大図書館、それは練の理想郷
国立魔法技術学院総合大図書館。
他の学院の施設と同様、外観は赤れんが風の建物だ。
この世界で唯一、ブリタリア王国のある世界の書籍が潤沢に存在する場所である。
学院の生徒なら誰でも利用できるが、利用者の多くは私服姿の大学生だ。
制服姿の練とアリスは、やや目立っていた。
大学生たちが、練を見て小声で会話する。
「……あれ。今年編入したっていう、あの元神童だよな」
「ルナリア王女殿下の命の恩人?」
「そうそう。高等部の弟から聞いたんだけど、昨日さっそく、あの三条院の御曹司と決闘して勝ったって」
「引き分けたって聞いたけど」
「っていうか王女殿下が乱入して、二人とも倒したんじゃなかったっけ」
「うわ、割と王女殿下って暴力的? 俺、憧れてたんだけどなあ」
ひそひそ声だが、図書館の静寂の中だ。練にも内容は聞き取れた。
(大変だな、有名人はよ)とグロリアス。
――俺のことは、別に言わせておけばいいが。
――王女殿下のことを悪く言うのは、ちょっとな。
(所詮は他人事だぜ、ほっとけよ)
大学生たちを見やり、練の歩く速度がわずかに遅くなる。とん、と練は肩を軽く押された。
「気にしてんじゃないわよ。王女殿下だって、あの程度の悪口に腹立てたりしないから」
「……ん。ああ」
アリスに促され、練は先に進んだ。
廊下の先。駅の自動改札に似たゲートがある。
図書館に入る際にも、学生カードを読み取らせて同じタイプのゲートを通った。
「ここでも学生カードを使うのか?」
「そ。この先がブリタリア書籍のフロア。言っとくけど持ち出し厳禁、閲覧はフロア内限定、コピーどころか書き写しも禁止。監視カメラと監視魔法の二重で見張られているからね、規則を破ったら即刻退室、破った規則の種類によっては永久に立ち入り禁止になるから。いい?」
「あ、ああ。注意する」
練はアリスに続いて、練もゲートを通った。
ゲートの先に、押し開くタイプのドアがある。
「練にとってはパラダイスよ、ここ」
にまりと笑い、アリスがドアを押す。
途端、古書特有のすえたような臭いが漂った。
「うわ」
ドアの向こうの様子に、練は息を呑んだ。
(ほー。こりゃなかなかのもんだ)
とグロリアスも感心する。
フロアに連なる背の高い書架の列。のみならず、床から見上げるほど高い天井まで、壁が全て書架になっている。その全てにびっしりと本が詰め込まれた様は、威圧感さえあった。
だが、閲覧に来ている生徒は見あたらない。
「人がいなくてびっくりした? でもここ、たまに大学生が調べ物に来るくらいで、だいたいいつもこんな感じよ。ブリタリアの原書なんて読んでもわかんない学生ばっかりだもの」
「……これ全部、ブリタリアの魔法関係の原書なのか?」
「魔法関係は、おおよそ半分くらいらしいわ。後は、歴史書だったり哲学書だったり」
「小説とかもあるのか?」
「小説はまったくと言っていいくらいないわ。あっちの世界、魔法は発展したけれど、芸術や文学はこの世界のほうが優れているみたいだから……知ってる?
こっちの世界と、ブリタリアのある世界。似通っていた二つの世界が、魔法と科学、異なる文化の発展をした理由」
「いや。考えたことも、聞いたこともない」
「レオナルド・ダ・ヴィンチ。名前くらいは知ってるわよね?」
「ああ。芸術のみならず様々な自然科学にも精通した、一五世紀頃――ルネッサンスを代表する大天才だろう? それがどうかしたのか」
「ダ・ヴィンチに相当する人間が、あちらの世界の歴史にはいないのよ。その代わりにいるのが、近代ブリタリア式魔法の祖。すなわち、グロリアス・ロード=ブリタリア」
(あれま。俺ってば歴史の分岐点? さすが俺さまだな)
「グロリアスが近代ブリタリア式魔法を発展させたから、ブリタリアの世界では科学が発達しなかった、ということか?」
「まあね。それと、ブリタリアが中世に世界の半分以上を征服したせいで、こっちの世界大戦のような大きな戦争が、向こうでは起きていないの。それも科学が発展しなかった理由ね」
「なるほど。戦争が起こる度に、船、飛行機、銃にミサイル、挙げ句は核兵器と科学技術は劇的な発展をしてきた――それが、向こうではなかったのか」
「そういうこと。よくも悪くもグロリアス・ロード=ブリタリアが、あっちの世界を変えちゃったのよ。偉人よね」
「グロリアス。そんなに凄かったのか」
(凄いぜ? 今さら何言ってんだ)
「凄いわよ。今さら何言ってるの」
グロリアスの思念とアリスの声が重なる。
「……そうか。凄いのか。やっぱり俺は幸運なんだな」
幼少時からグロリアスに魔法の指導を受けられたことを、練は恵まれていると自覚した。
(いや不幸だろ。ノウ無しになっちまったんだし)
「不幸でしょ? 何が幸運なのか知らないけど、今はノウ無しじゃない」
「それもそうか。まあいい。ここの本、持ち出さず書き写さない限りは閲覧自由なんだな?」
「そ。だからせいぜい勉強しなさいな。魔力がないから知識なんて無駄かもしれないけれど」
「いかなる知識も無駄にだけはならない。だからこそ、こうして先人は書物を残す」
練は改めて、書架の列を眺め回した。
一冊一冊に知識が詰まっていると考え、身震いする。
「……ほんと。好きよね、魔法。何にも変わってないんだから」
呆れたようにアリス。練は視線をアリスに戻す。
「その言い方。やっぱり、どっかで会っているんだよな、俺たち。いったい――」
「思い出すまで、内緒」
アリスが不意に、ちょんっと練の鼻を指で突いた。
「私はカフェテリアに寄って、寮に帰るから。練は閉館まで好きなように勉強するといいよ」
くるりとアリスが踵を返し、去って行く。
練は首を傾げた。
「あの様子だと。俺が昔から魔法を学んでいたことも知っている。そんなこと知ってる女の子って従妹だけだが……従妹の友達とか? いや、そんな知り合い、聞いたことないな」
従妹。練が世話になった叔母夫婦の一人娘で、魔法の才能がない一般人である。
(――なあ、練よ。おまえ、勘違いしてるみたいだが)
「勘違い? 何を?」
(ま、いいや。おまえが細かいことを気にしないのは、今に始まったことじゃねえしな)
「気になる言い方をするなよ。いったい、何のことだ」
(気にするな。そんなことより俺が参考になりそうな本を選んでやるから勉強を始めようぜ。閉館は午後六時だったか、それほど時間があるわけじゃねえしな)
今は午後四時過ぎだ。勉強に費やせる時間は、二時間もない。
「そうだな。せっかく原書があるんだ、時間は無駄にしたくない」
練は気を取り直し、書架に向かった。
どんな魔導書があるのだろうかと心が弾む。
うっかりスキップなどしてしまい、誰か見ていなかったかときょろきょろする。
(くっくっく。おまえでも浮かれることなんざあるんだなぁ、可愛い奴だ)
「…………うるさい」