自覚がない傲慢?
(練。おまえ、ほんと容赦ねえな)
「相変わらず容赦ないわよね、練って」
グロリアスとアリスの意見が一致した。
「……容赦ないって、何が?」
きょとんとする練に、教壇を囲んでいた生徒の中から、女子二人が駆け寄ってくる。
「ちょっと! 今のは酷いんじゃないの、黒陽くん!」
「上から目線で何様のつもりなのかな! まるで自分のほうが実力あるみたいにさ!」
怒りを隠さない女子たちに、練は軽くのけぞった。
「そんなつもりはまったくなかったんだが。そう聞こえたなら悪いと思う。すまなかった」
「謝る相手が違うでしょう! コーンズ先生に謝ってきなさいよ!」
「そうだよ、謝ってきて!」
大声で女子たちが騒いだ。ルナリアが、たん、と軽く机を片手で叩き、立ち上がる。
びくっと女子たちが身を震わせ、表情から怒りが消えた。困惑と恐れの色が浮かぶ。
教室が奇妙に静まり返った。ルナリアが、落ち着いた口調で告げる。
「謝る必要はありません。コーンズ氏が練さまに謝罪を求めたわけではありませんし、彼も謝罪を望んだりはしないでしょう。魔法構成を読むという能力において、彼が練さまに劣っていると認めたからこそ、あのように何も言わず立ち去ったのです」
「で、でも」「けれど」
女子二人は何か言いたそうだが、ルナリアがそれを言わせない。
「ここで貴女たちに言われるまま、練さまが謝罪をしたら。それこそ、コーンズ氏のわずかに残った誇りを踏みにじることになりますが、貴女たちは、それを望んでいるのですか?」
女子たちの視線が泳ぎ、意気消沈する。
「……そ、そんなことは、望んでおりません、王女殿下」
「私たちが、でしゃばりすぎました。申し訳ありませんでした」
深く頭を下げるとルナリアを見ることなく、女子たちは教室から逃げるように出て行った。
教壇の辺りに残っていた生徒たちが、練やルナリアをちらちらと見つつ、散らばっていく。
アリスがその光景に、見下したような目になった。
「言い返したいことがあるなら、言えばいいのに。揃いも揃って根性なしね。気にすることはないわよ、練。容赦のない態度だとは思うけど、間違ったことは言ってないもの」
「……容赦がないと言われても。よくわからないんだが」
「自覚がない傲慢とは、困ったものだな」
そんな声が斜め前のほうから聞こえ、練は視線をそちらに向けた。
席替え前の、アリスの元の席の一つ前。三条院道長がカバンを手に腰を上げる。
妙に気取った仕草でくるりと身を翻すと、こちらにやってくる。
「何か用?」とアリス。
「用は君にじゃない、千羽くん」と道長。
「練にいちゃもんつけるのなら、まず私が聞くけれど?」
「……君もそのノウ無しの肩を持つのか。がっかりだ」
だんっと音を立ててアリスが立ち上がる。
「あらそう。練じゃなくて私に喧嘩売るんだ、万年次席さん?」
「万年次席……!」
道長の片方の眉がぴくりと跳ねた。腹を立てたようだが、練には理由がピンとこない。
(千羽アリス亞梨子がいるせいで、この小僧、一度も首席になったことがねえってか。さもありなん、だぜ。この小娘、おまえほどじゃないが魔法の才能はかなりのものみたいだしな)
「そうなのか?」と練。
道長の頬が引き攣る。
「実に貴様は度し難いな、黒陽練。いちいち僕の成績を確かめないと気が済まないのか? ああそうだ、千羽くんがいるから僕は魔法関連の教科でも一般の教科でも、一位をとれたことはない。
だがそれば僕が劣るからじゃない、千羽くんが優秀すぎるからだ。その容姿のように」
道長が怒った表情のままでわずかに頬を紅くした。ふん、とアリスがそっぽを向く。
(ぷ)とグロリアスが噴き出す。
(何だこの小僧、千羽アリス亞梨子に気があるのかよ。ったくそりゃ大変なこったな)
「……そうなのか?」
練はまじまじと道長の顔を見た。道長が気まずそうに視線を外す。
「と、とにかく。そんな話をしに来たんじゃない。用があるのは王女殿下にだからな」
「私に?」とルナリア。
道長が友好的な笑みを浮かべた。
「先ほどお話をしていた課外授業のことですよ。僕も参加します」
自分なら当然参加する資格があるはずだとばかりに、自信たっぷりに道長が言った。
ルナリアが数秒ほど思案し、口を開く。
「参加希望ですか。それなら高等部全学年全生徒を対象に、簡単な選考テストを行っていただくよう、学院側に私から働きかけておきます」
「僕にそんな試験は必要ありませんよ、王女殿下。そこのノウ無しよりも僕のほうが――」
「貴方のほうが、何でしょうか」
得意顔でぺらぺらとしゃべる道長を、ルナリアが軽く睨んだ。道長の表情が強ばる。
「い、いえ。別に……選考テスト、楽しみにしてますよ。当然、そこのノウな――黒陽も受けるんでしょうね。おい、黒陽。せいぜい恥をかかないよう頑張ることだな」
捨て台詞のように道長は練に告げ、早足で去って行った。
べ、とアリスが道長の背に向かって舌を出す。
「どっちが恥をかくんだか――ねえ、練。この後、何か予定ある?」
