【勇者幻夢譚】
教師による脅迫にも似た授業、腹を探り合う友人関係、勉強を強要する両親の説教。
両親も自分も平凡、なのに一流の進学校へと通わされ、朝から晩まで勉強漬けにも関わらず、それでもギリギリ赤点を免れる程度の学力。
その状況にうんざりして、かといって憂さ晴らしも出来ずに鬱屈した日々を送る少年がいた。
彼の名は、平坂悟。
そんな彼にも癒しとも言えるのがライトノベル、特に異世界転移や転生ものを読む事だ。
主人公のように強くなって、好き放題やりたいという願望を少なからず抱いていた。
できればハーレムも、と。
「ま、無理だよな…」
塾帰り、既に深夜に近い時間帯。
そんな事は起こらない、と悟の呟きは夜の闇に消えていく。
しかし、その呟きに反応するかのように、彼の足元から紫色の光が広がった。
悟がそれに気付くより先に光が彼を包み込むと、光は途端に消え、そこに彼のカバンだけがポツンと残されていた。
悟が紫色の光に気づいて身構えた時には、周囲の景色が一変していた。
「ここは…」
石造りの部屋、部屋を支える石柱、彼を取り囲むように佇むフードを被った黒いローブを纏う者達、そして正面に立つのは豪華なドレスに身を包み、美しいプラチナブロンドの髪とエメラルドの瞳に強い意志を宿した美少女。
悟を見て笑みを浮かべた少女にドキドキして惚けていると、突然目の前で青い光が弾け、そこから白を基調とした装束を纏う、輝くような青の長い髪をなびかせた美女が現れた。
それを見たローブの者達がどよめきだすが、ドレスの少女がスッと左手で制し、言葉を紡いだ。
「ようこそ、異世界よりお越しの勇者様方。
わたくしは、アンフェール国の王女アンティノーラ。
突然の呼び出しに応じて頂いた事に深い感謝を。
あなた方のお名前をお伺いしてもよろしいですか?」
鈴を鳴らすような声、とはこの事ではないだろうか?と悟が聞き惚れていると、「…ディリス。」とただそれだけを美女が呟き、悟も慌ててそれに続いた。
「さ、悟です。平坂悟と言います。」
「サトル様にディリス様ですね。」
ホッとするローブの者達をよそに、アンティノーラは少しだけ目を伏せ言葉を続けた。
「今、この世界では魔王の脅威に晒され、なす術もなく幾つもの国が…町や村が襲われ、そこに住まう多くの民達がその犠牲となりました。
国を護る騎士達も魔王討伐に向かったものの、誰一人として帰ってきた者はおりません。」
普通、それを初対面の人物にいきなり話す内容ではないのだが、疑問に感じたサトルは毅然として話す王女の手が震えていることに気づいた。
綺麗だと思ったそのドレスもよく見れば僅かに汚れていることに。ローブの者達もあちこちボロボロになっている事も。
王女を筆頭にローブの者達も、物語にあるような優雅な暮らしを送れていない事を如実に、サトルの憧れた異世界召喚は危機に瀕し、切羽詰まった状況だということを示していた。
「あの、もしかして王女の国も…」
「……」
サトルの問いは、アンティノーラが何も言わず首を横に振るだけで終わった。
それが全ての答えである、とも。
「されど、希望はあります。
それは勇者様の御力を宿したあなた方に。」
「勇者の…力…」
そう言ってアンティノーラはサトルとディリスを見て微笑み、その微笑みを向けられたサトルは思わず頬を染めた。
ディリスは王女の会話に挟まず、手を顎に当ててずっと静観している。
「勇者様には自らの能力を知り、相手の力を見抜く目を持っていたと言い伝えられています。」
「わ、分かりました。確認してみますね。」
王女の言葉に胸を躍らせながら、サトルは平静を保ちつつステータス・オープンと心の中で念じた。
王女の言葉にサトルは不謹慎であると感じながらも、この状況を期待で胸を躍らせずにはいられなかった。
『ステータス』の確認が出来る、と、『鑑定』のような能力が使えるという言葉に。
すると、左目だけに見えるゲームのようなステータスウィンドウが現れた。
名前:サトル・ヒラサカ(平坂悟)
種族:人間族(15)
状態:健康
職業:異世界の学生
特殊:言語変換、武術の極み、魔術の極み、技術完全取得、ダメージ完全再生、欠損復元、魔力の泉
称号:異世界の勇者
(うお!)
