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練、アリスに夜這いをかけられる

 そして、夜。


 ――騎士だの、嫁だのって。何考えているんだ、あの姫さまは。


 昼間の出来事を思い出し、練は寝付けないでいた。カーテン向こうからは紫音の健やかな寝息が聞こえてくる。男と同室なのを気にもしないで、ぐっすりと眠っているようだ。


 ロフトベッドに仰向けで横になり、手を伸ばしてぎりぎり届かない程度の近い天井をぼんやりと練は見ていた。左目の視界ではグロリアスが腕を枕にして眠っている。


 大食堂で生徒たちに囲まれた時の話題は、騎士についてだった。

 とりあえずルナリアの求婚だけは、知れ渡っていないらしい。


「知られたら困ることばかりだな。グロリアスのこととか、求婚のこととか。紫音の性別のこととか。何だかややこしい立場になった気がする……結局、夕飯も食堂で食えなかったし」


 昼の大食堂での騒動。千羽アリス亞梨子という女子生徒の登場の隙に練と紫音は逃げたが、野次馬たちは追ってきた。

 結局、購買に立ち寄れず、紫音が備蓄していたカップ麺で昼食を済ませる羽目になった。


 夕食時に再び大食堂に向かったが、物陰から入り口付近を覗き見たところ、昼にアリスに恥をかかされた上級生たちの顔が幾つかあった。練を待ち構えているようだった。

 気付かれないよう練は引き返し、購買に立ち寄って食べ物を仕入れて部屋に戻った。


 パンとスナック菓子というバランスの悪い夕食を紫音と済ませ、食後はたわいのない雑談をし、順番に部屋に備え付けのユニットバスを使って入浴、就寝。今に至る。


「何を考えているかと言えば、紫音もか」


「ぅーん。そこは……駄目……だってぇ」


 カーテンの向こうから紫音の声が聞こえ、どきりとして息を潜める。

 再び寝息に戻った。ただの寝言のようだ。


「……俺がここにいても、平気で風呂に入るとは。そこまで俺を信用する意味がわからん」


 ――グロリアスなら何か、わかるだろうか。


 ふと練はそう思ったが、魔法の師は左目の中で爆睡中。寝言まで漏らす。


(……練……聖地……満喫……行こうぜ……)