くるりとアリスが練に向き直り、顔を覗き込んできた。
「予定はないが、近い」
「近くてもいいでしょ、一緒にお風呂に入ったこともある仲なんだし」
悪戯っぽくアリスが笑い、ちらりと横目でルナリアを見る。
「お風呂……お二人は、そ、そういう関係……だったのですか?」
ルナリアは軽く動揺しているようだ。練は、いやいやと首を横に振る。
「何を想像しているかはわからないが、千羽さんと風呂なんか入ったことはない。ただ俺をからかっているだけだと思う、この人――いっ!? 何でいきなり足を踏む、痛いじゃないか」
アリスが踵で、ぐりぐりと練のつま先を踏む。
「あら、ごめんあそばせ。つい、うっかり」
ルナリアがわずかに顔に不快の色を浮かべる。
「千羽さん。すぐにその足をどけなさい。でなければ――」
ざわりとルナリアの白銀の長い髪が、風もないのに揺れる。アリスが足をどけた。
「うっかりって言ったでしょ。王女殿下、意外と短気なのね」
しれっとした顔で,アリス。グロリアスが感心したように練に言う。
(――コイツ、神経図太ぇなあ。王女殿下の目の前で、王女殿下のお気に入りにこんな仕打ちをできるたあ、感心するぜ。この娘、弟子にしてやってもいいな。才能あるしよ)
練はつま先の痛みを堪えつつ、念じてグロリアスに話しかける。
――なあ、グロリアス。千羽さんの態度、どう考えても俺のことを知っているようだが。
――魔法を使える日本人の知り合いなんて、いないよな。
(ああ、いねえな……待てよ。この娘、マジで純粋なこっちの人間なのか?)
――どういうことだ?
(紫音と同じじゃねえかってことだよ)
「紫音と?」
練は紫音に目を向けた。詳しくは聞いていないが、紫音の母親はブリタリア人らしい。
前のほうの席にいる紫音は、学習道具をカバンに片付け終えて、席を立つところだった。
「僕がどうかしたのかい?」
紫音が振り返りつつ訊ねた。
「あ。いや。別に」
「そっか。それじゃ僕は先に帰るよ。何だかお取り込み中のようだしね。千羽さん、言いたいことがあったら練には直接、ちゃんと言ったほうがいいと思うよ。足を踏んだくらいじゃ、きっと伝わらないからさ」
「わかってるわよ、それくらい。練は鈍感なんだからっ」
ぷいっとアリスがそっぽを向いた。
「大変だねえ」と紫音が笑いながら片手を振って教室を出て行く。
「さて、練さま。私もこれにて今日は失礼いたします。先ほどの課外授業と選考テストについて、学院長に提案してこなければなりませんので。行きますよ、ジェンカ」
ルナリアが練に一礼し、カバンを持ったジェンカを従えて教室の外に向かう。
ルナリアとジェンカの姿が前側のドアの向こうに消えた後、アリスが練に視線を戻した。
「で、練。これから暇? 暇なら、いいところに案内してあげるけど。貴方、この学校の施設ってよく知らないでしょ?」
「いいところって?」
「大図書館。蔵書数一〇〇万以上で、ブリタリアの原書もあるわよ。魔法関係の」
(図書館なんかじゃなくて漫画喫茶行こうぜ、漫画喫茶。俺、読みたい漫画の続きがあるんだよ)
「ブリタリアの原書!? ぜひ連れてってくれ!」
練はグロリアスを無視し、前のめりになってアリスの手を取った。
「ち、近いわよ。そんな焦らなくても連れて行くってば」
アリスが、ぼっと顔を赤くした。練の手を強引に振り払い、ぼそぼそと呟く。
「な、何よ。私のこと忘れてるくせに、こういうとこばかり変わってないんだから」
「――何か言ったか?」
「別に! ついてらっしゃい!」
金髪ツインテールとスカートを揺らし、アリスが身を翻す。そして早足で歩き出した。
遠巻きに、一連の出来事を見ていたクラスメイトたちが、ぼそぼそと小声で会話する。
「千羽は黒陽の肩を持ったか、やっぱり」
「レコードホルダーにしてみたら周りは全部バカに見えるんだろうな」
「下手な講師より上だもんね、アリスちゃんのスペック」
好意的には思えない言葉の羅列を練は耳にした。
(現役の神童は苦労しているみたいだな、練よ)
練は足を止め、振り返る。びくりと噂話をしていた生徒たちが身を震わせた。
何か言うべきか。考えても言葉は浮かばない。
「練、つまんないことは気にしないでいいから! ほら、行くわよ!」
アリスの呼び声に、練は無言で踵を返した。アリスのそばに急ぐ。
「いいのか?」
「いいのよ、慣れてるから。出る杭を打ちたい人は多いのよ、いちいち気にしていたらキリがないわ。それにどうせ誰も私を打てやしないし――あ。練にだと、ちょっと打たれるかも」
「そうなのか?」
「冗談だってば、冗談。打たれてなるものですかってね……相手が誰であっても」
最後、アリスの声が低くなった。瞳にも暗い陰が宿り、練はぞくっとした。
(何者だ、この小娘。ただの学生がする眼じゃねえぜ、こんなの)
まるで人でも殺しそうな目つきだった。一瞬の後、嘘のようにアリスが笑う。
「高等部で首席になろうと思ったら、私を負かさないとね。高いわよ、このハードル」
「あ、ああ。心得ておくよ」