そこに見えるステータス欄、特に見たいものに注目するとより詳細を見られ、なによりサトルを興奮させたのは『状態』から見られる『能力値』だろう。
軒並み9000以上もの数値を超え、力や体力などは1万に迫る数値だ。
『特殊』、いわゆるユニークスキルに戦闘向けが多いのは、魔王を倒すためだろうと理解する。
そして自分が勇者ならディリスは何者なのだろう?とサトルは彼女に鑑定をする。
名前:ディリス(偽名)
種族:エルフ(年齢不詳)
状態:健康
職業:無し
特殊:戦術、魔力操作
称号:異世界よりの来訪者
(エルフ来た!じゃなくて、ステータスは全部1000超えてるけど…勇者じゃないのか。
異世界よりの来訪者…えーと…ってこの説明巻き込まれ召喚じゃないか?)
自分に比べれば随分弱い、と思いつつサトルはそのままディリスのスリーサイズを確認し、続けてアンティノーラを鑑定してステータスとスリーサイズを確認した。
彼女の場合、魔力の数値が2500と最も高いが、そこからガクンと下がって体力が300、他の数値が100前後と低い。
覚えているスキルが攻撃とサポート、回復の魔法が揃っており、賢者タイプである事を伺える。
ついでにローブの者達のステータスは魔力が200から800、体力はそこそこあるが高くても150程度であり、他の数値はやはり100前後だ。
おそらく一般的な平均値が100〜150なのでは、と考える。
それを考慮するとディリスの能力は相当高いという事になる。
「あの…如何、でしたか?」
能力の確認の為に黙り込んだサトルと、ほとんど喋らないディリスに不安を覚えたアンティノーラが控えめに声をかけた。
「あ、勇者あります!」
その声にハッとしたサトルは慌てて声を上げた。
それを聞いた王女達は安堵の息を吐き、こう告げた。
『魔王打倒の為、その御力をお貸し下さい。』と。
◆
それからの数ヶ月は正に過酷な旅だった。
外には多くの亡骸があちこちに放置され、生き残っている人達もほとんどが無気力に過ごしていた。
サトルは希望をもたらそうと、多くの魔物や魔族と戦った。
ディリスの戦闘知識や戦術、魔力による探知を使い斥候のような立ち回りで助けられ、王女の優しさや多彩な魔法に助けられ、それらを打ち倒し旅を続ける事が出来た。
人々に騙され、傷付く事もあった。
王女がサトルと一緒に悲しみ、ディリスは乗り越えろと言った。
特に王女とは親しい関係にもなり、休める場所ではお互いに肌を重ねて求めあっていた。
旅の途中、仲間にも恵まれた。
『助けてくれてありがとう!
獣人族の戦士カタラ。特にサトル、お前はアタシの恩人だ!』
サトルは奴隷にされかかっていたカタラという少女を助け、
『ああ、ついに勇者様が降臨なさったのですね。
申し遅れました、私はテュエ。
傷付いた方々を癒す為、旅をしている神官です。』
魔物に襲われ、窮地に立たされたテュエを助け、共に旅をするようになり、さらに数ヶ月。
サトルはカタラやテュエとも肌を重ねるようになり、魔王が住むという居城まであと数日の旅に迫った頃。
野営地にてサトルが夜の見張りをしていると、あまり喋らないディリスがサトルに話しかけてきた。
「どうしたんですか、ディリスさん?」
唯一、彼女だけがデレない為に肉体関係がないため、サトルは密かに期待を込めて聞き返した。
ステータス差がある為、彼女を組み伏せることはできるのだが、彼女の技量はそのステータスを覆すのだ。
そう、サトルは戦闘においては彼女に勝てず、戦術を教わった日から今まで師弟関係が続いていた。
「旅が終わるようだから、最後に行動に移そうと思ってね。
その行動をする前に、君と話そうと思った。」
ディリスは風でなびく髪を手で梳くと、サトルはその姿にドキっとする。
同時に期待も大きくなる。
「最後、ですか。それで話とは?」
「君はこれから魔王を打ち倒し、平和をもたらす。
…のだろう?」
「必ず成し遂げます。絶対に。
あなたにも様々な事を教えて貰いました。
今だに一本も取れない不肖の弟子ですけどね。」
はは、と笑うサトル。
その様子を見てディリスは小さく息を吐くと、
「これから何を成そうと、間も無く君は死ぬ。」
「え…?」
死ぬ、確かにそう告げた。
表情が張り付いたサトルを無視してディリスは言葉を続ける。
「正直に言おう。