 グロリアスはこの世界の創作文化をいたく気に入り、漫画喫茶を聖地と呼んでいる。


 特に漫画が好きだ。練が許可すれば、練の左半身のみグロリアスは自由に動かせるため、練が右半身で勉強をし、左半身でグロリアスが漫画を読むなんてこともあるくらいだ。


「漫喫か。落ち着いたら行ってやるか。グロリアスの機嫌をとれば、新しい魔法を教えてくれるかもしれないし……にしても……今日は疲れた――」


 ようやく意識がぼんやりとし始め、練はまぶたを閉じた。


 不意に近くで誰かが魔力を使う気配を感じ、目を開ける。


「何だ?」


 練はロフトベッドの上で身を起こした。

 立ち上がると天井に頭をぶつけるため、座ったまま魔力を感じたほうへと目を向ける。


 カーテンの引かれた窓の向こう。ぼんやりと魔法記述光跡と思しき光が見えた。カーテンのせいで記述は読めないが、何者かが窓の外で魔法を使おうとしているようだ。


「……ベランダなんかないぞ、この寮。ここは四階なのに、いったい誰が」


 ことり、と音がした。半円形で回転させるクレセント錠が開けられた音のようだ。

 すーっと静かに窓が開かれ、入り込んだ夜風でカーテンがはためき人影が現れる。


「誰だ」


「何よ、起きてたの? それなら鍵を開けてもらえばよかったわ」


 女子の声だ。どこかで聞いた気がして練は首を傾げ、ああ、と思い出す。


「その声。夕方、食堂で声をかけてきた――確か、千羽アリス亞梨子さん」


「何よ、そのフルネームで他人行儀な呼び方! 練、ほんとに私を覚えてないのっ?」


 わずかに声を荒らげて、アリスが部屋に入ってきた。体重を感じさせない異様に軽快な動きで、音もなく練のロフトベッドに上がり込む。


 ベッドの上で身を起こしている練に、アリスが四つん這いの姿勢で身を寄せた。

 吐息がかかりそうな距離。常夜灯の薄暗い灯りの中で、練はまじまじとアリスの顔を見た。


「ほんとうに、わからない。君みたいな美人なら、会えば絶対に覚えていると思うんだが」


 ぽ、とアリスが紅潮するのが薄明かりの中でもわかった。


「び、美人て。そ、そうね。自分で言うのも何だけど、私ってけっこう美人よねっ」


 くねりくねりとアリスが奇妙な動きをする。練は率直な疑問を口に出す。


「ところで女子寮は向かいの建物だろう、どうやってここまで来た?」


「バカね。飛んで来たに決まっているじゃない」


 と真顔になってアリス。なるほど、と練は頷く。


「飛行魔法か。使用魔力はどれくらいだ、その魔法?」


「そうね。速度や高度、風向きにも影響されるから一概には言えないけれど、一〇メートル飛ぶのに魔力を最低でも一くらいは消費するわね」


「……となると、今の俺じゃ一〇メートル飛んで終わりか。実用性には乏しいが、覚えておいて損はないな。今度、魔法記述光跡を展開するところ、見せてくれ」


「別に構わないけれど」


 何故か嬉しそうに、にやつくアリス。練は別の疑問を口にする。


「それはそうと。何をしにきたんだ? 俺が忘れているのを怒りに来たのか?」


「――はっ。ち、違うわよ! あんたが私を忘れていようがいまいが、か、関係ないものっ。ふんだ、勝手に忘れていればいいのよ。そのことはこの際、置いておいて、ねえ、練。貴方、騎士にってこととは別に、王女殿下に何か変なこと言われてない?」


「――――変な、こと? さ、さあ」


 練はアリスから顔を逸らした。嫁に、というのはどう考えても変なことだ。


 アリスが練の太股にまたがって腰を下ろし、練の顔を両手で掴んで強引に自分へと向かせる。

 ぎくりとした練の目を、まじまじとアリスが覗き込む。


「そうやって都合が悪くなると顔を逸らすの、昔のまんまよね。何を言われたのよ?」


 練は視線を明後日のほうに向けた。


「…………そんなこと。千羽さんには関係ないと思うが」


「練の立場で考えると、そうかもね。でも、こっちにはこっちの都合があるのよ。それに私、中等部主席だったせいで、王女殿下のルームメイトに指名されたの。カーテンの向こうでため息ばっかりつかれたら、気にもなるわよ。で? 何を言われたの?」


