今さらファイアーボールなんか習っても
「やっぱり高等部だと高度なことを教えるなあ」
「ファイアーボールってあんなに難しかったのか。風の魔法を利用して火を圧縮、形状を維持して運動エネルギーを与えて飛ばして、自動か任意で風の魔法を解除して爆発させるなんて、よく三条院はあんな呪符の折り紙で簡単にやってみせるよな。さすが名家は伊達じゃない」
「どうしても一つに集中すると、もう一つが上手くいかないよね」
「先生、もう一回説明してもらってもいいですか?」
「ああ、構わないよ。どこだい?」
学院の授業開始初日が終わった。男女入り交じったクラスメイトたちの一部が教壇を囲み、先ほどまで授業をしていた若い男性講師、コーンズと話をしている。
授業についての質問を熱心にする生徒。嬉しそうに受け答えする男性講師。
理想の学院生活の一場面が展開する一方で――
練は、机に突っ伏していた。
「……こんなのが、高等部の授業なのか……」
(だから期待するなって言ったろ? 呪符を扱える三条院とか、マルチタスクで飛行魔法を使える千羽アリス亞梨子とかが特殊なんだって。もちろん、おまえもな)
「がっかりしたでしょ?」
と左隣の席のアリス。練はのそりと身体を起こした。
「ファイアーボールの理論を今さら教えられるとは思ってなかった。高等部一年でこんなんじゃ、中等部っていったい何を教えているんだ、三年間もかけて」
「基礎の基礎よ。体内魔力の流れの把握から、魔力の消費や回復、シングルタスクの基本魔法――着火や造水とかを一年生でやって、二年生で規模の拡大や維持の強化。三年生でようやく、ブリタリア人の八歳児くらいが使えるレベルの、家事用の基本魔法修得終了っていう感じ」
一呼吸おいて、アリスが話を続ける。
「そもそも。アカデミー開校式のあのテロ事件のせいで、急遽、この国立魔法技術学院が作られたわけだけど、開校してまだ三年よ?
魔法教育なんて始まったばかりだもの。練みたいに幼少時からブリタリアの英才教育プログラムでも受けてなきゃ、魔法なんてろくに理解しているわけがないじゃない」
「じゃあ、高等部の生徒でもこの学院で初めて魔法を習ったという生徒ばかりなのか?」
「そうでもないけどね。個別指導の英才教育プログラムとは別に、自治体レベルでそこそこの才能の生徒を集めて、ブリタリアの講師がほんとの基礎の基礎の基礎だけを指導する、塾形式の魔法学校はあったから。学院の生徒は、大半がどこかの塾出身のはず」
「塾があったなんて、俺は知らなかった」
「練みたいにとんでもなく才能のある生徒は、塾じゃ他の生徒が絶望するだけだから、塾に呼ばれなくて当然よ。塾の内容なんて、英才教育プログラムだと導入レベルのことだもの。わかった? ここの授業に、練が期待しないほうがいいってこと」
「そこまで低レベルだったのか……」
練は目眩を覚え、片手で顔を押さえた。アリスが苦笑する。
「そんな絶望した様な顔をするほどでもないわ。英語を考えてみなさいよ? 中学校を卒業した段階で、ネイティブの小学生レベルの会話をできる生徒、ろくにいないでしょ?」
「そう言われれば、そうか。馴染みのない文化の修得は、それだけ難しいということだな」
「そういうことです」
と、右隣の席からルナリアの声。
「三年前に王国が立ち上げようとしたアカデミーは、そうした問題も踏まえてゆくゆくは初等教育から魔法学を指導する計画でしたが、この日本国立魔法技術学院は、現時点では中等部以前の教育の予定はありません。残念です」
斜め前方の席の三条院道長が、こちらの会話が気になるのか、時折ちらりと振り返る。
だが練たちは誰も道長に声をかけない。
(ま、そいつは仕方のねえことだ)
グロリアスが口を挟んできた。
(この世界の魔力が活性化したのは二〇年前。それ以前に生まれた人間で魔法や術が使えるのは、それこそ三条院みたいな特殊な家系の奴らだけだぜ?