君が見ているこの世界と『私が見ているこの世界』は違う。」
ディリスが地面を軽く蹴ると、まるで薄氷が割れるかのごとく世界にヒビが入る。
「それでも君に『話を合わせられた』のは、私が気紛れで『君が見ている世界』に視覚を同調していたに過ぎない。
君が今、こうして目にしている世界が本来の姿であり、この世界の真実。」
ディリスの言う『世界の真実』。
割れた世界から現れたのは、臓物のように脈動する大地と干からびた人型の肉が徘徊する世界。
「ひっ!」
短い悲鳴を出し、サトルは立ち上がる。
が、違和感を感じて自身の身体を見下ろして絶句する。
腰から下げた聖剣は何かの骨に、鎧はボロ切れの布へと変わり果て、特にショックを与えたのはガリガリに瘦せ細った身体、肩や背中、足に刺さる管が臓物のような大地と繋がっていたのだから。
「君はこの世界に食糧として選ばれた。
その見返りとしてこの世界は、君に甘い夢を見せていた。」
ディリスの声にハッとして、彼女の方を見てみると…
「な、なん…で…?」
無数の管がディリスの周囲にあるが、彼女の身体には一本も管が刺さっていない。
サトルは彼女が元凶か、 と強い視線を送るが、それが間違いだとすぐに気づく。
管が彼女を刺そうとして、ディリスはそれを瞬時に斬り捨てていたのだから。
「貴女は…一体…?それに…」
サトルが言葉を続けた瞬間、「サトル様?」と王女に声を掛けられて振り向く。
「!?」
そこに居たのは、目と口を付けた人型の肉の塊が三体。
「うわあぁぁぁぁっ!!!」
「何を驚いている?
今まで君が性交していた相手だろう。」
腰を抜かし、思わず嘔吐するものの先ほど食べたはずの内容物は一切出ず、ただえずくのみである。
その様子を見たディリスは小さくため息を吐き、剣を手に踏み込むと、王女達だった肉塊を細切れにして原型を無くさせた。
その肉片は臓物の大地に溶けるように染み込んでいく。
「あ…あなだは…何者なん…でずか?
あぅ…たずけ…て、ください…」
サトルが気付いてしまったからか、彼の衰弱具合が目に見えて進行している。
そして喋っている間に自身でも気付き、膝をついてディリスに助けを願った。
「助けてもいいが、もう手遅れだ。」
冷たく突き放したディリスの目の前には、サトルの姿はもう無かった。
ディリスは手にした剣…ではなく骨を捨てると、何処を見るわけでもなく言葉を発した。
「…さて、日本語は理解できるだろう?
ゲームは終わりだ、私は『お前達』を始末しに来た。」
彼女の言葉に臓物の大地が激しく脈動する。
「借り物の能力を自らの能力と勘違いし、傲慢に振る舞い、くだらない遊びに興じたのだから…もう満足だろう?」
「「「だまれ」」」
続く言葉に反応して、彼女の足元から複数のくぐもった声が響いた。
焦ることなくディリスはゆっくりと浮き、大地を見つめると、大地がバカッと引き裂かれる。
引き裂かれた大地は一ヶ所だけではなく、大きなもので五つ、小さいものは無数にある。
その裂け目の隙間からは、歯のようなものが伺える。
そう、この臓物の大地こそが、かつて複数の日本人だったものの集まりだ。
「異邦の地に飛ばされた事は同情しよう。
だが能力を得て増長したお前達のした事は、そこに住む全ての命と星を食い尽くした事。」
「「「キサマも喰ってやる!」」」
「それでも飽き足らず、いや、人の味を忘れられず、同胞である者達の世界、その他多くの異なる世界の人を食う様は、余りにも見苦しい。」
ディリスの指先に一滴、白く輝く液体のようなものが湧き出し、それを臓物の大地に落とした。
◆
日本。
平坂悟が行方知れずになってまだ半日。
「なあ、バァさまよ、ありゃなんだべな?」
とある田舎。
畑仕事から帰って来た老人が庭先に置かれた横たわる案山子を指差し、妻である老婆に訊ねた。
「よく出来た案山子ですねぇ。
誰が置いたんでしょ。」
老夫婦二人が一緒に案山子へと近寄り、もっとよく見ようとボロ切れを捲ると短い悲鳴を上げて腰を抜かす。
その声を聞いた近所の若い夫婦が駆け寄り、案山子を見て顔をしかめ、スマホを手に警察と救急車を手配した。
そして翌日。
平坂悟の死亡の報と共に、僅か半日でミイラ化するという事件で世間を騒がせたが、憶測が飛び交うばかりで、その真相が明かされる事は永遠に無かった。
お読み頂き、ありがとうございます。