
(俺も同意見だ。ノウ無しだからって底無しなわけがねえ)
「もし、許容限界値を超えて魔力を取り込んだら、どうなるんだ?」
「大きすぎる魔力で魂が爆散するんじゃない? 霊的構造って魂魄の一部だっていう研究成果もあるし」
「…………死ぬってことか」
練はちらりとルナリアを見た。ルナリアも練を見つめ返す。
ルナリアの右目が、練は気にかかった。純粋に蒼い左目と違い、右目の光彩は外周にわずかな赤みがあり、そのせいで紫がかって見える。吸い込まれそうなほどに神秘的な色合いだ。
思い出す。テロに巻き込まれた、あの日。
ルナリアが右目から、真紅に輝く涙を流したことを。
あの紅い涙は、高純度の魔力そのもの。グロリアスは確かにそう言っていた。
――あの涙があれば。問題の一つは解決するんじゃないのか。
(練よ。あの魔眼のことは、ソード=ブリタリア家じゃ秘中の秘だ。あの時は切羽詰まってたから教えたが、絶対に言うんじゃねえぞ?)
グロリアスが釘を刺すように言った。練は思念で応じる。
――わかった。あの魔眼って何なんだ。それだけでも教えてくれ。
(ソード家の女にしか発現しない、一種の呪いだ。あの右目は、魔力蓄積霊的構造とは別に、魔力を際限なく集めて圧縮する。それも、身体の成熟に合わせて呪いは強くなる)
――魔力を集める呪い?
(まあ、な。呪いは際限なく魔力を集め続け、副作用で桁違いの魔力量を呪われた女に与えるが、それでも魔力蓄積霊的構造には限界がある。増えすぎた魔力は何らかの形で排出しないと、その先にあるのはアリスも言ったように、魂の破裂。ボン、だな)
――紅い涙という形で、余剰魔力を排出するということか。
(正解だ。三年前の幼かったルナリアと、成長と共に呪いが進んだ今のルナリアじゃ、紅い涙に凝縮する魔力量の桁が違う。試しに訊いてみろ、今のルナリアの魔力蓄積値を)
グロリアスと話している間も、練は、じっとルナリアの右目を見つめていた。
「見つめてくださるのは嬉しいのですけれど。あの。何か」
ルナリアがわずかに頬を染め、喜悦と困惑が入り交じったような表情になる。
「教えてくれませんか。王女殿下の魔力蓄積値を」
ゆらりとルナリアの瞳が揺れた。表情に残るのは困惑のみだ。
「主として仰ぐ練さまの言葉ですから、お教えしますが。変な女だとお思いにならないでくださいまし」
ルナリアが制服の内ポケットから学生カードを取り出し、テーブルに置いた。
この学院の学生カードは、所有者の様々な能力を数値化して表示する機能がある。
練は魔法に関する項目のみに注目した。
魔法技術値 388
魔力蓄積値 ERROR
「……エラー? これってどういう」
練の疑問に、マリーが答える。
「表示限界を超えているということだ。その学生カードの表示できる最大値は999だからな。ルナリア。おぬしの数値、先月の測定では四〇〇〇を超えたと聞いたが」
「はい。日によって多少ばらつきはありますが、使えるのは四一〇〇前後です」
使えるのは。その言葉が練は気になった。
練がその疑問を口に出す前に、アリスが目を丸くし、大声を出す。
「よんせんひゃくうッ!? 私の一〇倍じゃない、何そのふざけた数字!?」
高いアリスの声は、先ほどの練の大声よりもよく通った。そのぶん多くの客の注目を集める。
何の数字だ? という誰かの疑問の声が聞こえてきた。数字が大きすぎて魔力蓄積値だとは気づけないらしい。
視線に気付いたアリスが顔を真っ赤にし、あっちこっちに両手を振って頭を下げる。
「あ、う。その。ごめんなさい、何でもないんです、何でもっ」
両手で顔を押さえてアリスが椅子に座り込む。
「あー、恥ずかしい……あんたのせいだからね、あんたのっ。余計なこと王女に訊くから!」
椅子の下でアリスが練の足を踏んだ。
「す、すまん。それは否定しないが……王女殿下。その魔力蓄積値、事実なんですか」
「はい。公表している数字は四〇〇程度ですが、今のが事実です。一応、内密にしていただけますと助かります」
「ちなみに儂の魔力蓄積値はざっくり三〇〇〇ほどだ。長く生きているだけあるであろ?」
得意げにマリー。グロリアスが鼻で笑う。
(ふっ。生前の俺は一〇〇〇〇オーバーだぜ?)