 ルナリアが、ため息。

 その言葉に、練はちくりとした痛みを感じたような気がした。


「すまないが、言えない。王女殿下のプライバシーに関わることだから」


「プライバシー? そんなこと気にしなくていいわ、私が黙っていれば済むことだもの。いいから、話しなさ――」


「……練くん? 誰か来てるのかい?」


 カーテン越しに紫音の声が聞こえた。紫音がベッドサイドのライトを付けたらしく、カーテンに影が映り込む。今にもカーテンをたぐって開けそうだ。

 アリスが練の顔を掴んでいた手を放し、指をカーテンに向ける。


「寝てなさい、貴方は」


 指先から流れる魔法記述光跡。精神操作系、強制睡眠の魔法だと練にはすぐにわかった。


「へえ。この僕に精神操作系魔法をしかけるんだ? 甘いよ」


 アリスの魔法記述光跡が崩れ、光の粒になって消えた。


「一瞬で解呪(ディスペル)されたっ? そんなっ」


「誰だか知らないけど、その声は女子だね? 夜這いとは大胆な。練くんの大事な身に手を出そうなんて、これは捕まえて学院に突き出すしかないかな」


 紫音の淡々とした口調が逆に恐ろしい。


「やばっ。それじゃ練、またねっ」


 アリスがあたふたと練から離れ、来た時と同様に重さを感じさせない動きで素早く窓から出て行った。

 ここは四階だ。落ちれば当然上げるだろう悲鳴は、聞こえて来ない。

 アリスの魔法技術力の高さに、練は感心した。


「ずっと飛行魔法を発動させていたのか。それで強制睡眠を並列起動させられるなんて、ずいぶんと器用なんだな。並列起動、俺も研究してみよう」


 シャッと音を立て、部屋の仕切りのカーテンが開けられる。


「誰だったんだい、今のは。知り合いかい?」


 見ると、男物のシャツを寝間着代わりに羽織っただけの紫音がそこにいた。


 すらりとした白い脚が常夜灯に浮かび上がり、練は視線を横に逃がした。


「……知り合いらしいんだが、俺にはよくわからん」


「そか。そんじゃ追及はしないでおいてあげるよ。でも、機会があったら言っといて。次は絶対に見逃してあげないからってね。精神操作系魔法の神髄を見せてあげるよって」


 紫音の言葉は、はったりとは思えない妙な自信を感じさせた。


「紫音ってそんなに得意なのか、精神操作系魔法?」


「まあね。その気になれば、東京都民一〇〇〇万人を支配下におくことだって可能かな。然るべき準備をし、タイミングと状況をきちんと狙えばだけど」


「そんなことまでできるのか!」


 練は目を丸くした。思わずロフトベッドから身を乗り出す。ぱちくりと紫音が瞬きする。


「……疑わないの、今の? さすがにそりゃありえないとか、さ?」


「嘘なのか?」


「いやあ。嘘じゃないけどね、うん。まあ、絶対にやらないけど。やったらママに、どんな目に遭わされるかわかったものじゃないから。っていうか、普通にぶっ殺されちゃうかな」


 ママ。

 紫音の口から出たのは初めての単語だ。練は軽く首を傾げる。


「紫音、俺と同じで高等部からの編入組だと言ったよな。ママ――母親が、魔法の師なのか? 使うのは近代ブリタリア式だよな、もしかしておまえ、ブリタリア人か?」


 紫音が、しまった、という表情をする。


「……んー。当たらずとも遠からずってところかな。夜這い彼女のこと追及しない代わりに、このこともあれこれ訊かないでくれると助かるんだけど」


「何か事情があるということか。そういうことなら、承知した」


「あっさり納得するんだね。変わってるねえ、練くんって」


「そうか? 他人の困ることを追及したって迷惑なだけで、誰も得はしないだろ?」


「うん。やっぱり変わってる」


 変わり者認定されたが、練は気にしない。かつて散々、言われたからだ。



『あんたみたいな怪物、生んだ覚えないのに。何で魔法なんて使えるの、絶対に変よ』



 実の母親に、そう初めて言われたのは幼稚園に入る前の日だったと練は記憶している。

 その後もたびたび同じようなことを言われ、やがて母親は育児放棄。練は叔母夫婦に保護された。

 叔母たちは親切だったが、叔母夫婦には『魔法の使えない普通の子供』がいた。

 結果、練のほうから叔母夫婦から離れ、小学校高学年の時にはもう一人暮らしをしていた。


「変、か。人にはそう見えるらしいのは、知ってる」


 ぼそっと練は呟いた。


「……あれ? 気に障ったなら謝るけど……」


「いや、そんなことはないから問題ない。それよりも。時間がある時で構わないから、精神操作系魔法を触りだけでも教えてくれないか? その系統の魔法には疎いんだ」


「お! いいね、すっかり目も覚めちゃったし、それなら今、眠くなるまで精神操作系のレクチャーしようか! 降りておいでよ、いい紅茶があるから淹れてあげる!」


「ありがとう、ご馳走になるとする」


 練はロフトベッドから降りた。ふと頬に風を感じて振り返ると、アリスが開けた窓がそのままだった。窓を閉めるついでに、向かいの女子寮を見やる。


 女子寮と男子寮は同じ造りで、鉄筋コンクリートの表面を赤れんが風の壁材で覆ったホテルのような建物だ。女子寮にも、ちらほらと灯りの点いている窓がある。


 明日からの授業に期待を抱き、興奮を覚えてルームメイトと語らっているのだろう。


「本格的な魔法教育が、やっと受けられるんだ。俺も」


 練は期待感で自分が浮かれるのを感じた。

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