つまり、普通の大人は魔法なんて使えないのが常識だし、そんなものを子供が使えるなんて、むしろ考えたくもねえ。この世界じゃ魔法なんて要らねえって考える奴らのほうが多数派だ。
練、おまえの母親のようにな)
「……魔法そのものが一般には理解されていないのは、俺もわかってる」
グロリアスへの練の言葉を、ルナリアは自分への意見だと思ったらしく、大きく頷いた。
「その通りです。私たちの世代が成さなければならないのは、まず一般社会に魔法の理解を広めること。それからようやく、魔法文明発展への道が開けるのです」
「私は別に、この世界に魔法を広める必要性はないと思うけどね。魔法でできることなんて、この世界の科学でだいたい実現可能だから」
突っかかるような口調で、アリス。
「この世界には、魔法が不要といいたいのですか?」
ルナリアが突き刺すような視線をアリスに向ける。アリスが挑戦的な視線を返す。
「夜でも電気で皓々と明るく、猛暑でもエアコンで快適に涼しく、極寒でも暖房で心地よく暖かく。飛行機や電車、車を使えば短時間で地球上のどこにでも行けて、季節を問わず年中美味しい食べ物があって、蛇口を捻ればいつでも飲める水が出てくる。
この全てを魔法でやろうとしたら、今のブリタリアにできるのかしら?」
「……難しいことも、確かにありますね」
「文明としては、こっちの世界のほうが進んでいるのよ。それは魔法に頼らなかった結果とも言えると思うけれど。それでも王女殿下は、この世界に魔法が必要だと言える?」
「それば……」
言いよどむルナリア。
黙って聞いていた練は、ちらりとルナリアを見てからアリスに視線を向けた。
「この世界でも、魔力が活性化した以上は、これからはどんどん魔法を使える人間が増えていく。文明的に魔法が必要だとか不要だとかは関係なく、これからの時代は、魔法というものを理解し、正しく使えるよう教育するのは重要だと思うんだが」
ぱちくりとアリスが瞬きをし、感心したように息をついた。
「へー。あんた、ちゃんと考えているんだ? 私はてっきりただの魔法オタクで、あらゆる魔法を自分で極められたら、それでいいタイプかと思ってた」
「いや、それであってる」
(それであってるぜ?)
練の声とグロリアスの思念が重なった。
ふ、とルナリアが短く息を漏らす。
「でしたら。この程度の授業には不満しかないでしょう……どうでしょう、練さま。よろしければ、私のほうでレベルの高い課外授業を用意しようと思います。幸い、適任の講師には心当たりがありますし」
高レベルの課外授業。その言葉に練は、思わず立ち上がった。
「ぜひ、お願いしたい! せっかく魔法の学院に来たのに、この程度の授業じゃ意味がない」
思いの外に大きい声が出て、周囲の注目が集まる。
教壇を囲んでいた生徒や講師のコーンズも練を見た。コーンズが不快そうに眉を寄せる。
「この程度の授業って。君は黒陽練だったね? そんなに僕の授業が不満か?」
練はコーンズに視線を向けた。
「ああ、すみません。先生の授業に不満があるわけではないんです。千羽さんからも聞いたんですが、高等部一年生の授業内容としては、これが適切でしょうから。ただ――」
「ただ、何だと言うんだ!?」
練の話を皆まで聞かず、コーンズが語気を荒らげて問うた。
何を怒っているんだろう、と練は多少不思議に思いつつ、率直に答える。
「俺にとっては、今さらファイアーボール程度から教わることは無意味なだけで」
「む、無意味……僕の授業が、無意味だって……?」
コーンズが表情を強ばらせながら続ける。
「黒陽は、英才教育プログラムの受講者だったな。それなら中等部からの内部生より知識があっても不思議はないかもしれないが、基礎をおろそかにするのはいただけない」
気を取り直したように、コーンズが自信に満ちた笑みを浮かべる。
「ファイアーボールのような基礎でも、完璧に理解すれば。このような複雑な魔法記述光跡も読み取れるようになるんだ」
コーンズが練に向けて両手をかざし、魔法記述光跡を出現させた。それほど速くはないが、正確に魔法陣を編み上げる。それが完成する前に、練は内容を読み取った。
「近代ブリタリア式火炎系攻撃魔法、ファランクスですね、その構成だと消費魔力が約六〇、秒間一二発の火炎弾を五秒間、掃射。乗用車くらいなら簡単にスクラップになります」
表情一つ変えず、淡々と練は告げた。おお、とクラスメイトたちがどよめく。
コーンズの顔から笑みが消えた。驚きと焦りの色が浮かぶ。
「た、たまたまファランクスは知っていたのか。それなら、こういうのも――」
コーンズが魔法陣構築を止め、魔法記述光跡を一度、消した。新たに魔法記述光跡を発生させ、別の魔法陣を作り始める。その構成も、練はすぐに読めた。
「サンダーハウリングですか。複数の雷撃を同時発生させ、敵を確実に取り囲んで打ち倒す。消費魔力がおおよそ九〇。その精度と威力だとこの教室の生徒が全員、消し炭になりかねないので、そんな物騒な魔法は構築しないでもらえますか? 先生の実力はわかりましたから」
「なん……だと……。これもあっさり読むのか……僕の最高の魔法なのに……」
コーンズが愕然とする。集中が途切れたか、魔法記述光跡が霧散した。
「……すまない、みんな。質問は、また今度にしてくれないか……」
消え入りそうな声で告げると、コーンズが教壇を降りる。そして、とぼとぼと頼りない足取りで教室を出て行った。