先ほどマリーが魔力蓄積値は生まれついての才能によってかなりの部分が決まると言った。
魔法使いの才能は遺伝すると、練は大図書館の自習で最近学んだ。
王族には優秀な魔法使いが多い。それはつまり、血のなせる技だということだ。
――王女殿下の魔力蓄積値が四〇〇〇。
右目の呪いによる紅い涙の数値がどれくらいかはわからないが、ルナリアに今の数値を訊いてみろと言ったのはグロリアスだ。
――あの紅い涙。魔力に換算すると最低でも一〇〇〇はあるのかもしれない。
文字通り、桁違いの量だ。先ほどアリスが言った、許容量を大幅に超えた魔力を吸収したら魂が爆ぜるというのも、ありえないことではないかもしれない。
練はぼそりと呟く。
「何千という魔力なんて、ピンとこない。そんな量が必要な魔法なんてあるのか」
「そうだね。数字が大きければいいってものでもないしね」
紫音が軽く苦笑した。アリスが嫉妬をわずかに顔に出す。
「まったく。王族ってのは血筋からしてチートよね、チート。それにしても遅いわね、紅茶。まだかしら」
アリスがきょろきょろとする。そのタイミングで、カップとグラスを載せたトレイを両手で抱えたジェンカが戻って来た。トレイには人数分のおしぼりも一緒に載っている。
「お待たせしましたデス。トレイを置きたいのでそこをちょっと開けるデス、マスター練。聞こえているデスか? マスター練、そのノートを片付けろと言っているデス」
マスター練が自分のことだとわからず、練は反応が遅れた。
「――あ。俺のことか。今、片付ける」
練はノートをカバンに納めた。できたテーブルのスペースに、ジェンカがトレイを置く。
その瞬間。練は、魔力が魔法に変換される気配を感じた。
トレイに並んだカップの上。一瞬だけ魔法記述光跡で小型の魔法陣が描かれる。
一秒にも満たないその刹那に、練は魔法の構成を読み取った。
――設置型!? 液体薄膜硬化と射出、これは!?
(液体が刃になるトラップだ、狙いはルナリアだ!)
グロリアスと練は同時に察したが、ターゲットにされたルナリアも、高位の魔法使いであるマリーも、まだ気付いていないらしい。
練の頼んだホットコーヒーと、氷の入ったアイスティーのグラスは無反応だが、湯気の立つ二つのティーカップの紅茶の表面に、さざ波が立った。
ぴしりと異質な音。
次の瞬間には紅茶が無数の刃と化し、ルナリアに襲いかかるはず。
危機的状況に練の集中力が爆発的に高まった。紅茶が刃と化す様が、ゆっくりに見える。
――間に合わせる、絶対に。
練は今朝、ノートで研究したばかりの高速起動補助魔法を、魔法効果魔力還元魔法に即興で組み込みながら、ルナリアの正面に、練特有の極微細魔法記述光跡で立体魔法陣を編み上げる。
練が使用できる魔力は、たったの『一』だ。
高速起動補助魔法を併用したため、魔法効果魔力還元魔法の効果範囲は、前に道長の魔法に対して使った時と比べ、かなり狭い。
立体魔法陣が完成したその瞬間。
ティーカップから無数に刃が放たれた。